スマホ片手にお腹を空かした天使は芝生の上のボクに「早くランチの準備をしなさい」と命令してくるけど、それがボクらの幸せな日常なの?
けーくら
競馬場に舞い降りた天使
五月晴れのある日曜日、大きなバスケットとリュックを抱えて電車から降りる。
目的はピクニック、だが目的地は競馬場だ。最近は小綺麗な芝生の広場や大きな公園が併設されていて、この東海競馬場も昭和の面影は無くなった。ピクニックがてら来る子連れも多く、テーマパークと言っても過言では無い。
かく言うボクも芝生の広場で丁寧にビニールシートを敷いてから一人靴を脱いで胡座をかく。
「うっし、やるか」
まずリュックから小さな折り畳み机を出した。
そして割と大きな山葡萄のバスケットを開けて、お気に入りのティーカップと水筒を取り出す。
カップの底にブルーベリーのジャムをスプーンで敷いて保温できる水筒から紅茶を注いで準備完了。
以前、同じ事を仲間内のバーベキューでやったら気味悪がられたので、一人キャンプや一人ピクニックでしかやらないと決めた。最近は競馬場の芝生広場でゆっくりとランチするのがマイブームなのだよ。
まぁ、野郎の一人ピクニックは周りの目がかなり痛い。今日も同じ広場にビニールシートを敷いているカップルや家族連れは複数居るが、ボクの周り半径五メートルだけは誰もいない。
でも気にしない。楽しんだ者の勝ちだ。
遠巻きに見ている幼児なんかからは、さぞ謎なオッサンに見えることだろう。横でじっと見ている小さな子に親が「見ちゃダメよ」と注意しているくらいだ。
ボクは熊か何かですか?
犯罪者ですか?
若い男はハンバーガーとビールを持ってこないとダメですか?
うん、気にしない(泣)。
そうそう。ここ最近の東海競馬場には謎スイーツ男子では無く
的確な予想でその日の収支を勝利に導く
イメージは新聞片手に赤ボールペンを耳に挟んでいる白髭のお爺さんだ。いや、神様というくらいだから両耳にボールペンを刺してるかもしれない。スルメとワンカップを捧げるとしゃがれ声で謎の穴馬予想を教えてくれるんだろう。
さて、気を取り直して……っと。
今日のメニューは手作りローストビーフサンドにロシアンティー。勿論ジャムやローストビーフは手作りだ。
デザートは特にこだわっている。手作りチーズケーキのようなチープなことはしない。わざわざ駅と逆方向に二十分かけて買いにいったパティスリー・タクモトの濃厚チョコレートケーキとマカロンだ。
神様へのお供物には不合格だろう。
「せめてアイリッシュコーヒーなら良かったか……」
独り言を呟きながらバスケットからサンドイッチを取り出して、ゆったりと口に運ぶ。咀嚼しながらスマホ片手にレースの予想をする。馬券を買うのもスマホからネットで購入。態々おっさんの集団に突っ込む気はしない。
優雅に楽しむのもポリシー。
至福の時だ。
そうそう、先に伝えておくがボクはギャンブル狂ではない。
この競馬場でのんびりと予想を楽しむことが至福の時なのだ。だから大金は賭けない。
今日使った経費を稼げれば勝ちとし、それを『ポリシー』としている。
負けたらそれまで、ケ・セラ・セラ。笑って帰るくらいじゃないとダメだよな。
交通費 電車代、ガソリン代
(ケーキ購入の為の車移動)
食費 サンドイッチとジャムの材料
あとケーキ
その他経費 山葡萄のバスケット
(分割して計上)
競馬場への入場料(二百円)
競馬新聞
今日だと締めて五千円というところ。この内の半分はケーキ代だが、それは仕方がない。
これを十時半ごろに到着して第三レースから十五時半の第十一レース迄で稼ぐのだ。
上手くいけば無料のピクニックの達成となる。
ちなみに無料開催の確率は今のところ三割。ピクニック代は大体倍になることが多い。
「大人のテーマパークの入場料だし!」
スマホを見ながら自分の思考に言い訳すると、周りの視線を少し集めてしまう。
いかんいかん、集中しよう。
既に第八レースまで的中無し。
今日は大変調子が悪い。控えめに言って大ピンチだ。
少し難解な展開が予想される第九レースの予想に夢中で出馬表をチェックする。ふとスマホに表示される出馬表から視線を外すと目の前に高校生くらいの女の子が靴を脱いでちょこんと座っていた。
「えっ、誰?」
怖い。
「私、牛丼とか、たこ焼きとか苦手なんです」
「……はぁ。そうなんですね」
謎の状況に、思わず言葉が丁寧になる。
「お腹が空きまして……お代は払いますので
「はぁ……えっ? えーっ? あっ、少しお待ちくださいね」
古風な言葉遣いだな……ごしょうばん……って御馳走すれば良いんだよね? まぁ、所作が綺麗なので悪い子では無さそう。極端に人懐っこいだけかな?
ということは、えっ? よっぽど腹ペコなのか?
