ゾンビの取り合い
第47話ゾンビという概念
大変だ。これは大変だ。
いつもの平日の昼休み。俺は大好物であるランチパックピーナッツ味を食べながら、いつもの追い出し部屋のデスクに肘をつき、先日のリンの発言を思い返していた。
――どうしよ……俺、好きになっちゃったかも。あいりんの事
突然の弟のカミングアウト。二十年間で一度も見た事のない顔だった。顔は真っ赤、眉毛はハの字になっていて、両手を頬にあてて、とても動揺した様子でアワアワしていた。
その姿は兄である俺から見てもちょっと萌えるくらいの表情だった。元ヤンキーだという事も忘れるくらいに。
「いやぁ〜しかし、これは……」
俺は独り言を言いながら、今度はランチパックメンチカツ味の袋を開けた。甘いのをいった後はしょっぱいのをいく、これが一番美味い。
食パンのほのかな甘みと、ソースの染みたメンチカツの味が口いっぱいに広がる。衣はしにゃしにゃへなへなだが、それが美味いのだ。片手でも食べられるのに敢えて両手でパンを掴んでほお張る。この厚みを感じている時が一番幸せ。中には夢が詰まっているんだ。
――兄貴ごめん、なんかあいりんにお礼言われたら、なんかこう、胸がキューってして……
キュー? キューとは一体なんだ? 病気か? 一度医者に診てもらった方が良いのではないか?
――兄貴とあいりんの事知ってるのに……でも、どうしよ? 俺、もっとあいりんに「ありがとう」って言われたいって思っちゃった……! 俺、あいりんが好きっ!
……乙成が好き? それはあの乙成か? 俺の同僚でゾンビの。ゾンビでオタクで、俺の声を推しに見立てて日々ブヒブヒ言っている、あの……?
――あ、兄貴の気持ちも分かってるよ……? でも俺、あいりんにもっとギューってしたい……! 兄貴とライバルになっちゃう事になるけど、でも俺、もう止められないんだ!
……
一回整理しよう。リンは乙成に感謝された事により、乙成を好きになった。ここで言う「好き」は、犬猫や小さい子供、友人に対して思う様な感情ではなくて、もっと踏み込んだ、所謂性愛的な好きと言う事になる。おのずと、ギューってしたいの下りの意味も変わってくるだろう。可愛らしく言ってはいるが、完全にリンの中のオスを出して来ているという訳だ。
それで? 俺とライバルという部分についてだ。ここに関しては、リンの早とちりだと言い切ってしまう事は容易い。しかし、その一言で片付けられない感情が、俺の中にある事も事実だ。
ここ数ヶ月の、乙成との毎日。そして毎日毎日蟹麿になりきって甘い言葉を囁く日々。その度に彼女の体に日々増えていくゾンビ化の兆候が、少しマシになる。完全に消し去る方法はまだ分かっていないが、今のところはこの方法で症状を抑えていると言っていいだろう。
そして、俺の声を聞く度に見せる表情。それは俺しか知らない顔だ。恥ずかしさと嬉しさの混じった顔。その顔を見る度に、俺はほんのちょっとだけ、欲張ってみたくなるんだ。
だがしかし、唯一問題があるとすれば……
「なんで、なんでゾンビなんだよおおお!!!」
「ちょっと、さっきから何ブツブツ言ってるの? うるさいわよ」
「あああ朝霧さん!!!! いつからここに?! てか、ゾンビ……いや、乙成は?」
心臓が飛び出る程驚いて振り返ると、いつの間にか朝霧さんが俺の後ろの机で優雅に紅茶を嗜んでいた。
「なんなの? さっきからゾンビゾンビって。概念的な話? 乙成ちゃんなら、コンビニよ。昨日長電話してて、お昼ご飯作れなかったんだってさ」
長電話……だと? もしやその相手はリンか? それならちょっとザワつくんだが。
「独り言をブツブツ言うくらいだからあんたもなんか、大変なのね」
そう言うと、朝霧さんは俺の隣に椅子を持ってきて、仕事用の赤縁眼鏡の隙間から、俺の顔を覗き込んできた。
「いやぁ……はは、まぁ色々とありまして……朝霧さんこそ、ここに来るの久しぶりじゃないですか? 最近テレワークも多かったし」
俺の言葉を聞いた途端、朝霧さんはビクっと一瞬反応すると、そのまま固まってしまった。
「? 朝霧さん?」
「……前田。あんた、滝口をどう思う?」
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