5
翌日の日曜日、天気は晴れてくれた。温度は低いが寒すぎることはないし、夜の散歩で寒いのには慣れているので別に問題はなかったが出かける時は天気が良いことに越したことはない。
昼間に外出して太陽に浴びるのは久しぶりだった。歩いているとこんなにも街がカラフルなのかと思った。ただ街を歩いているだけで大袈裟だなと思われるかもしれないが夜とは違った輝きがそこにはあった。
約束したとおり午前十時に駅に行くと井上は既にいた。駅に入っているパン屋の近くで立ってスマホを弄っている。僕は彼女に駆け寄る。
「お待たせ」
僕が声をかけると井上は微笑む。
彼女は私服で白のニットに茶色のコートを羽織っている。髪はいつものポニーテールではなくハーフアップにしている。お洒落だなと思った。
「時間ぴったりだね。偉い!」
大したことではないのに褒められて僕は照れる。
昨日は日付が変わる前にベッドに入った。
不思議なことに用事があると思って目を瞑ったら眠れたのだ。だから午前中には起きることができ、余裕で出掛ける準備ができた。
「じゃあ行こうか」
彼女に促されて改札を出る。電光掲示板を確認してからホームに降りる。あと少しで電車が来る。
遊園地までは電車で一時間ほどかかる。久しぶりの遠出だ。僕は内心、緊張していた。明里以外の女子と出掛けることなど今までなかったからだ。
「おでかけ楽しもうね」
井上が僕の顔を見て優しい声音で言った。
正直、緊張で楽しめる自信がなかったが僕は頷く。
黄色い線の外側で待つようにアナウンスが流れる。
そして、電車がやってくる。前の車両に僕たちは乗り込んだ。
休日ということもあって電車内は混んでいた。もしかしたら僕が人混みに慣れていないからそう感じているだけかもしれない。
僕と井上は扉に近い場所で吊り革に捕まって並んで立っている。
「混んでるね」
「そうだな」
井上の言葉を聞いて、僕の認識は間違っていなかったのだと安心する。
「電車に乗るのも久しぶり?」
僕はコクリと頷く。最後に乗ったのはいつだろうか。高校は地元で自転車を走らせれば行けるから電車は乗らないので買い物をしに千葉に行った時以来だと思う。
「それなら席が空いたら景色見るために後ろ向きに座って良いよ」
「子供扱いするな」
久しぶりに電車に乗った僕を井上がからかってくる。
その後は僕たちに会話はない。話題がないのもあったが一番は混んでいる電車で会話をするのは失礼だなとお互いに思っていたからだと思う。
電車は僕たちを乗せて走り続ける。
正面の窓から見える景色が次々に変わっていく。青空と緑が映える田んぼ、広がる住宅地、真っ暗なトンネルの中、そして高い建物が多く見えるようになってくる。そんな車窓の世界が一瞬で変わるのが面白く思えた。
何度目かの駅員のアナウンスが聞こえてくる。
あと数駅で電車は遊園地のある駅に着く。
「もうそろそろだね」
彼女も同じようなことを思ったようで僕に伝えてくる。
気を抜いていたのか電車が走り出すと吊り革を持っていなかった彼女はよろけて僕の腕に捕まる。
「……ごめん」
「いや、大丈夫」
謝る彼女に僕は首を振り、気にしてないことを伝えたがお互い気まずくなる。
井上はすぐに僕の腕から手を離して吊り革を掴む。
少しだけ彼女の顔が赤くなっているのは気のせいだろうか。
そんなことを考えていると電車は目的の駅に着いた。
遊園地に来るのは何年ぶりだろうか。多分、小学生以来だと思う。小学生の時は明里の家族とうちの家族で一緒に来ていた。歳を重ねるにつれそんなことは自然となくなっていた。
休日の遊園地は家族連れやカップルたちで溢れていた。側から見れば僕たちもカップルに見えているのだろうかと思った。
「凄い人だな」
「そうだね」
彼女もここまで人がいるとは思っていなかったようだ。正直、僕も舐めていたので文句は言えない。
「チケット代、本当に良いのか?」
遊園地の入園料を僕は支払っていない。彼女が二人分、買っておいてくれたのだ。
「私が誘ったんだから気にしなくて良いよ」
「そうか」
僕は夜の散歩の時に明里が言っていたことを思い出す。
人に与えられたら与えろ、か。そう考えると僕は井上に何を与えれば良いんだろうな。
「どうしたの、ボーッとして」
「別に」
「気になるな〜」
彼女は僕の脇腹を小突いてくる。それを冷静に対処しつつ聞く。
「それより何から乗るんだ?」
どのアトラクションにも列ができており、並んでからも時間がかかりそうだ。それならあらかじめ乗るアトラクションを決めた方が効率が良い。
井上は顎に人差し指を当てて言う。
「そうだね、まずはジェットコースターじゃない?」
当たり前のように言われて僕は戸惑う。
「いきなりかよ」
準備体操なしでダッシュしろと言われているようなものだ。
「一番乗りたいものは最初に乗りたいでしょ?」
その理論ならケーキの上に乗っているいちごも最初に食べるタイプというわけか。彼女の性格を段々と理解していく。
「僕は後に残しておくタイプだ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、最初のアトラクションはジェットコースターで決まりだね」
僕の意見が全く反映されていないが遊園地に誘ったのも金を支払ったのも彼女なので文句は言えない。僕たちはジェットコースターの列まで歩く。
まさか不登校の僕が遊園地に来ることになるとは思いもしなかった。これからジェットコースターに乗るなんてことも考えるはずがなかった。
「井上は絶叫系が好きなのか?」
「好きだよ。ストレス発散できるし楽しいから」
「そうか」
失礼だがストレスなさそうに見えたので意外だった。
「石川くんは嫌い?」
「嫌いというか乗ったことがない。乗ろうと言われても断っていた記憶がある」
「……へぇ、誰かと一緒に来てたの?」
「ああ、幼馴染と来ていた」
明里もジェットコースターとか絶叫系が好きだった。それに絶叫系以外にもコーヒーカップはハンドルを思い切り回すし、観覧車でドタドタ騒ぐし。あいつはいつも危なっかしい。
「……そうなんだ。良いね、幼馴染って」
「良くはないよ。いちいちうるさいし、この間もジュース奢ったらなんか返したいってしつこくてさ。頑固だから一度言ったら絶対に自分の意見を曲げないし。まったく、困った幼馴染だよ」
僕は苦笑して話し、話を聞いていた井上はなぜか目を見開いていた。
「この間……」
ポツリと呟く彼女に僕は首を傾げる。何か引っかかったことでもあったのだろうか。
「どうかしたか?」
「……うんうん、なんでもないよ」
「そうか?」
「うん。あ、ジェットコースター見えてきたよ。結構怖そうだね」
目の前には蛇のようにウネウネと曲がったジェットコースターが現れる。落ちる時の角度がかなりあり、確かに怖そうだった。
そんなジェットコースターだが求める者は多くいて長蛇の列ができている。
「やっぱりすごい人気だね。みんなストレス発散したいのかな」
そんな井上の言葉に僕は苦笑する。
皆、ストレスを抱えて生きているのだなと思うと少しおかしかった。
そして僕は人生で初めてジェットコースターに乗った。
人生初めてのジェットコースターはかなり怖かった。
あんなに上がったり、下がったりする必要あるのかと思うくらい怖かった。
ジェットコースターから降りても未だに目が回っている。
今は白くペンキで塗られたベンチに座って休憩中だ。
「はい、お水」
井上が自販機で買ってきてくれた水を差し出され、僕は飲む。
「大丈夫? 無理させちゃった?」
心配そうに声を掛けてくれる井上に僕は「大丈夫」と伝える。
さっきまで吐きそうなくらいヤバかったけど段々と落ち着いてきている。
女の子に心配されて情けないなと思う。
僕はコートのポケットから財布を取り出す。
「水、助かった。これ」
そう言って僕は井上に小銭を手渡そうとするが彼女はそれをなかなか受け取ろうとせずに微笑を湛えている。
「別に良いのに」
「そういう訳にはいかない。チケット代だって支払って貰ったんだから、これくらいは返さないとアイツに怒られる」
「あいつ?」
口を滑らせた僕に彼女は首を傾げて聞くがこれ以上、ノリとは言え、幼馴染を悪くは言いたくないので口を噤む。
「まあ良いけど。あと、それくらいで私は怒らないから安心して」
「それはなんとなくわかるよ」
「それなら良かった」
井上はパッと花が咲いたように笑う。そんな笑顔を向けられ僕は苦笑して言う。
「不登校の男子の為に休み返上で仕事するなんて学級委員長も大変だな」
僕だったら絶対にそんなことしないし、できない。
井上晴香という女子はとても優しい。僕のような関わりのない人間にも気を配ってくれる。そんな人間だから学級委員長が務まるのだろう。
「そんなことないよ。私だって普通に楽しんでいるから」
「それでも僕なんかと一緒に出掛けるのは嫌だろ?」
「嫌じゃないよ」
真剣な顔で即答される。
僕は言葉に詰まり、彼女は微笑む。
「本当だよ」
真剣な眼差しを向けられて僕は頷く。彼女が本心で嫌でないと言っているのならこれ以上、自分を卑下する必要もない。
「それなら良かったよ」
安心した僕はベンチから立ち上がる。もう目は回っていない。歩き出せそうだ。
「そろそろ回復したから行こうか」
僕が言うと彼女は頷き、元気一杯に返事をする。
「うん!」
井上はなぜかとても嬉しそうだった。
正午になり、お腹も空いたので僕たちは遊園地内にあるハンバーガーショップで買ったハンバーガーを食べている。パティ、トマト、レタスなどがパンに挟まれた分厚いハンバーガーは肉汁が溢れていてとても美味しい。食感もシャキシャキと楽しい。
井上も口の周りを汚しながら小さな口で頑張ってハンバーガーを食べている。微笑ましい光景を眺めながら僕はストローでコーラを飲む。
「ハンバーガー美味しいね!」
子どものように無邪気に言う井上に僕はポケットティッシュを何枚か取り出し渡す。
「これで口拭きなよ」
彼女は恥ずかしそうにティッシュを受け取り口を拭く。
男の前で少食アピールする子よりは好感が持てた。
「石川くんって時々、意地悪だよね」
「え?」
予想もしないことを言われたので目を丸くして驚く。
「さっきまで私がハンバーガーに苦戦しているのを楽しんで見ていたでしょ」
その通りだったので僕は頷く。
「それは、そうだけど」
「やっぱり」
「頑張っているなと思っていただけだ。決してやましいことを考えていた訳ではない」
「やましいこと?」
井上は悪戯っぽく首を傾げて聞く。
彼女の表情が明里と重なって少しムカつく。
「早く食べないと冷めるぞ」
「あ、話変えたね」
「大した話じゃないから別に良いだろ。ポテト食べないなら貰うぞ」
「食べるから取らないで!」
僕は彼女が頼んだポテト一本を摘んで口に運ぶ。いつも食べていたポテトより太いからかホクホクとしていてジャガイモ感が強い。
「泥棒」
僕を睨む井上に溜息を吐く。
「人聞きが悪いこと言うなよ。ポテトを一本貰っただけだ」
「石川くん知ってる? 食べ物の恨みは怖いんだよ」
食べ物の恨みは怖いかもしれないがそれを言っている井上が怖くないので説得力がない。同じことを明里が言ったら僕は土下座していたはずだ。あいつも食べ物にはうるさい。米粒一粒でも残すと僕の母親の代わりに怒ってきた。それを見て母親は明里ちゃんは偉いねと言って笑っていた。まあ、明里のおかげで食べ物の大切さに気づけたので感謝はしている。
「今度から気をつけるよ」
「二度と人のポテトを奪いませんっていう誓約書を書かせても良いんだよ?」
反省の色がないと判断されたのか急に彼女は怖いことを言ってくる。
「ポテトで大袈裟だな」
「ポテトくらいって思っていると、いずれ大切なものも奪う人間になっちゃうかもしれないよ」
彼女の言葉に僕はまた大袈裟だなと思いつつハンバーガーを完食する。紙をくしゃくしゃと纏める。
「ご馳走様」
僕が手を合わせていると井上が慌てて口を開く。
「食べるの、早い!」
食事のスピードに差が生まれるのは男女の違いなので仕方がない。女子と頻繁に食事へ行く男なら相手のペースに合わせるということもできるだろうが僕はそうではない。掃除機のようにハンバーガーを食べて食事を終わらせてしまう。
「ちょっと待っててね」
そう言って井上はペースを上げようとする。
「別に待っているからゆっくり味わって食べなよ」
「まだまだアトラクション乗りたいから時間が勿体無い!」
めちゃくちゃ元気だなと思いつつ僕は苦笑する。
井上がこんな奴だったなんてクラスメイトなのに今まで知らなかった。実際、クラスメイトなんて関わっていないとそんなものなのかもしれない。
一緒に出掛けることで新しい一面が見られる。その人を前よりも理解できる。その積み重ねで人は成長できる。