あっ、なんか、お腹が鳴る音まで聞こえてきた。恥じらいはあるらしく頬を赤く染めている。
あらら、可哀想になってきた。
予備のテーブルを女の子の前にセットして、その上でロシアンティーを作ってあげる。ウェットティッシュを渡して、バスケットから別の皿を出してサンドイッチを準備する。
おっ、何も言わなくても手を拭いて紅茶を飲んでいる。信頼してくれている気がして少し嬉しいぞ。
すると、周りから『あの怪しい男、一人じゃなかったんだ』と安心する空気が場に満ちていった。一人ピクニックのハードルは未だ高いな……と思いつつ、よもや見知らぬ二人とは思うまい、とほくそ笑む。
「はい。ローストビーフは大丈夫?」
「好物です……」
ボクは一切れを一口で食べるが、四口ほどで食べ進める。二つ目を手に取り今度は三口で食べ切った。
「……」
お代わりどうぞ、と言わんばかりに皿を回収し、その上にサンドイッチを準備する。
ここで『よく食べるね』、とか『あと何個食べる?』とか無粋なことは聞かない。聞かれたら『食べ過ぎかも』と余計なことを考えさせてしまう。
無言で二つ皿に盛る。
二つとも二口で食べると、おずおずと口を開いた。
「もう一個頂けますか? 美味しくて……」
よし。合格ということだろう。無駄なリアクションはせずに先ほどと同じように皿に一つ載せた。
ここで第九レースの馬券購入が間も無く締め切られるとアナウンスがあった。慌ててスマホを操作する。
「何を買うんですか?」
おっ、興味あるのかな? オタクは自分のテリトリーについて聞かれたら早口で冗長に説明するものだ。御多分に洩れずボクも自分のポリシーから第九レースの予想まで早口で語っていた。
気付けば女の子は少し下を向いて黙ってしまっていた。手も止まっている。
しまった。語り過ぎた。まだ喋り足りないが、充分気持ち悪いくらい喋っていたんだろう。無駄な後悔に
「第九レースは芝二千四百です。この気候だと一枠二番のガンバレワタシの血統が合っています。他の七頭は気性が荒いのでスタミナが保たない可能性があります」
おぉ、予想してくれている。しかも、二十倍の
スマホを急ぎ操作して単勝を五百円買う。
「あと、貴方のそのポリシーは良いと思います。負けたからってイライラされると何か申し……」
会話途中の女の子に無言で購入履歴を見せてあげると、少し口を尖らせ不満そうな顔を見せた。
あれ? 『もっと買えよ!』ってことかな?
「百円くらいどうですかってアドバイスなのに……」
「そっちか……(じゃあ良かった)」
「えっ? どちら……ですか?」
「えっ? どちら……とは?」
互いに何考えてるか掴みかねて、少し見つめ合っているとレースが始まった。
すると、展開は彼女が予想した通りとなり、二番以外は第四コーナー迄で明らかにバテていた。芝生広場の目の前を左から右に駆け抜けていく八頭の
掲示板に燦然と輝く二番の表示。
むふーっと鼻息荒く自慢そうな表情を見せる女の子。
一撃で今日の収支をプラスに持っていった!
これはご褒美を渡さないと。
自慢のケーキとマカロンを丁寧に新しい皿へ盛り付けテーブルに載せる。
「どうぞ、ご褒美をお受け取りください。こちらの桜色のマカロンも絶品だよ」
「サクラ色の……」
何故か驚いている。
マカロンを見詰めながらケーキを口に頬張ると、目を見開いた。
「美味しい……なんて濃厚な……」
おお、感激している。
自分で食べるより満足度高いかもしれない……。
「有名パティシエのサダハルアカギのお弟子さんの店だよ。近くにあるんだ」
「あらっ、サダハルアカギは大好きなのよ!」
ふふふ、テンション爆上がりの女の子を見るのは楽しいものだ。
ケーキを食べ終わり、今度は桜色のマカロンを手に取りじっと眺めている。観念したのか名残惜しそうに口に入れると一瞬目を見開いた。ゆっくり目を瞑り小首を傾げてうっとりとしている。
「これで収支はトントンになったよ。
「えっ?」
何故か少し驚いている。
「午前中の負け分も取り返すことができたよ。君のお陰だ」
「あの……
「
「えっ? か、買わないんですか?」
なんだろう? 真剣な顔で聞いてくるけど十二レースは買ったことないなぁ。自分はメインレース見たら帰るタイプ。
「……あの、十二レースの九番……はどうですか?」
「えーっと、おぉ、サクラマカロン? 単勝百七十倍かぁ。荒れそうなら買うかもって感じかな」
「えっと、九番は……買わない……の……ですか?」
もう一度、女の子を見ると少し
第九レースの時の静かな自信は全く感じられない。
ボクにどう伝えるかを一生懸命考えているようだ。
「えっと……」
血統や産駒、馬場や天候。多分どれを使っても論理的な説明ができないのだろう。それでもどうにかボクを説得しようとしている。
「えーっと……」
ぐっと手を握りしめている。
視線は泳いでいない。
自らの信じる何かを……大切な何かを
「えーっとね、『サクラマカロン』は強いのよ……だから……」
