午前一時、石川くんの家の前に辿り着いた私は目を見開いた。彼の家の前にやっぱり明里ちゃんがいたからだ。息を切らしながら私は彼女に近づき、声を掛ける。

「本当に明里ちゃんなの?」

 人違いだったら相当恥ずかしいけど、そう聞かずにはいられなかった。

「本当に明里ちゃんだよ、晴香」

 明里ちゃんは茶めっけたっぷりに答えた。

 彼女の顔や声だけでなく仕草や表情の全てが生きていた頃のままだと思った。

「あまり驚かないね。親友との奇跡の再会にリアクションがないとつまらないなぁ」

 ふざけて明里ちゃんが言うのを無視して私は口を開く。

「……場所、変えられる?」

 私が聞くと首を振って彼女は答える。

 場所を変えたくないのかと思ったがそうではないらしい。

「歩なら熟睡しているからここで話をしても平気よ」

「なんでわかるの?」

「死んでから千里眼が使えるようになったの」

 明里ちゃんは得意げに言った。

「本当に?」

「嘘、人の心までは見られないから安心して」

 明里ちゃんは生きていた頃と変わらない明るさで言う。

 死んでからも性格は変わらないのかと思った。

「久しぶりだね、晴香。まあ、歩から話聞いたりこっそり様子見たりはしていたんだけどさ。こうしてまた会えるとは感慨深いね」

 照れ笑いをする彼女に私は苦笑する。

「こっそり覗くのは失礼じゃない?」

「相変わらずお堅いねー。歩と出かけていた時はもっと柔らかい感じだったのにさ。誰、あの女って思って見てたよ」

 笑いを噛み殺して話す明里ちゃんに私は苦笑する。

「そこも見てたんだ」

「まあねー」

 私を見て罪悪感すら感じさせずに微笑む彼女にため息しかでてこない。

「私の真似していたみたいだけど上手くいった?」

 挑発するように明里ちゃんは聞いてくる。どうやら私が明里ちゃんのように演じていることをバレていたようだ。彼女は普段ふざけているけど時々鋭いのだ。そうでなければ人気者は務まらない。

「おかげさまでね」

 本当は演じた結果、石川くんに拒絶されているが私にもプライドがあるのでそれは言いたくなかった。

「そう、それなら良かった」

 彼女の態度を見て苛立ちを隠しもせずに私は聞く。

「明里ちゃん、なんで戻ってきたの?」

 口に出してから今更ながら酷い言葉だなと思った。明里ちゃんは気にしていない様子で微笑んで口を開く。

「やっぱり戻ってきて欲しくなかった?」

「まあね。死んだ人が生きている人に関わるのは間違っているし」

「間違っている、か。確かにそうだね」

 彼女はゆっくりと頷いてから笑う。

「多分、戻りたい理由があったんだよ。だから晴香、許してよ」

 許してと言われても許しようがない。明里ちゃんはもう死んでしまっているのだから。そして、明里ちゃんが既に戻ってきてしまったのだから。それに死んじゃった人とは戦いようがないのだから。

 彼女が戻ってきた理由なんてわかりきっているけど私は聞く。

「戻ってきた理由は、石川くん?」

 彼の名前を聞いて明里ちゃんはコクリと頷く。

「うん、そうだよ」

「やっぱり、そうなんだ」

「流石親友だね。よくわかってる」

 馬鹿にされたものだ。こんなの数学よりも簡単な問題だ。

 石川くんが大切で心配だから死んでも彼に会いにきた。フィクションならば美しいストーリーだと思う。映画だったら、それを観て私も泣いてしまうと思う。だけど現実なら残酷な物語だ。だってそうでしょ。明里ちゃんはもう生き返らないのだから。どう足掻いたってその結末は既に決まってしまっているのだから。

