ROUND 8

第47話 人間 vs 妖怪⑫

「チッ……まともな援軍ようかいいねえのかよ!?」


 部屋なかはニコチンとアルコールの臭いで、今にも爆発しそうだった。ふかふかのベッドに寝そべり、メガホン片手に戦場モニターを眺めながら、なまはげのオッサンが悪態をついた。


「あーまたやられた……何でそこで撃たないかなぁ!? いくらなんでも無抵抗過ぎるだろ。マジで戦力が足りねえっツーんだよ。これじゃ勝てる戦も勝てやしねえ。オイ!」

「お呼びでしょうか?」

「追加招集だ。アレじゃ話にならねえ。金に糸目は付けねえから、地獄の底に逝ってでも強力な助っ人妖怪連れてこい。年俸なら出来高払いで、いくらでも払うからよ」


 オッサンはワインを飲み干しながら鼻息を荒くした。VIPルームには臨場感溢れる爆発音と甲高い嬌声が入り混じって、話が聞き取り辛かった。サングラスをかけたスーツ姿の男が一瞬押し黙った。


「しかし、我がチームの予算はすでに……」

「あ? 勝ちゃ良いんだろうが勝ちゃ!」

 なまはげのオッサンは、今や目が座っていた。仄暗い部屋の中で、ミラーボールが極彩色に明滅する。


「なぁに、相手の領土さえ奪っちまえば、損失分は根こそぎ回収できるわ。この戦にいくら投資したと思ってる!? 此処まで来て引き返せるかよ!?」

「それは……いえ、分かりました」

「それと、こないだBETした市街戦、あれどうなった?」


 乱痴気騒ぎから顔を背け、扉に引き返そうとしたサングラスの男が、その言葉にぱあっと顔を明るくさせた。


「ああ……あれは、我がチームの大勝利でした。最新鋭の兵器を惜しみなく注ぎ込んだおかげで、悪の亡者たちは追い払われ、無事街に平和が訪れましたよ!」

「そっか……良かったな」


 オッサンは『ショートホープ』に火を点けながら満足そうに戦場モニターを見つめた。画面の向こうでは、倒れ行く兵士から噴き出した鮮血が、飛沫いた先から凍りついていて、まるで虹の架け橋のようにキラキラと輝いて見えた。


「……んじゃ、早速生き残った奴らから平和税をれ」

「は?」

「聞こえなかったか? だ。街が平和であることに感謝して、この俺に税金納めろって言ってんだよ。まさか、平和が無償タダだとでも思ってんのか?」

「し、しかし……」

「獲れるモンは全部奪れ! 俺が地獄ここの総理大臣になったら、呼吸税と毛髪税は絶対導入してやるからな。たっぷり重税をかけて、愚民どもを徹底的に弱体化させろ。もう二度と戦う気なんて起こさねえようになぁ! ケケケケケケ!」

「ですが……」

「あ?」

「我がチームは……今街を守っている警備兵も、あれは無償のボランティアでは?」


 何言ってんだ、となまはげのオッサンは驚いたようにたたらを踏んだ。


公務員けらい無償タダでボランティアするのは当たり前だろうが。奴らにただ働きさせて、金は全部こっちでいただくんだよ!」



『死ねッ! このゲス野郎がぁぁッ!』


 花子さんが躊躇いなく敵の眼球を抉り出し、振り向きざまにさらにもう一匹、心臓を突き刺した。ゴポォ、と溢れ出る吐血を顔面に浴びながら、花子さんがひひひ、と嗤った。


『こいつら、バカだぜ!』

 もう一匹、さらにもう一匹。まるでスナック菓子感覚で次々と。オーケストラの指揮者のように小気味良く刃物を振るいながら、彼女は実に愉しげに命を奪っていった。海のように広大な血の池地獄に、今日もまた悲鳴と断末魔が谺する。