両手を胸の前で握り締めながら言葉に詰まるロリータドレスに身を包んだ黒髪の少女。
このビニールシートの上だけは、まるで小春日和の森でピクニックするお姫様と執事のよう。
賭場の雰囲気とは真逆の天使。
――あっ、そうか。この子が『予想の神様』……じゃなくて『予想の天使』なんだ。
その時、彼女のスマホがメッセージの受信を告げた。それも何度も何度も連続で。
「あぁ、もう行かなきゃ……ってママったら連投し過ぎよ!」
あたふたしながらメッセージを消すが、どんどん送られてくる。慌てふためく天使のスマホからはポーン、ポーンと着信が鳴り続ける。
天使が顔を上げる前にスマホを操作する。
「今日の第十二レースの九番に単勝千円を入れたよ」
パッと顔を上げると少しびっくりしていた。
「……今日はもう馬券を買わないって……」
「君が食べたケーキの分は特別損失としたよ」
「ケーキの分?」
「そう。ボクが競馬とは関係なく君に奢ったケーキだ。それを経費扱いにするのは味気ない。交際費として扱うよ。だから千円だけ『サクラマカロン』に賭けさせてもらうね」
無理矢理に理由をこじつけた。正直千円くらい出すのは余裕だ。でも、ボクのポリシーを気に入ってくれていたようだから、その範囲から逸脱しないように馬券を買った。
少しの沈黙の後、天使は微笑んだ。
すくっと立ち上がると靴を履き、クルッと踊るように回ってから両手でスカートをちょこんと持ち片足を下げて膝を曲げた。
知ってる。カーテーシーだ……。
「ありがとう。ご馳走様でした。信じてくれて嬉しいわ!」
少し言葉を失って見惚れてしまう。
それを確認すると満足したのかスカートを翻して天使は走り去ってしまった。
夢か何かだったのかな……と暫くぼーっとしているといつの間にかメインレースが終わって十二レースの決着まで着こうとしていた。
「――第四コーナーを回って最後の直線、一番人気のツヨイツヨイゾは後続と四馬身差でセーフティーリードかー? おっと、ここでサクラマカロンが大外から突っ込んできた! これは凄い
場内アナウンスと共に観客が響めく。
ボクも思わず立ち上がる。
最後の直線を駆け抜ける二頭の競走馬。大外を走る馬のゼッケンには確かに『サクラマカロン』と書かれているのが見えた。
「――さぁ、残り二百、並ぶか、どうだ、粘るツヨイツヨイゾ、どうだ、サクラマカロンここまでか! いや、並んだ、並んだぞ、サクラマカロン! 残り百、さぁさぁ、ツヨイツヨイゾか、サクラマカロンか! ここでサクラマカロンが抜けた、抜けたぞサクラマカロン! サクラマカロン、大番狂せだー、先頭はサクラマカロン……」
大歓声が湧き上がる。
暫し無言で立ち尽くしていた。
ふとあることに気付き急いで片付けると、勝ち馬を見るために観客の流れに逆らい正面スタンド前に向かう。
「やっぱり……」
サクラマカロンの横には嬉しそうな馬主家族が自慢げに立っていた。
そこに天使は居た。
笑顔で嬉しそうに馬を優しく撫でている。
繰り広げられる目の前の光景はボクの全く知らない世界だった。
それを確認すると、ボクも観客の流れに乗って帰路につくことにした。
◇◇
あれから三週間後の週末ですが、豊富な資金を活用して大阪競馬場に初めての遠征です。芝生の広場でサンドイッチとケーキをお供物にして天使の降臨を待つことにします。
その日は相変わらず調子も悪く完全な赤字です。
第八レースも終わり、前回サンドイッチをお供えした天使は夢か何かだったのかな……と思い始めた時、恐らく競馬場中を走り回ったんでしょう。少し髪の毛も乱れて汗だくの天使が現れました。相変わらずポンポン鳴り続けるスマホを片手に右手をボクに差し出します。
無言でアイスティーを渡すと仁王立ちのまま一息に飲み干す天使。
「ぷはぁっ! わ、私の名前は
多分、このピクニックはサクラマカロンが引退するまで定期的に続くんだろうな。
この予想は外れない自信があります。
End
★★★ 後書き ★★★
単勝 一着の馬を予想する賭け方。
応援する意味でよく買われる。
ワイド 一着から三着に入る二頭を
予想する買い方。
ローリスク・ローリターン。
十二R メインレースが十一Rなので
買わない人が多い。
買う人は生粋の好きモノ。
馬主 サブちゃんや大魔神の同類。
競馬場に行くと正装した人を
偶に見かけるが、大体はコレ。
穴馬 ロマンの塊。普通に外れる。
当たると一時的に豊かになる。
タ○モト ケーキ屋さん。オシャレに言うと
パティスリー。チョコが美味い。
マカロン オシャレでカワイイ。
ついでに美味い。
山葡萄 蔓を鞄にすると酷く高い。
でも長く使う程に味が出る系。
スマホ片手にお腹を空かした天使は芝生の上のボクに「早くランチの準備をしなさい」と命令してくるけど、それがボクらの幸せな日常なの? けーくら @kkura
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