 明里ちゃんは夜空に輝く星を見上げて口を開く。

「私のせいで歩にはとても辛い思いをさせちゃったからね。その罪滅ぼしと未練も兼ねて戻れる時に帰ってきちゃった」

 現世に戻ってきた理由をお盆に実家に帰省するかのように彼女は言った。

 罪滅ぼし、彼女には似つかわしくない言葉だと思った。

「相変わらず明里ちゃんは優しいね」

 皮肉っぽく私は言う。

「そんなことはないよ」

 あっさりと明里ちゃんは否定した。

「……でも、そんな優しさが大嫌いだった」

 私は罪のない明里ちゃんを睨んで言った。彼女がもう死んでいるから本音が簡単に口から出てしまった。本当、卑怯者だと思う。彼女が生きていたらきっと言えなかったことを今ならあっさりと言えるのだから。

 怒るかなと思ったけど明里ちゃんは微笑んで頷いた。

「うん、知ってる」

「適当なこと言わないでよ! 知ってるはずがない!」

「知ってるよ。だって親友だよ。晴香のことはクラスメイトの誰よりも知っている。……歩のことが好きなこともね」

 私は驚き、目を見開く。彼女にそのことを言ったことはない。二人と一緒にいてもうまく隠せているつもりだった。そんな素振りは見せていないつもりだった。

 明里ちゃんは悪戯が成功したかのように笑って言う。

「驚いた? 私もまさか歩のことが好きな女子がいるとは驚いたよ。それも親友がさ」

 私は恐る恐る聞く。

「どう、思った?」

「まあ、歩、優しいからね。捻くれているけど。モテはしないけどいずれ良さをわかる人は出てくるかなと思ってたよ。まさか親友がそうなるとは思いもしなかったけど」

 彼のことを嬉しそうに話す彼女を見て私は既に負けていることがわかった。

「……明里ちゃんは石川くんのことが好きなの?」

 馬鹿な質問をした。誰も幸せにならない、そんな質問を。だけど私は彼女に無意識に意地悪してやりたくなったのだ。

 明里ちゃんはうーん、と首を捻っている。

「そんなに迷うの?」

「まあ、背は高くないし、頭は私の方が良いし、顔はそこまでタイプじゃないからねー」

 可哀想なことを言われる石川くん。

 じゃあ、私が、と言いかけた瞬間彼女は口を開く。

「……でも、好きだな。やっぱり」

 そう言った彼女の瞳の輝きを見て私は悟った。こんなの勝負にもならないと。

 明里ちゃんの声は微かに震えていた。その声には愛しさや切なさ、悲しみや喜びなどの数えきれないくらいの感情が乗っていた。

 そんな彼女の声を聞いて私まで涙が出てしまう。

「それ、本人にちゃんと言ってあげないとダメじゃない。……言わずに死んじゃうなんてずるいよ」

 一筋の涙がスッと頬を伝って流れていく。それは重力に逆らわず自然と闇に染まったアスファルトの地面に落ちる。それを拭いながら言う。

「泣くつもりなんてなかったんだけどな」

 冷静に話すつもりでいた。明里ちゃんに石川くんと関わらないように注意するだけのつもりだった。それなのに今の私は、全く違う感情を持ってしまっている。

「ごめんね、晴香」

「謝らないでよ。明里ちゃんは悪くないよ。悪いのは私だよ!」

 明里ちゃんに近づこうと頑張って明里ちゃんを演じて明里ちゃんから石川くんを奪おとした。泥棒猫の私が悪いのだ。卑怯な私がいけないのだ。

 明里ちゃんは首を横に振る。

「うんうん、私が悪いの。晴香の気持ちがわかっていたのに歩を誰にも取られたくなかったから独占しちゃったの。悪い女だったの、私は」

「明里ちゃんは優しいの! それは親友の私が一番わかっているから!」

 だからそんなこと言わないで欲しいと切実に思った。

 彼女は目を丸くしてから微笑む。

「そっか、親友に言われたら認めないとね」

「そうだよ、認めて。そう認めてくれている石川くんが可哀想だから」

