第十四回「夕暮れ時のセンチメンタル」前半
✩
数日後の放課後。
西陽が強く職員室がオレンジ色に染まっている。
その窓から目視できるグランドでは野球部が守備練習に勤しんでいた。一年だからまだ球拾いの黒川が一生懸命に声を出している。既にボロボロで泥だらけなのは青春を謳歌している証拠。羨ましい。
緑川先生に呼び出された俺は内心居心地の悪さをこの身へ受けながら、それをおくびにも出さず作ったスマイルを心掛ける。
幸い教師達は部活の顧問をしている人が多いから、この空間には片手で数える程しかいなかった。
この前警察にご厄介になったばかり、その方がありがたい。
実際残っている先生達は冷ややかまた初めから存在しない者の如く空気扱い。学校一の問題児相手だ、対応の仕方によっては安定している公務員を棒に振るかもしれないから関わりたくないんだろうな。
「お疲れ様っす緑川先生。相変わらずお綺麗で」
「……おお、来たか蒼山。そんなわかりきったことはどうでもいい。私は美しい」
「社交辞令っす……。で、何か用ですか?」
「悪い、ちょっと用事を頼まれてくれないか?」
一旦手を休めた軍曹殿、共用の珈琲では満足できないのか、しかめっ面浮かべ珈琲を飲みながら机上にあるノートパソコンも停止、こちらに椅子ごと向くと軍曹殿は足を組み黒タイツがあらわになる。
「またっすか?」
「そう邪険にするなよ。今度居酒屋の料理持っていってやるからさ。研究したいんだろ?」
「……それは随分と魅力的な提案です。高校生だからバイトでない限り居酒屋は敷居が高いっすからね。焼き鳥屋、天麩羅屋、懐石料亭、高級寿司屋、一般定食屋以上のキャパシティを味わってみたい」
「おいおい、高いところは無理だからな。できても焼き鳥屋かおでん屋ぐらいだ」
軍曹殿は俺とメールやチャットとかやり取りするから、こうしてよくこき使われる。でも、この人の為ならどんな汚れ仕事を押し付けられてもやるのはやぶさかではない。
「それでオーダーは?」
「保健室に行って書類を取って来てほしいんだ。身体測定の結果が書いてある用紙」
「またハードルが高いことを….…。先生公認ならお咎めはないでしょうが、バレたらまた生徒達に恨まれるっすよ。特に女子は陰湿だから噂になって孕まされたぐらいに拡大してるかも」
「だから早く取って来てほしいんだ。今なら保険の村咲先生がいるはずだ」
「自分で行ってくればいいじゃないっすか?」
咲村伊織先生。保険室の主。美人保険医で男女問わず人気がある。緑川先生とは親友で酒飲み仲間。
俺は苦手な人種。普段は女神だが酔ったときフェロモンが半端なくてサキュバスになる。酔った勢いでチャットにセミヌードの写メが来たときは流石に焦った。
「酒代で給料まるまる没収されるぐらい借金が溜まっているから行きづらい。返すつもりはあるんだが……気付いたらなんか借用が増えているんだ」
「清々しいほどのクズっすね」
「うるせ、糞ガキ。親友だから良いんだよ。あ、ついでにこれも村咲先生に渡してくれ」
と、一杯物を置きすぎて地層になっている机の上から封筒を発掘。近くの綺麗な安全地帯には、先生ご自慢の愛猫マロンちゃんの写真が飾られていた。
抜き打ち訪問を口実に、俺の家で居酒屋代わりに酒飲む度、お利口だとか健気に帰りを待っているとか猫自慢が始まるのでいつも辟易している。
この前なんてマロンちゃんがグレたと深夜三時ぐらいにチャットが来た時はキレた。
「了解っす」
「伊織に金のこと聞かれたら必ず返すと伝えてくれ。スマホは電気代払えないから止められて充電できないんだ。別に催促が怖くて電源切っているわけじゃないぞとな」
「今俺をスマホで呼び出したっすよね?」
「察しのいいガキは嫌いだぞ。私は言うことを素直に聞く馬鹿が好きだ」
また殴られたいかとニコニコ微笑みながら拳を作る軍曹殿。対して俺は「イエスマム!」と無条件で降伏、服従の敬礼した。
「罰として破けた私のスーツ縫っておいてくれ。マロンちゃんに引っかかれた」
「別にいいですけど、俺は緑川先生の奥さんじゃないんだけどなぁ……」
「私はいつでもウエルカムだぞ。卒業してからなら。お前が旦那なら申し分もない。毎日飲んでも怒られないからな」
「全然嬉しくないっすよ。こんな猫キチの上に酔っぱらい」
「マロンちゃんを馬鹿にするな!」
そういうとノートパソコンのスクリーンセーバーに映っているマロンちゃんへホウズリする軍曹殿。これでも恩師なんだよな……。可愛いけど。でも憧れと尊敬が強くて恋愛対象にはならないんだ。勿体無いな。
誰か貰ってくれないか? 優良物件だぞ。金銭感覚がザルで酒癖悪いけど……。