『元々勝ち目はねえってのに、必死に向かって来やがってよぉ。どいつもこいつも犬死にだ。弱ぇーッ! 弱い犬ほど良く吠えるってのは本当だったんだなァーッ!』

「シカシ……これじゃキリがありませんネ」


 大笑いする花子さんのそばで、骸骨兵士が飛んでくる火の粉を振り払い、カタカタ首を振った。


「下手すればもう何年も何十年モ……ずっと戦争している気がしまス。戦力差からも勝敗は明白ナノニ……一体どうして奴らは降参しないんでしょう?」

『知るかよ!』


 短くなった『ピース』を吐き捨てながら、花子さんは追加でもう一匹、いともたやすく敵を破壊した。グシャッ、と音を立て、膝から崩れ去った亡者が、崩れた先からズブズブと黒い煙を上げて燃え出した。戦場は黒煙に包まれ、血の雨が降り注いでいた。グツグツに沸騰した血液の、饐えた臭いに当てられて、敵も味方も狂喜乱舞を繰り返している。数秒に一度死体が出来上がっていく様を見て、花子さんが嗤った。


『敵の事情なんて知るかッ、ここは戦場だぞ!? んなモンいちいち考えてられっか! 大体、あいつらだって私らのこと殺しに来てるんだから、こりゃ立派な正当防衛だ。これこそ正義だろうが!』

「はぁ……」

『死にたくなけりゃ殺せ! 奴らのことは鬼か、悪魔だと思え! 殺されて当然の奴らなんだ。殺される方が悪い、弱い方が悪い! 事情なら勝った方が、後からいくらでもでっち上げてやるぜ! ひひひひひひ!』


 言うが早いが、花子さんは更なる獲物を求めて戦場を駆け抜けて行った。花子さんが通った後に、今宵も死体の山が築かれていく。すぐに見えなくなったその後ろ姿を見送って、地獄の骸骨兵士が呆れたように天を仰いだ。


「ヤレヤレ……向こうからしたら、アンタの方がよっぽど鬼か悪魔ダヨ」



「まだかな……まだかな……」


 、子供達は教室で、もうソワソワが止まらなかった。お星様やお花の形をした、天井からぶら下がるキラキラ。窓ガラスには『地獄へWELCOME ようこそTO HELL!』の文字。飾り付けはバッチリだ。

 空は快晴だった。クッキーやマフィンも、食べきれないほど用意して、プレゼントをぎゅっと抱きしめながら、彫刻の少女が夢見心地に頬を朱に染めた。


「お友達になれるかなぁ、喜んでくれるかなぁ」

『ええ……きっと』


 こいしさんは『魔界へのいざない』を一口嗜みながら、静かにほほ笑んだ。小刻みに手が震えている。酔いは醒めていた。大丈夫、大丈夫。こいしさんは自分に言い聞かせるように、深呼吸を繰り返した。


 私たちは戦いなんてしない、ただ話し合いをするだけ。仲良くしたいだけ。武器は持たない、私たちは軍隊じゃない。ただ平和を願う、ボランティアのなの。戦争を望んでいる人なんていない、はず。大丈夫。心を開いて話せば、きっと分かってくれる……きっと理解し合える……。


「早く戦争、始まらないかなぁ!」

 真っ白な子供達が無邪気に笑った。

「あ……来たよ!」

 やがて地平線の彼方から、地響きが鳴り始めた。


 青い空が戦闘機で埋め尽くされて行く。戦車の砲台がこちらを向いて、キュルキュルとお花畑を踏み鳴らしながらやって来た。待ちきれなくなった子供達が、一斉に教室を飛び出し駆け出して行く。みんな笑顔が溢れていた。みんな相手を信じて疑わなかった。


『あ……待って! みんな!』

「おぉい! こっちだよ!」

「早く、早く!」


 饐えた臭いに当てられた、地獄の亡者たちに向けて、子供達が千切れんばかりに手を振った。


『お願い、みんな戻って! まずは話を……』

「一緒に遊ぼうよ、ねえ……」

「地獄へようこそ!」

「仲良くしようよ! お友達になっ


 

 次の瞬間、マシンガンが、ライフルが、狙撃銃が、ショットガンが、散弾銃が一斉に火を吹いた。まるで花火か雷鳴のようにパッと閃光が瞬き、爆音が轟き、空が昼間のように明るくなった。集中豪雨のような隙間のない銃弾が、四方八方から降り注ぐ。


