隠者の囁き

 ナギは引きこもりハーミットの言葉を並べるモニタから視線を切り、ガラスの奥の肉塊を見つめた。


「あの、ハーミットさんは、まだ生まれていないんですよね? 母体は――お母さんは平気なんですか?」

「もちろん。へその緒も繋がってますよ。見せられないのが残念ですね」

「どうやって維持してるんですか?」

「僕よりも母に興味があるようですね」

「はい。だって、お母さんのほうが不思議じゃないですか」


 研究員たちの呼吸が一瞬だけ止まり、また元の作業に戻った。

 ハーミットの声が響く。


「どうしてそう思うんです? 二十年も引きこもる僕よりも母のほうが――」

「やっぱり自分でもおかしいと思ってるんですね。なら、普通です」

「――おっと」


 モニターに設置されていたカメラが小さな唸りをあげてレンズを動かし、瑪瑙を正面に捉えた。


「資料以上に変わっていますね、ナギさんは。泡野さんの手にも余るのでは?」

「ちょっと油断してただけですよ。まだまだ」

 

 カメラの向きがまたナギに戻った。肉塊の内側で人らしき影が肩を揺らしているのが見えた。


「おかしいのは、僕ではなく母だと」

「はい。胎児というのは、臍帯で繋がっているなら、母体内にできた腫瘍みたいなものじゃないですか。サークルというのとオーディナリー――ここの話を聞きましたけど、説明を聞いた感じだとこっちのほうがそういう見方をしても良さそうなのに」

「――と、いうと? 考えたことを、思考の流れのまま説明していただけますか?」


 ナギは幽かに上目見て、すぐに視線を戻した。


「胎児は基本的に始原生殖細胞が減数分裂の末に渡された遺伝情報に従って増殖、精緻化していく過程でできるものですよね? それは細胞の塊ですが、細胞の塊という表現では他の生命体との区別ができないから困っちゃいます。だから便宜的に腫瘍や胎児といった名前をつけて分類します。人間の歴史と科学の進歩から考えると――」

「ああ、なるほど」


 ナギの言葉に被せるように合成音声が発せられ、後を継いだ。


「ナギさんのいう科学的知見はごく最近のもので、より古典的には生殖行為の結果として母体から赤子という別の生命体が出てくる、ということですね」

「そうです。赤ちゃんという語が先にあるために存在が定義されているだけです。たとえば、人からは人が生まれ、そうでないものは生まれない。それはただ納得するための理屈ですよね。だって、生まれなかった赤子は母体に吸収されるという事実は後になってわかるようになったんですから」


 ハーミットの不自然な笑い声が響くなか、瑪瑙と慶隆の眉間に深い皺が寄った。


「だんだん話が見えてきました。つまりナギさんの考えに基づくと、西暦紀元に生まれた救世主よりも、処女のまま妊娠した乙女のほうが異色の存在であると」

「どっちのほうが――とかはわかりませんけど、生まれてみるまでは母体の一部とも考えられるので、その場合は」

「腫瘍そのものが異常だったとしたら?」

階層レイヤーは母体が上じゃないですか?」

「……やりますね」


 合成音声がいった。文字列は感心を伝えるが、声の感情は薄い。


「人は人を生むというのも素朴な信念ですからね。父が驢馬ろばで母が馬ならラバが生まれ、逆ならケッティが生まれる。どちらも人間が名を与えて存在を定義したにすぎないと。不思議ですね。どこかの宗教と似ている」

「不思議じゃありませんよ。月刊アトランティスとアインシュタインに書いてあったことをまとめただけですから」


 二人のやりとりを見ていた瑪瑙が人差し指を立てて手を挙げた。


「それで、なんで私たちなら母体を異色と見るべきなの?」

「話を聞いてなかったんですか?」

 

 ナギは瞬きしながら振り向いた。そのすぐ奥で慶隆がくつくつと肩を揺らし、瑪瑙は眉を吊り上げた。


「どっちが異色かといったら、私の目にはあのお腹のなかにいるほうが異色としてみえるから、そう呼んでる。それのどこがおかしいの?」

「平凡維持機構って名乗っていて、不思議なものを平凡なものにしようとしているのに、考え方が宗教的だなって思うからです」

「それは――」

 

 瑪瑙が反論しかけると、ナギはふいに顔をハーミットに振り向けていった。


「元は同じものなんじゃないですか? サークルと、オーディナリー」


 ナギがそう尋ねると、瑪瑙は絶句し、代りにハーミットの笑い声が響いた。長く、長く響き続ける。肉塊の奥で手を叩いてるようにすら見えた。


「正解ですよ、ナギさん。平凡維持機構とサークルは元をたどれば同じ集団です」


 ハーミットの楽しげですらある回答に、瑪瑙と慶隆が表情を固くした。だが、発言を止めるよりも早く、異色の存在は話を続けた。


「歴史上、正確にいつ別れてしまったのかはわかりません。ナギさんへの尋問の記録も見ましたから、すでにご存知かと思いますが、世界は伝説の魔女の手により六回壊され七回阻止されています」

「スーキーさんですよね。初めて聞いたときに不思議な表現だなって思いました」

「壊されたのに阻止されたとは? 私は機構に集まる情報を閲覧して、一つ結論しました。壊されたあと、回復されたんですよ、世界は」


 サークルの論理も、オーディナリーの論理も、人は世界という存在そのものが意識の外で扱う感覚器官だとしている。異なるのはその先だ。サークルは現代の感覚でいえば無秩序な世界を望み、オーディナリーは平凡な世界という理想を目指す。


「――その意味で、オーディナリーは本質的にすでに敗北しているんです」


 ハーミットはいう。


「サークルの前身は我々が異色とする状態を正常と捉えていた。換言すれば、サークルの目的は既存世界の破壊であり、それは過去・現在・未来のすべてに及びます」

「なんでそれがわかるんです?」

「ナギさんがさっき会ってきた猫ですよ」

「ポンチョさん」

「そうです。過去・現在・未来のすべての知を収めた異色の存在があった。それを使った猫がいた――かもしれない」

「……ああ!」


 急にナギが大きな声を発し、瑪瑙と慶隆は目を丸くした。

 ナギは一目でわかるほど嬉しそうに二人の顔を見比べハーミットを見やった。


「そんなものが残っていると認めれば、平凡維持機構はスーキーさんがつくった世界に生きていることになる。平凡を維持するには、一生懸命、ないと信じて嘘を重ねていくしかない」

「嘘かどうかはともかく」


 人間の胎内に潜みつづける隠者はいった。


「オーディナリーの人間たちは、異色を恐れ、世界の真実に恐怖し、決してすべてを理解してしまわないよう、正常と異常の狭間で瞳を揺らし、自分たちは正常だと唱えつづけているんです。まるで、自分たちが正常であるかのように」


 人間たちの怒りすら滲む鋭い眼差しが隠者に向いた。

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