じゃ、ちゃっちゃと行ってきますよと、「いいか蒼山、私とマロンちゃんの出会いはな——」俺は軍曹殿のマロンちゃん自慢が始まりそうだったのでそそくさと職員室をあとにした。付き合ってられない。
廊下に出るとここも夕焼け小焼けが似合う秋に侵食。落ち行くおひさまから照射されて長く伸びた影はくっきり壁へ現れ別の空間にいるようだ。
赤光と陰影が相まって通常よりノスタルジックな世界へと変貌する。宙に舞っているハウスダストが別の物質と化して輝いていた。
……なのだが雑音酷いな。下校時間が過ぎてもまだ女共は色んなとこでクチャベっていた。
他人のコイバナや他人の噂を伝言ゲームのように拡散している。今はネット社会なのだが直じゃないと話せられないこともあるんじゃないかな。
異炉端会議の精神はこうして育てられるのだ。俺にはついていけない世界かもな。
『生徒会ってなんで武者小路さんだけなの?』『知らないの? 会長が気に食わないから追い出したらしいよ』『えー? まじか。痴情のもつれとか?』『何でも方針の相違で会長と他の役員達が対立。中立の立場をとっていた副会長が間を取り持っていたけど、とある事件で大暴発。会長が皆を追放したらしいよ』『で、居心地が悪くなり副会長も辞めたと?』『だろうね』
本当かよそれ? ま、こいつらの言っている事は伝言ゲームだがらほぼ当てに出来ないからデマだろう。じゃなかったら俺が悪事の限りを尽くす女泣かせなロクデナシなんて噂は流れない。
でも、火のないところに煙は立たぬというし、何となく気になる案件だ。
立ち止まり気になって耳を立ていたら、『ちょっとヤバイ奴がいるよ?』女子達が俺の存在に気付く。
『不良の蒼山が私を睨んでいる? もしかしてターゲット? あいつは絶世の美少女しか狙わないから』『いやいや陵辱王が今度は私をターゲットにエロいことを』『いや私が孕まされる』『私がエロ動画デビューさせられる』
などと妄想を口にして馬鹿女共はそそくさと逃げていった。
誰がお前らみたいな他人の噂を流して楽しんでいる雑魚に手を出すかよ。
「…………おっと、こんな所で道草している場合じゃない」
早くしないと、軍曹殿がまた我が家へ突撃してうざ絡みしてくるからミッションを完遂しないと。
目的地である保健室は校舎一階奥の袋小路だ。先程とは打って変わって周囲が静まりかえっている。多分医療目的の性質上、人の行き来がほぼ無い場所に設置しているのだろう。
俺は速やかにこの厄介な依頼を遂行するため、ノックしようとしたら扉が僅かに開いていた。中を隙間から確認すると、村咲先生は不在、保健室には誰もいないようだ。
なら余計な物音を立てず、とっととブツを回収して撤退したほうがいい。誰にも見つかりたくなからな。
保健室特有の消毒の匂いが充満していた。清掃はしっかりしてあるので保険医は伊達じゃない。あのプライベートがだらしない軍曹殿とは対局の存在だ。よく親友をやっていられるな?
さて、どこにある? 身体測定の結果表は。
だが、探すまでもなく机の上に無造作に置かれていた。あの人も結構いい加減だな。たかがガキだと個人情報舐めているぞ。
しかも量が鬼だ。どんなに頑張ってもニ往復は必要だ。
愚痴りながらも軍曹殿から頼まれたA4サイズの封筒を机の上へ置く。
そのまま覚悟を決めていかにも重量がありそうな紙の束へ手を掛けると、奥のベッドの方からガタッと物音がした。
誰かいるのか?
でも、カーテンがしてあるから全容が分からない。
可能性が高いのは村咲先生のイタズラ。あの人はよく隠れて俺をビックリさせようとする。
だから早く用事を済ませたい一心で俺は何も考えず、「村咲先生ここにいたんすか? また俺を脅かそうとしてもその手には乗りませんよ」シャッとカーテンを力に任せて開けた。
だが、そこにいたのはイタズラ好きの保険医ではなく、「きゃああああー!」上半身ブラジャーだけになっているソウルイーター先輩であった。
「………着替え中か」
「蒼山君、他に何か言うことないんですか?」
相変わらずの魂を吸い取られるような美貌、スタイルはシャープだが、少し痩せ過ぎているせいで緑色のブラジャーのサイズが合ってない。女子なのに香水とか使ってないから石鹸系ボディーシャンプーの香りが充満していた。
「肉付きがあまりよろしくないな。もっと食べたほうがいいぞ? 年頃でもダイエットは早すぎる」
「貴方は大バカですか……。謝罪が先でしょうが!」
気合の入ったグーパンでボディーを殴られた。みぞおちは結構ダメージがくる。
怒る前にせめて扉締切ってから脱いでくれよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます