まずは宿屋でミーティング!

 しゃきん。

 耳の側で、私の髪にハサミが入れられる音がする。


「ところでお嬢様」

「なぁに?」

「お嬢様が死ぬたびに同じ人生を過ごしていることは理解しました」

「理解してくれて嬉しいわ」

「それで気になることがあるんですが」


 勘の鋭すぎた従者・シグルドに、髪を切り揃えてもらいながら、私は視線だけをふよっと声の方へと向ける。真後ろにいるので彼の姿は見えないけれど。


 私が冤罪により、親しかった人たちに追い詰められて崖上から飛び降りたあと。

 少しでも私が生きているのを知られるリスクを減らすため、私達は一日歩き通して現場のある崖から距離をとった。その先にある街道の宿場で宿をとり、今私は、今後の変装のために、シグルドに髪を切ってもらっていた。

 その最中、口慰みに彼がずっと疑問に思っていたという、私の今回の逃走劇の顛末について語ってあげたのだけれど。


「気になることって?」

「お嬢様、少なくとも五回は人生やり直してるわけじゃないですか」

「そうよ?」

「その五回の人生って、俺もいましたか?」

「……」

「無言は時に雄弁って言うんですよ、お嬢様」


 素直に言っていいものかどうか悩んでいるうちにシグルドが結論を出してしまったわ! 私の無言から何を読み取ったというの?


「ここにいる俺は俺が初めてなんですね。過去の俺は生死不明と」

「言い方」

「では、お嬢様の視界の端にすら入らなかった塵芥と」

「そんなこと一言も言っていないじゃない!?」

「動かないでください。手元が狂います」


 しゃきん。

 ハサミの音が響く。

 最初に魔法で腰までたっぷりあった髪をバッサリ切ったら、シグルドが死んだ魚のような目をしてハサミを取り出した。それから無言でざんばらだった私の髪を切りそろえ始めてくれたのだけれど。

 振り向こうとしたらシグルドに苦言を呈されてしまったので、大人しく前を向く。姿勢をただしながらも手持ち無沙汰でいれば、シグルドは私の髪を指ですきながらぽつりと言葉をこぼす。


「俺としては嬉しいですよ。ここにいる俺がお嬢様の初めてで」

「そうなの?」

「抜け駆けできた五回目の俺、超ラッキー」

「普通そこはロマンチックに前世の貴女にも会いたかったって言う場面ではなくて?」

「俺以外の俺なんてただの塵芥ですよ」

「言い方」


 自分で自分のことを塵芥なんて言わなくていいんじゃないかしら??

 私が咎めるように唇をとがらせれば、シグルドはしれっと散髪用に掛けていた大きな布を私から取り払った。


「本当のことですよ。所詮俺以外の俺は、お嬢様の人生に含まれなかった塵屑なので」

「更にひどくなったわ!」

「そんなことよりお嬢様」

「そんなことで済ませてはいけない気がする!」

「鏡をどうぞ」


 シグルドが私に鏡を差し出してくれる。

 あれだけたっぷりと腰まであった髪は肩の上で切りそろえられ、私の吊り目がちな目元を引き立てるようにさっぱりしてしまった。私の金色の左眼は、前髪で隠してしまうけど。


「まぁ、これが私……?」

「本当は髪を結えるくらい程度に残しておいてほしかったんですがね。もう男ですよ、この長さ。俺、男の人に嫁ぐことになるんですかね」

「馬鹿言わないで頂戴! まだ貴方と婚姻するって決めたわけじゃないし、私の性別は女せ……、…………女? ん? 男性?」

「おっと、嫌な予感が」

「そうだわ! 変装するならこれよ!」


 思い立ったら吉日!

 私は早速、宙に光の文字を描いて、魔法陣を創る。


「えぇと、ここがこうで……女性性は闇属性の加護を持つから……容姿は幻惑の術式を応用して……質感を得るなら体構造を空間魔法で……男性性は光属性の……」


 ぶつぶつと呟きながら、魔法陣を創っていく。

 簡単な魔法なら無詠唱でいけるけど、複雑に編み込む必要のある魔法は、詠唱や魔法陣が必要になる。新しい魔法を創るときは特に魔法陣を描くのが一番いい。術式を視覚化するのは大切だって、魔法の先生が仰っていたわ!


「できたわ! いくわよ、シグルド!」

「嫌です」

「いくわよ! シグルド!!」

「ちょ、巻き込まないでくださ――」


 シグルドが拒否するような声を聞いた気がするけれど、聞かなかったかもしれない。

 私は早速できたばかりの魔法を試した。


「性別反転!」


 魔法陣が発動し、カッと視界がまばゆく光る。

 思わず眩しすぎて眼をつむれば、まぶたを閉じたのに立ちくらみのような浮遊感。


「うっ……」

「っ、ちょっと魔法酔いしちゃうわね……」


 呻いたシグルドの声はいつもより高く、ぼやいた私の声はちょっと低くなっていた。

 頭を振って、目を開けてみる。

 眼の前に、男装した美少女がいた。


「……お嬢様?」

「……か」

「か?」

「可愛いわシグルド!! 常々貴方の顔は見目のいい貴族に紛れても遜色ないと思っていたけれど、やっぱり貴方って顔が良かったのね!!」


 魔力が殆どないゆえの銀の髪に、春風が凪ぐような新緑の瞳。表情はほとんど変わらないせいか、清楚で儚い、そんな雰囲気をまとう美少女。

 すごいわ! 私が今まで見た中で一番好みの美少女だわ!! 同性でも惚れてしまうわ!!!

 きゃっきゃっと褒めていると、シグルドは心底どうでもいいような感じで自分の身体を見下ろしてる。

 シグルドの髪は、私が結って遊べるようにと背中の中ほどまで伸ばさせていたから、女の子になっても全然違和感がないわ!!

 しばらく身体を見下ろしていたシグルドは、ふと気がついたように私に視線を向けてきた。


「お嬢様」

「なぁに?」

「ちょっとこっちへ」


 シグルドに手招きされ、誘われるまま椅子から立ち上がって移動する。

 宿のベッドにまで誘導された私は、とん、と肩を優しく押されて、ベッドに押し倒されてしまった。


「……シグルド?」

「俺、ふと思ったんですけど」

「なにを?」

「女性の破瓜って相当痛いんでしょう? 後学のために今ここで俺の処女をお嬢様で捨てさせてもらって、初夜でお嬢様に天国を見せさせるためのテクニックを受け手側視点で学ぼうと思うんですが、いいですか?」

「よくないわよ」


 私はベッドに押し倒されたまま、パンっと手を打ち鳴らす。

 それだけで私の性別は元に戻った。


「……なぜご自分だけ?」

「今の貴方の発言に、貞操の危機があるかもしれないのを思い出したわ。しばらく貴方はそのままでいなさい」

「あわよくば既成事実をねじ込んでやろうと思ったんですが、残念です」

「見た目を変えているだけで、胎内構造まではいじってないわよ。貴方には月経こないから、その目論見は最初から破綻しているわ」

「非常に残念です」


 がっかり、と言う割にはやっぱり表情には出ないシグルド。それでも新緑の瞳は雄弁に感情を語っているから、器用よね。

 シグルドはのっそりと身を起こすと、私の上から退いた。私もまた、彼(今は彼女?)の無礼を咎めることなく、身体を起こす。

 私の髪を切った後始末をしながら、シグルドは私に声をかけてきた。


「それで、これからどこへ向かいますか。追手を撒きながらになると、行動範囲はかなりしぼられますが」

「そうね。まずあの崖下に流れていた渓流の筋は避けたいわ。私の死体をさらうために、下流側には特に多くの人員が割かれるでしょう。同時に、万が一に私が生き延びている可能性も視野に入れて、渓流一帯は追捕の手が撒かれてるはずよね」

「魔術師の追跡は」

「五分五分ね」


 筆頭魔術師が出しゃばってきたら、私の魔力痕跡を見つけるかもしれないわ。でも彼以外の魔術師には私の痕跡を辿れないでしょうから、ちょっとやそっとじゃ追いつかれないはず。何よりこの国の筆頭魔術師は、私のことを嫌って、王城に出入りしていた私と顔を合わせないように引きこもりっぱなしだった。今更出てこないでしょうし、むしろ死んでせいせいしたと思われていそう。

 そんなあいつ以外に、隠匿した私の痕跡をたどれる魔術師はいないでしょうし。皇族だったら、私の魔力をよく知っているだろうから探知できる可能性はあるけれど、国の頂点にいる彼らが直接現場に来る可能性は低いわ。


「皇太子が追手に加わる可能性はどうです」

「三割かしら。あの人、セレーナにご執心だから」

「不思議ですよね。セレーナ様、ご容姿がそこそこ愛らしいだけの方ですよね。お嬢様の方が美人だと思いますけど」

「美人だと思ってくれているのね、シグルド!」

「鏡見ましたが、今は俺のほうが美人でした」

「そこはお世辞でも同意しておきなさいよ! それと貴方が美人になっちゃったのは同意するわ!! その顔好きよ!!」


 悔しいほどにね!!!


「ところで俺を絶世の美女にしてくれたお嬢様」

「過大評価がすぎるわ。美人だし私好みの顔だけれど、絶世とまではいかないわ」

「追手のことを考慮してもやはり、もう少し距離をとっておくほうが安牌だと思うんですが」

「無視なのね」


 絶世のくだりを華麗に無視した私の従者兼自称夫候補は、てきぱきと手元の後始末を進めつつ、ついでに私の髪を切っていたあたりの床の掃除をしつつ、さらについでに気になったらしい部屋の四隅の埃までを塵取りに回収しつつ、今後の話を振ってくる。

 でもそうね、追手のことを考えるなら、やっぱりシグルドの言うとおり、距離を取っておきたいところ。


「決めたわ」

「今日の夕食ですか?」

「そうね、今日はトマトベース系の煮込みが食べたいわ。……じゃなくて!」


 うっかりシグルドにメニューの要望を出してしまいながらも、私はベッドの縁に腰掛け、足を組み、腕を組んで、不敵に笑ってみせた。


「ミュレーズ伯爵領に行きましょう。私が居なくなった後の領地が気になるわ。ついでに我が家の痛いところ、ちょんちょんっとつつきまわってやりましょう」

「そうきましたか。愉快なことになりそうですね」

「あら? 貴方、知ってたの?」

「実は裏でちょっと。あの家の裏稼業に関するあれそれは、いつかお嬢様の切り札になるかと思い、大切に温めておりました」

「最高だわ! さすがシグルドね! 持つべきものはシグルドだったんだわ!!」


 私をあの王家に差し出して、甘い蜜ばかり吸っていた人でなしたちの鼻を明かしてやれそうだわ!!

 私はますます笑みを浮かべる。

 そんな私に、宿の部屋の掃除が満足にできたらしいシグルドが近づいてきた。


「さて、お嬢様」

「なぁに?」

「そろそろ日が落ちますね」

「もうそんな時間?」


 言われて窓の外を見ると、確かに日が傾いている。そろそろ部屋に明かりを灯しておいたほうがいいかもしれないわ。


「従者としての就業時間が終わるので、本日の報酬が欲しいのですが」

「……貴方に就業時間という概念があるのを初めて聞いたわ」

「昨日から存在してたんですが、緊急を要していたので初日から残業三昧でした。なので昨日の分も含め、報酬が欲しいのですが」


 なんだか嫌な予感がするんだけど?

 私がちょっぴりシグルドから距離を取るように身体をそらすと、シグルドがずいっと顔を近づけてくる。

 あら、綺麗な顔。

 ……じゃなくて。


「報酬って何かしら?」

「一日経てば忘れてしまうお嬢様、まるで鳥のように可愛らしい頭ですね」

「言葉を盛ってもそれは悪口にならないかしら!?」

「キスをください。貴方の従者で、もしかしたら夫になる可能性が一番高いかもしれない俺は、お嬢様のキスでまた明日一日、忠実な下僕になりますよ」

「それ冗談ではなかったの!?」

「本気です」


 思わず叫んで仰け反れば、また再び、シグルドがベッドの上で私にマウントを取ってきて。


「今なら俺、女なんで。男の俺とするよりはハードル高くないと思いますよ」

「高いわよ!? 同性の方がハードル高くなくて!?」

「なら男の俺に戻してくださいよ。まぁ、男に戻ったらキス一回じゃ済まないとは思いますが」

「絶対に戻さないわよ!!」


 大変だわ! 私の貞操がやっぱり危険だわ!


「……キスしてくれたら、今日はもう、指一本触れません」

「駄目よ! そんな、破廉恥なことっ」

「一回だけ……」


 シグルドが新緑の瞳をわずかに伏せて、私にしなだれかかるように体重を預けてくる。

 華奢な身体、切なく震える長いまつげ、一途に私を映す、綺麗な瞳。

 どうすればいいの、私、私――


「お嬢様、顔が真っ赤です」

「!」

「俺とキスするのは嫌ですか? 嫌なら俺は、ここで貴方とお別れします」

「っ、それはだめ!」


 そんなのだめよ! 私とともに行くと言って、手のひらを返すなんてひどいわ!


「じゃあキスしてください。ちゃんと言ったでしょう、俺への報酬は毎日のキスだと」

「〜〜〜っ!!」


 シグルドが真剣な表情で私を見てくる。

 その顔があまりにも近くて、息がふわっとかかるような距離で、あれ? なんでこんな距離にシグルドがいるのって思うと、心臓がバックンバックンと暴走し始める。


「し、シグルド……」

「なんですか、お嬢様」

「近いわ」

「キス、待っているので」

「その距離で待たなくてもいいのではないかしら!?」

「お嬢様からのキスが待ちきれなくて、つい前のめりに」


 そんな前のめりにならなくてもいいのよ!?

 むしろ緊張するから離れてほしいわ!


「嬉しいです、お嬢様」

「な、なにが!?」

「俺のこと、男として意識してくださってるんでしょう?」

「そ、そんなことっ」

「それなら、お嬢様の魔法で女の体になってる俺にそんな風に恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。ほら、ちゅっとしちゃってください。ここ、ここにお願いします。ディープなやつお返ししてあげますんで」

「破廉恥だわ!」

「ありがとうございます」

「褒めてないわよ!?」


 これは一歩も引かないやつだわ!

 シグルドはなんだかんだで押しが強い。これはもう、私が本当にキスするまで、引かないわ……!

 私はぐっ、と目をつむる。

 きゅっと唇を閉じる。

 ちゅっと、首を伸ばして、触れるか触れないかのキスを、シグルドに贈る。


「はい、一回! 今日はもうしないわよ!!」


 ぷいっと顔を背けて、私は宣言する。

 私のファーストキスよ! 前世まで含めてもファーストなキスよ! 両親にも親愛のキスなんて贈ったことないんだから、本当に初めての初めてなキスよ!

 シグルドに言いたいことはいっぱいある。

 それでも恥ずかしくて言葉にできなくて、そっぽを向いていれば。


「……ありがとうございます」


 ぽつりと呟いたシグルドの表情を見て、私は後悔した。

 目がうるみ、頬が上気して、嬉しそうに表情をゆるめた、シグルド。

 不覚にも、胸がキュンっと高鳴ってしまうくらいに、可愛かった。






 ちなみに宿は男のシグルドが顔を出してとっていたので、怪しまれないよう、翌朝にはシグルドの女体化魔法は結局解いてしまった。

 さらには予想以上に魔力を持っていかれたので、この魔法を日常的に使用するのは断念した。


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