 私が真剣に言うと彼女は吹き出す。そしてお笑い番組を観ているみたいにお腹を抱えて大笑いする。

「なんで笑うの?」

 私がそう聞くと明里ちゃんは目元の涙を指で拭って言う。

「晴香って本当に歩が好きなんだね。本当に変な子」

「変な子って、明里ちゃんだって変じゃない!」

「晴香よりはまともだと思うよー」

「そんなことないよ。幼馴染に死んでまで会いにくる人なんて変に決まっているよ」

「それもそうだね。まあ、そんな幽霊とこんなに楽しげに話す晴香もやっぱりおかしいわ」

「おかしくないよ! おかしいのは明里ちゃん!」

「負けず嫌いだなぁ、晴香は」

「明里ちゃんこそ」

 私たちはくだらないことで言い合ってから笑い合う。

「……晴香、歩のこと頼んだからね」

 唐突に明里ちゃんは真剣な口調でそう言った。

「なに、急に?」

 首を傾げる私に彼女は慈愛に満ちた眼差しを向ける。そして優しい声音で言う。

「私さ、もう少しで星に戻るんだ。だから、もうここには戻ってこられない」

「え?」

「幼馴染の贔屓目かもしれないけど歩は本当に良い男だからさ、晴香のことを大切にしてくれるよ」

「……そんなのわかってるよ」

 彼の幼馴染の女の子に言われなくてもそんなことはわかっている。だから私は石川歩に惚れたのだ。だから私は松川明里というスターと親友になれたのだ。

 私は彼女の胸の中に飛び込む。そして号泣してしまう。

「なんで死んじゃったのよ! なんで石川くんのことちゃんと言ってくれなかったのよ! なんで私に石川くんのこと頼むのよ! ちゃんと戦わせてよ!」

 もう止められなかった。涙のダムが決壊してとめどなく溢れてくる。

「ごめんね、ごめんね晴香」

 謝りながら明里ちゃんは情けない私を受け止めて背中をポンポンと優しく叩いてくれる。

 その優しさが嫌いなはずなのにとても嬉しかった。

 どうやら明里ちゃんが死んだことを認めていなかったのは私も同じだったようだ。

 だから、私にも彼女が見えていたようだ。

「明里ちゃんには生きていて欲しかったよぉぉぉぉ!」

「本当にごめんね、晴香」

私の情けない叫び声が真夜中の街に響き渡る。近所迷惑だと頭ではわかっていても止めることはできなかった。

あとで怒られても良い。このひと時を彼女と過ごせるのなら。

 沢山涙を流して何度も謝られた。それを何回か繰り返した。私の涙を捧げても彼女が戻ってくることなんてないとわかっているのに。


星が輝く夜に私は親友の明里ちゃんと最後のお別れをした。



 午前二時、僕、石川歩は家を出る。そこにはクリスマスイブの日、交通事故で死んだはずの幼馴染の松川明里がいる。最近の僕は死んだはずの彼女と夜の散歩をしていたのだ。

「盗み聞きとは趣味が悪いですなぁ」

 明里は僕が盗み聞きしていたのを見ていたかのように言う。

 僕は苦笑して口を開く。

「明里だって似たようなことしていたじゃないか。おあいこだよ」

「それもそうだね」と彼女は笑った。

 僕は明里の笑顔を見て俯いてコンクリートの地面を見ながら言う。

「井上も明里のこと、忘れてなんかなかったんだな」

 それなのに僕は井上に対して酷いことを言ってしまった。あいつだって明里が死んで相当辛かったはずなのに。

 思い詰めている僕を見て明里は勝ち誇った顔で言う。

「死んだ親友のことをすぐ忘れる人を親友にはしていませんよ。私の友達を見る目を甘く見ないで欲しいですな」

 まったく、明里の言う通りだ。知らず知らずのうちに彼女の見る目まで僕は否定していた。そんなことにも気づけなかったなんて僕は最低だ。

「悪かったよ」

 明里はいつも僕を照らしてくれる。多分、僕がこれからも明里にだけ縋って生きていくことを危惧して彼女は井上との会話を僕に聞かせたのだろう。どこまでも明里には敵わないなと思う。

