ずっといっしょにプロミス・ユー!

「やったわ! もとに戻ったわ!」


 私ははしたなくも、ばんざーい! と両手を上げて喜んだ。

 二本足最高! ドレスは素敵! 私は今日から人間よ!


「駄目元でしたが、なんとかなるものですね」

「そうね! シグルドのおかげよ! この一ヶ月何度貴方を恨んだことか!! でもちゃんと元に戻ったのだから、貴方を信じてよかったわ!」

「恨まれるようなことしましたか? 俺」

「あの所業で恨まれないと思うの!?」


 もう本当にひどかったわ、この一ヶ月!!

 少しでも、身体や魂の穢れを無くすために、食事、運動、精神統一、すべてシグルドに監視されての生活だったもの!

 人間の姿でダイエットをするよりもしんどかったわ!

 食事は本当に葉っぱと果物しか食べさせてもらえなかったし、運動兼精神統一だと言って、本当に滝壺に放り込まれるし! 人間でもつらい滝行よ! 猫の私なんて何回流されかけたことか!

 とはいえそのシグルドも頑張っていたわ。私の身体が逃げないように捕まえて、食事と滝行を同じようにさせていたんだもの。私の身体、可哀想だったわ。毎朝シグルドが滝行に連れ出そうとするのを、にゃんこ二匹で身を寄せ合ってぷるぷるしていたのは良い思い出ね。

 最終的には、借りていた小屋の中にシグルド配合の特殊な香を焚きしめて、放置。

 シグルドが怪しげな呪文とダンスを踊っているなと思っていたら、次に意識を取り戻したときには元に戻っていた。

 ちなみに私が意識をなくしてから優に三日は過ぎているらしくて、その間シグルドに多大な心配をかけてしまったらしく、彼の泣きそうな顔を目覚めの一発目で見られたというのは今世紀最大のビッグニュースかもしれないわ。

 そんな感じで一ヶ月間の苦行を乗り越え、晴れて人間として降臨できた私がご機嫌でにこにこしていると、足元で三毛猫がにゃーんと鳴いた。

 それに気がついた私は、その猫を抱き上げる。


「あなたも災難だったわね。ようやく自由になれたのだから、好きにしていいのよ?」

「にゃーん」


 三毛猫はのんびりと鳴いた。床におろしてやれば、いつもの定位置のお昼寝スペースで丸くなる。さっき起きたばかりだけれど、まだ寝るつもりなのね、あの子。


「お嬢様二号はすっかりお嬢様に懐きましたね」

「ねぇ、この一ヶ月聞いていたけど、飼うんだったらちゃんと名前をつけてあげたら?」

「この場合の飼い主はお嬢様でしょう。俺、お嬢様二号に嫌われました」


 まぁ、あれだけ私でも耐えがたい強制修行させられればね……猫ちゃんもね……。


「まぁまだ戻ったばかりだし、この子ももしかしたらふらっと野良に戻るかもしれないわね。でも野良に戻れずに、もしこの子を飼うなら、私達も定住したほうがいい気がするけれど……」


