第7話 これは、僕のスタートラインだ。


「たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします」


 一礼し、僕は配信を終了した。


 椅子の背もたれに体を預けて伸びをしながら長く息を吐く。


「んー……まあまあいい感じにはできたかな」


 手応えとしては『中々』といったところだ。


 今回の配信は、想定されていた中では最悪に近いケースではあったけれど、あくまで最悪にほど近いだけであって最悪ではない。百件に一件くらいの割合でまともなコメントが流れてきていたおかげで、コメントを拾ってお喋りをするという形を取れた。


 なんなら僕を手助けするようにコメントをしてくれていたリスナーさんもいたのだ。あの人たちには一人一人お礼のメッセージを送りたいくらいである。


 複数用意していたうちの一つの対処法を計画通りに行い、初配信は無事乗り切った。


 今後の配信も今回と同じように対応すれば、荒らしたいだけの人たちならばジン・ラースの反応のなさに飽きて離れていくだろう。反応のない相手にいつまでもかかずらうような根気は、荒らしにはない。


 となれば、残された問題は二つ。大きいほうと小さいほうがある。


 まず小さいほう。今回の騒動の火元である男女Vtuberのファンの人たちだ。


 ひとくくりに『彼ら』と呼ばせてもらうけれど、彼らはただの騒ぎたいだけの人たちとは熱量が違う。


 つい最近行われたライブ配信が原因だ。釈明に終始するかと予想されたが、実際にはファンに対して惚気るという、想像と常識と信頼を大いに裏切る配信になった。しかもそこからは音信不通。SNSも音沙汰なし。彼らは、想いを当人たちに届ける方法を失ったのだ。


 そんな中で、女性Vtuberばかりの事務所から僕みたいな胡散臭い男がデビューするとなれば、つい最近刻みつけられたトラウマを抉られる形になる彼らは過剰に反応する。致し方ないことだ。行き場を失い、臓腑ぞうふ滞留たいりゅうするどろどろとした悪感情は、一度すべて吐き出さないと気持ちの整理はつけられない。


 彼らの気持ちの整理がつくまで、どれくらい時間がかかるのかは見当がつかない。彼らが荒らし行為を働くのは怒りがあるからで、その怒りの源泉は反転した推しへの愛だ。感情の強さ、思いの丈は、他人である僕に推し量れるものではない。こればかりは時薬ときぐすりだ。


 時間をかければ怒りも薄まり、次第に冷静になる。冷静になれば、メリットは微塵もないのにリスクばかり多い誹謗中傷などという綱渡りなんてやめるだろう。なので、彼らが怒りを吐き出しきって頭が冷えるのを気長に待つしかない。


 だが逆に考えれば、結局は時間が解決してくれる。なので僕からするとこちらの問題もさほど重要じゃない。手間がかかって面倒なだけだ。


 なんなら矛先を僕にだけ向けてくれるのなら問題ですらない。同じ事務所だからという理由で『New Tale』に所属する人たちにヘイトが向けられる可能性があるので、ひとまず問題として取り上げている。このあたりのヘイトをコントロールしていくのが今後の課題になるだろう。


 僕が一番懸念しているのは残されている大きいほうの問題だ。


「最近の情勢見てたらある程度は覚悟できてたと思うけど、想像以上だったのかなあ……」


 礼ちゃんのことだ。


 礼ちゃんは今日、四期生のデビュー配信後に配信する予定だった。


 きっとデビューした後輩たちのことを配信で触れて、自分のところのリスナーさんにも興味を持ってもらおうとかって考えていたのだろう。精一杯背伸びした先輩ムーブだ。可愛い。


 しかし礼ちゃんの──レイラ・エンヴィのSNSのアカウントからついさっき投稿では、体調不良で今日の配信をお休みするとあった。


 十中八九、僕の配信を観たのが原因だろう。


「どうするべきかな……」


 礼ちゃんは僕をVtuberという世界に誘った張本人だし、感じなくてもいい責任まで重く感じているのかもしれない。


 僕の初配信を観て礼ちゃんがショックを受けているのならフォローしないといけない。しないといけないが、どう動くのが適切なのかわからない。


 直接礼ちゃんに話しかけに行っていいものなのか、それともクッションを挟む形でメッセージアプリ越しに様子を見てみるべきか、もしくは礼ちゃんの気持ちが落ち着くのを待つべきか。


