第139話わがままな女の子

 帰りの道中、四月一日さんにとっては良い感じの男性と親しくなれたと言う事で、お母さんに良い話を持ち帰る事が出来てさぞホッとしているだろう。


「はぁ……」


 と、思っていたのだが、四月一日さんは何か思い詰める様にため息をついていた。俺達の数歩先には、すっかり酔っ払って上機嫌の朝霧さん達がいる。そんな二人を心配そうに見ていた矢先だ。四月一日さん、どうしたのだろうか?


「四月一日殿? どうしました? 最後のあの方、やっぱり嫌でしたか?」


「! いえ、あの方はとても優しくて素敵な方でしたよ! ご実家が呉服屋との事で、ご両親の跡を継いで、仕事に真摯に向き合っている素晴らしい方でした! 私も、少しなら着物の事は分かるし、着付け師の母も、呉服屋の御子息とあらば両手放しで喜んでくれる事でしょう……でも……」


「でも?」


 四月一日さんの手には、乙成が持っているのと同じ、天網恢恢乙女綺譚のアクキーが握られていた。彼女の推しは栗藤栗花落くりふじつゆりだ。ちびキャラになった栗花落つゆりのキーホルダーを、四月一日さんは両手でギュッと握りしめる。


「私は、ずっと栗花落つゆりが好きです。リリース前に先行でキャラクターが解禁された時からずっと……昔から、ゲームやアニメが好きでしたが、ここまで一人を好きになるのは、栗花落が初めてでした。あざとくて可愛い、一見すると敵を作りやすいキャラですが、彼を知っていく内に、そこには人に触れられたくない悩みがあったりして……知れば知るほど好きになる……もう恐らく、こんな気持ちを他の誰かに抱く事はありません。でも今日、ほんのちょっとだけ、いいな、と思ってしまったのです。アニメやゲームの世界じゃない人に。もう少しだけ、お話してみたいと思ってしまったのです。なんだかそれが凄く、罪悪感があって……なんだか栗花落に申し訳がなくて……私の様な人間が、生身の人間に惹かれるなんて思わなかったから……」


「四月一日殿……」


 立ち止まってしまう四月一日さん。彼女にとって今日の出来事は、嬉しい反面、複雑な気持ちを残してしまうものだったのだろう。


「どっちも手に入れて、いいのではないでしょうか?」


「え?」


 俯く四月一日さんに、乙成が優しく話しかける。乙成の言葉に反応して顔をあげた四月一日さんに、乙成はとびきりの笑顔を向けていた。


「好きなもの! どっちかだけなんて言わないで、どっちも好きで良いんですよ!! 私も蟹麿が大好きです! この気持ちは誰にも負けません! でもそれとおんなじくらい、大好きな人もいます!」


 乙成と目が合ってドキリと心臓が跳ねた。思いも寄らないタイミングでの告白に、鏡を見なくても分かるくらい、自分の顔が熱く、真っ赤になるのを感じた。


「あいりん殿……そうですな。せっかく出会えた縁ですもの、あの方とちゃんと向き合ってみても良いんですよね? 栗花落が好きなままでも……」


「良いんですよ! むしろ一緒に推してもらいましょう!!」


「ふふふ、あいりん殿は強引ですなあ。そういえば、お二人は付き合ったんですよね? いやはや、この度は私の事情に無理矢理付き合わせてしまって申し訳なかったです」


「気にしないで良いですよ」


 俺はすかさず、四月一日さんに言った。無理矢理付き合わされたのは本当だが、なんやかんやで楽しかったからな。いい経験になったと言えばその通りだった。


「ふふ、前田殿もすっかり理解ある彼氏といった所でしょうか……お二人のラブラブ加減を近くで拝見出来て、中々に見ものでしたぞ」


「か、からかわないでください! 四月一日殿!」


 もうすっかり、普段の四月一日さんである。でもその表情は婚活パーティの前とは比べ物にならない程、晴れやかだった。きっと彼女の中でも、今回の出来事がとても得難い経験になったのだろう。いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、素敵な男性とも巡り会えたし、四月一日さんもまんざらでもなさそうで一件落着……


「あっれー? 兄貴じゃん! あいりんもいるー! おめかししてどうしたのー?」


「リンちゃん! 髪の毛切ったの?! とっても可愛い!」


 俺達が談笑している中、突然現れたのは、俺の弟で人気配信者でたまにガールズバーでも働いている、男の娘のリンだ。リンはトレードマークになっていた金髪の長い髪の毛を暗く染めて、肩くらいまでのボブヘアになっていた。


「ありがとー♪ ちょっと気分転換してみたくってさ! こーゆうのも意外と似合うよねっ」


「お前なぁ……」


 くるりとターンを決めてポーズを取るリン。髪が短くなった事で、より中性的な? 印象に様変わりしていた。


「あ! 四月一日殿に会うの初めてですな?! 四月一日殿、この子はリンちゃん! 前田さんの弟で、私の友達なんです! 配信もやってる子なんですぞ?」


「あいりんの友達ー? よろしくねっ」


 差し出されたリンの手を握る事なく、四月一日さんはその場に立ち尽くしている。栗藤栗花落のアクキーを握り締める手は、何やらわなわなと震えている様だ。


「つ、栗花落……?」


 んん!?


「? 四月一日殿? どうなされたのですか?」


「何故か分からないのですが、この方をひと目見た時、栗花落の姿が浮かびました……! に、似てる……! 声も雰囲気も体型も……!!!」


「ええ?!」


「ああ……着せたい……! 私が仕立てた衣装をこの方に着て欲しい……! この方が着れば、下手なコスプレイヤーなんかより何倍も栗花落に近づける……! 今までそんな機会がなかったから出来なかったけど、ではなく、等身大の栗花落を生み出してみたい私の夢が……叶うかもしれません!!」


 四月一日さんが覚醒した。眼鏡の輝きが眩しすぎて表情が読み取れないが、今の彼女は、今日見たどの場面より輝いていた。


「あ〜! 確かにリンちゃんはにちょっと似てるかもですね! 私も四月一日殿の仕立てた衣装を着たリンちゃん、見てみたいです!!」


「いやいやちょっと待てって! さっきようやく前向きな感じで終わってたのに……!」


「衣装ってコスプレー? 楽しそうじゃん! 俺は全然着るよ♪」


 リンのその言葉に、声にならない声で興奮をあらわにする四月一日さん。てか、四月一日さん、お前もか!! なんでこの世界の女の子は、推しとあれば急に積極的になるの?!


「前田さん! 覚醒した四月一日殿を、もう誰も止められません! 推しも夢も彼氏も全部欲しい、女の子はわがままな生き物なのです!!!」


「ではでは! 早速採寸をさせてくだされ! リン殿! 私の手で、あなたを栗花落にしてみせますぞ!!」


「頑張ってください! 四月一日殿!」



 推しも夢も彼氏も全部欲しい……この日、俺は女の子という生き物の性を見た気がした。





 〜後日談〜

 四月一日さんが覚醒してしまった事により、すっかり呉服屋の息子の事は忘れてしまったかと思われたのだが、なんとあの後も、二人は定期的に会っているらしい。

 呉服屋の息子こと、嵯峨山さがやまさんは、無類の着物好きで和裁も得意な男だったのだ。彼は四月一日さんの夢である、等身大栗花落の為に、仕事で培った知識をフルに活用して、生地選びから何から全て手伝ってくれているとの事。


 こうしてこの世界に、彼女のオタク趣味に理解ある彼氏がまた一人誕生したのだった。





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