最後の夏に見えた夢

こむらさき

1:弟

「兄貴、見てくれよ! 一人で捕まえたんだぜ」


 眉尻を下げると、大きな人懐っこい犬みたいな表情に更に優しさが増す。

 俺よりもいくぶんか背の大きな弟は、自分の体と同じくらい大きな大鹿を背負いながらソリから降りてきた。

 こいつは他の弟たちよりも年齢が近い弟、次兄のジェミト。腹違いの兄弟が多い中で、珍しく同じ母親から産まれた兄弟でもあった。


「すごいじゃないか。狩りの腕はもうお前には敵わないよ」


「何言ってんだよ。兄貴が一番に決まってるじゃねえか。なんてったって兄貴の胸元には神様に選ばれた証が浮かび上がったんだからな」


 鹿を吊るしたジェミトが手際よく皮を剥ぎながら屈託無くそう言うが、俺は首を横に振った。狩りの腕がジェミトに勝てないのは本当だ。

 だが、ジェミトはそんな俺の様子なんてお構いなしに鼻歌交じりで鹿の肉を手早く捌いていく。

 俺よりも体格も良く、狩りもうまい。どんなに練習をしても、その差は埋まらない。それなのに神様は何故か俺を村の跡取り番犬の長として選ぶつもりらしい。

 親父譲りの白金プラチナブロンドの髪が太陽にきらきらと輝いて、狼の瞳のような金色の瞳は無邪気に明るい光を湛えている。

 俺と同じ髪の色、瞳の色、垂れ下がった目尻……顔付きは似ている。だけどどう考えてもジェミトの方が村の長という響きがしっくりくるだろうに……。

 あいつと同じ一族の男にだけ受け継がれる赤銅色の肌が今は疎ましかった。

 最も優れた者が神に選ばれるのなら、ジェミトが選ばれるはずだ。


「お前が選ばれるかもしれないぞ」


 あいつはみんなが寝静まった後に鍛錬をしているし、村の子供たちに字を教えてやってるのも知ってる。それに、親父や俺たちの手が回らない雑用だって笑顔で引き受けてるから村のやつらからも好かれている。

 少し先に生まれただけで、俺があいつが神様に選ばれる権利を奪って良いんだろうかってずっと考えていた。


「んなわけねえって。兄貴が朝早くに起きて鍛錬をしてるのは知ってるんだぜ?」


 それは、そうでもしないとお前との差がどんどん広がっていくからだよという言葉を飲み込んで、俺は冗談めかして言葉を続ける。


「俺が神様に選ばれなかったときは、ジェミトがみんなを守ってくれよ」


「兄貴を選ばねえやつなんて見る目がなさ過ぎるっての! 村の若い女たちだってみんな兄貴に首ったけじゃねえか」


 無垢な笑顔が向けられて胸が痛む。お前はなにも知らないからそんな風に言ってくれるだけなんだ。本当のことを知ったら、お前はどう思うんだろう。それでも、俺を好いてくれるのだろうってことは、わかりきっているんだが……。

 それでも、俺にはこいつの笑顔が眩しすぎて、思わず視線を逸らしながら曖昧な笑顔を浮かべることしか出来ない。


「お前には、敵わないよ」


 お前は知らない。次期村長になるはずだという立場があるから、女たちが俺に言い寄ってくるだけで、本当はお前との子が欲しいと話していることを。

 兄貴のことを立てないと、お前がすぐ拗ねた顔をするから、女たちはお前の機嫌を取りたくて俺のことを褒めてくれているってことを……。

 俺の子供だろうが、ジェミトの子供だろうが村長になってからの子供は男児で炎狼に愛された赤銅色の肌ならば村長の子として育てられるから彼女たちにとってはほんの軽口なんだろう。だけど、ただでさえ弟に負い目がある俺はやたら惨めな気分になった。

 俺はなにをしても、本質的にはジェミトに勝てない。

 だから、せめて、あいつが本来受け取るべき恵みはあいつに受け取らせてやりたいのに。

 それで、俺があいつを支えてやれば全て上手く回るはずなんだ。それが性にも合ってる。ジェミトは太陽みたいに明るくてみんなから好かれる男で、俺はどちらかというとあいつのおまけみたいなものだから。

 そんなことを日々考えていたとき、ついに神様からの試練が俺に訪れた。

 急に視界がぐらりと揺れて、体の内側が燃えるように熱くなった。吐息すら熱くて悶えながら倒れると、そのまま意識が深い深い水底へ引きずり込まれるような感覚に襲われた。

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