第4話 件の男女Vtuber

「にへへ……」


『こわっ! イヴちの笑いかた不気味!』


『……また立ち絵見て、にやにやしてるの?』


「うっせうっせ。せっかくこんなにかわいく産んでもらったんだ。喜んだっていいだろ」


 『New Tale』の公式サイト、新設された四期生の項目。所属タレントのところで左から二番目に並ぶ長い銀髪の修道服姿の美少女を見て、またもだらしなく頬が緩む。


 うち、入江いりえいくのヴァーチャル世界での姿がこの美少女、イヴ・イーリイだ。儚げな瞳や穏やかそうな口元から覗くギザ歯というのが、ギャップがあってとてもいい。


『あははっ! 今日は特別な日だもんね! 浮かれちゃうのもわかる!』


『……まぁ、ちょっとはわかる。ちょっとは』


「そうだろうが。だからどれだけにやにやしたっていいんだ」


『……それでも、限度はある』


「うるせぇ!」


 今日は初配信、Vtuber事務所『New Tale』から四期生としてデビューした記念すべき日だ。


 初配信の前から同期で使っているコミュニケーションアプリのグループに集まり、各々適当に話したり応援したり励ましあったり不安を吐き出したりしながら自分の出番を待っていた。


 割り当てられた時間になると一度グループを抜けて、配信が終わればグループに戻ってくる。そうやって繰り返していき、とうとう最後のエリーゼエリーがところどころ怪しくもなんとか無事に配信を終えた。


『ただいまぁ……。うぅ、緊張したぁ……。みんなすごいよね、私はもうパニックになっちゃって、頭の中真っ白になっちゃったよ』


『あたしも緊張はしたけどそれ以上に楽しかった! えりーも楽しかったでしょ?』


『アイちゃん……う、うん。最後のほうでやっと慣れてきて、リスナーの人たちとやり取りできたから。でも最初のほうとか、わたわたしてて記憶ないよ……』


『……わたわたはしてたけど、ちゃんとできてた。挨拶も……噛んでたけど、そのあとにSNS、開設したこと……報告できてた。エリーゼ、えらい』


『で、できてた? それならよかったぁ……。ありがとうウィーレちゃん。イヴちゃんもありがとね。私が行く寸前にイヴちゃんが自己紹介の後にSNSのアカウント開設したことちゃんと言うんだよって言ってくれてなかったら私、絶対頭から抜けてたよ』


「はっは、それならよかった。エリーは待機時間にデビュー配信の流れを改めておさらいしてくれてたからな。それのお返しってか、ただの確認だ」


『私のはおさらいっていうか……不安だったから、これでいいのかなって確かめたかっただけだもん。ほんとに助かったよぉ……』


 うち含め、アイナアイニャウィレミナウィーレも、帰ってきたエリーを褒め称える。


 するとエリーの声が震えだした。張り詰めた弦のような緊張がグループチャットに戻ってきて緩んだんだろう。


「いやいや、自分の力だって。よくがんばったよ。エリーはえらい! あがり症なのにがんばったな!」


『そうだそうだ! かっこよかった! えらい! えりーえらい!』


『……えらい』


『ぐすっ……みんなぁ、ありがとおぉ……っ。みんなが、みんなが同期でほんとによかったぁ……。こ、これから一緒に頑張ろうねぇ……ひぐっ』


『なに泣いてんだー! 今日はデビュー記念日! お祝いの日なんだから笑えー!』


「はっは! エリーはまじで真面目だよな。もっと肩の力抜いてけって」


 本格的に泣き始めたエリーに、うちはアイニャと一緒になって笑いながら励ます。


 うちらの出会いは『New Tale』の四期生公募に合格して顔合わせで事務所に集まった時からだから、それほど長いわけではない。だけど、用があってもなくてもグループに集まってデビュー前の準備について喋ったり、休みや時間が合えば一緒に遊びに行ったりもしていた。こいつらと同期でよかった、とそう思えるくらいにはお互いの性格やいいところはわかっているつもりだ。


『……同期、もう一人いるけど』


 ぽそりとウィーレが呟いて、ああそういえばそうだった、と思い出す。


 このグループには四人しかいないけど、聞いている話ではこれまでの先輩たちと同様、四期生も五人いるらしい。『New Tale』のホームページでも五人分の枠がある。デビュー配信の前なので、一番右に表示されている五人目の部分は黒くなっている。


「五人目、どんな奴なんだろうな。一度も話したことねぇわ」


『あたしもない! いつ会えるんだー? って思ってたのに、結局デビューまでの間にお話しする機会なかったー』


『……コミュニケーションアプリのIDも、教えてもらってるはず。なのに……申請もきてない』


『顔合わせの時もご用事がおありだったみたいで会えなかったもんね』


『それでも問題なし! これから仲良くなればいいから!』


『ふふっ。うん、そうだよね、アイちゃん』


「もうすぐで配信始まるし、終わり頃に全員でコメント打ってやろうぜ。アプリのグループに入ってこいっつってな」


『それいい! 配信中なら逃げられないし!』


『……本人のタイミングで、いいと思うけど』


『でも、ウィーレちゃん。同じ四期生なんだから、せっかくなら仲良くやっていきたいじゃない?』


『……その人だって、心の準備とかいるかも』


『それはそうかもしれないけど……』


『……あがり症だったりするかも』


『いやそれは私のことだね?!』


 みんなで笑い合いながら、それは始まった。


 うちらの誰も、会ったことも話したこともない五人目。


 その、第一声。


 ある意味でそれは、今配信を観ている全員が驚愕するものだったと思う。


『人間の皆々様、初めまして。当方ジン・ラースと申します。お見知り置きを』


「五人目……男だったのか」


『へー?! 「New Tale」で男のライバーさんって初なんじゃない?!』


『…………ううん。今は活動してないけど……一期生にいる』


『一期生の先輩は例外としても……「New Tale」って男性も入れたんだね……』


「応募条件に性別は書いてなかったからな。男だろうが女だろうが条件を満たしてんなら合格できるんだろ。お嬢……レイラ先輩も配信で言ってたし」


『一期生の先輩が活動してないんならあたしたちだけなんじゃない? 同期で男のライバーさんいるのって! 特別だ! すごい!』


『……特別かはともかく、異例なのは間違いない。先輩も同期も……女ばっかり。男ライバーは、ジン・ラースひとり。……きっとなんにもない時でも荒れてたと思う。多かれ少なかれ』


『今は……』


「ウィーレとエリーの考えてる通りだな。今は特に、タイミングが悪い」


 四人で意見を交わしながらでも耳に届くほどの滑舌と声の良さを見せつけるジン・ラースの配信へと意識を戻す。


『魔界は昨今問題を抱えておりまして、その問題の解決のために魔界の統治者は人間社会に紛れ込むことのできる魔族を人間界へ派遣しました。そのうちの一人が当悪魔です。少し前まではとある企業で忠勤に励むかたわら、人間界の社会経済の構造や政治体制の概念、宗教のような思想体系や果ては娯楽に至るまで、人間様が構築された社会の全般を広く調査しておりました。しかし勤めていた企業様が悪魔の身を以ってしても耐えらえぬほどに過酷で体を壊したことから、魔界本営より一時的な休養と調査対象の変更の命を承りました。勤めさせていただいていた企業様を退職し、近年人間界において進歩の目覚ましいインターネット分野の調査を命じられた当悪魔は、折よく募集をされていた『New Tale』様のご厄介となることにしたのです』


 ジン・ラースは噛むことも詰まることもなく、淡々と朗々と流れるように自己紹介とキャラクターとしての背景を説明していく。


 あまりにもこのジン・ラースという男が平然と話しているもんだから、もしかしてコメント欄を表示していない、もしくは見ないようにしているのかと疑ったが、淀みなく話し続けながらもまぶたがぴくっと動いていた。目が閉じられているせいで目線の動きはわかりにくいが、コメント欄の動きはある程度確認しているようだった。口は達者だし心臓は頑丈だ。


『この人すっごい聴き取りやすいよね!』


『…………それは、まぁ……うん』


『すごいなぁ……あれだけ多くの人の前なのに一度も噛んだり詰まったりしてない。私だったらあんな長文を読んでたら三秒に一回くらい噛んでそう』


「いや、エリーは長文じゃなくても頻繁に甘噛みしてたぞ」


『うきゅっ……。こ、これからは気をつけます……。そ、そういえばこの人、ジン・ラースさん。滑舌もいいけど声もすごくいいよね。アナウンサーさんっていうよりは声優さん的な感じかも』


『あたしも思ってた! 歌とか聴いてみたい! できるならイヴちとデュエットとか! 絶対かっこいいよ!』


「ハマるだろうな、そこまで続けられれば」


『…………』


『い、イヴちゃん……それは』


『なにそれなにそれ? どゆこと? 歌出せるくらいまで人気が出ないかもってこと? 3Dとかオリジナルソングを作るとかじゃなくて、歌ってみたとかならまだやりやすいんじゃないの?』


「アイニャの言う通り、ふだんならそこまでハードルは高くなかったろうよ。絵師……生みの親はあの小豆真希さんだし、こんな状況になってなけりゃ『GoldenG GoalG』から女性人気を掻っ攫ってたかもしんねぇ。でも、今は絶対に無理だろ」


 人気イラストレーターの小豆真希先生がガワを担当して、いったいどこから拾ってきたのか声と胆力を併せ持った魂が込められている。あとはゲームの腕が多少あったりトークがうまかったりアドリブを利かせられる応用力があったり、つまりは目立つ武器が一つあれば即戦力。女Vtuberへの絡み方に気をつけてリスナーに配慮までできたら言うことなしに最高だ。女所帯だった『New Tale』に男を入れるというリスクに見合うだけのリターンが生まれる。


 ただしそれは、一週間前の環境であれば、の話だ。


 残念なことに今は状況が変わっている。現時点において、男を加入させることはデメリットしかない。


『んぇ? なんで? よくわからん!』


 そこは共通認識になっていると思っていたけど、アイニャは話についてこれていなかった。


『えっと……アイちゃんは知らない? 個人勢の女性Vtuberと企業勢の男性Vtuberが実は付き合ってて、って話。……今も燃えてるけど』


『それは知ってるよ? でもそれってその二人の話でしょ? ジンくんには関係なくない?』


 もしかして現在進行形で界隈を賑わせている炎上騒動について知らないんじゃないかと思ったけど、そこはアイニャもさすがに知っていたみたいだ。


 ただ今回の炎上の出火元は知っていても、どう飛び火したのかなどの騒動の展開については把握していないようだった。


『…………その二人の話だったけど、関係なくない。厄介なことに』


『え?』


 冷や水を浴びせるような冷め切ったトーンで、ウィーレがアイニャの認識に修正を加える。


『……解決してない、そのごたごた。まだ燃え続けて、燃え広がってる』


「あー……うちから話すか? たぶん一番この炎上のこと追えてると思うし」


『……任せる』


「おけ」


 うちだって炎上の関係者じゃないし裏側の話なんて知らないが、炎上の初期段階からこの一件を見ていた。全容は知りようもないけど、おそらくこの中では一番詳しいだろう。


 口下手なところがあるウィーレに代わり、うちは炎上騒動の発端、くだんの男女Vtuberについて話し始める。


 *


 炎上のきっかけは、女のほうだった。


 頻繁にSNSにアップされていたらしい『オトモダチとお洒落な喫茶店でこんなの食べてきましたぁ』みたいな頭のゆるい写真。そこに男がかすかに映り込んでいたところから始まる。


 熱烈にして苛烈なファンの有志たちは、おそらく彼氏、もしくはそれに準ずる近しい間柄の相手とデートに行った時の写真をアップしているのだと仮定し、その相手が誰なのか調べ始めた。


 有志たちが調査を始めてから相手の目星がつくまで、そう時間はかからなかった。


 おそらくコラボする回数が多い者から優先的にチェックしていったのだろう。その結果『Mad Boys』という事務所に所属する、頻繁にコラボしていたとある男Vtuberがヒットしたのだ。様々な観点から検証し、客観的に一番可能性が高いと判断された。


 およそ間違いないだろうという流れになってからはお祭り騒ぎだった。Vtuber関連の掲示板でも荒れに荒れ、専用のスレッドがいくつも立てられ、SNSではファンでもなんでもない『お前絶対こいつらのこと知らないだろ』みたいな無関係な人間まで炎上に便乗した。


 無論、件の女Vtuberを応援し続けていたファンたちは大荒れだった。


 件の女Vtuberは個人で活動していたが、企業に所属しているライバーを上回るほど人気があった。声が良かったりトークが上手かったりというのはもちろんある。だがなによりも巧みだったのは、いわゆる『囲い』と呼ばれる、ざっくり言うと超絶爆裂熱心なファンを多く作れるところだった。


 そういう一生懸命応援してくれる熱心なファンは往々にして過激になりがちという厄介なところもあるが、SNSなどで自主的に名前を広めてくれたり率先して宣伝してくれたりもする。なにより一番大きいのはスーパーチャットなりボイスなりグッズなり、その他のコンテンツでお金を落としてくれることだろう。


 時間もお金も費やしてきた熱心なファンたちにとって、女の行為は許し難いことだったのだ。


 だが、この時はまだましなほうだった。件の男女が投稿していた動画のコメント欄もSNSのアカウントも、煌々こうこう轟々ごうごうと燃え上がっていたが、まだ。後になって思えばそれでもましだった。


 炎上の規模が桁外れに拡大したのは、つい最近だ。


 それまで音沙汰のなかった女が突如ライブ配信を行った。しかもその場では謝罪の言葉は一言も出ず、こともあろうに赤裸々に馴れ初めを語ったのだ。


 言うまでもないが画面の端っこに小さく映し出されていたコメント欄は、さながら地獄絵図の様相を呈していた。


 こんな阿鼻叫喚の様を作り出しておいて、よく平気な顔して、なんなら幸せそうに笑いながら言えたもんだなと、外から眺めているだけのうちはそんな感想を抱いていたけど、その女の肝っ玉の太さを思い知ったのは配信の終了間際のことだった。


 男と結婚を前提に交際している。もうお付き合いして長い。今は同棲している。お腹に赤ちゃんがいる。これからはカップルチャンネルでがんばっていきたいと考えている。


 リスナーに考える間も与えないカミングアウト。マウントポジションから拳を振り下ろすような、畳みかける衝撃的事実の連打。それはまさしく情報量の暴力だった。


 挙げ句の果てに『これからも変わらず応援してほしいです』とのたまって、配信は締め括られた。


 それが炎上祭り第二夜の狼煙であった。狼煙にしては可燃物が多すぎるが。


 そこから現時点に至るまで、配信はもちろんSNSでも件の男女Vtuberから情報の発信はない。


 ファンは当然納得できるわけもなく、ネット住民はおもちゃを与えられた子どものようにおもしろおかしく一連の騒動を扱った。


 個人勢だった女に対しては、動画のコメント欄とSNS以外に感情をぶつけられるところがなく、やり場を失ったどす黒い衝動の矛先は相手の男へと向けられた。


 とはいえ、男の投稿動画もSNSも衝撃的惚気配信前から既にぼろ雑巾以下。燃え切った後に残った灰みたいなものだった。そんな燃えかすを踏みつけても気が済まない連中、あるいは祭りを続けたいだけの無責任な連中が次に向かったのが、男が所属していた事務所だった。


 だが事務所側はなにもはっきりとした声明を出せない。惚気配信の前から連絡が取れなかった、とのことで事務所側は男との契約を解除していたのだ。


 事務所側はどうすることもできなかった。この一件での一番の被害者は男が所属していた事務所とその関係者かもしれない。


 事務所側も終わりの見えない惨状に疲弊し、内情をさらけ出して手の打ちようがないことを公表したが、熱心なファンたちは『そうですか、それなら仕方ないですね』などと素直に割り切れなかった。


 掲示板や個人のホームページ、SNSで腹のうちを吐き出して、どうにか現実を認めようとしていた者たちもいたが、一部の過激なファンが暴走を始めた。その暴走に至るトリガーがほんとうにファンによるものだったのか、あるいは悪意のある第三者がおもしろがって煽ったのかまではわからなかったけど、暴走したのは事実だ。


 とりわけ、件の女Vtuberの囲いをやっていたファンが酷かった。常連のリスナーなら名前も憶えているくらい名物になっていた、スパチャも飛ばすし切り抜きまで作っていた一人のファンが、特に怒り狂っていた。まるでレジスタンスのリーダーが如く、暴走しているファンたちを率いる旗頭のようになっていた。


 暴走した集団は、当事者である男女の投稿動画やSNS、それ専用に立てられたスレッド内でしか行われていなかった誹謗中傷や荒らし行為を外部にまで広げた。件の男が所属していた事務所の他のライバーへの罵詈雑言、コメント欄を荒らすなどの配信妨害から始まり、異性とコラボをしているところにまでわざわざおもむいてはあることないこと書き捨てたり、Vtuber全体を話題にしている雑談がメインのスレッドで不特定多数に向けて暴言を吐いたり口汚く罵ったりとやりたい放題だった。


 暴走した集団はそうして火の粉を撒き散らしていき、やがて対岸の火事だと思っていた他のライバーや事務所、ひいては界隈全体へとその余波は広がっていった。


 そんな徐々に張り詰めつつあった空気感の中で女ばかりの『New Tale』から男がデビューするとなれば、過剰反応してしまうリスナーも出てくるというものだ。


 うちからすれば、そんなに大袈裟にリアクションを取ってしまったら騒ぎたいだけの馬鹿どもに付け入る隙を与えるだけだろうが、と苦言を呈したいところだが、事ここに至ってしまえばもうどうすることもできない。


 今はじっと耐えて、件の男女のファンと便乗して荒らしている奴らの気が済むまで待つしかないだろう、という私見を付け加えて、うちは話を締めくくった。

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