第6話 誰よりも深く心を痛めているのは、

 『あんなにっ、ぐすっ……ジンくん一生懸命、がんばったのにっ……ひっく。こんなの、ひどいよ……っ』


 配信最後にあった、誠実でひたむきさを感じる決意表明とも取れる発言を聴いてアイニャの涙腺は崩壊していた。ぼろ泣きだ。


 ウィーレは言葉にはしないものの心に響くものがあったのか、息を呑むような音が聴こえた。


 エリーも泣いていたが、声を殺そうと努力している。時折詰まるような吐息が耳に入った。


「あんな状態でよくやってたよな。自分があの立場だったらって思うとぞっとするわ」


『……うん。……きっと、なにも喋れなくなる。……黙り込む』 


 記念すべき初配信の後だというのに気分の良くない余韻にひたされていると、電子音が鳴った。メッセージを受信したようだ。


 ほんとうなら初配信後、これからのおおまかな活動の方針や次の配信予定日時などを、開設したばかりのSNSで発信していく手筈だった。


 うちらがいつまで経っても動かないから、事務所のスタッフが痺れを切らして催促のメッセージを送ってきたのかと思ったが、確認してみるとそうではなかった。うちら四期生にだけ送られたのではなく、所属しているライバー全員に送られていた。


「なぁ、事務所からのメッセージ見たか?」


『ひっく……ぐす、なに? めっせーじ?』


「アイニャ見てねぇのかよ。今事務所からきたんだよ。メッセージ確認しろ」


『……見た』


『なに……なんですか、これ……』


「どう思った?」


『どうもなにもっ! 「New Tale」がこんな対応をするなんて……っ!』


『……残酷、ではある。でも……間違ってない。彼に話を通しているのなら……間違ってない判断』


 事務所からのメッセージの内容を要約するとこうだ。


 まずジン・ラースについて。


 本人に非はないが、現状では手の打ちようがないため、ライバーは無闇に関わらないようにすること。


 これはうちがアイニャに説明したのと同じ意味合いだ。関わりに行ったところで被害が増えるだけ。事務所サイドからしてみれば、ジン・ラースだけで深過ぎる傷だ。傷口を増やすようなことにはしたくないのだろう。


 あとは、ジン・ラースのフォローにスタッフを回すので人手が足りなくなるところが出るかもしれない、騒動が一段落ついたら案件をジン・ラースに融通するので所属ライバー各位には理解してもらいたい、といったもの。ジン・ラースへの支援と補填はしますよ、それで作業が遅れることがあるかもしれないけど多めに見てくださいね、という通達だ。


 次に、配信中の対応について。


 リスナーからジン・ラースについてかれた時は嘘偽りなく答える、嘘をついて誤魔化したり隠したりすることが一番悪手である、とのこと。


 すべて包み隠さず正直に言え、という対処法はめずらしいように思う。ふつうはそういうコメントをつけられても拾わないように、と指導するだろう。


 今回の場合はそもそもの原因がジン・ラースになく、所属ライバーがジン・ラースのことを知らないからこそ取れる方法だ。


 ライバーはリスナーにどんな質問をされても『わからない』『知らされてなかった』と答えることができる。


 いや、そう答えるしかないというのが正しい。


 コミュニケーションアプリのIDも知らない。顔合わせの場にもこなかった。そもそも物理的に交流する方法がない。そう論理的に説明されれば、荒らしたいだけの外部の人間はともかく、冷静に考えるだけの知性が残っているファンたちはある程度溜飲が下がるだろう。


 効率性を重視すれば、この手段が最も負担が軽く済む。リスナーへも真摯に対応できる。嘘をつかなくていいし、面倒も少ない。


 まぁ、感情を度外視できればの話だが。


『こんなのっ、こんなのひどい! ひどすぎるよ! ジンくんを見捨てるって言ってるのとおんなじだ!』


「見捨ててるわけじゃねぇって。見捨てるつもりなら丸く収めるためにこんなに考えを巡らせねぇよ」


『私たちはラースさんの連絡先を知らないから……ラースさんになにも言うことができない。初配信、あれだけ酷いことをされていたのに負けずに立派にやり遂げたこと、とても格好良かったですって伝えたくても伝えられない。周りの人たちがどれだけ悪口を言ってきても私たちはあなたの味方ですって寄り添ってあげられない……っ。だからこそっ、せめて事務所はラースさんの味方でいないと……いけ、ないのにっ……なのにっ』