 背もたれに体重を傾けながら、スマホをちらりと一瞥して、扉の向こう側で足音がしていないか耳をそばだてる。


 すると、スマホの画面が光った。メッセージアプリの通知を報せていた。


「……はは、いい子だなあ、ほんと」


 相手は礼ちゃんではなく、動画選考突破お祝い会や『New Tale』合格おめでとう会を経て仲良くなった礼ちゃんの親友、吾妻あづま夢結ゆゆさんだった。彼女とは時折メッセージアプリでやり取りするくらいには親しくなっている。


 そんな彼女から『とてもかっこよかったです。がんばってください。応援してます』とメッセージが届いていた。


 僕から伝えなくても夢結さんなら『New Tale』のアナウンスを自分で確認しているだろうけれど、デビュー配信の日と時間については一応伝えてあった。


 観てくれていたようだ。なんらかの不名誉な記録に残りそうな、あのデビュー配信を。


 全部観た上で、送ってきてくれた簡潔な応援のメッセージ。文面と文量以上に、気遣いと優しさが込められたメッセージだ。


「……うん、頑張るよ」


 僕がデビュー配信の日を伝えた時、夢結さんは『絶対推しますから! ていうかもう推してます!』と言ってくれた。デビュー前からだいぶ気が早くもファンになってくれていた。


 夢結さんは、ジン・ラースのファン第一号だ。その期待には応えたい。応援してくれた気持ちに報いたい。


 まだ配信者としての自覚も自負もないけれど、自信なんてもっとないけれど、ファンになってよかったって思ってもらえるような僕でいたい。


 夢結さんファンから届いた初の応援メッセージ。これは、ジン・ラースのスタートラインだ。


 メッセージをスクリーンショットで保存して、夢結さんに返事で感謝を伝えてからスマホをテーブルに置くと、僕は部屋を出た。


 *


「礼ちゃん、入るよ」


 ノックをし、声をかける。


 一瞬、小さく衣摺れの音が聞こえたので寝てはいないようだ。


 扉を開いた。


 礼ちゃんの部屋は明るい色合いなのに反発し合わないようにうまく整えられたお洒落な部屋だ。色鮮やかなコーディネートの空間に、いろんな世界観のぬいぐるみが居着いている。それらの大きなぬいぐるみは、UFOキャッチャーが得意な夢結さんからいただいたものらしい。


 普段なら賑やかで華やかな礼ちゃんの部屋は、今はどこかくすんだように色褪せていた。


 それはきっと、この部屋の主人が塞ぎ込んでしまっているからだろう。


「っ……ひっ……っく」


 ベッドの上には、ちょうど人一人ぶんくらいの大きな布団の塊があった。その塊はしゃくり上げるような音と一緒に小揺るぎして、声を押し殺したような小さな泣き声を漏らしていた。


 僕はベッドの端っこのほうに腰を下ろして、まるで子どもをあやすみたいに布団の塊をぽんぽんと叩く。羽化する前の蛹みたいに、塊はぴくっと身動みじろいだ。


「っ、なさい……っ、ごめんなさいっ……ひっぐ」


「なんで礼ちゃんが謝るの? 何も悪くないでしょ?」


「わ、私が、誘ったせいでっ……お、お兄ちゃんがいっぱい酷いことっ、言われて……うぐっ……ぐすっ」


「僕なら大丈夫だよ。最初から批判されることはわかってたんだ。何もなくても多少は燃えてたよ。ちょっとタイミングが悪くて、他の炎上の件も重なったことで大きくなっちゃっただけ。このくらい誤差みたいなもの。大丈夫、問題ないよ」


 『New Tale』から男性Vtuberがデビューするという時点で、大なり小なり炎上することは確定事項だったのだ。


 僕自身、人とちょっとずれた感性を持っていることもあいまってノーダメージなのだけど、しかし礼ちゃんはそう受け取ってくれなかったようだ。


「そんなわけ、ない……っ、そんなわけ……っ! 大丈夫なわけない!」


 激発するように、礼ちゃんは声を張り上げた。


 布団越しでよかった。緩衝材があったおかげで、礼ちゃんのその鍛えられた肺活量からの大音声が少しだけくぐもった。耳がきーんとするだけで済んだ。


「礼ちゃん、声大きいよ」


「お兄ちゃんがばかなこと言うからっ! こんなのっ、前働いてる時と一緒だよ! 自分の中だけで『大丈夫』って思ってるだけで、ほんとはストレスになってるの! わっ、私がっ、何回も! 何回も何回も何回も何回もつらくないのって、休まなくていいのって訊いてたのに! お兄ちゃんはいつも『大丈夫』って! お兄ちゃんはまた『大丈夫』って……っ、私のせいでっ、また『大丈夫』って……ぐすっ、ひっく……」