だから人は縁を大切にするのだろう。家がお隣さんだったから、通う小学校が同じだから、中学が同じだから。そういう繋がりを大事にするから幼馴染という関係性が貴重に思えるのかもしれない。
昼ご飯を食べ終えて次のアトラクションに向かう。
「次は何に乗る?」
「そうだねえ、コーヒーカップは?」
別に僕は乗りたいアトラクションが特にないので首肯する。
「じゃあ行こっか!」
僕たちはコーヒーカップの列まで歩き出す。
「あ、ポップコーンだ!」
井上は嬉しそうに言ってワゴンの方に走っていく。
キャラメルの甘い匂いがこちらにもやってくる。
買ったポップコーンを手に持って彼女が小走りで戻ってくる。
「甘いよ〜」
もう食べている彼女が僕にポップコーンを差し出してくる。
「石川くんにもあげる」
くれると言うのでありがたくもらうことにする。僕は一つポップコーンを摘み口に運ぶ。キャラメルの甘い味が口の中に広がる。
「美味いな」
「そうでしょ。はい、どうぞ」
また彼女は僕にポップコーンを差し出す。まだ食べても良いということだろう。
それを摘みながらコーヒーカップの列を目指す。
少し歩いてコーヒーカップの列に辿り着く。ジェットコースターの時よりも列が短いので早く乗れそうだ。
「コーヒーカップは乗ったことある?」
「馬鹿にするな。コーヒーカップくらい僕でも乗ったことある」
明里に沢山回された過去まである。
井上はそうしないことを願う。
順番が来て僕らはコーヒーカップに乗り込む。
井上の対面に僕は座る。
井上は銀色のハンドルをしっかりと握り、回す気満々に言う。
「楽しみだね」
「そんなに回さなくて良いからな」
彼女は答えず、無言で笑顔だけを向けてくる。小悪魔のように見えた。
ブザーの音を合図にコーヒーカップが回り始める。
「じゃあ、始めるね」
そう言って井上は思い切り、銀色のハンドルを回し始める。
回転スピードが上がっていく。他のカップがチラと見えたが今回っているカップの中で一番回っている。
「もう良いだろ!」
「まだまだ〜」
ハイテンションで言う彼女とローテンションの僕。そんな僕らを乗せるカップはブザーが鳴るまで回り続けた。
それからいくつかのアトラクションに乗り、夕方になる。オレンジ色の空が遊園地全体を包んでいる。
井上は学校もあるのでそろそろ遊園地を出た方が良いだろう。
そう思っていると彼女が目の前に見える観覧車を指差す。
「最後に観覧車だけ乗って良い?」
遠慮がちに井上が聞いてきたので僕は頷く。
「やった!」
喜ぶ彼女を見て僕は微笑む。
赤色のゴンドラに乗って向き合って座る。
ゆっくりと観覧車は動く。上に行くにつれて人々が小さく見える。
「今日は楽しかった?」
「楽しかったよ。少し疲れたけど」
「それなら良かった。これで明日、石川くんが学校に来てくれれば最高なんだけどな」
そんなことを言われて僕は黙ることしかできない。
学校には辛い記憶がある。だから行きたくても行けない。
僕が謝ろうと口を開く前に井上が僕の手を両手で握って言う。
「私が一緒に石川くんの辛さを背負うから。だから学校に来てよ、お願い」
女の子にそんなことを言われるなんて情けないなと思った。
彼女の手はひんやりとしていた。そして微かに震えていた。
僕は空いている手で彼女の手、指一本一本を優しく外していく。
井上の瞳は濡れている。綺麗だなと思った。他人にそんな優しい目を向けられることが羨ましい。僕にはできないことだ。
井上にこれ以上の迷惑はかけられないので僕は折れることにする。
「わかったよ」
遅かれ早かれ、学校には復帰しないといけないのはわかっていた。井上との出会いを良いきっかけだと割り切るしかない。
「本当に!」
僕の言葉を聞いて興奮した様子の彼女は立ち上がる。天井にぶつかりそうになったが当たらずに済む。
「ああ、嘘じゃない」
こんなことで嘘は吐かない。
「良かったぁー」
安堵する井上を見て僕は苦笑する。
観覧車が一周し終わり、オレンジ色の空に紺色が混じる。
もうすぐ夜がやってくる。冬は日が暮れるのが早い。いつもなら喜ぶべきことなのに今日は少し寂しく思えた。
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