ROUND 8

第34話 人間 vs 妖怪①

「新しい先生が来るんだって!」


 新学期。

 無事年も明け、お年玉はいくらもらったとか、お餅は何個食べたとか、海外旅行に行ってきた……なんて話題も

 ひと段落

 すると、ぼくのクラスはその話題で持ちきりになった。担任の伊藤先生が産休に入るので、きゅうきょ新任の先生が外からやってくるらしい。


 一体、こういう根も葉もない噂話を誰がどこで仕入れてくるのか、良く分からない。気がついたらそこにある、噂って何だか幽霊みたいだ。その日のうちには、クラス中に広まっているのだから、半ば感心してしまう。


「どんな先生なんだろ?」

「めっちゃイケメンらしいよ!」

「俺は女の先生って聞いたけど」

「東京の大学から地元に帰ってきたとか」

「すげえ。頭良いんだろうなあ」

「スポーツ万能なんだって」

「何でも弓道部で全国大会にも行ったんですって」

「高身長で……鎖骨で……二の腕で……」

「違えよ。おっぱいボイーンだろ。ボイ〜ン! ギャハハ!」


 みな好き勝手に新しい先生を想像して楽しんでいた。そのうち目が三個あるとか、舌が蛇になっているとか、どんどん悪ノリが過ぎて先生が化け物になっていく。話題はそれから、伊藤先生の子供の名前は何にするかに移っていった。


 ぼくはそれを傍目で見ながら、一人机で頭を抱えていた。年明け早々、深刻な悩みに直面していた。お父さんとお母さんが、ぼくのお年玉を貯金するからといって今年も全額没収したのだ。古典的な詐欺事件として消費者センターに電話しようかと迷っていた。


「ね? 初詣行った?」

「え? まだ……」

 ぼくが頭を抱えていると、いるかちゃんが声をかけてきた。

「じゃ行きましょうよ。ニコリちゃんにも会いたいし。ね、おみくじ引こ?」

「うん……」


 年が明けてもいるかちゃんは優しい。ぼくは少しだけ心が軽くなった。だけど放課後、いつもの稲荷神社に行っても、コックリさんの姿はなかった。


「最近ずっとこうなんだ」


 寒空の下、ぼくは震えながら首をひねった。12月はナンダカンダばたばたして神社に行く機会がなかったけど、確か1日辺りからもう、コックリさんを見ていない。chatGPTがあるから、悩み相談には困らないが、騒がしいやつがいなくなると何だか急に社の中ががらんどうになったように感じる。


「どこかにお出かけしてるのかしら?」

「でも、どこに?」


 ぼくらは白い息を吐きながら顔を見合わせた。足元に野良猫が擦り寄ってきて、少し寂しそうににゃあにゃあ鳴いた。それから試しにおみくじを引くと、いるかちゃんが大吉で、ぼくは大凶だった。ぼくは笑った。


「見てよ。『争い事:絶えないでしょう』……だって。おかしいや。ぼくほど平和を愛し、友好的な人間はいないというのに」

「元気出して」


 それからいるかちゃんと別れ、ぼくはぶらぶらと家路をたどった。空は晴れていて、寒いからか、あぜ道には人っこ一人見当たらなかった。途中、冷たいものが頬に当たって、顔を上げると、白い太陽の向こうからひらひらと雪が舞い降りてきた。ぼくは思わず田んぼの真ん中で立ち止まった。

 これも一種の『狐の嫁入り』になるのだろうか……?


「あ……」

「キミ、ちょっと良いかい?」

「え?」


 顔を戻すと、いつの間にか目の前に人がいた。ぼくはびっくりした。さっきまで確かに誰もいなかったはずなのに。黒いロングコートに身を包んだ、大柄の男がそこに立っていた。


「道を尋ねたいんだけど。ここらに小学校はないかな?」


 男が黒い帽子を外し、腰を屈め、ぼくを覗き込んだ。体はクマみたいに大きいが、何だか優しそうな顔だ。見た感じは三十代か、二十代くらいに思えた。黒い丸メガネに雪が当たってキラキラと反射した。


「小学校?」

「そう」男が穏やかな声で云った。

「実はついこの間、この近辺の小学校に赴任してね。産休の先生の代わりで来たんだ」


 じゃあ、この人が。ぼくは驚いた。ぼくらの新しい担任の先生なんだ。高身長で、鎖骨で、二の腕な、男の先生だ。おっぱいはボイーンではなかった。


「知ってるかい? 晴れた日に降る雪は、『狸の嫁入り』とも云うんだよ」


 ぼくの視線に気づいたのか、男はメガネについた雪を払いながらほほ笑んだ。メガネを外すと、まん丸とした瞳が現れた。新年早々よほど疲れているのか、目の下にクマができている。


「『風花』とも云ってね。この付近で、実は大昔に源平の合戦があったんだが……」

「げんぺい?」

「嗚呼……まだ習ってなかったね。なんて云うか、貴族たちの戦争だよ。全く偉い人っていうのは、昔から戦争が大好きなんだ。きっと暇なんだろうね」

「…………」

「それで、この辺りも戦場になった。戦争があったんだよ。も……確かこんな雪が降っていたなぁ」

「……?」


 新しい先生はなぜか懐かしそうに目を細めた。そういえば、目の辺りのクマがたぬきに見えなくもない。たぬき先生だ。良かった、優しそうな先生で。ぼくは少しほっとした。


「小学校はあっちです。にあります」

「ありがとう」


 たぬき先生は帽子を被り直すと、丁寧に頭を下げ、誰もいないあぜ道をゆっくりと歩き始めた。ぼくはしばらくその巨きな背中をじっと目で追っていた。


「嗚呼……そうだ」


 すると、先生がこちらを振り返って、爽やかに笑った。白い雪が黒い服の上に積もって、まだら模様を作っている。


「お礼に良いことを教えてあげよう。君は、には何があると思う?」

「え……?」


 ぼくがぽかんと口を開けていると、先生はにっこりと満面の笑みを浮かべて云った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る