 礼ちゃんの話は途中から逸れてしまっていた。後半のほうは昔の、というほどには昔ではないけれど、前の会社で働いていた時の出来事だ。


「もしかして、自分のせいで僕が倒れたんじゃ……とかって思ってる?」


「だ、だって! そうだもん! 私のせいだもん! 学校に送ったりしなかったらもっと朝の時間にゆっくりできたはずだしっ、ご飯だって自分のだけならそこまで手間かからなかったはずだしっ、大事なお休みの日も私がわがまま言ってなかったらもっとたくさん寝れてたはずだもん! 忙しいなら洗濯も掃除も私に押しつければいいのに自分でいつの間にかやっちゃうしっ、制服だって私が放り捨ててたやつ気づいたらアイロンかけて置いてるしっ!」


 一言投げ返したら倍では利かないくらい返ってきた。今でも前の会社で働いていた時の小言はちょくちょく頂戴していたが、それでも言いたいことを全部は言えていなかったらしい。


 僕が倒れたことについて礼ちゃんが未だに言及するのは、礼ちゃん自身が負い目や引け目を感じていたからなのかもしれない。


「……ふっ、ふふっ、はは」


「なっ、なにがおかしいんだあ!」


 そうやって礼ちゃんが本気で、本心で、本音で僕の身を案じてくれているというのに、こんなに心配してもらえるなんて嬉しいなあ、なんてのんきに喜んでいる手の施しようのない兄がいた。


 でも、どうしようもなく笑ってしまう。口元が緩むのを抑えられない。


 礼ちゃんの不安はまったくもって的外れなのだ。


「礼ちゃんのおかげだったんだよ。続けられたのは」


「そんなわけないっ……。私はずっと、今もお兄ちゃんの負担になってて……」


「学校に送るまでの短い時間だったとしてもお喋りできたし、ご飯作ったらおいしいって言ってくれた。礼ちゃんも忙しいだろうに、休日はリフレッシュするためにいろんなところに一緒に遊びに行ってくれたよね。お仕事のことばっかり詰まっていた頭を空っぽにする時間を礼ちゃんがくれたから僕は頑張れたんだよ。礼ちゃんがいなかったら二年どころか半年も持たなかったと思う。負担だなんてとんでもないね」


「……わ、私がいたせいで二年もがんばっちゃって倒れちゃったってこと?」


「いつになくネガティブだね……違うよ。礼ちゃんがいなかったら倒れるだけじゃ済まなかったってことで、礼ちゃんがいてくれたら頑張れるってこと。顔を見せてくれて、お喋りしてくれて、笑ってくれていればそれだけで頑張れるってこと。だから今のままじゃ僕、頑張れそうにないなあ」


 わかりやすいようにオーバーにそう嘆けば、少し考えるように間を置いてから布団の塊がもぞもぞと動いた。


 ばっ、と掛け布団を跳ねのけて、礼ちゃんが僕の腕を抱え込む。


 ずっと布団に包まれていたからだろう、僕の腕を抱える礼ちゃんの体は火照っているかのように熱かった。


「私がいつも通りにしていれば……お兄ちゃんは平気ってことなんだよね?」


「そうだね。僕はコメントで散々に叩かれるよりも、礼ちゃんが悲しんでいるところを見るほうが苦しいよ」


「……ぐすっ、うん。わかった! もう気にしない! なにも気にしない! めんどくさいことぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜーっんぶ! 気にしない!」


「おー、その調子だよ礼ちゃん。その調子で顔を上げてくれると嬉しいな」


「それはだめ。いっぱい泣いて目腫れてるし、ずっとお布団かぶってたせいで汗もかいてるし髪もぐちゃぐちゃだし」


「あーあ、残念。それじゃすぐにお風呂入っちゃおっか。明日には目元の腫れもおさまってるといいけど」


「うん、わかった。一緒に入る」


「入るのは礼ちゃんだけだよ。僕はもう入ったし」


「なんで?! やっぱり私のこと嫌いになったんだあ?! うわああんっ、うえええんっ」


「いや、さすがにそこは勢いで誤魔化されないよ」


「ちっ……タイミングを逃したか。しかたないね、お風呂行ってくるー」


「はい、行ってらっしゃい」


 このままいてもすることがないので僕もそろそろ礼ちゃんの部屋をお暇しよう。


「……お兄ちゃん。せっかくVtuberになれたんだもん。……コラボ、しようね」


 ベッドから腰を上げようとした時、礼ちゃんがドアノブに手をかけながらそんなことを言ってきた。


 これは礼ちゃんなりの発破なのだろうか。僕が誹謗中傷コメントに負けてVtuberを辞めてしまわないように、礼ちゃんとコラボをするという目標を立てて気合を入れさせようと。