「井上は僕のことが好きなのか?」

 僕はストレートに聞いた。

 明里はふっと笑ってから言う。

「流石は超鈍感幼馴染だね。大勢の女子にモテないのも納得だ」

 酷い言われようだ。まあ、事実なので仕方ない。

「うるさいよ。……僕はモテたい人にだけモテることができればそれで良いよ。それ以外は望まない」

「それは私に対しての告白かな?」

 顔を下から覗かせて明里は聞いてくる。上目遣いの彼女に僕はドキッとする。

 僕は苦笑して答える。

「違うよ」

「違うのかー」

 お笑い芸人のようにペシっと自分の額を叩く明里。それを見て僕は彼女は本当に明るいなと思った。

「てっきり告白されたかと思ったよ」

「……していたらどうしたんだ?」

 僕は真っ直ぐ彼女の目を見て聞いた。

「うーん、その前に私死んじゃっているからなぁ」

 それ以前の問題だと明里は言った。その答えがとても明里らしいなと思う。

 告白なんてしてもこの気持ちを伝えられる自信がない。伝えられたとしてもどうにもならないし、仮にしても僕が口にするのはきっと違う言葉だと思う。

 尊敬と憧憬が混じった恋心を端的に表すとするならば。

 気持ち悪いかもしれない。きっと僕の考えることなんて皆にとっては気持ちが悪い。そんなことはわかっている。だけど、足掻く僕の精一杯を彼女にぶつけたいと思う。

 僕は深呼吸をしてから星空を見上げて口を開く。

「星が綺麗ですね」

「え?」

 何を言われているかピンときていない様子で明里は首を傾げた。

 わからなくて当然だ。伝わらないように誤魔化しているのだから。

 僕は苦笑しつつもう一度同じことを言う。

「星が綺麗ですね」

「……そうだね」

 困ったように笑う明里にそう言わせてから僕も笑う。

 好きなんてたった二文字で伝えられるほど僕の気持ちは軽くないし、長い言葉を言っても伝わる気がしない。それなら彼女の知らない僕なりの言葉で精一杯の気持ちを伝えることにした。

いや、本当は伝わって欲しくはないのだ。伝わってしまったら僕は前に進めないから。

「……ちゃんと返してくれたってことだね?」

 明里が嬉しそうに聞いてくるが僕は何を言われているのかよくわからない。

「え、どう言うこと?」

 戸惑う僕に彼女は首を傾げる。

「わからない?」

「わからないから教えてくれ」

「私の気持ちは既に言ってあるのでもう言いませんよー」

「え、ちょっと気になるって!」

「ダメでーす。もう言いませんよー」

「そんなのずるいだろ!」

「女の子はずるい生き物なのです!」

「なんだそれ?」

「晴香と仲良くなって学んでください」

「相変わらず上から目線だな」

 くだらないやり取りをして明里は楽しげに笑ってから急に真面目な顔になる。

 ストレートからチェンジアップくらい緩急がエグいなと思っていると彼女は言う。

「それと一つお願い」

「お願い?」

 明里は僕に一通の手紙を渡す。

「うん、大輝に向けて。これを大輝に届けてきて欲しいの。ほら、スターな私が庶民の家に行ったら大騒ぎだと思うから。だから、これが私から歩への最後のお願い」

 明里と会えるのが本当にこれが最後なのだと僕には実感がない。

 だけど、これが最後なら僕はまだ言いたいことがあるはずなのにそれが上手く口から出てこない。覚悟ができている明里には僕の声は届かなそうだ。だから僕は頷くことしかできない。

「……わかった」

「うん、頼んだよ。……ちゃんとやってくれたら歩が本当に困った時、助けてあげるからさ」

「なんだそれ。意味わからない」

 もう戻ってこない君が僕をどう助けると言うのだろうか。

 そんな残酷で現実的なことを生きている僕は考えてしまう。

「今はわからなくても良いの。……きっと、分かる日が来るから」

 明里は悪戯っぽく笑う。

「じゃあ、よろしくね」


 僕に一つだけ願いを託して、幼馴染の松川明里は星に戻った。


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