 私達は追われている身だものね。一つ所に留まっているのは難しいかも。

 これからのことに思考を巡らせていると、シグルドが「お嬢様」と控えめに挙手をした。


「このひと月ですが」

「ええ」

「どうやら今の世論はお嬢様に傾いているようです」

「どういうことかしら??」


 はて? と首を傾げていれば、食糧調達等で街に降りていたシグルドが、街で聞いた話を教えてくれる。


「お嬢様の指名手配は解除されていました。その上で、真の大罪人はセレーナ様になっています。そのセレーナ様も捕縛されたのですが」

「ですが?」

「スキルが解除されていない人がいたんでしょうね。脱獄し、このひと月ほど行方不明。お嬢様ではなく、セレーナ様の指名手配書がギルドに回されています」


 あらぁ……。

 私は頭痛がするように目元を抑えた。


「さすがは姉妹だわ……脱獄上手……」

「お嬢様は脱獄ではないでしょう」

「似たようなものよ」


 今思えば、騎士団に囲まれて逃げおおせた私ってすごかったわ。だから余計に思うけれど、あの騎士団からよく逃げているわと思うのよ。


「あの子にそんな行動力があったなんてね」

「セレーナ様の場合、行動力よりも人を使うのがお上手なんでしょうね」

「たしかに」


 あれだけいつも人が周りにいて、魅了スキルも使えるのなら、人を使うのは上手そうね。


「まぁ、どちらにせよ、そのうち捕まるでしょう。あの子は贅沢に慣れてしまっているもの。隠れた逃亡生活なんて我慢できないと思うわ」

「仰る通りですね。さすがに表立っての贅沢はできないでしょうから」

「そういうこと。とりあえずは私の指名手配も解除されたようだし。顔を出して歩くのは憚られるけれど、森からは一旦出ましょう。久々に街へと降りたいわ」

「仰せのままに」


 そう、ここは森の中。

 滝行しないといけないし、謎の儀式の準備等の都合で、シグルドが手配した木こり小屋に私たちは寝泊まりしていた。

 猫の姿だと森での生活もそれほど気にならなかったけれど、やっぱり人間に戻ったなら人間らしい生活をしたいわ!

 ふかふかのベッドに、温かい食事。人が笑う町並みに、きらきらと輝く営み。

 私がかつて、守りたかったものたち。

 そこで私も、息づきたい。


「お金もほしいし、指名手配が解除されたなら、ギルドに登録するのも楽しそうね。そうしたら前のように旅をしながら、魔獣退治をしましょうか。このひと月、結界の方は修復されていないのでしょう?」

「そうですね」

「それならまた、姿を隠して魔獣退治と励みましょうか。お金も手に入れての、一石二鳥を目指しましょう!」


 そうしましょう! それがいいわ!

 うんうん、とこれからの方針を固めたところで、シグルドがまたもや小さく挙手をする。


「お嬢様」

「なぁに?」


 改まった様子のシグルドを振り向く。

 シグルドは神妙な様子で、口を開いた。


「ここを出る前にご褒美をいただきたいのですが」

「ニャッ!!?」


 ご、ごごごご褒美!?


「約束、忘れていたなんて言わないですよね? 俺、楽しみにしていたんです」


 その言葉で、私はこの一ヶ月頭の片隅に常に眠らせていたソレを思い出す。

 不意打ちだったから、挙動不審になるのは許してほしいわ!


「そ、そそそそういう約束だったわね! わ、忘れてはいないわよっ!」

「なら、今いただけますか? ご褒美ほしいです」

「今!?」


 今なの!?

 そ、それは、ちょっと、その、心の準備が……!


「お嬢様、頑張った俺にキスをください。俺がお嬢様だけのものだってこと、ちゃんと覚えさせて」

「し、シグルド……っ」


 ぶわっと体温が急上昇した気がした。

 シグルドの、いつもは淡々とした表情が、今はすごくせつなそう。

 気がつけば私はベッドの上に腰かけていて、シグルドの顔もぐっと近づく。

 彼の新緑の瞳の中に私が映る。

 私の姿が見えるくらい、彼の顔が近づいてきて―――


「待って」

「ふぎゅ」


 思わずシグルドの頬を挟んで、彼の瞳をガン見した。


「おじょうひゃま?」

「……目が」


 私は信じられない思いで、思わず辺りを見渡した。


「シグルド、鏡は!」

「……こちらです」


 渋々シグルドが鏡を見せてくれる。

 それを借りて覗き込む。

 身だしなみ用に持ち歩ける小さな手鏡に映る、私の顔。

 その瞳が。


「元に戻ってる……?」


 金色と水色の、オッドアイ。

 二回目の人生からずっと、異双の魔女と呼ばれ続けてきたその象徴が、私から無くなっていて。

 そこに映るのは、母親譲りの、一番最初の、二つのアクアマリンの瞳だった。


「し、シグルドっ? 私、私の眼がっ」

「儀式が終わり、目覚めてからはそのお色です」

「どうして先に言ってくれなかったの!」


 いったい、どうして、こんなことに?

 そもそもこの目が二回目の人生でオッドアイになってから、ずっと原因を探してきた。人生を繰り返すたび、きっとこの目が死に戻りの原因なんだろうと思って、色々と調べたりもしていた。

 結局原因も分からなくて、オッドアイも元に戻らなくて。

 ……この目は私の死の象徴だった。

 裏切られて、生を終える、その象徴。

 それが。


「……お嬢様」

「シグルド……」


 誰かの、呪いだったのかしら。

 異邦の術の儀式で、私にかけられた術とともに消えたオッドアイ。

 そしてそれは、私の死に戻りが、なくなるということ……?