 嗚咽を殺しながら、エリーは言葉を絞り出していた。


 あまりにも優しすぎる二人が、その善良な精神が故に発作的に配信上でなにかしでかさないか心配だ。ジン・ラースに対して辛辣なコメントを見つけたら、この二人だと激しく反論してしまいかねない。


『……サイト』


 二人が迂闊な行動に出ないようにするにはどう伝えればいいだろうかと悩んでいると、ぽそりとウィーレが呟いた。


「ん? なんて?」


『……公式サイトに、炎上についてのお知らせ……もう出てる』


「はぁっ?! 早すぎんだろ!」


 確認してみたら、ほんとうに『New Tale』公式サイトに今回の件についての説明が記載されていた。


 要点をかいつまむと、こんな内容だった。


 今回男性ライバーを加入したのは『New Tale』が新たな一歩を踏み出すための試みであって、これまで『New Tale』を応援してくれていたファンをいたずらに刺激する意図はない。これからも男性ライバーは厳正な審査の上で折を見て増やしていく意向。


 そして『New Tale』は犯罪行為については厳格に対応していく、という旨がつづられていた。所属ライバーの配信、SNSなども含めて、法に抵触する行為を発見、あるいは所属ライバーから報告を受けた場合、法的措置も辞さない。とのこと。


 硬っ苦しい言い回しだったが、要は既存ファンへの釈明と、荒らし行為を行う者に対しての牽制というところだった。


 『New Tale』は、ちゃんと所属ライバーとファンのことを考えている。


 そこはもちろん評価するが、うちがなにより感嘆したのはその発表までの早さだ。


 なんせジン・ラースの配信が終わってまだ十分も経っていない。この短時間で責任者を集めて協議して『New Tale』としての見解を書面にして公式サイトに掲載するのはどう考えても無理がある。


 デビュー配信よりずっと前から周到に準備されていたとしか、うちには思えない。


 だとするなら、と考えて、うちは安堵した。


「よかったな。これなら大丈夫そうだ」


『どこが?! こんな文章一つであんなに荒らしていた人たちが急にいなくなるなんて、イヴちは本当に思ってるの?!』


「いや? そこはまったく思ってねぇよ。気持ち程度には減るだろうなとは思ってるけど、完全になくなりはしないだろ」


『それなら、イヴちゃんはなにを思って「大丈夫」なんて言ったの?』


「『New Tale』とジン・ラースの間でちゃんとコミュニケーションが取れていることに対して大丈夫っつったんだ」


『そっ、そんなことっ……あたしたちからじゃ、わかんないじゃん』


『……この早すぎる発表で、わかる。事務所と彼は……問題と解決策を共有してる』


「そうだ」


 熱くなっているアイニャとエリーとは対照的に、ウィーレはとても冷静だった。客観的に物事を見ようとしている。どこかいつも以上に感情を排しているように思えるのは、アイニャとエリーが激情に駆られがちになっているぶんの釣り合いを取ろうとしているからか。


「もうちょい噛み砕いて話すか。まず、この対応の早さだが、これははっきり言って異常だ。前もって用意しておかないとこのタイミングでは出せねぇ」


『うっ……は、早くてすごいなぁとは、あたしだって思ったよ』


「前もって用意できてたってことは『New Tale』はこの事態を想定して、こうなった時どう動くかを事前に話し合ってたってことだ。そこまで読めてたんなら、当然矢面に立つジン・ラースにもしっかり話が通ってるはずだ。いくら事務所が対策を考えたとしても、実際に配信するジン・ラースが荒らしに煽られて売られた喧嘩買っちまったら水の泡だからな。そこらへん、しっかり共有してんだろ」


『そう、なのかな……』


 不安げなエリーに、うちはもう一押し付け加える。


「法的措置がどうたらって書いてあったろ? あんだけ明記した以上、これで動かなかったら所属ライバーとの信頼関係に亀裂が入る。『New Tale』はなんかあったら本気で裁判まで持ってくつもりなんだよ。だからあそこまではっきり書いたんだ。仮にそういう運びになった時は当事者の話を聞かなきゃいけんし、証拠になるもんを取っとかなきゃいけねぇんだから、連絡は密に取ってんだろ」


 『New Tale』の発表にあった、誹謗中傷に対しての法的措置の一文。あれはジン・ラースを守るという『New Tale』からの決意表明みたいなものだ。


 所属ライバーなんて大きなくくりで書かれていたが、今現在、法的措置まで視野に入れるほど誹謗中傷行為に晒されているのはジン・ラースただ一人。あの声明は、ラインを越えた行為をされたり、ジン・ラース本人が誹謗中傷を受けたと『New Tale』に報告すれば、その際は容赦なく開示請求から名誉毀損なり侮辱なりの訴訟までやりますよ、という『New Tale』側の覚悟の表れだ。


 『New Tale』は本気でジン・ラースを守るつもりでいる。


『……そっか。そうだよね』


 力なく呟かれたエリーの声にはもう、不安感はなかった。ただ、安心とも異なっていた。


「スタッフたちも気を配ってくれてんじゃねぇの? デビューするうちらにもめちゃくちゃ親身にいろいろ教えてくれたスタッフたちだ。人情味に欠けることはしねぇよ、きっと」


 元気付けようとあえて楽天的な考えを述べるも、エリーの心は晴れない。


 うちはエリーがどういう気持ちでいるか、どんな想いを抱えているか見誤っていた。


『よかった、よかったんだ。ラースさんには、頼りになる人が、ちゃんといる。守ってくれる人が、味方がいてくれてる……っ。でも、なんでだろう……っ、悔しいなぁっ……。同期が、仲間が大変な思いしてるのにっ、ひっく……私っ、なにもできなぃっ』


 ジン・ラースには助けてくれる人がいない、というエリーが一番心配していた点は解消できた。なのになぜそんなに辛そうなんだと思っていたが、そういうことか。


 自己嫌悪か。


 あまりにも優しすぎるエリーなら、そう感じるのも仕方ないのかもしれない。


 事実、うちらは助けるどころかジン・ラースに助けられている。可能な限り荒らしがこっちにまで現れないように庇われているわけだ。それがわかっているのになにも手助けできない。連絡手段がないせいで感謝したくても伝えられない。かといって配信で話題にすればジン・ラースの努力が無に帰す。


 なにもしないことが、一番ジン・ラースの助けになるというところに皮肉が利いている。無力感は一入ひとしおだろう。


 渦中、というかむしろ火中にいるとすら言えるジン・ラースよりも、もしかしたら先に二人のほうが音を上げるかもしれない。


「あー、んー……」


 二人は心配だが、かといってうちになにができるのか。


 下手に関われば事態を悪化させる上に炎上を長引かせることになる。でもなにかしないとアイニャもエリーも活動に支障をきたしかねない。


 二人のように真っ当な性根を持ち合わせていないうちでは、優しい人間の心に寄り添うような答えなんて出てこない。お手上げだ。


『……同期で……コラボ、とか』


 足りない頭を必死に絞っていると、こういう時に頼りになるウィーレが声を上げてくれた。


『コラボ?』


 そうウィーレに返したのはどちらだろうか。音が重なったようにも聞こえたから、二人同時にたずねたのかもしれない。


『……わたしたちも、活動、慣れてから……同期みんなで』


 そこまで聞いて、ようやくウィーレの狙いが読めた。


 その提案に、すぐさま乗っかる。


「いいじゃん、コラボ。ジン・ラースの誤解も解けて、うちらも足場を固めて多少のアンチなんざどうってことないくらいになったら、同期五人全員でコラボしようぜ」


 ウィーレはやっぱり賢い。天才かもしれない。否、天才だ。


 この天才ロリ魔法使いウィーレの策は『視点を未来に移す』ことだ。


 視点を現在から未来にずらすことで、やることは変えずに考え方だけを変える。


「なるべく早く問題を片付けて、ジン・ラースがふつうに活動できるようになったらコラボして、スタートからつまずいたあいつの手を取って引っ張ってやろうぜ」


 今はどうにもできないけど、この炎上騒動が終わったあとにジン・ラースのフォローができるよう、うちらが力をつけておく。


 そういうことにしておけば、今助けられない事実から目を背けられる。これからの活動をより一層がんばる理由になる。コラボするためには早く炎上騒動を鎮静化させないといけないから、配信中にジン・ラースのことをつつかれてもしばらくは我慢できるだろう。


 すげぇ、ウィーレの考え完璧じゃん。やっぱりただのロリじゃねぇな。いやはや、背も低いし童顔のぺったんこだが、実際はうちらの中で一番歳上なだけはある。


『ぁ……ち』


『うん……ぐすっ、うんっ! コラボ、したい! みんなで、同期全員でっ! いっぱい遊びたい!』


『そっか……そうだね。私たちがどう動いても逆効果になるんなら……。今は私に力がないから、助けられないんだもんね。ラースさんを助けられるくらい、ファンの人たちを納得させられるくらい私に実力があれば、なにか手伝うことができたはずなんだ。その力をつけるために、私、がんばるよ。みんなで、五人でやりたい!』


「おおっ! がんばってこうぜ!」


 おおーっ、と二人(主にアイニャ)は勝鬨でも上げるかのように叫んだ。ヘッドホンがばりばりと鳴いている。割れてる、音割れしてる。どんな声量してんだ。ノイキャン働け。


 がんばるぞーっ、と意気込んでいる二人は置いておき、うちは天才合法ロリに話しかける。


「提案してくれてありがとな、ウィーレ。おかげでアイニャもエリーも明るくなったわ」


『…………』


「……ん? おーい、ウィーレ? 聴こえてんのか?」


 ウィーレからの応答はない。回線の調子でも悪いのか、それともアプリ側で変な設定でも触ってしまったのか。


『……ううん。みんなが、いいんなら……よかった』


 ようやくウィーレが反応した。水でも飲んでいたのだろうか。


「いいに決まってんだろ。二人とも元気になったんだからな。ほんとありがとな、これからも頼むわ」


『……ん』


 耳に自然と届く透き通るようなウィーレの声には少し元気がなかった。初配信と、ジン・ラースのごたごたで疲れたのかもしれない。ちなみにうちは疲れた。まだやることは残っているけど、今すぐベッドにダイブして眠りたい。


「さ、話は一区切りついたし、疲れて寝ちまう前にスタッフに言われてたことやっとくぞ。SNSに配信予定を出しとかなきゃいけねぇんだから」


『おおう、忘れてた!』


『……わたしは、準備できてる』


『ウィーレちゃん、準備いいね』


『……他に予定ないし、いつだって大丈夫だから、適当に作った』


『そうなんだ。私も用意しておいたんだよ。私の場合は用意しとかないと慌てちゃって間違っちゃいそうだからだけど』


『……解釈一致』


『どういうことかなっ?!』


『やばーい! あたし考えてなかったーっ!』


 わちゃわちゃと賑やかにSNSへの投稿を準備する。


 落ち込んでいた時から比べれば二人の心持ちもだいぶ上向いたようだし、雰囲気もいつものほんわかしている柔らかいものに戻った。


「なんとかなったか……」


 アプリをミュートにして、うちは小声で独りごちた。


 初配信でこんなことになってかなり動揺はあったが、うちらはもう大丈夫だ。ウィーレのおかげでやる気に満ち溢れている。


 むしろ、大きな問題を抱えているのはうちらではなくて先輩かもしれない。うちの推しにして、大先輩。


「お嬢……大丈夫なんかな。大丈夫じゃねぇだろうなぁ……」


 うちの推測が正しければ、今一番誰よりも深く心を痛めているのは、デビュー配信で同期が爆発炎上したうちら四期生ではなく、お嬢だ。


 どうかこの推測は間違っていますように、と聖職者であるイヴ・イーリイらしく神に祈っていたが、やはり聖職者もどきのお祈りでは力不足だった。


「……はぁ、やっぱりなぁ……」


 スマホに、フォローしている人がSNSを更新したという通知が届いていた。


 その内容は、お嬢が今日の配信をお休みするというものだった。

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