世界一の女子サッカー選手になれ――えっ球技? いやいやサッカーといえば……スーパーとかで買い物袋に商品を詰め込む人のコトに決まってるでしょうがァァァ!

初美陽一

第1話 〝サッカー〟という新しい世界へ――

「キミ――サッカー選手にならないか?」


 突然そんなことを言われたのは、買い物帰りの女子高生――栄海さかみ奈子なこ


 彼女に唐突すぎる誘いを持ちかけたのは、サングラスをかけた一人の男性。16歳女子の平均的な身長である奈子と比べれば、ずっと背が高く、偉丈夫とさえ呼べる体格だ。


 何なら不審者のようですらある男性の登場に、内気な性格の奈子は戸惑うばかりだが、彼は遠慮なく言葉を続ける。


「俺の名は、木郷きざと晃一こういち――サッカーのコーチを務めている者だ。キミの名は?」


「えっ、私、栄海さかみ奈子なこ……あっ!? じゃなく、その! あ、あぅ……」


 謎の男性に――晃一に名乗られたことで、奈子は不審に思っているにも関わらず、つい名前を教え返してしまう。慌てて自身の口を両手で覆っているが、時すでに遅し。


 対する晃一は腕組みし、何かを納得したように頷きながら呟く。


「栄海奈子、か……良い名前だ。いずれ世界一の女子サッカー選手に――すなわち《サッカーの女王》となるべき人間の名だな。よし、奈子。俺のコトは、気軽に〝〟と呼んでくれて構わない。それでは早速、明日からサッカーの――」


「……はっ!? 無理無理、無理ですよ!? サッカーなんて私、学校の授業くらいでしか、したことないですし……」


「ほう、学校の授業でサッカーとは、珍しい……さすが《サッカーの女王》となる女、なるほど、英才教育というワケだな……!」


「いえ特に珍しくもない、至極普通の話だと思いますよ!? あとそのサッカーの女王っていうのやめてください! ほ、本当に私……運動神経とかも、全然ですし……」


「――奈子、己を卑下するな。そうして下を向いていると、気持ちまで引きずられてしまうぞ」


「………えっ?」


 言われて下を向いていたと気付いた奈子が視線を上げると、サングラス越しに真っ向から彼女と向き合う晃一の顔があった。


「奈子、良く聞け。サッカーは、運動神経が全てではない。単純なフィジカルの優劣だけで勝負を制するコトが出来るほど、甘い世界ではないのだ」


「そ、それは……そう言われると、そうなのかな、って思いますけど……でもそれなら、なおさら私みたいな何も知らない人じゃ、とても……」


「いいや、違う――奈子、キミは気づいていないようだが、俺は確信している。キミには間違いなく、サッカー選手としての才能がある。やがてこの世界の頂点に立つであろう程に」


