第8話ゾンビと降り立つ池袋
月曜日。またこの日が来てしまった……。
俺は大事な週末を、乙成の
執務室の扉に手をかける。その瞬間、不穏な空気が扉の取っ手から俺の肌に伝わってきた。
何かある……
ガチャ
扉を開けると、その気配はより濃くなった。黒黒とした瘴気が、まるで異界への入り口を開いてしまったかの様に、執務室内に充満する。何これ? 異界ファンタジーでも始まったの?
俺が異界への扉を開いてしまった訳ではなく、はっきりと原因は分かっていた。
乙成だ。
あいつの周りに瘴気が見える、気がする。これが怪異系の和風ファンタジー物だったら、真っ先に
「……はっ! 前田さん〜」
俺に気が付いた乙成が半泣きで駆け寄ってくる。感覚的に、なんか嫌な予感しかしない。
「な、なんだ!」
「ちょっとこちらへ!!」
そう言うと、俺は乙成に手を掴まれて連行された。前にも思ったけど、乙成って力強いのな。
「なんだよ?」
連れて来られたのはいつもの屋上。俺は乙成に掴まれていた手を振りほどくと、
「見て下さいよぉ〜! せっかく前田さんに浄化して貰った所がまた……」
そう言って乙成は服の袖をまくって灰色の細い腕を見せてきた。そこにはまた生々しい傷がいくつも出来ていた。
「えっ! なんで?」
「分かんないんですけど、二日間も前田さんの声を聞いてなかったからこんなになっちゃったんだと思います〜」
エロゲでありそうな台詞を言う乙成だが、忘れて欲しくないのが、こいつはゾンビで、前髪で隠れた顔の半分はぐっちゃぐちゃだという事だ。そんな台詞を聞いても全然響かない。
「は?! じゃあ俺が毎日お前に声を供給しないといけないって事か?! てか、先週の土日は大丈夫だったのに、なんでまた……」
「人間の欲って底がないんですよね」
「そんな気分で左右される体なの?! 面倒くさいんだけど!」
「うぅ……憎い、自分のわがままボディが憎い……」
「ちょっと良いように言うな! 仕方ないな……今も持ってるんだろ? 蟹麿全集」
途端に乙成の目が輝いた。二日会わないだけでゾンビ化が進行してしまうとは、本当に面倒くさいのに絡まれてしまった。
「前田さん……! あなたならそう言ってくれると思ってました! じゃあ今日は……アニメ版の台詞の中から!」
パラパラとページをめくる乙成。
はぁ……俺は今日もこいつのペースに乗せられていく……。
******
「え? 池袋?」
「はい! この三連休、天網恢恢乙女綺譚の三日間限定のポップアップストアが出るんです! ぜひ前田さんにも一緒に行って頂きたい!!」
朝から蟹麿の声をさせられて疲労困ぱいの俺に向かって、乙成が嬉しそうにポップアップストアのホームページを見せてきた。
「なんで俺も行かないといけないの?」
珍しく大声を出さないで、落ち着いて質問出来た。なんで俺が休みの日に、わざわざ乙成の趣味に付き合わねばならんのだ。いや、特に予定はないが、だからってホイホイ付いていく程俺は暇じゃない。いや、暇だが、暇ではない。
「それはもちろん、よりまろ様への熱を感じて欲しいからですよ」
「だから!! なんでっ?!」
あぁ、また大きい声を……乙成の提案ってなんか脈絡かないんだよな。
「いいから! それに……行きたいところもあるんです!」
「? それはどこ?」
「それは当日お伝えしますよ! じゃあ一緒に行ってくれるんですね?!」
「え? まだ行くって言った訳じゃ……」
「あー良かった! じゃあ土曜日に! 楽しみにしてますね!」
行ってしまった……
なんか知らんけど、俺はこの土曜日に乙成と池袋に行く事になってしまった。
******
「あ! 前田さん! おはようございます!!」
「あぁ、おはよう」
土曜日だ。朝最寄りの駅で待ち合わせをしていたのだが、乙成は会うなりめちゃくちゃ元気だ。ここんとこずっと台詞に「!」がついてるな、良い事だ。
「今日は楽しみますよ! 前田さんも、この界隈の私の同志達を見るのは初めてですよね? 結構熱量高くてびっくりしますよ〜」
「はは……心して向かうわ」
しかし、池袋なんて降り立ったの久しぶりだ。もう随分前の事でよく覚えていないが、こんな駅の中にまで女性向けの漫画かゲームの広告あったっけ?