「うん。必ずしようね」


 炎上することはわかっていたからいい。時間が経てば落ち着くのだから、それまで待てばいい。


 ただ残念なことを一つだけ挙げるなら、火の手が上がり過ぎて礼ちゃんと遊ぶまでに時間がかかりそうなことくらいだ。騒動が収まってからでなければまともにコラボなどできないだろう。


 長い道のりだけれど、礼ちゃんと一緒に配信をできる日を夢見て頑張っていこう。


 決意を新たにして、腰掛けていた礼ちゃんのベッドから立ち上がろうとした時、こつん、と小指に硬い物があたる感触があった。


 礼ちゃんのスマートフォンだった。


 布団に包まりながらスマホで何かを見ていたらしい。点灯しっぱなしの人のスマホの画面を覗くのは明確にマナー違反だが、目を向けた際にその画面が視界に入ってしまったのだからこればかりは仕方がない。悪気はなかった。


 その画面には文章が表示されていた。僕のコミュニケーションアプリに送られていたものと同じ文面。おそらく所属Vtuber全員に送られただろう『New Tale』からのメッセージだった。


 あのメッセージを読んで、礼ちゃんはどう思ったのだろうか。


 件の男女Vtuberの一件がどう変遷するかわからないので具体的な対応策は書かれていなかったけれど、事務所のスタッフさんたちが僕を守ろうとしていることは伝わるはずだ。


 とはいえ、不安ではいるけれど。礼ちゃんは心配性だから。


 つらつらと考えつつ、僕は礼ちゃんのスマホをスリープ状態にして枕の近くに置いた。ベッドの中央にそのまま置いていたら何かの拍子に踏んづけたりして画面が割れてしまうかもしれない。


 礼ちゃんがお風呂に行ったことだし、僕も自分の部屋に戻ろう。これからどう動くかの話し合いもしなければいけないのだ。


 *


 翌日、未明。


「……うん?」


 ベッドで寝ていると、かすかに、でも確かに聞こえた礼ちゃんの苦しむような声で目が覚めた。


 礼ちゃんの部屋にノックもせずに入る。


 礼ちゃんは苦悶の表情を浮かべながら、縮こまってうなされていた。いつも掛けているキルトケットは足元で丸まっている。寝苦しくて蹴飛ばしたけれど夜が更けて寒くなったのだろうか。


 キルトケットを掛けようとベッドの側まで近寄った時だった。


「っ……ごめ、なさ……っ。お兄ちゃ……わ、私、が……っ」


 寝言で、繰り返し繰り返し礼ちゃんは謝っていた。ずっと、何度も、ぽろぽろと涙をこぼしながら謝っていた。


「せめてゆっくり寝てほしいんだけどな……」


 優しく真面目な礼ちゃんのことだから、起きている間もふとしたきっかけで思い詰めるようなことがあるだろう。ならせめて寝ている間くらいは心穏やかに休んでほしいと思うけれど、就寝中こそ無意識的に罪悪感が浮かんできてしまうのかもしれない。


「ごめ……なさ……っ」


「…………」


 顔にかかる前髪を左右に分けて、ゆっくりとあやすように礼ちゃんの頭を撫でる。


 苦手なのにホラー映画を観て、案の定夜一人で眠れなくなって添い寝する時は、こんなふうに撫でてあげていれば悪夢に魘されることもなく寝ることができていた。礼ちゃんが幼い頃にそうやって寝かし付けていたから、条件反射みたいになっているのだろう。


「ううっ……う……」


 同じように、少しでも嫌な夢を見ずに寝られるのならと思って試してみたけれど、思いのほか効果がありそうだった。


「……よかった」


 もう悪夢は過ぎ去ったようだ。


 今では撫でをねだる犬のように、僕の手に頭を押しつけてくる。時折ふにゃっと緩む表情が愛らしい。


 片手で撫でながら、もう片方の手で涙の跡を拭い、キルトケットを掛け直す。


 気づけてよかった。礼ちゃんが魘されているのに気づけなかったら、礼ちゃんは起きるまでずっと悪夢に苛まれ続けていたかもしれない。


 そして、これは今日一日だけとは限らない。もしかしたら明日も明後日も同じようなことがあるかもしれない。夜は注意しておいたほうがいい。


 礼ちゃんが穏やかに寝息を立てるようになってからも、窓の外が白み始めてからも、僕は礼ちゃんが目を覚ますまでずっとそうしていた。


 *


「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生、ジン・ラースです。初めましての方は初めまして。昨日の初配信を見てくださった方は再びお会いできて光栄です」


 初配信の次の日の夜、記念すべき二回目の配信だ。


 活動し始めたばかりのど新人にしては視聴者の数はとんでもなく多いけれど、おそらくまともな視聴者はその一パーセントにも満たないのではなかろうか。


 今日も今日とて賑わっているコメント欄が僕の推測を証明してくれる。肥溜めと大差ないほど汚い言葉が大量に不法投棄されているのだ。


 ただ、ごく稀に応援してくれる人もいた。『楽しみにしてた!』とか『五時間前から待機してました』なんて怖嬉しいコメントを送ってくれている。まさしく掃き溜めに鶴の如し。


「今回はとあるゲームをプレイさせてもらおうと考えております」


 僕の配信を見てくれている視聴者の画面の右斜め下のあたりには、Live2Dのジン・ラースがバストアップで映っているはずだ。


 雑談配信でもするのなら角・耳・翼・尻尾ありの完全悪魔形態でもいいだろうけれど、ゲーム配信時はコウモリのそれを更に邪悪にしたような、大きく広がる翼が邪魔になる。なので今は角と耳だけ悪魔の状態になっている。


「説明も不要なほどに大変人気のあるゲームですね。他の配信者様方、なんなら『New Tale』の先輩方もプレイなさっていますし。今日は配信タイトル通り『Islandアイランド createクリエイト』をやっていこうと思います。皆様ご存じアイクリですね」


 『Islandアイランド createクリエイト』は、いわゆるサンドボックス系のゲームだ。一言で表現するなら、プレイヤーのできることが非常に多いサバイバルゲーム、といったところだろうか。建築なり戦闘なり冒険なり、自由に遊び尽くせるのが魅力のゲームだ。


 ちらりとコメントに目を向ければ、なんとも激しく文字が踊っている。


〈NTの鯖入んな〉

〈関わんな〉

〈今すぐ閉じろ〉

〈消えろ〉

〈一人でやってろ〉


「ご安心ください。フィールドに降り立ったらすぐに人里から離れますので。先輩方や同期の皆様の手をわずらわせるようなことはしませんよ」


 このアイクリ、もちろん一人でも楽しむことができるけれど、サーバーを立てればいろんな人と一緒に楽しむことができるのだ。一緒にボスを倒しに行ったり、一緒にのんびりと資材を集めに行ったり、一緒に駄弁りながら建築したりなどなど。そういったマルチプレイをできるところが受けて、多くの配信者がこのゲームを配信に使っている。


 企業勢だと、一緒のサーバーでプレイしている配信者との予期しない絡みがあったりして、そういったところも見どころの一つだ。


 そう。他の配信者と、つまりは『New Tale』の先輩方や同期たちと絡むことがあるかもしれないということで、推しのいるリスナーさんたちは危惧しているのだ。


 リスナーさんたちが警戒していることもあるし、なにより僕だけならともかく先輩方や同期たちにまで迷惑をかけたくはないので、僕も近づくことはない。


「立派な街ができていますね。さすがは先輩方、とてもセンスがあります。僕はこういった芸術的なセンスに欠けるので、とても尊敬します。さて、それではすぐにお暇するといたしましょう。しばらく進んで山のようなところを越えれば、先輩方の作業のお邪魔にもならないでしょう」


〈少なくとも俺の邪魔だわ〉

〈新しい鯖立てて一人でやったら文句なしだな!〉

〈鯖入ったらまず挨拶しろよ〉

〈Vtuberやめろ〉

〈絶対話しかけんなよ〉

〈がんばって〉


「はい、頑張ってやっていきますね」


 裸一貫でフィールドに降り立った後は、そそくさと先輩たちが開発した土地から離れる。


 せめて礼ちゃんが作ったものだけでも見たかったが、わざわざリスクを負ってまで見る必要はないと割り切って、後ろ髪を引かれる思いで先輩方が手をつけていないエリアまで移動する。


