16-14
「わざわざ遣いを寄越してまでこのような重罪人の面倒を見ようとは暇神どもめ、余程、仕事を増やしたいと見える」
ミシャの忌々しげな言葉に、けれどカイセの瞳は見つめた宙空の一点に喰らいつくように凝視したまま離さない。その目線を追って見上げると真上、ほど近いところにいつのまにか青白い光の球が浮かんでいて、中に
歳の頃は八つか九つといったところだろうか。
坊ちゃん刈りを乗せた真っ白な顔に憂えげな微笑み。少し垂れた目尻。
ふた呼吸ほどしてから驚愕に歪んだカイセの口許が微かに蠢く。
するとその口からゴフリと血泡とともに訝しげな声が吹き出された。
「……そ……聡一郎……なのか」
息も絶え絶えに紡がれた言葉に光の中の少年は大きく笑って頷く。
「うん、そうやよ。憶えててくれたんやね」
「…………どうして……お前がここに……」
カイセが息も絶え絶えに問うと少年の笑みに翳りが見えた。
「僕、ずっと待っとたんよ。九条さんは無愛想やけど、きっとどんな病気でも治してくれるええお医者さんになって昇ってくるやろと思てずっと待ってた。そやのに……」
言葉を区切った聡一郎はおもむろに眉根にキツい皺を寄せる。
「そやのに……まさかこないな非道いことしてるやなんて聞いて僕……信じられへんかった。すごく残念やった。そして悔しかった。九条さん、いったいどないしてしもうたん? なんでこんな風に狂ってしもうたん?」
それは岸壁に砕ける波飛沫のように鋭く、激しい口調だった。
彼は問い詰る視線をカイセに向けたまま、次いで震える声を落とす。
「……こんなんあかんよ。あかん……絶対に許されへん」
仰向けに横たわったカイセの表情が苦渋に歪み、その口角から再び血泡と低い呻き声が滴った。
「……ほんまは僕なあ、九条さんは地獄に堕ちてもしょうがないことをしてしもうたんや。そやからこのまま放っておこうって決めてたんや……」
言葉に詰まり、聡一郎はカイセから目線を切った。
「けど僕……僕なあ、九条さんがほんまは優しい人やってこと知ってんねん。そやから何度も諦めようとしたけど、やっぱり居ても立っても居られへんなって、それでいつも面倒見てくれてる神様に相談したらなんとかしてくれるいうことになって、それで……」
彼を包む光球は横たわるカイセにゆっくりと近づいていく。
カイセはその光をまんじりともせずただ睨み据えるように見つめている。
真っ黒な空洞が開いていただけのカイセの目蓋の内側にはいつのまにか充血した瞳が収まっている。そして纏っていた黒い霧は薄らぎ、その身体からは陽炎のような微かな揺らぎが立ち昇っているばかりであれほど強烈だった霊気はもはやほとんど感じられなくなっていた。
完全に戦意を喪失したカイセはどうやら素の人間の姿に戻っていくようだった。
「…………聡一郎」
苦しそうにカイセが名を呟くと少年が口を開いた。
けれど何かを告げようとするその口からはいつまで経っても言葉が発せられない。
痛切な沈黙が立ち込めた。
抜け殻のような怨霊になったカイセが哀れを誘った。
沈鬱に顔を歪める少年に思わず同情してしまいそうになる。
いったい生前のカイセと聡一郎と呼ばれたこの少年の間に何があったというのだろう。
俺はそんな想念を浮かべつつ、いつしかさっきまでの壮絶な戦いのことを忘れて彼らに見入っていた。とても幸福とは言えない二人の再会を他者が邪魔をしてはいけない。
そう思った。
それなのに次の刹那、ミシャがあろうことか唐突に舌打ち混じりの文句を言い放った。
「貴様ら、そのようなつまらぬ三文芝居など後にせい。ワシは忙しいんじゃ」
聡一郎がこちらに顔を向け、悲しそうに口許を歪める。
おい、ここでかよ。
熱心に観ていたテレビのチャンネルを変えられてしまったような嫌な心地がして俺もつい彼の援護射撃をしてしまった。
『そうだぞ、ミシャ。ちょっとは空気読んでやれよ。せっかくいい場面なんだから』
『何がいいものか。涙ぐむ腐れ悪霊なんぞワシは反吐が出るわ』
『まあ、そう言わずに温かい心で見守ってやれよ。なんだかかなり訳ありそうだし。な、な』
するとミシャが剣呑に眉間に皺を寄せた。
そしてしばし間をおき、珍しく深いため息を吐く。
それから再び舌打ちを鳴らし、いかにも止むを得ずといった風に言葉を継ぎ足した。
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