第68話バレンタインを君と

 二月だ。二月といったらあれだ、バレンタインだ。


 今までの俺だったら、例え学生時代でもこんなにソワソワする事なんてなかった事だろう。それは俺にとって、マジで無関係なイベントだったからだ。


 でも今年はいつもとは違う……違う気がしている。



「はぁ〜〜〜〜〜〜今日もまろ様が尊い……いや、貴いたっとい!! 見てください前田さん! こんなに綺麗な人が、この世に存在しているんですよ?! これを貴いたっといと言わずしてなんと言うのですか?!」


「うん、存在……はしてないと思うけど」


 俺のソワソワなんてまるで気にも留めず、乙成はいつもの様にスマホを見ながら蟹麿の描き下ろしイラストに見入っている。なんでもバレンタイン特別バージョンだそうだ。


 この尊いだの貴いだの言っているゾンビこそが、最近の俺のソワソワの原因。ほんの少し色々と期待しているのだが、乙成は何か計画していたりするのだろうか……?


「おい、歩きながらスマホ見てたら危ないぞ! 帰りの電車の中で思う存分見たらいいじゃないか」


 今日も今日とていつもの終業後、俺達は並んで会社を出る所だった。



「あいりんーーー! おっつかれーーー!」



「あ! リンちゃん! 来たんだね!」


 はい出ました、もう一つの俺のソワソワの原因。俺の弟で男の娘で人気配信者でたまにガールズバーでもバイトしているリンだ。会う度に肩書きが増えていくこの男は、絶賛乙成に恋している二十歳の大学生。


 最近は、仕事終わりの乙成を迎えに会社まで来る様になった。いつも派手な恰好で、元気いっぱいに乙成を迎えるので、会社内ではちょっとした有名人だ。


「あ。兄貴もいたんだね! お疲れ〜」


「いっつもいるだろ……! お前も毎日毎日、よくここまで来るな? 大学と逆なのに」


 会社のロビーの前で両手を広げて待っていたリン。流石に乙成も、その胸の中に飛び込みに行く様な真似はしないので安心した。俺の存在に気が付いているのに、何故か毎回偶然だねってオーラを出してきやがる。


「ん? だって俺、あいりんに会いたかったんだもん♪ 一日一回あいりんの顔見ないと死んじゃうの、俺」


 そしてこの妙に好戦的な態度。この前のガールズバーで言っていた、


 俺がとっちゃうよ?


 発言は、酒のせいでもたらされた物ではなかったらしい。あの日以来、リンは完全にオスモードを出して来ている。


 乙成は、そんな俺達の変な空気を感じ取っているのか微妙な顔をする。俺は大人の余裕を見せて落ち着いて対処しているとは思うが、これじゃ乙成は完全に板挟み状態だ。

 

 世の少女漫画大好き女子達にとって夢の様なシチュエーションになっている乙成だが、好かれているのは金持ちのイケメン兄弟でもなんでもない、かたや無趣味無個性素人童貞と、顔はいいけど普段はずっと女の子の服を着ている野郎だ。そのせいであまりテンションが上がっていないのかもしれない。ごめんよ乙成。


「てかさ、兄貴こそ、なんで毎日あいりんと一緒に帰るの? 家まで


「それはお前が送り届けるって言いながら部屋に上がろうとするからだろっ!」


「兄貴勘違いし過ぎ! 変な事しようなんて思ってないから!」


「いいや、お前はするね!」


「あの……ちょっと……」


 オロオロする乙成。俺達は人目も憚らず兄弟喧嘩を続ける。


「大体さ、兄貴ってあいりんのなんなの? 俺の方がずっと昔からあいりんを知ってるの! 兄貴なんて、最近まで話した事もなかったんでしょ?」


「ぐ……それは……でもお前だって直接会ったのは最近だろ? 俺は同時入社だ! 話した事はなくても、同期というステータスは揺るがない!」


「ねぇ、あいりん! 兄貴なんてほっといてさ、俺と帰ろ? バレンタインデートの計画立てようよ!」


 リンが乙成の手をグッと掴んで引き寄せる。その反動で、乙成が少しよろめきかけた。


「おまっ……! 危ないだろ?! それになんだよバレンタインデートって! そんな話聞いてないぞ!」


「今言ったんだもーん! ね、あいりん帰ろう!」


「え、あ、ちょっとリンちゃん!」



「はいはいはーい。話は聞かせてもらいましたよ〜」



「え? 滝口さん?」



 突如、俺達の間に滝口さんがズイっと割り込んできた。滝口さんは落ち着いて乙成をリンから引き剥がすと、クルッと振り向き俺達の方を見やった。


「君達さ、ここは会社だよ? ほら、みんな見てる。兄弟喧嘩は外でやりなよ?」


「た、滝口さんがまともな事言ってる……」


 普段の様子からは想像のつかない程まともな事を口走る滝口さん。滝口さん如きにそんな事を言われるなんて、俺はちょっと自分のしていた事を反省した。


「あんたは確か……まいにゃん推しの滝口って呼ばれてる……? あんたは関係ないんだから、口出さないでよ」


「そうだ前田弟よ。久しぶりだな。いい、いいんだ分かってる、皆まで言うな弟よ。これはあれだろ? つまりは白黒はっきりつける時が来たって事じゃないか?」


「? 白黒とは?」


 もったいぶった態度で頷きながら話す滝口さん。その姿に、なんだか無性に腹が立った。



「これより、お前達二人は勝負をしてもらう。それで勝った方が、乙成との一日バレンタインデートだ!」



「「はあ?!」」



 滝口さんの声が、会社のロビーに響き渡る。


 それと同時に、俺とリンの声もだだっ広いロビーの無機質な白い壁に反射して響き渡った。


 

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