第11話 トイレの花子さん vs LGBT④

(こっちよ! 早く!)


 ぼくらは大勢の人々や妖怪たちでひしめき合った廊下を、小さくなった体でするりと駆け抜けて行った。


(えぇと、右が和式トイレで、左が洋式トイレで、真っ直ぐ行くと……)

(全部トイレじゃない! とにかくどこかに隠れましょう)


 さすがトイレ博物館ミュージアム、どこに行ってもトイレに突き当たる。とりあえず『古代エジプト風男子トイレ』に駆け込むと、中は砂場になっていて、中央にツタンカーメンのレプリカがドン! と置かれていた。別に古代エジプト人だって、わざわざツタンカーメン王の前でおしっこしなかったと思うが。


(はぁ……はぁ……!)

(これだけ建物が入り組んでたら、巻いたんじゃないかしら?)


 古代エジプトの外では輪入道や蛇女が周囲を嗅ぎ回っていた。見つからないよう、必死に息を潜める。


(あれ? 何かしら?)

(どうしたの?)

(見て……やっぱり! ツタンカーメンが! 動いてるわ!)

(そんなバカな……)


 何とか一息ついたのも束の間、今度は中央に飾られていたツタンカーメンがギギギ……と軋んだ音を立てて動き始めたではないか。ぼくは驚きのあまり、もう少しで漏らしてしまうところだった。


『ひひひ……!』

(その声! 花子さんね!)

『ご名答……!』

 ツタンカーメンが金色のお面を脱ぐと、中から体に包帯を巻いた花子さんが顔を現した。ちなみにぼくらはさっきから(キツネ語)でしゃべっている。どうして花子さんに通じているかは、よく分からない。


(ちょっと! ここは男子トイレよ!)

『だから何だよ? 私はトイレの花子さん! 世界中のトイレは、この私の領域なんだよッ! そこにトイレがある限り、私はLにもGにもBにもTにも、男にも女にもなれるのだッ』

(ズ……ズルイ……)

『獣に化けてるテメーらには言われたくねー!』


 釘付きの金属バットをズルズルと引きずりながら、花子さんが嬉しそうに笑みを浮かべた。

 万事休す。

 そう思った瞬間、入り口から何だか物々しい音が迫ってきた。地鳴りのような。雷鳴のような。


『なんだ……?』


 あまりの鳴動に、花子さんも思わず動きを止めた。ぼくはキツネのままぽかんと口を開けた。一体何の音だろう? はじめは妖怪たちが入り口に殺到しているのかと思った。だが違った。キツネだった。


 建物を揺らすほどの激しい振動の中、ぼくらが固唾を飲んで見守っていると、入り口から一匹のキツネが顔を出して、砂場に駆け込んできた。続いてもう一匹……さらにもう一匹……みるみるうちにキツネは増えていって、あっという間に砂場は数百匹のキツネで一杯になった。


『こ……コイツぁ……!』

! 『木を隠すなら森の中』よ! chatGPTもそう言っとるわ」

(コックリさん!)

(ニコリちゃん!)

『テメー! ××ギツネ! 出やがったな!』


 大勢のキツネの大群に担がれ、巫女姿のコックリさんが左うちわを仰いでいる。何だかんだ言いながら助けに来てくれたのだ。ぼくらは思わず歓声を上げた。


『邪魔すんじゃねぇーッ!』

 花子さんが金属バットを振り回し、青筋を立てて激昂した。

『ソイツらは私が見つけたオモチャだ! 今から死刑にするんだッ』

「莫迦め。こやつらはもはやワシの眷属よ。これから神社再建にエアコンの設置工事、光回線の開通と、こき使ってやらねばならぬ!」

『ぬぁにをぉ!?』


 前言撤回、どうやら純粋に助けに来たわけではないらしい。ここで死刑になるか、キツネの召使になるか、しかし考えるまでもなかった。コックリさんが花子さんとやり合っている間に、ぼくらはキツネの大群に紛れて、どうにか博物館を後にすることができた。


『逃さねーぞクソガキ共!』

 博物館から出る途中、仄暗い廊下の奥から、花子さんの絶叫が響いてきた。


『正義のタコ殴りにしてやる! 世界中どこに至って追い詰めてやるからな! 便所に行く時は気をつけなぁ! 緋緋緋緋緋ひひひひひ……!』

(何か怖いこと言ってる……!)

(早く!)


(暗転)


 それから数時間後。


 命からがら稲荷神社に逃げ帰ったぼくらは、コックリさんが用意してくれた薬(花子さんの髪の毛を煎じたものらしい)を飲み、何とか元の姿……元の性別……へと戻ることができた。ぼくもいるかちゃんも、疲れがどっと押し寄せてきて、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。


「はぁ……ひどい目にあった……」

「花子さん、追ってくるかしら?」

「なぁに、アイツは生粋の正義中毒者よ。世の中のありとあらゆる悪が気に食わんと言って、いつも世界中のトイレを飛び回っとるから、こんな辺鄙なところまでやってこんじゃろ」


 是非そうあって欲しいものだ。しばらくはトイレに行きたくない……とも言ってられない。


緋緋緋緋緋ひひひひひ……!』


 どこからともなくあの不気味な嗤い声が聞こえた気がして、ぼくは思わず身を縮こまらせた。やれやれ。コックリさんの次は、トイレの花子さんか。ぼくは深いため息をついた。


 これ以上厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。大体ぼく自身は、chatGPTにもLGBTにも何の恨みもない。もちろん妖怪や幽霊の類にもだ。そんなに戦うのが好きなのなら、どこか遠くの方で、誰にも迷惑かけずに勝手に争ってて欲しい。ぼくはただ、平穏無事に小学生生活を送りたいだけなのに……。


 しかし嫌な予感という奴は、どういうわけか当たって欲しくない時に当たるものである。ぼくはまだ気がついていなかった。静かに、だが確実に、次の新たな黒い影がぼくらに近づいて来ていた……。

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