第185話完璧な謝罪

「あそこにいるの……部長ですよね?」


「まさしく」


 乙成の指差す先にいたのは、派遣スタッフの若い女の子と楽しげに話す北見部長だった。若い子と話しているからか、いつもに増してテッカテカである。


「マジで?! 大学生なん? え、この辺の大学なんか? えらいなぁ〜!!! え、今日ここの後なんか予定あるんか? お疲れ会しようや! おっちゃんが旨い店連れてったるで〜!」


 一般のお客さんの動線用に配置されたフェンスを、特にどうする訳でもなく持ちながら女子大生に笑顔で話しかける北見部長ハゲ。もう絵面が犯罪なんだよね。女子大生達も特に嫌そうな顔はせず、さっきからべた褒めしているハゲ部長の方を見ながら、意味ありげに何度も髪をいじっている。


「でかした乙成! オレが行って、朝霧さんの前に引きずりだして……」


「いえ、私が行きます」


「乙成?」


 すぐにでも部長の前に飛び出していきそうな滝口さん静止したのは、なんと乙成だった。乙成は真っ直ぐと部長の方を見据えながら、恐ろしいくらいに落ち着き払っている。


「部長」


「ん? なんや乙成か! どうかしたんか?」


 人の目なんか見向きもせずに大盛りあがりしている部長達の所へ、真顔の乙成がゆっくりと近付いて話しかけた。周りの女子大生達の方がただならぬ気配を感じている様だ。その証拠に、髪を触る動作をやめて気まずそうに下を向いてるもん。


 一拍、乙成がふうと呼吸を整える。今から口にする事を、頭の中で反芻している様だ。

 

「北見部長。失礼を承知で言いますね、いい加減にしてください!! 何やってるんですか?! そんな……そんな女の子のスタッフに不必要に絡んだりして! 部長の持ち場はここじゃないでしょう?! 事前の段取りも全部朝霧さんに任せっきりで、一体何やってるんです?! 遊びに来ただけなら迷惑なので帰ってください!!!」


 言いたい事を全て言った乙成は、肩で息をしながらあいも変わらず部長に睨みをきかせている。辺りに広がる沈黙が、俺達まで気まずい気持ちにさせた。


 これは……乙成結構言いたい事言ったな。部長が全て悪いのは当然なんだけど、流石に思い切り過ぎじゃない? 部長、キレたりしないかな……? あの人キレると訳わかんない関西弁を喋るんだよなあ……普段から変な関西弁だけど。


 俺は不安で恐る恐る部長の顔を見る。もしキレてごちゃごちゃ言い出したら、俺と滝口さんで抑えるしかないよな……?


 怒りから来るものなのか、プルプルと震えている様にも見える部長。お、おい……大丈夫か……?


「乙成ィ……」


 ヤバい!! 部長がキレる!! 止めなきゃ……


「すいませんっしたァァァ!!!!!!」



 ……え? 部長?


「ほんますんません! 今から全力でやるんで! ほんますんません!!」


 九十度。部長のお辞儀の角度だ。美しく直角に曲がる身体。あのおぞましい程のビール腹は何処へ行ったのかと思うほど美しい謝罪だ。頭を下げてツルッツルの頭皮をみっともなく晒してはいるのだが、なんていうか、思わず見惚れてしまう程完璧な謝罪の姿勢だった。


「分かって頂ければいいのですよ」


 ニッコリと微笑む乙成。朗らかな笑顔は、さながら菩薩の様だ。叱咤はするが、赦しを与える。どんな人間にも救いはあるという事か。例え部長の様などうしようもない人間でも。……乙成、神様になったんかな?


「ありがとうございます!! すぐに持ち場の確認をして来ます!!」


 乙成から赦しを与えられた部長は一目散に駆け出して行った。朝霧さんの所へ行ったのだろう。部長って大概はクズなんだけど、唯一尊敬出来る所が、こうやって明らかに年下の人にも頭を下げられる事なんだよな。俺、あの人の年齢になった時にそれが出来るか自信ないもん。そういった意味では凄いよ、あの人。


「前田さんっ! やりました!」


 結婚式の時の再来とでもいうのか、乙成はくるりとこちらを向いて嬉しそうにピースしてみせた。


「やったな乙成!」


 駆け寄ってきた乙成とハイタッチをする。


「えへへー。ドキドキしたけど、部長が改心してくれて良かったですっ」


「よくやった! じゃオレは疲れたからちょっとサボって来るわ! あとよろしく!」


「あ! 滝口さん……」


 部長が真面目に働いてくれる事で滝口さんの今週末の安全が確保されたとみて、早速サボりに行ってしまった滝口さん。部長の次は滝口さんを改心させないとな。


「滝口さんは本当に……。それにしても乙成、変わったよな?」


「え? そうですかね?」


「うん。だって前は自分から積極的に話しかけに行くなんて出来なかったじゃん?」


 話す様になった最初の頃、乙成はいつも不安そうにしていた印象があった。蟹麿のアクキーを握りしめて、伏し目がちに話していた頃が嘘の様だ。


「それはきっと、前田さんのおかげですかね!」


「俺?」


「そうですよ! 前田さんが居てくれるから、ちょっと勇気のいる事だって出来ちゃうんです! きっと見ていてくれているって思えるから!」


 キラッキラの笑顔で俺を見てくる乙成の顔を、俺はまともに見られない。なんでか分からないけど、いつも一緒にいる筈なのに急に恥ずかしくなってしまった。


「あ! イベント始まる前にトイレ行っとかないと……! じゃ、じゃあ乙成! 俺トイレ行ってくるわ!」


「はい、いってらっしゃい……?」


 半ば無理くりな形で話を切り上げてしまった。だってしょうがないじゃん。なんか今日の乙成、いつもに増して可愛く見えるんだもん。


 関係者用のトイレに入って一呼吸する。用を足している間も、さっきの乙成の笑顔が頭から離れなかった。


 ガタガタッ……


 ん? なんだ、個室にも誰か入っているのか。誰もいないと思っていたから、うっかり独り言とか話しちゃう所だったぜ……! あぶねーあぶねー。


 さて、あんまりここに長居しても乙成が心配するかな? 多分朝霧さん達と合流して、今日の段取りの確認をしている事だろう。俺も合流しないと。



「……あ、すみません……」


 トイレから出る時、入り口で鉢合わせる形で男性とぶつかりそうになった。すれ違いざま、男性は消え入りそうな程の小さな声で俺に謝ってきた。


「あ、こちらこそすみません……」



 あれ? あの人の声、何処かで聞き覚えが……



「う、うわぁああ!!」



 んん?!


 



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