3-2
雑木林に敷かれた小径は続き、その石畳を踏んで数分が経過した頃、行き手の視界がうっすらと拓けた。そしてまばらになった木立の向こうに白壁の家屋が目に入り俺はそっと安堵の息を落とす。
ようやく着いたか。
ていうか、客をどんだけ歩かせるつもりだ、この屋敷は。
続けて悪態を吐こうとしたが、建物の様相を目に留めた瞬間、虚しくもため息に変わった。
それは急勾配の三角屋根を持つレトロな洋館の趣きをなしてはいるが、石造りの白壁はくすんで雨垂れの跡がスジを引き、窓の木枠にも朽ちが目立っていた。
加えてサイズ的には俺の自宅に毛が生えた程度の大きさしかない。
まさか名だたる富豪がわざわざこんな手狭で古ぼけた屋敷に暮らしているはずはないだろうと推察すると、やがて小径が二股に分かれた地点で案の定、柏木がその建物へ続く道を選ばなかったことでそれが証明されてしまった。
おい、まだ歩かせるつもりか、お嬢様よ。
苦情代わりに恨めしげな目線を通り過ぎた建物へと振り返らせた。
すると梢の隙間に覗いた尖塔のてっぺんに大きな十字架が刺さっているのを認めて途端に俺は不審げな顔になる。
「もしかしてあれは教会か?」
「ええ、チャーチです」
柏木の背に問うと、彼女はやはり振り返りもせずに答えた。
俺は首をひねる。
たしかチャーチとはパブリックな教会のことであったはず。
ということはつまり牧師とか神父が常駐しているまあまあガチな奴だ。
「なんでそんなものがここにあるんだ」
「曽祖父がプロテスタントでしたので」
的を射ている返答のようでいて、よく考えるとそうでもない。
ひいじいちゃんがキリスト教徒なら敷地内に教会があっても普通なのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが俺はあえて別の質問に切り替えた。
「ずいぶん古そうだが、もう使ってないのか」
「いえ、いまでも毎週礼拝を行なっています。
ようやく振り向いた柏木が足を止めたので、俺はあわてて首を振った。
「いや、いい。それよりいつまで歩けばいいんだよ。もういい加減疲れたぜ」
文句を口にすると彼女はへらりと口角上げ、再び背を向けて歩き始める。
「いい運動になるでしょう、石破先輩」
「ふん、余計なお世話だ。ところでさっきのはいつ頃建てられたものなんだ」
目を向けると教会は早くも薄暗い木立ちの影に消えていた。
「詳しくは知りませんが明治か大正時代ではないでしょうか。なんでも元は賓館だったらしいですよ。現在聖堂になっている一階部分はダンスホールだったとか」
ちょっと驚く。
「そりゃまるで華族屋敷だな」
「まるでではなく実際、戦前までは公家由来の華族が所有していたようです」
なるほど、そういうことならこの敷地の広さにもうなずける。
「没落したのか。その華族は」
「さあ、どうでしょうか。それ以上のことは知りません」
柏木はそういってわずかに肩をすくめた。
そのときだった。
突如、禍々しい槍のような気配に射抜かれて俺は立ち止まった。
それが凄まじい怒りと警戒心を孕んだ霊気だということはすぐに分かった。
俺は意識のすべてをそこに向ける。
間合いはかなり離れているはずなのにそれでもチリチリと肌を焼き焦がすような猛々しい威圧感。
意識に次いでおもむろに視覚を向けると樹林の奥、その一角だけまるで水墨画のように色彩を失っていた。
俺はそこから目を離すことなく左手中指と人差し指をそろえて額に当てる。
すると網膜の裏に血のような深紅の瞳を爛々と輝かせる白髪の少女が現れた。
『ミシャ、気づいてるか』
『ふむ、なかなか面白そうな奴だ。ワシを出せ。久しぶりに暴れてやる』
ミシャが不敵な笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
『いや、ちょっと待ってくれ』
『言っておくが舐めてかからぬ方が良いぞ。なかなかの手練れじゃ』
俺は警戒を緩めることなく顎を引いた。
『ああ、分かってる。けどな、殺気がなんだかおかしい』
『どこがおかしい。奴め、貴様の素っ首など一瞬で刎ねてやると息巻いておるぞ』
ミシャの顔が怪訝に歪む。
そして苛立ちを隠さず、歯をカチカチと鳴らした。
俺は彼女を刺激しないように冷静に答える。
『……なんだか揺らいでいるんだ』
『揺らぎ? なんだそれは』
『さあ、なんだろうな。はっきりしないが、ためらいというか、迷いというか……』
俺にもよく分からない。
けれどいずれにしてもこいつは単純な悪霊というわけではなさそうだ。
なんとか正体を確かめたい。
『とにかく、やはり少し様子を見させてくれ。もしかすると今回の依頼に深く関わっているかも知れないからな』
俺はミシャに片目をすがめて頼む。
すると彼女はしばし剣呑と俺を睨みつけ、それから不貞腐れた子供のように口を尖らせた。
『ふん、相変わらずの物好きだな。まあいい、好きにしろ。ただし油断するなよ。手に負えん場合はすぐにワシを出せ』
俺は内心で了解を呟き、ひとまずミシャとの通信を切った。
彼らを人間に置き換えるとするなら、やさぐれた中学生というのが最も当てはまるかもしれない。
自暴自棄になり、自己承認欲求のために誰彼かまわず暴力を振り撒くあたりそっくりだと思う。
要するに寂しいのだ。
誰かに話を聞いてもらいたいのだ。
しかし素直にはなれず、結局は捨て鉢になって暴れている。
だからとことん残心を聞いてやり、そしてタイミングよく背中を叩いてやれば彼らは自ずと成仏していく。
悪霊といえど根はそう悪い奴じゃない。
たいていの場合、初見でもそういった雰囲気が感じられるものだが、この霊体には一切それがない。
代わりになんというか、もっと強い意志のようなもの。
張り詰めた緊張感。
そう、まるで巣を護ろうとする野生動物のような。
俺は霊気が放たれている雑木林の一角に焦点を合わせる。
そしてなんとか悪霊の本意を読み取ろうとするとその矢庭、脳に声が響いてきた。
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