第127話さようなら俺の貞操

「な、何を……」


 息がかかる程の近さに、美作さんの顔がある。サラッサラの髪の毛が、俺の頬にあたってムズ痒さを感じていると、美作さんがフッと笑って離れてくれた。


「冗談です。ここに居て、前田くんが変な気を起こすと大変なので、ひとまず外に出ましょうか。ここ壁薄そうですし」


「いや、なんで俺が変な気を起こすんですか?! あとなんか意味深な発言もやめてください。壁もコンコンするのやめて! 隣のお兄さんが何事かと思うでしょ?!」


 またしても美作さんのペースに乗せられたまま、俺達は外へと繰り出した。なんで24歳最後の日に顔を合わせるのが、よりにもよってこの変人なんだ。度々妖しげな冗談をかましてくるし、純粋に心臓に悪い。いや、それで本気になるとかはないよ? ないけど、人前でもそんな事言われたりしたら反応に困ってドギマギしちゃうじゃん? そんな姿を晒す度に、美作さんの思惑通りになっている様で嫌なだけだから!


「さて、とりあえず出てきましたけど、何処か行きたい所はありますか?」


「ないです……元々今日は家でゆっくりする予定でしたし」


「それは予定とは言いませんよ。ただ怠惰なだけです。それなら少し散歩しましょう」


 そう言って自然に差し出される右手。俺はなんの事だか最初理解が出来ずに数秒考えてしまった。


「手は繋ぎませんよ?」


「前田くんは案外恥ずかしがり屋さんなんですね」


 もういちいちツッコむのも怠くなって来た……。ゴールデンウィークの始まり、俺はこんな時に一体何をやっているんだ?


「あの、美作さん。今日とか麗香さんになんて言って出てきたんですか?」


 無言であてもなく歩き続けていてもなんだか気まずいので、俺は気になっていた事を話題にだしてみた。


「前田くんに会いに行くと言いました。明日は麗香さんと出かける予定があるので、前田くんに会いに行くには今日しかないのだと言ったら、すんなり送り出してくれました」


「なんでそこまでして……。前からちょっと気になっていたんですけど、美作さんと麗香さんってどういう……」


 どういうきっかけで付き合ったのか、これを聞こうとしたが、途中で迷いが出てしまって俺は口をつぐんだ。美作さんは麗香さんの"彼氏"で、乙成の父親は何処か遠くにいる。トレジャーハンターだっけ? それになりたいからと言って、家を出て行ったとか……。気軽に聞いていい話ではなかったかな? などと思ってしまったのだ。

 

「あいりの父親であり、僕の恩師の奥さんが麗香さんでした。今思い返しても、先生はかなり変わった人でした」


 あんたもだいぶ変わってるけどな……。口に出しかけた既のところで、俺は言葉を飲み込んだ。


「なので大学教授という立場に嫌気が差してしまったのでしょうね。急にトレジャーハンターになりたいと言い出して、麗香さんとあいりを置いて出て行ってしまいました。麗香さんとは、元々交流はありましたけどその時はまだ恋愛感情はなく、ただおかしな男に振り回された可哀想な人だと思っていました」


 この辺りは、前にチラッと乙成から聞いた事があったな。あの時、もう乗り越えたと言っていたが、当時は相当ショックを受けていたのだろうか。


「何故か先生に気に入られていた僕は、出て行く際に先生から、麗香さん達の事をまかされました。何かあったら力になってやってくれ、と」


「それで……」


 そうか、それで美作さんは、乙成のお父さんに頼まれた事もあって残された二人に寄り添っていったんだな。この人、普段は変人だけど責任感あるよな。頼まれた以上に二人を気にかけていたであろう美作さんが、容易に想像出来た。


「それで二人を気にかける内に、麗香さんの事を好きになっていったんですね?」


 なんだよ、軽く聞いてみただけなのに、なんだかこっちまで照れてくるじゃん。最初はむちゃくちゃな状態で始まった関係性だけど、一緒にいる内に恋心が芽生えて……とかさ! 状況は全く違うけど、俺が乙成をいつの間にか好きになっていた過程と少し重なる様で、妙に親近感がわいて嬉しくなってしまった。


「あ、いえ。そこに関しては単純に性欲に負けただけですね」


「……へ?」


「先生には、面倒を見てくれとも言われてなかったので。麗香さんは落ち着いた大人の色気がある人ですし、懸念される人物自ら手を引いてくれた事もあって、僕にとっては渡りに船といった感じでしたね。なんせ僕、あの頃二十歳でしたので」


「くそ……ちょっと良いように言ったのに……」


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