「わ、私、今ここで死んだら、ちゃんと死ねるのかしら」

「……お嬢様? どういうことです?」

「だって! 死にたくても、死ねなくて! ただでさえ魔力で恐れられていたのに、この目のせいで、私……っ」


 動揺して、唇を噛んだ。

 どうしよう、心がぐちゃぐちゃだわ。

 私、今ならちゃんと死ねる? 死んだらまた繰り返さない? 誰かに裏切られるような、嫌われるような人生はもういやだ。

 何よりも私―――


「お嬢様。……アニエス様」


 シグルドが、私の名前を呼んでくれる。

 縋るような気持ちで彼の方を見るよりも早く、シグルドが私のことを抱きしめながら、ベッドへと一緒に倒れ込んだ。


「…………………さい」


 驚いて硬直する私の耳元で囁かれた、小さくかすれるような声。

 シグルドの言葉が聞き取れなくて彼の名を呼べば、彼が私を抱きしめる腕に力が込められて。


「死なないでください! 俺、嫌だって言ったじゃないですか! 二度と置いていくなって言ったじゃないですか! 俺が味方です! 貴女が誰に裏切られようが、傷つけられようが、俺だけは貴女の側にいさせてくださいよ!!」


 普段表情を変えないシグルドの、大きな声。

 感情の乗ったその言葉に言葉が出ないでいると、私にのしかかっていた形のシグルドが身体を起こした。

 その表情は、怒りと悲しみとが綯い交ぜになったような、烈火のような感情を訴えていて。

 私がそれにあてられて固まっていれば、シグルドの新緑の瞳が私を射貫く。


「貴女がそういうつもりなら、俺ももう手加減しません」

「し、シグっ、んんっ!?」

「愛しています。どうしようもないくらい貴女を愛しているんです。死にたいなんて言いたくなくなるくらい、愛してやる」

「ぷはっ、ちょ、まっ、シグ」


 私の言葉は、シグルドに飲み込まれた。

 唇に触れる熱い吐息。

 私の背中に回される、大きな手。

 どっしりと重くて、大きな身体。

 初めて感じる、誰かの、激しい、愛情。

 何が導火線だったのか。

 シグルドの言う、愛、は。

 私の理性までもを溶かしてしまうくらいに、熱い。


「ま、待って、待ってシグルっ、きゃあっ」

「嫌なら魔力使って全力で抵抗してください」


 シグルドが起き上がろうとした私をベッドに押し倒して、そんな事を言う。

 銀の髪がまるでカーテンのように私の顔へとかかる。

 無表情じゃない、真剣な、熱のこもった、シグルドの瞳。

 ……そんなの、無理よ。

 だって、だって、私。


「……ごめんなさい、シグルド。待って。私が悪かったわ。別に死にたいわけじゃないのよ。だから、ね」


 ぽたり、と頬に落ちてきた一粒の滴。

 いっぱい溜め込んでいたらしい、シグルドの感情が、瞳からこぼれ落ちてきた。


「泣かないで、シグルド。私こそ、一緒にいてほしい。初めてなの。私がこうして生き延びることができたのも、こうして好きに魔法を使って生きるのも、こうして……誰かを好きになるのも」