「突撃ーッ!」


 音が遅れてやってきて、ビリビリと鼓膜を震えさせた。ぼくはどうすることもできず、ただ目を見開いてその場に立ち尽くしていた。すると。背後でコックリさんが唸り声を上げ、ぽんぽんぽん! と、青い鬼火から次々と黒い影が放たれた。黒い影は間一髪、コンマ数秒で銃弾の壁の前に飛び出すと、そのまま蜂の巣になって霧散して行った。


『ゲゲゲゲゲゲ!』

「第二陣、撃てぇ!」


 休む間もなく、用意していた第二部隊が一斉射撃の雨霰を降らせる。コックリさんが再び妖怪を作り出す、スクラムを組んだ妖怪が、穴だらけのスポンジみたいになって霧散する……そこからしばらくはその繰り返しだった。入道雲のような硝煙と、むせ返るような血の臭いがたちまち地獄の最下層を包み込んだ。


「イケイケぇ! 悪い奴をやっつけろぉ!」

「化け物退治だ!」

「死ねーッ! ギャハハ! 死ねぇえっ!」


 妖怪が絶命するたび、地獄に大歓声が沸き起こった。みんな、興奮気味に頬を赤らませ、剥き出しの敵意と悪意と悪意を、これでもかとこちらに打つけてきた。中にはぼくの顔見知りもいる……だけど今のぼくは、八本足の巨大蜘蛛でしかない。いくら妖怪が元は人間だとはいえ、向こうにはぼくらの姿が、憎むべき化け物にしか見えていないのだった。


「大丈夫よ、みんなで力を合わせれば、勝てない敵なんていないんだから!」

「良くも俺たちの街を!」

「人間を舐めるなよ、妖怪ども!」


 みんなが化け物を見る目でぼくを見た。今やぼくらは悪役だった。妖怪は諸悪の根源で、さしずめ彼らは敵の本丸に乗り込んできた、世界を救う正義の味方だった。愛と勇気と兵器を掲げ、みんなで力を合わせて、憎き宿敵を討とうと言うのだ。


「どうした? 反撃して来ないのかい?」


 絶え間なく続く銃雨の中、たぬき先生の声がぼくの耳にやけにはっきりと聞こえた。


「それとも君、自分たちこそ正義だと宣って、子供を殺すのかい? 破破破破破!」


 反撃したら……要するに人質を取られているのだと知り、ぼくは震え上がった。相手はまだぼくと同い年くらいの、夢と希望を抱いた少年少女なのだ。これこそ大義だ美徳だと教えられ、悪い奴を根こそぎ一掃するのが世のため人のためだと信じて疑わない彼らは、引き金を引くのを一瞬たりとも躊躇わなかった。死んでいく。手榴弾で、ドローンで、化学兵器で……どうやら地獄の最下層では、地上とは法則が違うのか……死んでいく。最新鋭の現代兵器によって、次々と生まれたての妖怪が死んでいった。


「お願いコックリさん、もうやめて!」


 弾の一つが頬を掠め、ぼくは振り返って叫んだ。コックリさんは苦しそうに泡を吐き出しながら、まだ妖怪を生み出そうと地獄の業火の中で身を震わせていた。このままではどっちみち死んでしまう。これ以上は持たない。もうこれ以上、妖怪が目の前で殺されて行くのも、彼女の苦しむ姿を見るのも、ぼくには耐えられなかった。


「諦めるなよ」

 たぬき先生が笑った。


「主人公は決して諦めず、最後まで戦うんじゃなかったのか? ほら、反撃してこい。ここにいる全員を皆殺しにするまで、先生は許さないぞ」

「そんなこと……!」

「戦いたいんじゃなかったのか? 待ち望んでいた正義と悪の戦いだぜ。もっともこれじゃ、どっちが正義なのか悪なのか、見分けがつかないけど……」


 先生がおどけて肩をすくめた。


「戦いたくない……」

「ん?」

  気がつくとぼくは目に涙を浮かばせていた。

「ぼく、戦いたくないよ……こんなの、やだよ……」

「やれやれ。しょうがないな」


 いつの間にか先生が目の前にいた。たぬき先生はぽんぽんと、優しくぼくの頭を撫でた。そして、授業中に当てられた問題の答えが分からずにいる生徒にするように、ぼくにそっと囁いた。


「戦争を無くす方法を教えてあげようか?」

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