月曜日、僕はちゃんと学校に行った。学校に行かないと死んでも尚僕のことを見てくれている明里に怒られると思ったからだ。

「この間はごめん!」

 教室に入るとすぐに井上に頭を下げられた。彼女なりに反省しているのだろう。そんな反省はいらないと僕は目を逸す。

「別に良いよ」

 僕はそっけなく言った。気にしてないとは言えない。だけど僕の目が覚めたのは彼女のおかげだ。それには感謝しないといけない。

「間違いに気づかせてくれてありがとう。僕はもう大丈夫だから」

 大丈夫だからもう関わらないでくれと思った。あとは僕と明里の問題だからと。ただのクラスメイトにこれ以上、踏み入って欲しくない。

「大丈夫って、そんな風に見えないよ」

「本当に大丈夫なんだって」

 僕は作り笑いでそう言ってからホームルームまで自分の席で読書をする。

 もう話しかけるなと思いながらページを捲る。

 つまらない日常を真面目に過ごしていれば誰も文句は言ってこない。夜は僕と明里だけの時間を過ごすことができるのだから我慢もできる。

 井上はまだ僕に何かを言おうとしたが言葉を飲み込んで自分の席に戻って行った。

 それで良い。ただ、孤独な男子がそこにはいるだけだ。

 学級委員長に責任はない。僕は僕のしたいことをしているだけに過ぎないのだから。


 退屈な授業が終わって放課後がくる。

 鞄を持ってすぐさま教室を出ようとすると井上に声を掛けられる。

「石川くん、一緒に帰らない?」

「ごめん、一人で帰りたい気分なんだ」

 そう言って僕は廊下に出る。

 明里以外の人間と関わっても良いことなんてない。

 僕を一番理解してくれているのは明里でそんな彼女を一番理解しているのは僕だ。こんなに幸せなことは他にない。

「待ってよ!」

 廊下でまだ諦めてくれない井上に僕は振り返って溜息を吐く。

「なに?」

「私がしたことは本当に悪いと思ってるよ。でも、石川くんのためなの。それはわかって欲しい」

「別に良いって言ったじゃん。だからもう僕に関わらないでくれ」

「嫌だよ!」

「なんでだよ? 僕はちゃんと学校にだって登校するし、誰にも迷惑をかけないで生きていく。それで文句ないだろ?」

 ちゃんと学校に行き勉強して大学に進学して社会に出て仕事をしようと考えている。

 それなのにどうして彼女は僕の邪魔をするのだろうか。

 明里を失った僕にこれ以上の不幸を望むならいい加減にしてもらいたい。

 松川明里が死んでも僕は隣にいる。それだけは邪魔されたくない。

「……それじゃあ石川くんはひとりぼっちだよ」

 明里がいなければ僕は元々、一人だったのだ。それに明里がいれば一人じゃない。

「僕には明里がいる。だからひとりぼっちじゃない」

 腹が立つ。どいつもこいつも明里のことを忘れて平気で。

 無能だとしても生きていることがそんなに偉いか。

 それは自分に対しても思っていることだった。

「ねえ! 石川くん!」

 井上が僕の名前を呼ぶが対して僕は怒気を含んだ声で言う。

「もう話すことはない。また明日な」

 突き放す言い方をした。こんなことが僕にできたのかと僕は僕に驚く。明里が見ていたら失望されてしまうだろうか。それは嫌だなと思う。

 彼女の横を通り過ぎて僕は一人で家路についた。



「晴香と喧嘩したの?」

 夜の散歩中、明里が教室でのことを見ていたかのように聞く。多分、見ていたのだろう。死んだ彼女ならそれができてしまう。こんな話を信じられるのは僕くらいなものだと思う。

 心配そうな彼女に僕はなんて言うか迷ってから口を開く。

「喧嘩じゃない。井上とは喧嘩するほど仲良くないし」

 喧嘩するのはそれくらいの関係性ができていないといけない。僕らはその域には達していないような気がする。

「でも、揉めていたじゃない」

「それは……」

 やはり、明里は見ていたようだ。本当に彼女は僕たちとは違う存在になってしまった。そのことが悲しいし、悔しい。

 言葉に詰まる僕に明里は溜息を吐く。珍しく少し怒っている様子だ。

「もう、大切にしてってお願いしたのに」

 僕だって大切にしたかった。だけど、彼女は余計なことをした。そして彼女は明里の存在を忘れて生きようとしている。そのことがどうしても許せないのだ。

「晴香は良い子だからさ、きっと歩と仲良くなれるよ!」

 そう明里に説得されるが僕はそんな気持ちにはなれない。

 親友だった明里をすぐに忘れるような人間とは仲良くなんかなれないと思った。

「僕には明里さえいてくれればそれで良いよ。だから、井上と仲良くする必要はない」

 明里さえいればいい。それ以外は何もいらないと本気で思った。

 元々、僕の隣には明里しかいなかった。贅沢だけどそれが事実だった。イレギュラーさえなければ僕は幼馴染としてそのまま明里と共にいられたはずだ。

「……いつまでも私がここにいられるならそれでも良いけどね」

 明里は名残惜しそうにポツリと呟いた。

 僕は足を止めて彼女の顔を見る。明里は困ったように笑っていた。彼女の言った意味がわからず僕は聞く。

「それって、どういう意味だ?」

「そのままの意味。私がこのまま、この世界で生きられる訳ないでしょ。だって私、死んだのよ。そんな人間が生き続けるなんて漫画じゃないんだからさ、ありえないよ」

 本当は悔しくて悲しいはずなのに明里は楽しげに言う。

 僕は唇を噛む。どうして彼女は死んでからも強くあろうとするんだ。僕なんかでは頼りないということなのか。そんな我慢をさせている自分に腹が立つ。

 僕は灰色の地面を睨んで言う。

「……このまま、ここにいても別に良いだろ」

頼りない僕だから彼女に無責任なことしか言えない。彼女も僕の話に乗ってくる。

「それなら良いね。そしたら歩としたいこと沢山できる。もしかしたら天使の輪とかつけて永遠に生きられる可能性もあるかもしれないね。天使のコスプレしてみたかったから良いかも。私、似合いそうだし」

 明里の天使姿は興味あるがそんなものは彼女なりの強がりだ。そんな強がりを言える彼女を僕は尊敬する。尊敬するけど、終わりが続きに変わることはないのだと改めて思ってしまう。

「花見も、お祭りも全部歩と行ける。最高じゃん、……まあ、冗談だけど」

 自嘲気味に笑う明里に僕は何も言えなくなる。

「そんな顔しないでよ。私は歩がいたから生きているのが楽しかった。……死んじゃったけど結構満足しているからもう自分を責めないで」

 天使のような微笑みで明里は言った。

 僕は下手くそな笑顔を作って口を開く。もしかしたら、泣きそうな顔をしているかもしれない。

「……明里は本当に凄いな。僕にはないものばかり持っていて」

「まあね」

 あっさりと肯定されてしまう。それでこそ松川明里という女の子だと思う。

「私は凄い。人より容姿も学力も運動能力も恵まれている。友達だって沢山いた。だけど、死んでいる。それはどんなに能力を持っても覆すことはできない。だから私からしたら生きている歩の方が凄いよ。これからがあるんだから。私が使えないその時間を有意義に使ってみてよ。それで、いつか私に自慢してみてよ」

 自分が死んでいることを自虐に使って何もない僕を讃えてくれる。

 僕は明里に与えてもらってばかりだ。

 苦笑して僕は言う。

「生きているだけで凄いって言われると気が楽だな」

「でしょ。だから気楽に生きてみてよ。私が見られないこれからの未来の景色を見てみてよ」

「未来の景色、か」

 そうやって自分を犠牲にして他人を励ませられる君が好きだ。僕にはないものばかり持っていてそれを分けようとしてくれる君が好きだ。世界中の誰よりも可愛くて綺麗で美しい君が好きだ。そんな君と未来の景色を見ていたかった。

「そう、未来の景色。絶対、素敵だと思うから」

 そう言って、明里はニコッと笑う。

 素敵なのは君だ。君なんだ。君だけが僕の灯りだったんだ。だから……。

「僕は明里のことが……」

 つい、好きだったと口にしてしまうところだった。

 そんなこと今更言っても誰も幸せにならない。ただの僕の自己満足で彼女を傷つけてはいけない。大切な彼女を傷つけたくなんかない。

人間が理性のある動物で本当に良かった。本能をちゃんと殺せてよかった。こんなものが溢れてしまったら僕らの関係性は一瞬で破壊されるから。

 言葉を止めた僕に明里は首を傾げて聞く。

「私のことが、なに?」

 勘のいい彼女なら僕の気持ちに気づいてしまっただろうか? 

 そうでないことを願いながら僕は首を横に振ってから言い直す。

「僕は明里のことが誇りに思うよ。幼馴染として、本当に誇りに思う」

 すぐに代わりの言葉が見つかってくれて助かった。

 本心を伝えて誰かが幸せになるなんて傲慢だ。好きだと勝手に伝えることに愉悦を覚えるのはただの自己満足に過ぎない。相手のことが好きで大切に思っているなら優しい嘘を吐くべきだ。臆病な僕はそう思う。

 明里は照れ笑いを浮かべて言う。

「なんかこっちに来てから歩に褒められてばかりだなぁ」

 それは生きている時にあまり伝えられていなかったからだと思う。卑怯かもしれないけど僕は彼女を褒めて罪悪感を薄めようとしているのかもしれない。罪悪を中和なんてできないというのに。ただ僕は本心しか言っていない。彼女に対して伝えきれていない想いがありすぎるのだ。これからゆっくりと伝えようと思っていたのに死んでしまったら敵わない。

「お世辞じゃないよ」

 死んだ人間にお世辞なんて言わない。

「それはわかっているから大丈夫。見ればわかるから」

「そうか、それなら良かった」

 明里がちゃんと僕を見てくれている。その事実だけが僕に勇気を与えてくれる。

それ以外はいらないと思った。

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