4-7

 睦月が目覚めた後、俺たちは階下に降りることになった。

 俺は別にそのまま睦月の部屋で話を聞いても良かったのだが、武士の霊に怯える二人、特に柏木姉が激しく要求してきたのでやむなく場所を移すことにしたのだ。

 そして俺たち三人は再びダイニングキッチンを訪れ、家事仕事に忙しく立ちまわる雑賀さんを横目に大きな楕円形の猫足テーブルを囲んでいる。


「だから怪奇現象って言ってもさ、僕はそんなに困ってないわけ」


 簡潔な説明を締めくくった睦月に柏木は眉をひそめた。


「困ってるじゃない。怪我までして」

「怪我って、別に大したことないし」

「でも次は大怪我するかもしれないでしょう」


 すると睦月は大袈裟なため息をついて「マジ、うぜえ」と小さくこぼす。


 たぶん雑賀さんはオーブンで菓子か何かを焼いているのだろう。

 部屋全体に甘く芳しい香りが漂ってきた。

 スンスンとその匂いの素を嗅ぎ分けようとしていると、俺の正面に陣取った柏木がいきなり身を乗り出してきた。


「で、どうなんですか石破さん」

「ど、どうってなにがだ」


 たじろぐと柏木に叱られた。


「決まってるでしょ、睦月に憑いた霊。どうです、なにか見えませんか」


 その鼻息に気圧されて俺は目一杯背もたれに体を引き、正直に告げる。


「あ、いや、なんもないぞ。安心しろ。弟くんにはそういう危険な類の霊は取り憑いていない。さっきの鎧武者が付かず離れずでフラフラしているぐらいだ」


 そう告げて俺はドアの前に立つ武士に軽く手を上げると彼は照れくさそうにちょこんと兜頭を下げた。

 その所作に再び二人は震え上がる。

 

「じゃあその武家の幽霊さんが悪さをしているってことはないのかしら」


 キッチンから目を丸くして割って入ったその雑賀さんの質問に俺はゆるゆると首を振った。


「それはありませんね。あの人はどう見ても善霊です。時代が古いせいか言葉が喋れないので弟くんの近くにいる理由は分かりませんが、恨みや呪いといった悪感情の霊気は一切感じられません。霊障を起こしている可能性は皆無です」


 そう断言すると柏木が比喩ではなく頭を抱えた。


「じゃあ、どうして怪奇現象がこうも度々……」


 それほど落ち込むようなことでもないだろうと思ったが、喧嘩はしてもやはり弟が心配なのだろう。

 睦月が気絶した際に見せた柏木の剣幕は凄まじかった。

 恐怖に顔面蒼白になり腰砕けで膝をガクブルさせながらも気を失った睦月に寄り添い肩を揺り、同時進行で俺に罵詈雑言を浴びせ続けたのだ。

 そのとき俺は真の姉弟愛というものを見せつけられた思いがした。

 もし俺が同じ目に遭ったとしたら姉もこのように取り乱してくれるのだろうか。

 想像してみるも全くその光景らしきものが浮かんではこない。

 代わりにこの機を逃さじとばかりにスマホで動画を撮ったり、なんならマジックで顔に落書きをする鬼姉の姿が脳裏に映るばかりだった。

 まあ、自分の話はさておき姉柏木が見せた弟に対する情愛はなんとなく姉弟を超えたところにあるような気がしてそこに微かな違和感を覚えていた。

 だからかもしれない。

 柏木の落胆ぶりがちょっと気の毒になり俺は口を開いた。


「ま、それならおそらく浮遊霊か地縛霊の仕業ということになるだろうな」

「フユーレイ?ジバクレイ?」


 睦月は怪訝な顔を向けて片言で言葉をなぞり、柏木はうつむかせていた頭を上げ、問い正しげに眉を寄せた。

 その彼らに俺は素軽く肯いて見せる。


「ああ、霊体にはいくつか種類があるんだが、霊障を起こすものはこの二つが圧倒的に多い。彼らの中には近づいた人間に片っ端から悪さをする者もある」


「でも、それじゃどうして睦月ばっかり標的にされるんですか」

「だからそれを調べるんだろ」


 納得したのだろう。

 こくこくと肯く柏木から俺は睦月に目を移した。


「というわけで弟くん、キミの身の回りで起きたことの詳細を知りたい」


 すると彼はいかにも面倒臭いといった表情を作った。


「さっき話したじゃない」

「もっと詳しくだ。憶えていることを最初から全部話して欲しいんだよ」


 俺は背もたれに掛けたナップザックからメモ帳とシャープペンシルと取り出す。

 それを見て睦月は呆れ顔になった。


「でもさ、ホントに僕、あんまり困ってないんだよね」

「まあ、そう言わずに協力してくれよ。これも人助けだと思って」

「人助け?」

「ああ、部活の存続がかかっているんだ」


 睦月が小首を傾げ、柏木が俺を睨んだ。

 俺は芝居じみた咳払いをひとつ鳴らした。

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