 シグルドの頬を包む。

 言いたいことがいっぱいあるんだって分かっているわ。貴方、普段は無表情で、中身のないことをポンポン言う割に、大事な大事な本音、いつも隠してるわね。

 それは、私も同じ。

 本当に言いたいことこそ、胸の奥に隠れてしまうの。


「シグルド。私も貴方のことが好きなのよ。好きだから、一緒にいたいと思っているわ。だからこそ、ちゃんと死にたいのよ」

「死んだら会えません。一緒にいられません。お嬢様は馬鹿なんですか」

「馬鹿じゃないわよ。ちゃんと最後まで聞きなさい」


 私より年上のはずなのに、こういうところはまるで子供みたい。ぐすん、とシグルドが鼻をすすってる。その仕草がなんだか可愛くて笑えば、睨まれてしまった。


「あのね、シグルド。私、死んだら巻き戻るって言ったでしょう?」

「……言ってましたね。それがなんですか」

「前にシグルドが言っていたでしょう? 前の人生にもシグルドはいたかって。私、いなかったって答えたわ」

「……そうですね。この薄情者」

「薄情かもね。でも、つまりはそういうことよ」

「……どういうことですか」


 いつもは私の考えを読み取るくらい察しのいいシグルドも、今回ばかりは分かりかねるらしい。

 私は彼の頬へと手を添えた。


「今ここにいるシグルドは、今この瞬間にしかいないのでしょう? 死に戻ったら出会えないかもしれないし、もしもう一度出会えても、それは私が愛したシグルドじゃないでしょう?」


 そんなの寂しくて、耐えられないわ。

 答え合わせをしてあげるように教えてあげれば、シグルドは一瞬固まった。

 それからみるみるうちに大きく目を見開いて。

 それからぱたりと、私の上に落ちてきた。


「ちょっと、重いじゃないの」

「……お嬢様の馬鹿。馬鹿です。馬鹿。馬鹿馬鹿」

「主人に向かって失礼ね!」

「じゃあ結婚してくださいよ。いっぱい子作りしましょうよ。それでチャラにしてあげます」


 ぐずぐず呟いているシグルドは私の上から動こうとしない。

 仕方なく、ベッドとシグルドに再びプレスされるような形になった私は、シグルドの背中に腕を回して、赤子にするようにその背を撫でてあげた。


「そうねぇ……貴方が私の名前を呼んでくれたら、結婚してあげる」

「は?」


 シグルドの息が止まった。

 え? 大丈夫? ちょっと、さっきまで聞こえていた呼吸音がなくなったわよ!?


「シグルド? シグルドったら!」

「……お嬢様?」


 ころりと転がって、シグルドが私の上から退いた。私もころりと転がって、身体を横向きにする。シグルドも同じように身体を横向きにして、私の方を見ていた。

 穴が空くくらい凝視してくるシグルドに、私はいたずらっぽく笑ってみる。


「さっきみたいに、アニエスって呼んでくれないの?」


 シグルドの目がますます丸くなる。

 ぽろりとこぼれちゃいそうなくらい大きく丸まった瞳に、楽しそうに笑う私が映っている。

 シグルドは何度か口を小さく開いて、言葉を発しようとしているけど、なかなか言葉が出ないようで、口を閉じてしまう。

 可愛いなんて言ったら怒りそうだから言わないけれど、私が笑って待っていてあげれば、ようやくシグルドの喉から生まれた音が声となった。


「アニエス、さま」

「アニエスって呼び捨ててみて」

「……アニエス」

「ふふ。なぁに」


 笑ってあげれば、シグルドがごろりと寝返りを打って天井を向いてしまう。

 しかもその顔を腕で隠してしまって。

 私はうつ伏せになって上体を起こして、頬杖をついた。


「ほら、シグルド。私におねだりなさいな」

「……ずるいです、こういうときばっかりマウントとって」

「あら。お嫌なら、次の機会はないかもね」

「本当にずるい。貴女は」


 シグルドがつぶやく。

 その腕が外されると、耳をほんのりと赤く染めて、目元を潤ませて、とんでもない色気をもったシグルドが、そこにいて。

 ……これは、早まったかもしれないわ。

 心臓がドキドキとせわしない。シグルドが男の人だってことを急に意識してしまって、彼から離れようとしたら。


「逃げないでください、アニエス」


 腕を、引かれる。

 シグルドの身体の上に覆いかぶさるような形になって、私はとっさに彼の顔の横に腕をついて。

 さっきとはまるで正反対の態勢。

 ぐっと近づいた、その距離で。


「アニエス、愛してます。だから、俺と結婚してください」

「……よくできました」


 素直に、はいって言えばいいのに、天の邪鬼な私はついつい上から目線でそんなことを言ってしまう。

 それでもシグルドが、初めて見るくらいに柔らかな笑顔で嬉しそうに笑うから。


「ご褒美に私をあげる」


 私はその唇に、そっとキスをしてあげた。


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