伝播する神話

 夜の神はしいぎゃくされ、夜明けの神に代替わりした。

 今やイグラスの全員が、それを認識している。

 なぜならば、夜明けの神のきょうが一人、セルシアという名の長命種が、何度も人々に歌って聞かせたからだ。


大樹のめぐみにいだかれて 闇に眠りし者達よ

今イグラスのは明ける 新たなる神迎え入れ

せまりくる朝にそなえよ 大聖堂のかねが鳴る

昨日に去りし夜の神 惜別せきべつの波押し寄せて

世界は沈む海の底 二度と戻れぬ夢なれば

目覚めてふるえ明日のため 新たな神の名のもとに

神の隣人りんじん迎え入れ 共に祖国を盛り立てよ

夜明けの神よごらんあれ!

夜明けの神のご加護かごあれ!


「聖歌隊でも、今度あのお歌をやるそうです。僕が司教様の役になりました! やっぱりお顔が似ているからですかね!」

 ウルスラがうれしそうに従兄弟いとこに報告する。しかし、従兄弟はちょっと困り顔で微笑ほほえんだ。

「ああ、あれね……。正直歌いきたよ……。ホントはもっと自由に色んな歌を歌いたいんだけどね……」

「あらら……。それじゃ、僕がとびきりがんばって、セルシアお兄ちゃんの出番を無くしちゃいますね!」

「それは……ありがたいな。ぜひ頼むよ。……ところで、げきの件なんだけど。その後は大丈夫? なにもされてない?」

「……はい、今のところは……。……僕の声ってそんなに大事なんですかね……」

 長命種という存在が明らかになり、夜明けの神に仕える司教達が続々と長命種に転じていくと、人々の中にウルスラを子供の段階で長命種にしてしまおうという過激派が出てきた。天使の歌声を持つウルスラが、将来声変わりをしてボーイソプラノとしての価値を失うのを良しとしない一派だ。

 一度だけ本当に危険な目にって、ウルスラはあやうく去勢きょせいされそうになっているところをガンホムひきいる黒天騎士団に助けられた。それ以来、ウルスラは歌をセルシアに、しんじゅつをガンホムに、それぞれ習いに通っている。

「やっぱり、人口自体がぐっとっちゃったからねぇ。らくえているというか……君に救いを求める人達が出てくるんだよ。これは音の民の宿命だと思うしかない。」

 過去の自分にも心当たりしかないセルシアは、強く生きてくれと願いながら小さい従兄弟の頭をでた。

 危険な目にわせたくないだけなら、歌など禁止してしまえば手っとりばやい。しかしそんな非道なことを、セルシアやディゾールが実行できるわけがないのだった。


「でも、そうだな……。ウルスラだけが注目されている現状がよくないと考えたら……僕がボーイソプラノで歌えばいいのか!」

 なにかトンデモナイことを言いだしたな、この歌の神様は。ウルスラはぜっして従兄弟を見つめた。恐らくきっと、できないことではないのだろう。ウルスラは従兄弟の才能がとどまるところを知らないのを十分に理解していた。しかし。

「ちょっと……それじゃあ、セルシアお兄ちゃんを休ませてあげようっていう僕の計画が台無しじゃないですか!」

「いやいや、僕がボーイソプラノを歌えることが知られれば、僕に依頼される曲のはばもぐっと増えるはずだからね。飽きなければいいんだよ」

「僕の出番を残しといてくださいよ!」

「えー? それは保証しかねるなぁ。チャンスが与えられるのを期待するんじゃなくて、もっと貪欲どんよくに生きないとだめだよ? 君はまだまだ若いんだから。その歳で街の女の子全員抱くくらいの……」

「セルシアさん。今はお歌の指導に集中してくださいね?」

 それまでじっとだまって部屋のソファでニコニコしていたセルシアの最愛の人が、ニコニコ笑顔のまま彼を牽制けんせいする。

 セルシアとウルスラは、お互いにそっくりな顔を見合わせて、そっと瞠目どうもくした。



──────

 快楽都市ルグリアがほろんだという。

 炎上し一夜にしてしょうしつしたという。

「あの街はあまりに人の道を外れすぎた。滅んで正解だったのさ」

 とあるさびれた街酒場、傭兵ようへいくずれがくだを巻く。

「俺ァいちどあの街に行ったことがあるが、なんでもかんでも金次第。音の民の奴らは足元見やがって、抱かれるしか能のねえ連中のくせに俺のことバカにして、何様のつもりだってんだ。全部燃えてせいせいしたぜ」

「あら、音の民が嫌いなの?」

 一人の若い女が寄ってきて彼の前に座り、小首をかしげる。さらりとしらぐもりの金色のうつくしいかみれて、その奥のがいのないほほを彼だけにさらした。傭兵は目ざとくその耳を確認してからはいかたむけ、弁論をどうしゅうせいした。

「あの街の奴らがきらいなのさ。音の民はイイ……流れの奴らには俺も世話になってる……だがルグリアの高慢こうまんちきな奴らはダメだ」

「なら良かったわ。お兄さんのお手伝いができそうだもの」

 女が可愛かわいらしく微笑んだので男は期待に胸をたからせつつ女の来た方を見遣みやり、一瞬顔を曇らせてから、大人の余裕を見せようとたしなめる。

「お前……お前はあっちの兄ちゃんらのモンだろうがよ……」

 隣のたくに座っていた黒髪の青年がエールを片手にやれやれという顔で首を振った。

「たしかにエルマリは俺の子飼こがいだが、仕事相手はそいつの自由意志に任せてある。お互いが良いってんなら俺は何も言わねえよ。だがな」

 ダン、と卓に杯を叩きつけ、体格の良い彼は傭兵にすごみを利かせる。

「そいつの具合が良かったら、もうルグリアの悪口はやめろ。俺達の故郷なんだ。俺の妻と子があの火事で死んでんだよ。なんも知らねえクセにバカにされんのはえられねェ」

 まさかこんなへんぴな街にルグリアの人間が流れてきていると思っていなかった傭兵はあわてた。

「へっ、へへ……じゃあ、じょうちゃんもルグリアの子なのかよ……」

「そうね。私達はじゅんぎょうでたまたま街を出ていたの。でも先入観はイヤよ、私を見て、聞いて……ほら……」


 仲間のエルマリが営業に入ったのを横目で見つつ、ミリヤラはウイリマの意識をらそうとわざとらしい溜息ためいきをついてみせた。

「あーあ。セルシアの帰ってくるとこ、無くなっちゃったねぇ」

「ごめんなさい、ルグリアを離れることになってしまって……」

「まあ、残ってたってどうせ家族を逃がせやしなかったさ。少なくとも俺達は、ハワトリさんのおかげで今生きてる。気にしないでくれ。」

 ウイリマは今回の巡業の依頼人に明るく笑ってみせた。

「それに、あいつはどこでだって楽しく歌ってるさ。俺達が無事なら、あいつもきっと無事だ。ルグリアと伝説の吟遊詩人のうわさをバラまいて、いつ帰ってきても俺達の場所が分かるようにしといてやろう」

「あー、それ良いねぇ! どんどん話盛っていってさぁ、スケールがよりデカい方に進めば僕達がいる、とかね!」


 いつしか音楽の神セルシアと、彼を追放したために滅びたルグリア、という皮肉な伝説がでっちあげられ広まっていくのだが、それはもっと先のお話。

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