4. At the Luxurious house A 9 - 21

4-1

 雑木林を抜けると一面が緑色の芝で覆われた低い丘が現れ、その頂上には二本の尖塔を持つ石造りの洋館が背景に五月晴れの青空に据えてどっしりと居を構えていた。

 思わず足を止め、そのあまりにも壮観な景色に目を瞬いていると柏木が立ち止まり、恐々とした表情を振り向かせる。


「もしかして、また何かいるんですか」


 俺は首を振り、その西洋の古城のような建物に向けて指を差した。


「いや……つかぬことを聞くがひょっとしてお前、あそこに住んでいるのか」


 すると柏木は怪訝な顔つきで肯いた。


「ええ、そうですけど、それが何か」


 そのあっけらかんとした肯定に俺はただ苦笑を返す他はない。


 林を抜けてきた石畳の小径はやがてなだらかなスロープとなり、芝生の丘をまわり込むように弧を描きながら登っていく。また途中にはやはり石造りのガゼボや噴水、あるいは無数のネモフィラの花弁が鮮やかに咲き乱れる小さな花壇などが点在していて、俺は次第に息が浅くなるのを感じる。


 なるほど、これがセレブというものか。


 別段、羨ましいわけではなかったが、圧倒されたのは確かだった。

 そして気分まで高揚してしまったのか、ついつい要らぬことを尋ねてしまう。


「これだけの屋敷なら管理するのも大変だろうな」


「はあ、そうですね。休みの日なんかはけっこう時間を取られます」


 そのうんざりした口調に俺は肯きかけ、けれどすぐに首を傾げた。


「いや、ちょっと待て。なぜ、お前の時間が取られるんだ。そういうのは専門の業者に任せているんだろう?」

「いいえ、ほとんど自分たちでやってます。ちなみにここの芝生や花壇は私の担当で、あ、そういえばそろそろ芝生の手入れをしなきゃいけないんですよ。石破先輩、後で肥料運ぶの手伝ってくれませんか」


 俺は焦ってブンブンと頭を振る。


「なんで招かれた身で園芸雑事をしなきゃならんのだ。しっかり客としてもてなして欲しいもんだな、お嬢様」

「フフフ、可笑しなことを言わないでくださいよ。どうして石破さんをもてなす必要があるのです? クライアントは私なんですよ」


 思わず舌打ちが鳴りそうになったがなんとか堪えた。

 そして代わりに俺は思い切り眉をひそめ、加えて唇の端を歪めて前を行く柏木の背中を睨んでやる。


「いいだろう。そういうことなら相応の代価を支払ってもらおうか」

「アイスコーヒー奢ってあげたじゃないですか」

「たかが数百円で雑用までさせられてたまるか」


 柏木が立ち止まり、ふと我に返って見渡すとすでに俺は大理石が敷かれた広い玄関ポーチに立っていた。

 柏木の背後には美しく不思議なシンメトリー紋様の装飾がなされた幅広の木製ドアがあった。扉板は絶妙に萎びた色合いに落ち着いた褐色をしていて、それだけでこの建造物が歴史的にも貴重な文化遺産であることが容易に想像が着いてしまう。

 その威圧に耐えかねて息を呑んでいると、彼女は肩掛けにしたベージュ色の品の良いバッグから何かを取り出し俺の顔に向けてヒラヒラと振った。なにかと思ったらそれはテレビCMでよく見るロゴが入ったセキュリティーカードである。


「ふうん、そういう態度を取るわけですか。これはオカ研案件査定に反映させなければいけませんね」


 そして柏木はまったく由々しき事態とでもいうように難しい顔つきを作り、それから石造りの白壁に取り付けられた玄関横のセンサーにカードをかざす。するとビープ音に続いて機械的な解錠音が響いた。


「おい、ふざけんな。そういう卑劣なことは……」


 なんとか気を取り直して柏木に突っかかろうとすると、そのとき木製ドアが音もなく開いた。


 「ともかく、続きは中で」


 そんな言葉が俺の耳にまともに届いたかどうか記憶は定かではない。

 なぜなら扉の奥に見えた荘厳な光景に俺は無様にも言い返す言葉を失ってしまっていたからだ。


 「どうしたんですか。早く中に入ってください。開きっぱなしだと警報が鳴ってしまいますから」


 そう急かされて後ろ手に扉を閉め、おずおずと中に足を運んだ俺はまたしてもその華美な景観に圧倒されてしまう。

 床に敷き詰められているのは自分の姿が映せるほど磨かれた琥珀色の大理石。

 直線と曲線が複雑に調和した壁や石柱にはいちいちきめ細やかな彫刻が施され、またアーチ状の窓にも美しい紋様の格子が嵌められて陽光をふんだんに取り入れている。そして極めつけは向かって右側には螺旋を描くように登っていく緩やかで幅の広い階段。その流れに沿って視線を上向けると豪奢なシャンデリアがぶら下がり、さらに吹き抜け天井のドームには妖艶な女神の壁画があった。

 まさにこれは中世の貴族が栄耀栄華を惜しみなく詰め込んだと言われるバロック様式建築。いやロマネスクだったか、あるいはルネサンス……。

 ええと、よくは知らないがともかくこういうところに住んでいる人間が本当にいたとは。


「石破さん、さっきからなにをぼんやりしてるんですか。こっちですよ」


 呆けたように口を半開きにしてその内装を見渡している俺にその階段下から柏木が手招きをした。

 ハッとした俺はアスリートのように一度両手で顔を擦り、短く息を吐く。


 いかん、いかん。

 これぐらいで気圧されてしまっているようでは柏木にいいように使われてしまう。


 平静を取り繕えたかどうか怪しい顔つきで大理石をペタペタと踏み、柏木の方に歩み寄ろうとするとそのときふと傍から弱々しい声が聞こえてきた。


『……ねえ、どうしてきたの』


 目を向けると天使の彫刻が施された石造りの暖炉のそばに藍色のかすり着物を着たおかっぱ頭の女の子が俺を見据えて立っている。


『キミは?』


 尋ねると少女は途端に目を丸くした。


『キヨ。ねえ、私のこと見えるの』


『まあな。視えるし、聴こえる。それよりキヨはなぜここにいる。この屋敷の子供だったのか』


 訊きながらもおそらくは違うと俺は見当をつけていた。

 なぜならキヨの着物は見たところずいぶんと粗末なものであったし、足もとも鼻緒の取れかけた草履だったからだ。また彼女の面立ちや手足も痩せ細って見え、そのような姿はこの豪勢な屋敷に住む者としてはあまりにも似つかわしくはなかった。

 しばらく間をおいて案の定、彼女は首を横に振った。


『じゃあ、どうしてここにいる。どこかから迷ってきたのか』


 キヨはまた首を振った。

 そしてうつむいて黙り込む。

 なにかを深く恐れているようなその仕草が気になった。


『なんなら事情を話してみてくれ。少しは役に立てるかもしれない』


 けれどキヨが顔を上げることはなかった。

 そしてその姿が揺らぎ、薄らいで透明に近くなり、やがてふっつりと消えてしまった。

 俺はしばしキヨのいた場所を見つめ、やがてひとつ小さなため息をつく。

 すると刹那、右肩口の向こうから震える声が放たれた。


「も、もしかして家の中にまで……」


 目を向けると肩を抱いて竦み上がる柏木がいる。

 そして肯くと耳を塞ぐ間もなくホールに甲高い悲鳴が響き渡り、俺はため息をもうひとつ重ねた。


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