8. 真紅の鮮血

 その時だった。馬車がガタガタと大きく揺れ、いきなり人気ひとけのない細道へと入っていく。


「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」


 オディールは慌てて小さな窓を開けて御者ぎょしゃに叫んだ。


「こっちの方が近道なんでさぁ」


 痩せた中年の御者は素っ気なく答え、馬車は悪路をガタガタと揺れながら森の中へと進んで行く。


「近道なんてしなくていいからすぐに戻って!」


 不審に思ったオディールは叫んだ。


「こんな細い道、Uターンなんてできねっす。すぐに終わりますよ」


 御者はいやらしい笑みを浮かべ、言うことを聞こうともしない。明らかにおかしい。


 ミラーナはオディールの腕にギュッとしがみつくと、不安げな瞳でオディールを見つめた。


 若い女の二人連れ、それは格好のカモということだろう。出発していきなりの試練にオディールは恐怖に冷や汗を浮かべ、不安を押し隠して奥歯を噛みしめた。


 治安も整っていない異世界で旅行というのはこういう事である。オディールは浮かれていたさっきまでの自分に苛立ちを覚えながらも、ミラーナだけは絶対に守り通すと心に誓った。


 御者はいきなりドゥドゥ! と叫び、馬を止めると、自分は森の中に走り込んでいく。


 いよいよ異常事態である。いったい何が始まるのか、オディールは窓に張り付いて辺りをうかがった。


 森の奥から出てきたのはゴロつき風の男どもが五、六人。不潔なひげを伸ばし、皮鎧を身に着け、手にした刀は薄暗い森の中で光を放っている。山賊だ。


 最初から仕組まれていたのだ。カモれそうな客が来たらここで山賊に引き渡す、そういうシステムなのだろう。オディールは『行きたい方向と同じだから格安で乗せてやる』という人のよさそうな御者の口車にのせられて、安易に頼んでしまった浅はかさを悔やんだ。


 だが、女神からの恵みを受けた自分が負けるはずはない。女性を苦しめる悪など返り討ちにしてやると、オディールは闘志を燃やし拳を握った。


「女二人で旅行なんてやっぱり無理だったのよ……」


 ミラーナは頭を抱え、恐怖でガタガタと震えている。野蛮な山賊どもの標的となってしまったのは自分の落ち度である。オディールはキュッと胸が痛み、大きく息をつくとミラーナをギュッと抱きしめた。


「大丈夫だって、僕を信じて……」


 耳元でささやくと、青ざめているミラーナに優しく頬ずりをする。


 ミラーナは涙で潤んだ大きなブラウンの瞳でオディールを見つめ返し、震える声で尋ねた。


「だ、大丈夫って、どうするの?」


「土魔法撃ってみて」


「えっ!? 植木鉢の土を柔らかくする魔法しか使ったことないのよ?」


「それでいいから撃ってみて」


 オディールは必死に作った笑顔でミラーナの瞳をじっと見つめた。


「わ、分かったわ……」


 馬車の後方からニタニタ笑いながら近づいてくる山賊どもに向かって、ミラーナは腕を伸ばし、目を閉じて呪文を唱える。


 オディールはそんなミラーナの背中に手を当て、思いっきり魔力を流し込んだ。


 ヴゥン!


 空気の震える音が馬車の中に響き、黄金色の魔力の煌めきがミラーナの手のひらからほとばしる。


 突然、地中深くから響くズン! という轟音と共に、地面が裂け、炎と煙が男たちの足元から噴き出した。その衝撃波で、彼らは恐怖に叫びながら宙を舞う。


「グハッ!」「ぐわぁぁぁ!」


 えっ!?


 ミラーナ自身もその破壊力に震えてしまう。


 男たちがもんどり打って転がる中、ミラーナは自らの魔法の未知の力に圧倒されていた。柔らかな土を作るはずの魔法が、とんでもない破壊力を発揮している。その予想外の体験は彼女の中で、新たな世界を扉を開いていく。


「連射よ、連射!」


 行けると思ったオディールは、ここぞとばかりに攻めようと、ミラーナの肩を叩いた。


「わ、分かったわ」


 ミラーナは吹き飛ばされて転がっている男たちめがけ、さらに魔法を放っていく。


 ズン! ズン! と魔法の爆発音が森にこだまする。


 男たちは次々と起こる爆発に逃げ惑い、やがて森の方へ逃げていった。


「や、やったわ!」


 ミラーナは、心からの喜びを胸に、オディールを熱く抱き締める。その瞬間、彼女たちの間に流れる絆が、言葉を超えた感情を伝えていた。


「いけるいける! 僕らは最強だゾ!」


 オディールも思いの外うまく行ったことに興奮し、ミラーナをギュッと抱きしめ返す。


 ミラーナの柔らかく温かい匂いに包まれながら、オディールは確かな手ごたえを感じていた。


 しかし、これしきの事で山賊が諦めるはずもない。


 オディールは窓を少し開け、森を慎重に観察しつつ、耳をすませた。


 風が木々をそよがせる音に混じり、落ち葉を踏むかすかな足音が聞こえてくる。


「まだいるなぁ……」


 オディールは眉をひそめ、ため息をつくと、ミラーナをしゃがませた。


 なんとか逃げる方法を考えてみたが、山道を二人で走って逃げられるとも思えない。奴らはプロなのだ。罠にかかった獲物をそう簡単に逃がしはしないだろう。


 オディールは足音が聞こえた方向に耳をそばだてて、必死に敵の出方をうかがった。


 こっちが魔法使いだと分かった以上、迂闊に近づいては来ないだろう。だとしたらどうする……?


 タラリとした冷汗が顔を伝い、心臓はドクンドクンと恐怖に震える。


 一瞬の静寂を破るようにチチチチと鳥がさえずった。直後、パン!という強烈な衝撃音が空を切り裂き、窓ガラスが爆発的に飛び散った。


 きゃぁ!


 ミラーナの悲鳴が響く。矢を撃ち込まれたのだ。


 ガラスの破片がミラーナのほほを無情にも切り裂き、真紅の鮮血がタラリとミラーナの白い肌を染めた。

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