第21話 死神 vs コンプライアンス③
『では被告人は前へ』
年配の幽霊裁判員が厳かな声を響かせる。すると暗がりの方から、鹿撃帽を被った髭面の男がヨロヨロと13階段を登ってきた。男は天井から眩いばかりのスポットライトを浴びせられ、眩しそうに目を細めた。白日の下、冥界裁判が再開される。ぼくは分厚く赤いカーテンの向こうから、その様子を覗き込んだ。
『裁判長、死刑を宣告する前に一言』
機先を制して、幽霊裁判員が手を挙げた。
『この男はしがない三流の探偵であります』
『探偵……?』
花子さんの中に入ったこいしさんが小首を傾げた。あまりに大きすぎる椅子の上に座り、落ち着かないといった様子でそわそわしている。
『左様。探偵というのは人の粗探しばかりしたり、他人の不幸を食い物にしている卑しい奴らです。他人を信じるよりも、まず疑うことから始める、哀しき生き物なのです』
「別に食い物になんて……!」
探偵と呼ばれた男が悲痛そうな顔で声を絞り出した。
『黙れ! 人が殺されるたびに嬉しそうな顔をしてるくせに!』
「そんな顔してません!!」
『嘘をつけ。被害者が出るたびに「面白ぇ事件だな」とか言ってニヤリと笑っていたじゃないか。何が面白ぇ事件だ。人が殺されているんだぞ!』
「うぅ……! 誤解だ……」
どうやら幽霊裁判員も、この三流探偵には大層ご立腹のようだった。
『そしてあろうことか……この男は自分の解決した事件を面白おかしく書き立て、推理小説風に仕立て上げ発表したのであります。そんなに金が欲しいのか、金の亡者め。他人の不幸を、人の死を食い物にしようなどと、言語道断!!』
「違う! それはあくまでフィクションであって……」
『今更言い逃れはできんぞ。貴様、数ページに渡って長々と殺人鬼の心情描写を書いたり、死体の様子をグロテスクに描き出しているじゃないか! 何が七番勝負だ、人が死んでるのがそんなに面白いのか!? えぇ!?』
観客の妖怪たちから次々に野次が飛ぶ。
『何て露悪趣味なんでしょう。子供が本気にしたらどう責任を取るつもり? そもそも推理小説というジャンル自体、コンプライアンス的にどうなの?』
『そうだそうだ。貴様らは人殺しを愉しんでいるのか!』
『死神同然じゃないか。やってることは死神そのものだよ』
『でも……でも推理小説なんて、ただの作り物じゃないですか!』
ここで初めて裁判長……こいしさんが慌てて声を上げた。
『彼らは自分で問題を作って、悩んでるフリをしているだけです! いわば究極の暇人というか。最後には解決するのが決まりきっているんですから、別に謎なんて何にもありませんよ!』
『さすが裁判長。フォローするフリをして、心臓を刺しにいく』
裁判員が満足そうに頷いた。男は長い沈黙の後、何とか反論しようと口をもごもごさせた。
「一応他の探偵のためにも言っておくと、最後の最後に解決する事件ばかりとは限りません。作者自身、この事件をどう解決させたものか、一体犯人は誰なのかさっぱり分かってないことがあって……」
『なら余計ダメじゃないか! 無責任な!』
「うぅ……!」
『裁判長! この三流作家には、作中の被害者と同じ方法で死刑にすることを望みます』
「そんな!」
『お前が書いたんだろう! 自分で書いたものくらい、自分で責任を取れ!』
こうして厳粛な裁判の結果、三流の死刑が決まった。だけどぼくが側から見ていても、正直死刑は重すぎるような気がした。大体彼らは
興奮冷めやらぬ中、徐々に静けさが戻ってきた。だが、こいしさんは中々死刑ボタンを押そうとはしない。俯いたまま、じっと動こうとはしなかった。
『裁判長……?』
『どうしたんですか? 気分でも?』
『私……だけどこの人は……』
「ふぅむ」
すると、狐耳をした小麦色の幽霊裁判員が、わざとらしく咳払いをした。どこかで見たことのあるような顔だ。狐耳の幽霊は、ふわふわの尻尾をゆらゆらと揺らしながら小首を傾げた。
「困ったのう。死刑というのは法令ではないのか?」
『貴女は……!』
「さて。きちんと法令を遵守するなら、その男は死刑じゃが……もし死刑にするべきじゃないというのなら、それはお主の大嫌いな
『う……!』
こいしさんが凍りついた。
『あ……ありえません!
「ところが現にそうなっておる。もし一番重いはずの法令でさえ蔑ろにして良いと、お主がそう考えているのであれば。その他下々の法令などもっての外じゃろう。別にコンプラなんか守らなくても良い……と言っているようなものじゃぞ」
だけど……だけど彼は明らかに冤罪だ。この場合、法令を厳粛に遵守すれば、無実の人の命を奪ってしまうことになる。
『あ、あなた、騙しましたね!? 私をこんな場所に引っ張り出してッ!』
「別に騙してはおらん。ただ、コンプライアンスも……人間の作り出したものも、決して万能などではないということじゃ。森羅万象はどうとでも解釈できる。良いようにも、悪いようにも。
「うぅ……!」
今度はこいしさんが、被告人のように狼狽える番だった。
「どうする!? 大好きなコンプラ様を遵守して、正義の名の下にその男の命を奪うのか!? それとも法律に違反してでも、己の主義・主張とやらを貫き通し、悪に手を染めるのか!?」
『うぅぅ……!』
何だか
『うぅぅ……!?』
『裁判長!』
『裁判長!』
『うぐ……っ!?』
その時だった。こいしさんが何かを吐き出すように口元に手をやり、頬を膨らませた。次の瞬間、ぽんっ! と音がして口から人魂が飛び出してきた。こいしさんが限界を迎えたのだ。
『うぐ、うぇ。はぁ……はぁ……!』
『裁判長!?』
『何だあれは? 団子??』
『さすが裁判長。裁判中にあれほど大きな団子を食べている』
「む……不味いの」
コックリさんが白い煙を上げながら変身を解き、たちまちこちらに引き返してきた。
「悠介、逃げろ!」
「え!? えっ!?」
『テメェコラ!! クソ狐!!』
すると、意識を取り戻した花子さんの怒号が、建物中に響き渡った。
『良くも私の愉しみを邪魔してくれたな!? 今度という今度は許さん!! 殺す!! テメーらはこの手で殺すッ!!!』
それから花子さんは思いつく限りの罵詈雑言を吐き出し続け、ぼくらを追いかけ回してきた。あまりにも……その、あからさまな……悪態だったため、ぼくは思わず赤面してしまったほどだ。やはりコンプライアンスはある程度守らなければならない。ぼくは痛感した。でなければ、花子さんのような、あの手の輩が世に解き放たれてしまう。
ぼくらは命からがら『ティアマト水洗』から逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます