18-3
あの日以来、真咲はいつも苦しそうだ。
強迫観念的なものを抱え込んでいつも思い悩んでいる。
あるいは身の丈に合わない大きな使命感に駆られて焦っている。
もちろん口にも態度にも出さないが綾香にはそう感じられる。
周囲と打ち解けず、あえて人を寄せ付けない陰気なキャラを通しているのはおそらく自分に関わることで誰かが身に覚えのない不幸に晒されてしまうことを恐れているのだろう。また何かに怯えているかのように終始鋭い目つきを配っている姿も痛々しい。なによりそれを漫然と受け入れている真咲に腹が立って仕方がない。
十七歳の男子がどうしてそんなに苦しい思いをしなければならないのか、それがよく分からない。まさか本当に何か特別な使命でも帯びているとでもいうのだろうか。
そう考えると思わず吹き出してしまいそうになる。
ライトノベルやファンタジーアニメではあるまいし、そんなことがリアルで起こるはずもない。けれどそう笑い飛ばしてしまおうと思えば思うほど真咲の身の周りで起こる一連の不可思議がそれを許さない。
なにより今、目の前にいるキヨちゃんがまさしくそれを証明してしまっている。
なんとも腑に落ちない現実だ。
綾香の思考はため息とともにいつも同じところに帰結する。
それもこれもきっと時折現れるあの忌々しい別人格が関係しているに違いない。
だからいつか私はそれを真咲から引き剥がす。
その日まで真咲が壊れてしまわないようにサポートするのが私の役目だ。
いつの頃からか綾香はそう信じ切っている。
自分の直感が正しいかどうか、そんなことは分からない。
けれどこの嫌な胸騒ぎはなんだろう。喩えれば見るからに危険な暗がりにわざわざ踏み込んでいくホラー映画の主人公を観ている感じとよく似ているかもしれない。
まったく、非論理的で非科学的で我ながらどうしようもなく愚かだけれど仕方がない。
けれどとにかく真咲のそばに行かなくては。
役に立たなくとも、足手まといになろうとも私はそうするべきなのだ。
その決意を胸に睨みつけんとばかりに綾香が眼差しに力を込めると不意に柏木氏は表情を緩め、それから降参とでもいうようにフッと息を吐いた。
「やれやれ、分かったよ。キミの直感を信じることにする。教会に向かおう」
その言葉にそっと胸を撫で下ろすとそれを見て柏木氏は再び表情を引き締めて釘を刺す。
「だが危ないと感じたらすぐに引き返すからそのつもりで。私はともかく城崎さんを危険な目に合わせることはできない。もし怪我なんかさせたらキミの親御さんや彼氏に申し訳が立たないからね」
「はいッ! わっかりまし……」
敬礼しようと持ち上げた右手が顎の下でその勢いを失った。
「え、あの、彼氏って誰ですか」
伺うように訊くと柏木氏の顔が不思議そうに傾く。
「誰って石破くんに決まっているじゃないか。だってキミたち付き合ってるんだろう」
瞬間、全血流が逆巻いて顔に昇ってきた。
綾香は一気に紅潮した頬と髪の毛をブンブンと横殴りに振り乱し、さらに両手を突き出して全力で否定する。
「ちッ、違いますよ! ただの幼馴染みで腐れ縁なだけです、あんな奴」
「へえ、そうなの? でも、すごく仲良さそうだし、息もピッタリだから誰が見ても……」
「ど、どこが息ピッタリなんですか。顔を合わせばケンカばかりなんですよ、私たち」
火照った額と頬を手で仰ぐと柏木氏がニヤリと笑った。
「まあ、ケンカするほどなんとやらって昔から言うからね」
「もう、からかわないでくださいよ」
綾香が口を窄めると彼は片手拝みに軽く謝り、それから再び表情を引き締めた。
「それより急ごう。実を云えば私も睦月たちが心配で一刻も早く駆けつけたいんだ。ただ、見て分かる通りあの雑木林の手前には高い石垣がある。階段もないから迂回するしかない。さあ、こっちだ。着いて来て」
綾香は頷き、足を進め始めた柏木氏の後に続く。
けれどそのとき、背後から少女の声がやや戸惑い気味に放たれた。
「ごめん、悪いけど私はここまで。これ以上、お屋敷から離れられない」
振り返るとキヨがその場に立ち止まったまま、さも面目なさそうに上目遣いで綾香を見つめていた。
「あ、そうだったね。こっちこそごめんなさい。うん、分かった。ここからは私とさつきパパだけで大丈夫だよ。心配しないで」
微笑みを向けた綾香にキヨはなおも気遣わしげな表情のままうっすらと頷き、それからポツリと言葉を漏らした。
「本当は私も行きたい。コウジロウが居るかも知れないし」
そうだった。
彼女の目的はカイセに囚われた弟を救い出すこと。
駆けつけたい気持ちは重ねた膨大な年月の分、私たちよりもずっと大きいのかもしれない。しかし彼女の行動範囲には制限がある。忸怩たる思いで私たちを見送るしかないのだろう。綾香はその遣る瀬なさのバトンを受け取るようにキヨに向けて手を差し出しそこにある宙をグッと握った。
「大丈夫。絶対にコウジロウくんも助け出してくる。だからお屋敷で待ってて。そんで戻ってきたらみんなでスイーツパーティーやろうね。約束だよ」
そういって綾香が握った拳から小指一本持ち上げるとキヨはそれを見て表情を和らげた。
「うん、約束」
彼女の細い腕がゆっくりと伸び、その透き通った小指を綾香のそれに絡み付かせた。
なぜだろう。実体はないはずなのに温かさを感じる。
その不確かな感触に綾香は大きく頷き、そして踏ん切りをつけるように勢いよく踵を返した。
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