第56話 迷走(4)

 手当り次第思いついたものを調べてはノートにメモをとる、を繰り返し、気が付いた時には時計の針が天井を指していた。


「──ちょっといいか」


 見かねた父さんがハーブティーを片手に入ってきた。


「何か、勘違いをしていないか?」


「……え?」


「さっきの言葉は、お前が考えているような意味じゃないぞ。……そういう意味でも、事故は防ぐことはできなかった。それは俺は交通課じゃないから──いや交通課でも事故を防ぐのは無理だな。だけど、そのこと自体を後悔はしてない。……全く後悔がないってのも嘘だが、だけどその分、お前とお前の母さんが暮らすこの国が平和なものになるように必死に働いてきた。その事に後悔はない。それが俺の生きる意味だったからだ。だからお前が刺されたと聞いた時は本当に心臓が止まるような思いだった。俺の生きる理由を二つとも否定されたような気持ちだったからだ」


 口下手な父さんがスラスラと言葉を連ねることができたのは、きっとそれが心の底からの本心の吐露だったからだろう。


「……話が逸れたな。俺が本当に言いたかったのは──お前の人生からあの子を切り離せないのなら、そのことをあの子とちゃんと話すべきだ、ということだ。岬、お前は俺と母さんの大切な息子だ。だが、もう子供じゃないと思っている。もう、立派な一人の男だ。口出しはしない。お前が後悔のないと思う選択を、自分の責任でな」


 父さんの大きな手のひらが俺の頭を二度、ポンポンと撫でた。


 父さんの言いたいことは、警察官という選択肢も間違いじゃない。けれど、その選択肢を選ぶときに考えるべきなのは俺一人のことだけじゃない、ということだ。


「後悔だけはするな。……おやすみ、岬」


「おやすみ……」


 父さんの言葉を言葉を反芻するように、一人になった静かな部屋で紅茶に口をつける。

 強烈な眠気が押し寄せてきたが、意識が途切れぬうちに俺はスマホを取り出し素早くメッセージを送った。『夜宵。明日、会いたい』






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 翌日、目を覚ましスマホを確認するが、そこに夜宵からの返信はなかった。


 喉の奥にじんわりと苦い味が広がるような不快感を抱きつつ、俺は身支度を整える。

 リビングに降りると父さんはもう出ているようで、ラップを掛けられた朝ごはんだけが置かれていた。


 朝食を済ませ俺は家を出る。

 今日は丸一日、夜までバイトが入っているのだ。


 いや、入っているという言い方は正しくない。夜宵が忙しくてデートに行けないと分かった俺が頼んで入れてもらったのだから。

 何かしている時は余計なことを考えずに済むという、いつもの考えからだった。


 街も電車も、そしてカフェDinerもカップルで溢れていた。


「おはよう、神楽くん」


「おはようございます店長」


「準備が終わったら軽食の方を頼むね」


「はい」


 俺はエプロンを着てキッチンに入る。


「これ、持って行ってくれるかしら」


「はい、分かりました」


 今日はクリスマス特別メニューとして手間のかかるケーキを出しているからか、いつもは裏で経理や在庫の管理をしている奥さんも出てきていた。


「今日は忙しくなりそうね」


「そうですね」


 クリスマスデートにちょっと小洒落た個人経営のカフェはピッタリだ。俺もできるならそうしたい。







 客足が減り始めたのは日もすっかり落ち、人々がレストランへ場所を変えディナーに向かうような時間になってからだった。


「……山場は越えたかな」


「そうみたいですね」


「神楽くんが入ってくれて助かったよ。……でも、良かったの良かったのかい神楽くん。君も、彼女がいるんだろう? 忙しいこんな時に入ってくれるのは嬉しいけど、また昔みたいに丸一日シフトを入れるなんて、心配だよ」


「いえちょっと……」


 スマホを確認するが、未だ夜宵からの返信はない。意志とは関係なく頬がピクピクと勝手に動くのが分かった。

 店長は柔らかい手つきでカップを洗いながらそんな俺の様子を見ていた。


「喧嘩かい? 話なら聞くよ」


「喧嘩って訳でもないんですけど……。進路のことでちょっと迷ってて……。──ちなみに、店長はどうしてこの店を?」


 自分の中で出した答え。それを確かめたかったのかもしれない。

 父さん以外にこういう話ができるような信頼できる大人は、一年以上働かせて貰っている店長ぐらいしか思いつかなかった。


「はは、私かい? 私はね、妻の夢を叶えてあげたかったんだ。二人でカフェをやりたいって妻の夢をね」


「あらやだ、恥ずかしい話はやめてくださいよ貴方」


「聞きたいかい? 神楽くん」


「……よければ聞かせてください」


 最後の客が出るのを見送ると店長は手を止め俺にコーヒーを淹れてくれた。

 そして俺にカウンターに座るように促しゆっくりと話し始めた。


「私たちの結婚はね、半分駆け落ちみたいなものだったんだよ。名家の娘だった彼女がどうしても欲しかった私は無理やり彼女を連れ出したんだ」


「無理やりだなんて……。私もあの家の息苦しさから救ってくれる王子様を、ずっと待ってたんですよ」


「はは、王子様か……。まあ、そんな感じだよ。当時到底彼女とは釣り合わないような風来坊だった私は、彼女のためにここまで変わったんだ」


「あの頃の貴方は本当に酷かったですよねぇ。警察のお世話にならなかった月はなかったわ」


「そうだね。あの頃は仲間たちと随分ヤンチャしたもんだよ……。今でもハンドルを握るとザワつくのは走り屋の性かね」


 いつも深い皺を刻んで柔和な笑顔を浮かべる店長からは想像もつかない話だった。


「だけど、いつまでもそんなことをしている訳にはいかないと思ったんだ。そう、彼女が思わせてくれたんだね。それからというもの、僕は真面目に会社員として勤め上げ、退職金でこの店を建てたんだ」


「貴方が本当に四十年も真面目に働くなんて、あの頃の私に言っても信じてくれないでしょうね」


「はは。でも、信じてくれたから、今隣にいるんだろう?」


「ええ。そうですねぇ」


「そんなエピソードが……」


 長く働いてきて初めて聞いた。けれど、二人の様子を見ていると、それは本当のことなんだろうとストンと腑に落ちた。

 二人の間にある愛情は、そうして紡がれたものなのだと、このカフェそのものが店長の覚悟の表れであり、奥さんへの愛そのものなのだとよく分かった。


 だからこそ、この二人に俺の答えが正しいものなのか聞きたかった。


「……店長、奥さん、お二人に相談したいことが」


「うん。なんだい?」





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

あとがき


お読み頂きありがとうございます。

次話2024/01/14 12:00更新予定です。

次が最終話となります。

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