2章

甥っ子くんと伯父の妻

 こうしてアリアは年上夫に勝利。ルカを引き続きこの屋敷におくことに成功した。

 呪いの件についてはレオンハルトが譲ってくれなかったため、彼は呪われたままである。

 話がまとまった翌朝、ルカの元へ向かうアリアの足取りは軽い。


(同じ家に住む甥っ子に触れないって、不便だと思うけど……。まあ、本人が解かないって言うなら仕方ないわよね)


 ルカを家に置くと決めた時点で、彼なりにアリアの意見を聞いてくれているのだ。

 呪いまで一気になんとかしようというのは、急ぎすぎだろう。

 死者の情念に関するもののため、呪いはデリケートな問題でもあるのだ。


(甥っ子に触れないとなると、亡くなったご両親のどちらかに呪われている可能性もある。私がこれ以上踏み込むのは、流石にやりすぎね。呪いの件は一旦保留にするとして……。これからは、ルカとの交流をもっと楽しみましょう!)


「ルカ! おはよう!」


 そう意気込んだアリアが、ルカがいるはずの部屋の扉を開けると……。


「……ルカ?」


 ルカは、部屋の隅で縮こまっていた。

 びくっと身体を震わせてから、おそるおそるといった様子で振り返る。

 彼のくりくりとした青い瞳は、怯えの色をはらんでいた。

 使用人の話通りなら、ルカは先ほどまで朝食をとっていたはずだ。

 本来は大人がそばにいたほうがいいのだが、ルカが極端に緊張するため、食事の際は一人にしてあげることが多い。

 アリアと二人きりであってもなかなか食べ物を口にしない彼だが、一人だとなんとか食べられるようなのだ。

 ルカが食事の際も厳しい扱いを受けていたことが伺えて、ブラント公爵家の者たちは胸を痛めていた。

 そんなルカの邪魔をしないよう朝食後のタイミングを狙って訪ねてみれば、彼は部屋の隅っこで震えているではないか。


(まさか、怪我や火傷……!?)


 子供一人での食事だ。食器を割ったり、スープをこぼしてしまったりと、色々な事態が考えられる。

 慌てたアリアがルカに駆け寄り、どうしたの、見せて、なにかあったの、と声をかけるが壁のほうを向かれてしまい、視線を合わせてもくれない。

 できれば彼のほうから話したり動いたりしてくれるのを待ちたいが、もしものことを思うとそうも言っていられなかった。

 

「ちょっとごめんね……!」


 18歳のお姉ちゃん・アリアは、5歳のルカを持ち上げ、自分のほうを向かせた。

 ルカからはひっ、と悲鳴にも似た声が上がったが、アリアはアリアで、この状態を放っておくわけにもいかず必死だった。

 場合によっては、すぐに治療しなければ。そんなことを考えていたアリアが見たものは。


「……シミ?」


 公爵家らしい上等なシャツに、茶色いシミがついていた。

 アリアの言葉に、すっかり怯えた様子のルカが頷く。

 

「ごはん、おとして……。ごめんなさい……」

「いいのよそんなの! それより、怪我してない?」

「……え?」


 思いもよらない返事だったのだろう。

 他にはなんともないかしら、どこか痛かったら言うのよ、とぱたぱたと自分に触れるアリアを、ルカがじいっと見上げる。

 美しいアイスブルーの瞳に、彼女の姿が映り込んだ。

 服を汚してしまったというのに、アリアは怒鳴ったりしてこない。それどころか、気にする必要はない、一人にさせてごめんなさい、と謝ってくるではないか。

 もしかして、怒られずに済むのだろうか。この人は、自分の心配をしてくれているのだろうか。

 上手く言葉にはならなかったが、ルカはそんなことを感じ取った。


「……けが、はしてない。ふく、だけ」

「そう? よかった~! それじゃあ、着替えを用意してもらいましょうか」

「っ……!」


 触れても痛がる様子がなかったことに加えて、ルカ本人の言葉。

 アリアは、本当に服を汚しただけであると判断した。

 ならば着替えたほうがいいだろうと思ったのだが、再びルカの表情が曇る。


「……ルカ? どうしたの?」

「……おこられない?」

「え?」

「ふく、よごしたの。おこられない?」


 アリアは、ルカの考えをなんとなく感じ取った。

 使用人に着替えを持ってこさせれば、服を汚したことがアリア以外の人にも知られてしまう。

 そうなれば、誰が洗うと思っているのだ、手間をかけさせるなと叱られてしまうかもしれない。

 ルカは、そういった心配をしているのだろう。

 アリアもこの屋敷に住むようになって1か月と少ししか経っていないが、使用人たちがそんなことをするはずがないと断言できる。

 夫は冷たいが、どうしてか使用人は穏やかな者が多いのだ。

 だがそう話したところで、ルカの不安をぬぐうことはできないだろう。無暗に怯えさせるのも避けたい。

 どうすればいいかしら。少し考えてから、ああ、こうしたらいいんだわ、と思いつく。


「怒られたりしないわ。でも、心配なら……」


 アリアはふふ、といたずらっぽく笑い、ルカの耳に顔を近づけた。

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