真っ直ぐな少女、揺れる想い
家に居ると気が滅入りそうで、俺は出かけることにした。黒いジャケットとジーンズを身につけ、いつものように人通りの少ない道を選んで歩く。
俺の住むソーシャライツ地区は、住民同士の距離が近い。すれ違えば笑顔で挨拶し、困っていれば助け合う。それが当たり前だ。貧しさを感じさせないほどに、笑顔に満ちた明るい場所。だが、俺はその明るさから距離を置いていた。
木造の家が並ぶ通りからは、賑やかな声が聞こえてくる。俺はそんな声を意識から切り離し、
特にあてもなく歩いていると、いつしか地区と地区の境目に
俺は境界線に立つ大きな看板を見上げた。
《テクノトピア地区へようこそ! 世界一幸せな場所で、あなたも幸せな暮らしを!》
テクノトピア地区は、クォンタムメトロポリスの中央部に位置する地区だ。クォンタムメトロポリスといえばテクノトピア地区、みてえな認識が他の都市住民にも広まってるくらい、この都市の象徴みてえな地区だ。
クォンタムメトロポリスは、かつて人間によって統治されていたらしい。だが、為政者たちはもっと幸せな暮らしを住民たちへ提供すべく、AIを導入した。AIによる管理は見事に成功したみてえだが、もはやAIなしでは都市を維持できなくなっちまったらしい。そのうち、AIを搭載したアンドロイドがクーデターを起こすまでになった。そうして、人間じゃなくアンドロイドが都市を治めるようになったという訳だ。
とはいえ、アンドロイドが管理してんのはテクノトピア地区だけだ。他の地区は、クーデターが起きた時期に人間による統治が再開されて、今もその体制が続いてる。だからアンドロイドどもはこうして看板を立てたりして、他の地区から人間を引き込もうとしてるんだ。
「幸せ、か……」
テクノトピア地区の人間は、アンドロイドの管理下で幸せに暮らしている。俺もかつてはそうだった。
社会活動も全てアンドロイドが担うため、人間は一切労働しなくとも暮らしていける。アンドロイドが作って配給するメシを食って、アンドロイドが整えた家で寝て起きて、アンドロイドが組んだスケジュールに従って生きればいい。
……俺もそれが幸せだと、思っていれば良かったのに。
俺は看板から目を離す。嫌なことを思い出しちまった。早く別の場所に──そう思った時だった。俺の耳に、こんな声が飛び込んできた。
「……何よ! 別にいいじゃない!」
誰かが揉めているような声だ。感情の込もった、エネルギーに満ちた声。人間の声に違いなかった。
声は狭い路地の方から聞こえてくる。俺は路地の中へと足を踏み入れ、物陰から声の主を探す。左を向くと、そこにはスーツ姿の男と若い女がいた。
「駄目だ。勝手な行動は許されない。居住区域に戻れ」
男は表情一つ変えずに淡々と言う。見た感じ、アンドロイドだろう。
「嫌! あたしは自由に生きたいの!」
若い女は力強く言う。ハイティーンくらいだろうか。横顔からも強い意志が感じられる。配給品の緑のパーカーを着てるし、人間に違いねえ。
「これもお前の幸せな暮らしのためだ」
「何が幸せな暮らしよ! あたしの幸せは、あんな暮らしをすることじゃないわ!」
『何が幸せな暮らしだ』。
やめろ。そんなこと言うな。お前は幸せなんだ。そのまま幸せに生きろ。俺みたいになるんじゃねえ。
「そうか。我々の定める幸せを否定するというのならば仕方ない。少し手荒になるが連行させてもらう」
男はそう言ったかと思うと、
「な、何よ! そんなの……怖く、ないんだから……」
強がるような言葉は尻すぼみに消えた。ふらふらと後ずさる女は、俺の居る物陰の方へと近づいてくる。
来るな。俺に近づくな。いや、来てくれ。俺が助けてやる。違う、俺には関係ねえ。放っておけ。駄目だ、見捨てんのか。自分の幸せを求めるこいつを。あの日の俺みてえな奴を。
「やめろッ!!」
気づけば俺は物陰から飛び出し、女と男の間に割って入っていた。
「何者だ。邪魔をするなら容赦はしないが」
「っ……待て! こいつを傷付けるな! ……その、なんだ、こいつは俺の連れだ。……そうだ、ここでの暮らしに慣れてねえんだ」
「そうか。ならば、お前が彼女を送り届けろ。勧誘者であるなら、それが務めだろう」
「あ、ああ。分かったよ。すまねえな、手間かけさせちまって」
俺は軽く頭を下げた後、女を引っ張るようにしてその場を離れた。
◇
男の姿が見えなくなってから、俺は女の腕を離した。
ここまで来れば──いや、何が大丈夫なんだ。何やってんだ俺は。
「あ、あの……ありがとう。助けてくれて」
「……礼なんかいらねえよ。つーか、お前こそなんであんな真似したんだ。アンドロイドに歯向かうなんて、危険すぎんだろ」
「だって、ここでの暮らしは息苦しいんだもん。……幸せになれるって聞いてたから、この地区に来たのに。自由にさせてもらえないなんて。そんなの……幸せじゃないよ」
女はむくれたように呟く。俺は──何も言えなかった。
「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」
女の一言で、俺は我に返る。
「……シグザーだ」
「シグザーね! あたしはベレッタ!」
女──ベレッタは、眩しい笑顔を俺に向ける。俺は思わず目を逸らした。
「ねえ、シグザー。どうしてあたしを助けてくれたの?」
「それは……」
どうして助けたか。言葉にしようとしても、頭ん中がぐちゃぐちゃでまとまらねえ。
「……ただの、気まぐれだ」
「ふうん……?」
ベレッタはどこか
「まあいっか! それじゃ、助けてくれてありがとね!」
そう言うと、あろうことかベレッタは地区の外へと歩き始めた。
「お、おい! どこ行くんだ!」
「え? どこっていうか……分かんない! ここじゃないところ!」
「お前な……住む場所はどうするつもりなんだ?」
「そんなの決めてなーい」
ベレッタはあっけらかんと言う。
なんなんだ、どうしてこいつはここまで俺と似てやがるんだ。
「あークソッ! ……来い!」
俺は頭をガシガシと掻くと、
「わわっ!? な、何?」
「俺の家に泊めてやる」
「え? いいの!?」
「仕方なくだ! 今日だけだからな!」
「わーっ! ありがとう、シグザー!」
俺はベレッタを引き連れ、家路を急いだ。
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