 一山を越えて、越えた先にあった湖っぽい水辺の反対側まで移動したところで、ようやくサバイバルスタート。


「では、このあたりで始めましょうか」


 そこからしばらく、まともに意思疎通できるリスナーさんのコメントを拾ったりしてお喋りしながらのんびりと進めていった。


 このゲーム、プレイヤーがやろうと思えばやることは本当に多岐に渡る。先輩方のようにお家や街を作ったり、ラスボスに設定されている強敵を倒したり。


 だけれども、そんなに生き急いでラスボス攻略に邁進するというのも味気ないだろう。RTAリアルタイムアタックを目指しているわけではないのだ。


 とりあえずは初心者らしく活動しよう。


 何はともあれ、サバイバルといったらまずは拠点作りである。


 最初は木を素手で削り倒し、その木を木材にし、木材から作業を効率化させる道具などを製作する。道具を作ったらフィールド上をお散歩している動物を探し歩き、その動物を転がしてお肉やら毛皮やらのアイテムを頂戴する。とある動物から拝借できるアイテムが、セーブポイントとなるベッドを作るために必要なのだ。


「立派なマイ掘立てハウスが完成しましたね。いやはや、めでたいです。屋根とベッドさえあれば、後の生活なんてどうとでもなりますからね」


〈センスごみか〉

〈掘立てハウスw〉

〈建築時間三十秒〉

〈ほんまにセンスなくて草〉

〈犬も逃げ出すわこんなん〉

〈向きとか色とかぐちゃぐちゃ〉

〈時々土使ってるのなんなん……〉

〈A型を殺す家〉

〈おっそ〉

〈かわいいログハウス〉

〈積み木だろこれ〉

〈へたぬそやん〉

〈キャラコンだけはうまいせいでセンスのなさが強調されてる〉

〈猟師かよ〉

〈エイムやば〉

〈へたぬそww〉

〈へたぬそワロタ〉

〈君日本語へたぬそやな〉


「ま、まあ……ここはあくまで仮の拠点ですからね。とりあえず夜を過ごせればそれでいいのです」


 木材その他諸々を利用して簡単な家を作った頃には(ゲーム内時間で)日が完全に暮れていた。優しいリスナーさん評の『かわいいログハウス』とベッドが初日にできただけ充分な仕事だろう。


 夜になると敵がわんさか湧いてくるのでお布団に包まれて就寝。四方八方を囲まれない限りはどうにかできる自信はあるけれど、まだ木製の剣と無理して作った弓矢しかまともな武器がないのであまりバトルはしたくない。ちなみに防具なんて大層なものはない。素っ裸である。


「第一目標の拠点は完成しましたので、次は第二目標です。文明を進めましょうか」


 次はツルハシを使って採掘しに行く。


 所持している道具があまりにも貧弱なのだ。石でも鉄でもなんでもいい、もう少し使い勝手のいい道具が欲しい。同時並行で光源を確保するための燃料も産出されれば大変都合がいい。


 何も考えずに適当に家の近くから掘り始めた坑道とログハウスを何回か往復して光源などの消費アイテムを製作したり素材を貯蓄し、そろそろ使っている道具を全部アップグレードできるかな、と思っていた時だった。


 無駄に視聴者数が多いせいで元からコメント欄の流れは速かったが、なぜかここにきて一段階ぐっと加速した。


〈容量割る〉

〈切り抜きシーンが見られると聞いて〉

〈偏差完璧かよ〉

〈配信者の存在以外はストレスフリーやな〉

〈Vtuberやめろ〉

〈キャラコン○〉

〈お兄ちゃんさんちすちす〉

〈お邪魔しまっす〉

〈草〉

〈養老悪い〉

〈ぜったいFPSやってるでしょ〉

〈お兄ちゃんさん見てるー?〉

〈誤字りまくってる奴おるな〉

〈流れはや〉

〈おもしろくなると聞いて〉


「ん? あれ、なんでしょう? えっと、とりあえず……いらっしゃいませ? ごゆっくりどうぞ」


 コメント欄にこれまでにない流れを感じた瞬間、異音を聞き取った。


「えっ……」


 がちゃり、と扉を開く音がして、僕は思わず振り返った。

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