1章

紳士な旦那様、豹変

 教会の鐘の音が響く中、柔らかな日差しの下を小鳥たちが軽やかに飛び回る。

 雲一つない青空は、新しい門出にふさわしい。

 本日は、ラテース王国の西方地域を取りまとめるブラント公爵家嫡男・レオンハルトの結婚式が行われていた。

 教会堂のステンドグラスの前で彼の隣に立つのは、アリア・アデール。伯爵家の長女だ。

 西方騎士団の団長でもあるレオンハルトは騎士団の礼服を纏い、アリアは純白のウエディングドレスに身を包んでいる。

 神父に促され、二人は誓いのキスを交わす。

 人前でのキスが――そもそも、キス自体初めてだったのだが――恥ずかしくて頬を染めた妻を、夫は優しい瞳で見つめる。

 二人が顔を合わせるのは今日が初めてだったため、不安もあったアリアだが、初対面からここまでの彼の紳士的な態度にほっとしていた。


(冷徹男とか、同じ部屋にいると体感気温が下がるとか、そんな話ばかり聞いていたけど……。そんなことないじゃない!)


 アリアとて、結婚前に夫となる人について調べるぐらいはした。

 そのときにそんな話が出てきたのだ。しかし、隣にいる彼からそういった雰囲気は感じない。

 冷徹男どころか、彼は優しく丁寧で穏やかな紳士だ。さらには、姿絵が高値取引されそうなぐらいの美丈夫でもある。

 こんな殿方が自分の夫になるなんて、と嬉しくなるぐらいに素敵な人に見える。

 噂は噂に過ぎないのだと、アリアは胸をなでおろしながら式を終えたのだった。

 しかし……。


 教会から公爵家の屋敷に向かう馬車の中。

 二人きりになった途端に、夫となった人――レオンハルトの態度が変わる。

 式の最中は愛情すら滲むように見えたアイスブルーの瞳は、今は閉じられて。

 腕を組み、足は開き気味で。参列者がほう、とため息をつくほどに紳士的で上品だった立ち居振る舞いも、今は面影すらない。

 心なしか、眉間にはしわが寄っているように思える。

 変わらないのは、短く整えられた濃い青紫の髪ぐらいなものだ。


(式のときの紳士は、どこに……?)


 あまりの態度の変わり様に、アリアも呆然とするしかない。


「あ、あのー……。旦那様?」


 機嫌を伺うようにそう声をかけるが、レオンハルトからの返事はない。代わりに、はあ、と聞こえるようにため息をつかれた。

 もしや、なにか無礼でも働いてしまったのだろうかとアリアは焦る。

 アリアは伯爵家の出身だが貧乏で余裕がなく、礼儀作法といった面で他の高位貴族に劣る自覚があった。

 公爵家の妻となる人がこんなレベルじゃなあ、なんて風に初日から思われてしまったのではないかと不安になってくる。

 しかし、だ。レオンハルトだって、結婚前に相手の家柄ぐらいは調べているだろう。貧乏伯爵家であると知っているはずなのだ。

 そもそもこの婚姻は、ブラント公爵家側から突然申し込まれたもの。

 だというのに、淑女としての教育が足りていないと機嫌を損ねられているのかも、と思うと納得がいかない。

 自身がなにかやらかしたのではと焦る反面、こんな気持ちもわいてきた。


(そもそも、なんで私に結婚を申し込んだのよ……! 没落伯爵家なのはそっちだってわかってたでしょ……!?)


 式のときとは打って変わって不機嫌そうな旦那様を、アリアは怒り交じりに見つめた。

 アリア・アデール。18歳。

 腰まで届く赤みがかった茶髪に緑の目を持つ、由緒正しき伯爵家のご令嬢だ。

 幼いころは貴族の娘らしい生活をし、教育だってしっかり受けていたのだが……。

 彼女が10歳ほどのころ、雲行きが変わった。

 アデール伯爵領で魔物が大量発生し、領地は困窮。

 アリアの父である伯爵家当主は、私財を投げうって領地と民を守った。

 結果、アデール伯爵家は貧乏になり、没落した。


 使用人も、執事とメイドが一人ずつしか残っていない。

 アリアには四人の弟がいたが、二人しかいない使用人に彼らの世話をする余裕はなく。

 1つ下から始まり、最大で10個も年の違う弟たちの面倒を見たのはアリアだった。

 そんなことだから、家事に炊事に裁縫に……と家庭的なスキルは高まったものの、貴族のご令嬢らしさには欠けている。

 弟たちに合わせてきたため、お淑やかなご令嬢というよりは、元気で活発……言ってしまえば少々お転婆な娘だった。

 家は没落。身だしなみを整えるのも難しいため、社交の場などにもほとんど出られず。本人も淑女らしさはなくお転婆。となれば、年頃になってもよい縁談など来はしなかった。


 10代半ばほどのころのアリアは、よい縁がないことにちょっぴり焦っていた。

 しかし、その焦りも18歳のときには少しばかり落ち着くことになる。

 18歳となった女性を対象に行われる能力検査で、聖女としての資質があると判明したのだ。

 アリアは思った。


(これなら、結婚できなくても聖女として働いて家庭の助けになれるわね!)


 と。

 さあてどんどんばりばり修業してお勤めしてしっかり稼いじゃいますか! なんて思っていたところに、突然縁談が舞い込んでまたまた展開が変わった。

 家庭菜園の野菜を収穫するアリアの元に「大変だ! お前に結婚の申し込みがきた!」と駆けてきた父の様子は、今思い出しても慌てすぎてちょっと面白い。


 アリアに結婚を申し込んできた相手は、一度として会ったことのない男性、レオンハルト・ブラント。

 ラテース王国の西方地域を束ねる公爵家の次期当主で、西方騎士団の団長でもある。

 アデール伯爵領も西方に位置するため、没落貴族の娘のアリアでも彼の名前ぐらいは知っていた。


「うちへの支援もしてくれるそうだが……。会ったこともない、7つ上の男だ。返事は今すぐにでなくとも……」


 娘思いの父は、ハンカチで汗を拭いながらそんなことを言ってくれたが、当のアリアはといえば。


(実家への支援つき!? しかも公爵様!? これ以上ない縁談だわ!)


 そう目を輝かせ、


「……します! 結婚、します!」


 と野菜を両手に即決。

 公爵家による、アデール伯爵家への支援。その条件が、アリアにとってこれ以上ないほどに魅力的だったのだ。

 こうして、没落伯爵家の娘、アリア・アデールと、公爵家嫡男レオンハルト・ブラントの婚姻の話はとんとん拍子に進み、父とのやり取りから1か月後には挙式をあげることになったのだった。

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