知らないキャラの誕生日を祝う広告まであるし。この男のファン達は、この広告の前で写真とか撮りまくるんかな。駅で誕生日を祝う意味とは……
それにしても乙成だ。普段の事務服とは違い、ちゃんと私服を着ている。この前の飲み会の時も思ったけど、服装のセンスがいいと思う。彼女によく似合っている。秋とはいえ、夜には少し冷え込む事を想定してか、今日の乙成はニットのワンピースを着ている。道を歩いていても他の人にギョッとされないのは、肌の透けない黒のタイツを履いているからだろう。顔色は悪いけど、半分くらい見えないから気に止められる事もなさそうだ。
というより、そこら辺を歩いている人達の方がよっぽど奇抜な恰好でウロウロしているのだから、ちょっと顔色の悪いゾンビが一人、この中に紛れ込んでいてもなんて事はないのだろう。
内心どうなるかとヒヤヒヤしていた俺だったが、思ったより俺達は普通に見えているのだという事が分かって安心した。
「で? 早速その店? に行くんだろ?」
「もちろんです!! 前日からSNSで情報はバッチリ仕入れて来てますので! 一切無駄のない買い物を今日はしますよぉー!」
やけに張り切っている。そんなに今日を楽しみにしていたんだな。
「えっと……マップによると、この道を真っ直ぐ行ってぇ……」
ほう
「あ、ここを右です!」
ほうほう
「あれ? やっぱこっち……?」
ん?
「あれ? 違う……やっぱ左です!」
んん?
「うぅ……何処にあるの……?」
あれあれあれー?
「ええいもう! 貸せ!」
俺は乙成のスマホをひったくった。スマホの画面にははっきりと経路が示されている。
「いや! めちゃくちゃ分かりやすいじゃん! 迷う要素何処にあるの?!」
「そんな事言うなら! 前田さんが地図見て下さいよ!! 全くもう!」
「なんで俺が怒られるの?! 逆ギレもいいところだよ!」
何故だか俺が乙成に怒られる事態になってしまったが、なんとか俺達は、天網恢恢乙女綺譚の限定ポップアップストアに辿り着けた。全く、池袋の中でもめちゃくちゃ有名な、あの
男女比が九対一で女性だらけの空間に放り込まれた俺は、早くもこの場所から逃げ出したくなっていた。
「あ! 前田さん! まろ様グッズありました!」
乙成が大声で俺を呼ぶなり、周りの女性達がこちらをチラリと見た。なんだ? そんな目で見るなよ、女性物の下着屋に入ってきた訳じゃあるまいし。それか、今の俺はそれくらい場違いな存在なのか? 俺は聖域に足を踏み込んだ不信心者の様な気分になってきた。なんか泣きそう。
「えっとぉ、これとぉ、あとは〜」
そんなセンチメンタルな気分の俺の事などお構いなしに、乙成は必死にまろ様グッズを吟味している。どうせ全部買うんだから迷う必要があるのか。
「お待たせしました! これで第一の任務は完了ですっ!」
蟹麿等身大パネルの前に無表情で佇む俺に向かって乙成はホクホク顔でグッズの入った紙袋を見せてきた。
「おう、これでとりあえず終了か?」
「まだです!!!」
急に大きな声を出したもんだから、俺だけじゃなく、周りの女の人もちょっとビクってしていた。声量を考えろ。
「本番はこれからなのです! 前田さん、準備はいいですか?!」
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