 晃一の言葉は力強く、迷いない確信が籠められているようだった。静かに、けれど熱量の籠められた彼の語調に、奈子は戸惑いながらも口を開き。


「……な、なんで私に、そんな……」


 問うと――晃一は、ゆったりとした動作で、サングラスを外す。


 彼の右目尻の横には、傷跡があった。その物々しさが、けれど気にもならないほど、静かな熱を湛えた燃える眼差しで、晃一は言い切る。


「俺は、キミに惚れた――俺はコーチとして、奈子を世界一の女子サッカー選手にしてみせる。だから、今までとは違う世界へ――〝新しい世界〟へ、共に踏み出さないか?」


「えっ。惚れ、え……えええ!? そ、そんっ……ん、んんっ!」


 惚れたなどと告げられた奈子は狼狽するが、すぐに〝サッカーの話だ〟と思い至り、咳払いして気を持ち直そうとする。


 けれど奈子の鼓動は、早鐘を打ち続けていた。〝惚れた〟という言葉だけが、原因ではない。


 生来、奈子は内気で消極的な性格だった。スポーツをやる自分自身など、想像もできないほどに。それは今、〝サッカーの才能がある〟などと告げられても、同じようで。


「……わ、私、は……」


 だけど。


 ああ、だけど――これほどまでに、強く、熱く、激しく、求められたことなど、今まで奈子にはなかった。


 内気だからこそ、これまで近寄ろうともせず、縁遠いと思い込んでいた、〝サッカー〟という世界に。


「……自信なんて、本当に、全然ありません。今までスポーツなんて、部活なんかにも入ったことないですし。でも……でも」


〝どうかしているのかもしれない〟と、奈子は自覚しながらも――晃一の熱い眼差しに、感化されてしまったのか。


 おずおずと、たどたどしく、けれど確かに――答えを出した。


「私、やりますっ……コーチさん! 〝〟を、私に教えてください!」


 自分の世界を変えようと――栄海奈子は、飛び出した。


 ……とはいえ気弱な性格が、すぐに改まる訳でもないようで。


「け、けどサッカーのこと、本当に知らないので……ちゃんと教えてくださいね? ボールの蹴り方とか……」


「蹴り方? フッ、奈子よ……いずれ《サッカーの女王》になるキミといえど、いきなり足技を使おうとするなど、いささか性急せいきゅうすぎるぞ」


「へ? や、だって……あっ、そっか! キーパーなんですね? わ、私ったら早とちりを……でも私に、どんな才能が……?」


「ふむ。いいや、違うぞ、奈子。俺が奈子に見出したのは、プレイヤーとしての才能だ」


「えっ、えっ? プレイヤーなら、なおさら蹴り方を……あ、あれっ? サッカーって、あれですよね、の……」


? ……どうやら何か、勘違いしているようだな。そうだな、ではこれだけは、はっきりと告げておかねばなるまい。奈子……いいか、良く聞け」


 戸惑う奈子に、晃一は真っ直ぐ、真剣さを漲らせた眼差しで向き合う。


 そして、クワッ、と目を見開いた彼が、力強く言い放ったのは――!





「サッカーと言えば……スーパーとかで買い物袋に商品を詰め込む人のコトに決まってるでしょうがァァァ!」





「はい?」


 呆気にとられ、ぽかん、と小さな口を開ける奈子に、晃一はスマホを取り出しつつ話を進める。


「というわけで、まずは連絡先を交換するとしようか。それでは早速、明日からサッカーの大会がある、それに出場するぞ。いいな、奈子」


「はい? ……はっ、明日!? いえあの、それこそ性急すぎませんか!? そもそも私、まだ何も教わってない――」


「よし、交換終了だ。何かあれば連絡するが、分からないコトがあれば何でも聞いてくれて構わない。サッカーに関するコトなら、何でも答えよう」


「あっしまった、つい流されるままに!? いえだから、分からないことっていうか、分からないことだらけで何から聞けば良いかですねっ……」


「では今日のところはこれで。待ち合わせ場所や時刻は後ほど連絡する。明日に備え、今日はゆっくりと休めよ、奈子」


「やっ、だから、あの、もうちょっとちゃんと話を、っていうか……う、うう……?」


 訳が分からな過ぎて、質問をすることにも窮してしまう奈子。


 対する晃一はサングラスをかけ直し、立ち去りながら、夕陽をバックに一度だけ振り返り。



「楽しみにしていろ、奈子――見たことのない〝〟を、教えてやる。

 キミの望み通りにな……フッ、約束だ!」


「………………」


 グッ、と親指を立てた晃一は、それだけ言い残すと、もはや振り向かずに去って行った。


 一人、取り残された奈子は、呆然とした心境のまま。


「………………………」


 自身が購入した商品を詰め込んだ、買い物袋をぶら下げたまま――もはや何も言えず、暫くその場に立ち尽くすしかなかった。



〝どうかしているのかもしれない〟――先程そう思っていた栄海奈子氏は、後にこう語る。



『ホントどうかしてました』と――――

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