18-8

「カゲ、ウラ……? あっ、あいつか。あの諜報が趣味のストーカー」


 綾香がポンと手を打つとおネエ男はキラリと瞳を輝かせて笑みを浮かべた。

 

「へえぇ、あの子、ストーカーなのお? 可愛い顔してやることやってるのねえ、ウフフ」


 えっと、ちょっとなに言ってるのかよく分からない。

 あまりの意味不明さに脳が揺れたような気がしたがなんとか持ち直す。そして不意に昨日、オカ研の部室で真咲があの薄気味の悪い男子生徒に耳打ちしていた様子を思い出した。


「あ、ということは影浦くんがマーシャからの要望をあなたに伝えたってわけね。今日、ここに来てもらうようにって」


 すると彼は岩のような拳から人差し指を浮かせて、舌打ちに合わせてそれを二、三度振って見せた。


「まあ、後半部分は合ってるかなあ。でもさあ、影浦きゅんはそう簡単に伝えてくれなかったのよねえ。あの子、ああ見えてなかなか我慢強い子なのよお。縛り上げて脅してもなかなか吐いてくれないから、おかげで拷問器具三つもハシゴしちゃったわ。訓練を受けた傭兵さんなんかでも普通は二つ目ぐらいでギブアップなんだけどねえ、うふ」


 ご、拷問……? い、いや、たぶん趣味の悪い冗談だろう。

 綾香は首筋に浮き出る冷たい汗を左手でそっと拭った。

 そして考える。

 でも、本当にマーシャが影浦くんを使って呼び出したとするならば、目の前の大男は今回の件に関わっていると見ていい。綾香はひとつ唾を呑み込み、それから尋ねた。


「……ねえ、もう一度訊くけど、あなたいったい何者なの」


 見上げる目線に訝しさを込めるとおネエ男はその太い首を少し傾けてウインクを寄越した。


「えー? うふ、それは、ひ、み、つ」


 再び背筋がゾワゾワして、たちまち腕に鳥肌が立った。けれどそれでも綾香は怯む気持ちを押し留めてなんとか口を開いた。


「あの、もしかしてあなたって……」

「それに悪いけどアタシ、もう帰るところだから名乗ったところで意味ないのよねえ。ま、そういうわけだから、じゃあね、生意気なお嬢さん」


 そう言って手を上げた大男が踵を返すとその背中に漆黒の闇に艶やかに散る桜吹雪とおどろおどろしい夜叉の顔が翻った。

 綾香はハッとした。このコートは打掛を仕立て直したものに違いない。

 だとすれば、やはり。

 不意に昨夜の晩餐で耳にした話が脳裏に甦る。同時に真横から宗佑氏が息を飲む気配が伝わってきた。推論が確信に変わった。


「やっぱり……隷鬼党、蒲生鉄心斎がもうてっしんさい


 綾香が呟くようにその名を口にすると男が足を止めた。そしておもむろに振り返り、値踏みするような目つきで綾香たちを睥睨する。その瞳には怪しげな光が灯っている。


「もう、マー君たら口が軽いんだからあ。少しは影浦きゅんを見習って欲しいものだわねえ」


 しばし沈黙が流れた。

 相変わらず五月の朝の柔らかい日光が木漏れ日となって足許に揺れている。

 少し風が出てきたのだろうか。梢がサワサワと音を立てている。

 けれどやはり綾香にはその長閑な情景の中にとてつもなく不穏な気配が感じられる。もちろんそれはこの大男から発せられるものではない。何か別の、もう少し離れた場所からヒシヒシと伝わってくる禍々しさ。

 綾香が唇を真一文字に引き絞るとそれを見て大男は薄ら笑いを浮かべる。


「が、蒲生……、この人が……。いや、しかし、だとすると僧服を身につけているはずでは」


 宗佑氏が動揺した口調でそう話すと彼は肩をすくめた。


「ああ、えっとねえ、それは先代までの話。アタシ、僧服なんて辛気臭いから絶対無理。でもさあ、これでも譲歩してるのよ。ホントはもっと可愛いお洋服着たいのにさあ、こんな真っ黒な服なんて着たくないのにさあ。でも目付け役のジイが駄目だってうるさいのよねえ」


 矢継ぎ早にそう愚痴をこぼしつつ、鉄心斎は再びこちらに体を向けて詰め寄ってくる。


「それにこの名前もイヤなのよ。だって蒲生鉄心斎よ。カワイイ要素なんてひとつもないじゃない。まったく、襲名性だかなんだか知らないけどさあ、無理やり当主なんて押し付けられちゃって迷惑な話よ。ねえ、そう思わない、お嬢ちゃん」


 大男の指先が綾香の顎をクイっと持ち上げる。

 近づけられた顔から化粧の匂いが漂ってくる。

 綾香は合わなくなる歯の根を無理やり噛み締めて、瞑りたくなる目蓋を大きく開いた。


「だ、だったら協力してください。マーシャを助けたいんです」


 すると十数センチに迫った鉄心斎の唇が片方だけ捻り上がった。


「いやよ、今日はもう帰るわ」


 短くそう告げた彼が再び背を向けようとする。

 綾香はとっさに右手でそのコートの端を捕まえた。


「あなたが蒲生鉄心斎なら感じられるはずです。マーシャが戦っている強大な悪霊の気配が」


 その刹那、綾香の言葉を証明するように左手の林の奥、教会の方からまるでビルでも崩れ落ちるような破滅的な重低音が響いてきた。そして同意を求めるように綾香がそちらに一瞥を向けると鉄心斎はその目線をたどりながらも、さも詰まらなさそうにフンと鼻を鳴らす。


「悪霊かあ。そうねえ、まあアレが依頼内容ならもうちょっとここに居てあげてもいいんだけどさあ」


 ため息まじりのその返答に綾香は不審を覚えた。


「どういう意味ですか、それ」


 そう問うと彼はちょっと苦い顔をして口髭を整え始めた。


「いやね、どう考えても報酬が見合わないのよ」

「報酬……って、え、もしかして三百万円ですか」


 目を丸くした綾香に鉄心斎はちょっと顔をしかめた。


「あら、そんなことまで知ってんの。もう、マー君たら本当におしゃべりさんね。口が軽い男はモテないわよ。ねえ、お嬢ちゃんもそう思うでしょ」


 そう言ってニヤニヤする大男に今度は綾香が詰め寄った。


「はぐらかさないでください。三百万という大金がどうして見合わないんですか。充分過ぎるじゃないですか」

「はあん、大金? 笑わせてくれるわね。でもそうね、他でもないマー君の頼みだったら大負けに負けてその端金でも受けてもいいかしら」

「だったら……」


 言い募ろうとしたそのとき、鉄心斎はサッと身を翻し、コートをつかんでいた綾香の手が振り解かれた。


「ただし、それはあの悪霊風情が相手だった場合の話よ」

「え、それはどういう……」

「ふん、お嬢ちゃん。マー君の霊力が付与された今のアンタならうっすら分かってるんじゃないの。あんなの比べものにならないぐらいヤバい奴が現れたことぐらいはさあ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る