第186話水瀬カイトは動物占いだったら絶対子鹿

 男性とすれ違ってすぐの事。俺に小さな声で謝罪をした彼は、今度はどういう訳か男子トイレの中で叫び声をあげている。


「大丈夫ですか?!」


 俺はトイレへと戻って男性に駆け寄った。男性は腰を抜かしたのか、地べたにペタンと座り込んでいる。


「あ、あの……あそこから物音が……!」


「物音……? ってかあなた!!!」


 彼が指差す先にあったのは、俺が用を足していた時も閉まっていた一番端っこの個室だった。彼の言うようにガタガタと物音がする。ってか、問題はそこじゃなくって……!


 驚きで尻餅をついた勢いでか、目深に被っていた筈の彼の帽子は俺の足元に転がっていた。その帽子が取れた事で露わになった彼の素顔――そう、彼は……



 蟹麿の中の人、水瀬カイトだった!



「水瀬カイトさん……ですよね?」


「ヒッ?! な、なんで知ってるんです?!」


 あれ? なんかイメージと違う気が……?!


「知ってるも何も……」


「そんな事よりっ! ああああそこの個室から変な音がするんです……! どうしよう……過激なファンの人かも……?! だから神格化させ過ぎるイメージを植え付けるのはやめた方が良いって言ったんですよ……! 恐れていた事が現実に……?! あわわわわ……!」


「お、落ち着いて! ここは関係者しか入れないトイレですから! 俺が確認します! ここにいて!」


 なんだかよく分からないけど、酷く怯える水瀬カイトを宥めて、俺は物音のする個室の扉の前までやって来た。


「すみませんー。さっきからガタガタ聞こえるんですけど、大丈夫ですかー?」


 キィ……


「ひ、ヒィッ?! 扉が開いた?!」


 扉が開いたと同時に、俺も半歩後ろへ下がった。普段ならなんて事もないと平然としていられると思うのだが、すぐ真後ろでビクビク怯える水瀬カイトのせいでなんかこっちまで怖くなってくる。


「……」ドキドキ



「ッババーーーン!!!!」


「うわっ?! / ヒイィィィ!」


「あれ? なんだ兄貴だったんだ!」


「……リン?」


 扉が勢いよく開いて、中から元気いっぱい飛び出して来たのは、俺の弟で配信者で男の娘で今日は関係者チケットでこのイベントへやって来たリンだった。リンは何故か、俺や乙成と同じイベントスタッフ用のTシャツを着用している。


「見てみてっ! このTシャツ、美晴さん朝霧が貸してくれたんだよ! なんか派遣の子が一人飛んだんだって♪」


「飛んだ? 当欠の連絡は無いって言ってたような……?」


「美晴さんが怒って帰らせたんだって! 仕事をなめてるタイプの子だったみたいで、派遣会社に言って即クビ! さっすが美晴さんだよね〜!!」

 

「それ飛んだってより飛ばしてんじゃん……」


 朝霧さん……何やってんのよ……確かにここ数日、彼女の気合いの入りようは凄まじかった。そんな権限はないとはいえ、俺や滝口さんですらクビにされかけたもんな。


「あ、あの……その女性は知り合いの方……ですか……?」


「え? あぁ! こいつは俺の……」


「誰かと思ったら水瀬カイトじゃん!!!!!!」


「ひ、ヒィッ?!」


 怯えながら俺の後ろにサッと隠れる水瀬カイト。リンの事まだ女の子だと思ってるみたいだし、思っていたイメージとかけ離れているけど、なんかかなり女性を警戒してる……?


「落ち着いて! こいつは俺の家族で、ちゃんと男なので!!」


「お、男……?」


「そ☆ ちゃあんとから、ここに居ても問題ないよ?」


 そう言って、俺の後ろに隠れる水瀬カイトの方へぐいと近寄るリン。余程警戒心が強いのか、いくらか表情が和らいでいるが俺の腕を強く掴んで離さない。

 女性恐怖症か何かなのだろうか? 俺よりずっと身長が高くスラッとしているのに、俺の後ろに隠れたりなんかして……


 目の前には厚底サンダルで高身長になった見た目完全女の子のリンに、俺の後ろで泣きそうな顔で震えている水瀬カイト。顔の良い二人に挟まれた俺は、なんか俺だけ宇宙人にでもなったかの様な、妙な錯覚に陥ってしまった。



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