第71話敗北者の一日

 そしてとうとうやってきたバレンタインデート当日。

 今年はバレンタインデーが平日という事もあって、その手前、三連休初日の土曜日に決まった。


 といっても、デートするのは俺じゃない。今日乙成とのバレンタインデートを勝ち取ったのは、俺の弟で配信者で男の娘のリンだ。先日行ったリンとの勝負で負けた俺は、納得いかない形ではあったが、泣く泣く負けを認めざるをえなかった。


 さて、今日は何をするか……最近じゃ、休みの日も一回は乙成と連絡を取り合う事が日課になっていたから、なんだか落ち着かない。俺はベッドに横になりながら、ぐるぐると考えを巡らせていた。


 本屋でも行くか……それか買い物? 食材ももう無いからスーパーには行かないとな……



 気が付けば、かれこれ一時間近くもベッドの上でぼーっとして過ごしてしまった。リンと乙成が待ち合わせしているのは、確か十一時って言ってたよな? またしても乙成達の事が頭に浮かぶ。と、そこに、俺のスマホから着信音が鳴り響いた。



「もしもし?」


「あ! 前田さん! おはようございます!」


 電話の主は乙成だった。今はちょっと複雑な気分にさせる張本人。それと同時に、声が聞けて嬉しい相手でもある。


「リンとのデートは?」


「前田さんデートなんて言い方やめてくださいよ! 今から待ち合わせ場所に向かうんです! それで、夜にお電話したら悪いかなって思って、今かけました!」


 こんな時でも、俺の事を考えてくれていたのかと思って、小躍りしてしまいそうなくらい嬉しかったのは秘密にしておこう。それに、今回のデートは乙成的にはそこまで重要な事だと思っていない様だ。まぁ、リンがそうとは思っていないだろうが。


「てか乙成なんか鼻声? いつもと声が違う気がする」


「え? そうですか? 鼻風邪かな? 体調は全然大丈夫ですよ! 今朝掃除していたので、埃でやられたのかもしれません」


 電話の向こうで軽く鼻をすする音がする。ただの気のせいだといいが……


「あんまり無理するなよ? 今インフルエンザとかも流行ってるみたいだし」


「前田さんありがとうございます! あ、あのそれで……」


「ん? あ、そっか蟹麿か」


 乙成の「はい!」という元気な声が聞こえる。俺は蟹麿全集を手に取った。


「今日はどこのセリフ?」


「えっと……そしたら主人公ちゃんが森に山菜を取りに行って迷子になる話で……」


 パラパラとページをめくる。いつも思うが、本当に凄いセリフ量だ。二次創作でのセリフも入っているが、ありとあらゆる甘いセリフを網羅している。

 このシーンは、確か蟹麿の為に山菜ご飯を作ると言って森に入った主人公が、迷子になって暗い森で一人ぼっちになってしまう話だ。主人公のピンチの時に、何処からともなく現れる蟹麿。そして主人公を見つけて、思わず抱き締めながら言ったセリフだ。



 すぅ……


 俺は深呼吸をして、蟹麿の声を作る体制に入った。


『あいり! 探したぞ?! 一人で森に入るなんて、何かあったらどうするんだ?』


『怒鳴ったりしてすまない。一人で怖かったか? 大丈夫、僕がここにいるから』


『あいり……あいりがいなくて、凄く不安だった。もう勝手に、いなくならないでくれ』


 

 

 

「何処にも、行かないでくれ』

 


 


 なんか、いつも言ってるのに緊張したな。最後のセリフが妙に、今の俺とマッチしてしまったからかもしれない。



「……凄いです前田さん。まるで目の前にまろ様と前田さんがいるみたいでした……!」


「はは、それはどうも。じゃあ……気をつけてね」


「はい! 行ってきます! 前田さんにお土産買ってきますね!」



 乙成との電話を切った後、急に静かになった部屋に一人ベッドに座っているとなんだか無性に寂しくなった。


 弟とデートに向かう女の子を見送るなんて、なんて情けない……乙成にとっては親友と遊びに行くだけなのかもしれないが、それだけじゃ済まないのではないかと思って落ち着かない。



「………………買い物でも行くか」



 俺は気分を紛らわす為に外へ出る事にした。こんな日に家にいたらおかしくなる。少しでも外の空気に触れて、この気持ちを落ち着かせなければ。



 外へ出たはいいものの、何処へ行くかもまるで決めていない。とりあえずで家からまぁまぁ近い、以前も訪れた事のある街へやって来た。


 ここは確か、乙成の誕生日プレゼントを買いに来たんだっけ……ほんの数ヶ月前の事なのに、結構昔に感じるな。



「あれ?」



 週末の活気溢れる商業施設の一角。何処もかしこもガラス張りでお洒落な観葉植物なんかが置いてある服屋やカフェが軒を連ねる。そして、そんなハイセンスお洒落スポットのビルの物陰にそっと隠れて何かを見ている、よく知っている後ろ姿が目に入った。



「なにしてんすか、滝口さん」


「お、前田ァ! 丁度いい所に! あれを見てくれ!」


 滝口さんは明らかに不自然でおかしな人に見えているが、本人は全く気にしていない様子で、物陰に隠れながら向かいのカフェを覗いていた。


「滝口さん、これじゃ変質者ですよ。恥ずかしいんですけど」


「いいから!」


 滝口さんに言われて、俺も何故か一緒になって物陰に隠れながらガラス張りのカフェに目をやった。


「あれは……朝霧さん? 一緒にいる男は?」


 そこには楽しそうに談笑する朝霧さんがいた。いや、正確にはこの位置からなんの話をしているかなんて分からないが、口に手をあてて笑っているのがここからならよく見える。

 男の方はこちらに背を向けているので表情は見えないが、背筋を伸ばして椅子に座っている様子が、なんか知らないけどめちゃくちゃちゃんとした人に見えた。


「オレも偶然見つけて張ってるんだ。あの男、ちゃんとして見えるだろ?」


「確かにちゃんとしてますね。もしかして朝霧さんの彼氏?!」


「いや、最近まで男の影はなかった筈だ。それにあんなちゃんとした男が、朝霧さんと土曜のカフェでお茶なんて、怪しすぎないか?」


「ですね……あんなちゃんとした人、朝霧さんの彼氏なわけ……」


「あ! 店を出るみたいだ! 前田、追いかけるぞ!」


 朝霧さんとちゃんとした男は、連れ立ってカフェを出た。滝口さんに急かされ、俺達二人は数メートル先を仲よさげに歩く二人の後を追いかける事にした。



 ………………てか、なんで俺まで?


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