トーキョー2021
@otaku
2021年6月21日
左手に収まるスマートフォンは何世代も前のiPhoneで、それは現行のモデルと比べかなり小ぶりである。でも、以前不注意で落としてしまった際に画面に少しヒビが入った他、特に不足はなかった。その割れた液晶画面にはあるニュースの見出しが表示されていて、そこでは多分立派なんだと思う長い肩書きを持った医師がオリンピックの中止を呼びかけている。
記事のコメント欄を覗くと、こんな書き込みが目に飛び込んでくる。
「私たちは別にオリンピックが見たくて日常の色んなことを我慢しているわけではない。オリンピックなんかよりも息子の運動会の方が見たかったのに」全く、その通りだと思った。オリンピックなどどうでもいい。別にアスリートの頑張りに元気を貰ったことなど、一度たりともないと言い切ることが出来る。くだらない。所詮、赤の他人じゃないか。などと俺も続けて書き込んでみる。
ただ、この状況自体については、怒りよりも、一歩引いて、愉快に思っている、そんな自分がいた。元々は2020年の夏に開催予定であった東京オリンピックだが、同年一月頃から世界的に流行し始めた新型コロナウイルスが収束する兆しを見せなかった為、一年の延期を余儀なくされた。しかし蓋を開けてみれば、延期の決定から約一年が経った21年6月現在もウイルスは猛威を奮っている。
未来は、不確実性に満ち溢れている。そうして、ウイルスの流行は間違いなく未来の不確実性を強める。それまでにどんな人生を歩んで来ていようが人は脈絡なく死ぬ。つまり、人々はこの広大で複雑怪奇な社会という舞台の色々な場所に立っている/立たされているかもしれないが、謂わばその位置が一様に、少し、フラットになる。それが、俺のような不安定な足場にいる者にとって、少し、心地良かったりする。
社会は複雑怪奇だ。アスリートのように、本質的に労働とは言い難い営為によって年間数億もの収入を産み出す者もあれば、週5でシフトを入れて、月の収入が僅か十数万の俺のような存在もいる。これは素朴な疑問として、割と常に頭の片隅にあるけれど、それを誰かに口にしたりはしない。疑問が解決する見込みは薄く、単に馬鹿にされて、そうして俺は気分を害するだろうことが分かっているからである。こうした想定をするだけで、現に少し、気分が悪くなる。
頭がクラクラする。灰が、ぼとりと液晶の上に落ちる。俺はスマートフォンの天地を逆さまにし、灰皿がわりにしていた空き缶の上で灰を払う。ついでに吸っていたタバコも揉み消す。タバコを吸うといつも頭が少しクラクラとしてくる。もう吸い始めて何年も経つのに、それをほんの少し恥ずかしく思っている自分がいる。全て、少しである。何の起伏も持たない毎日を繰り返していたら、感情を司る器官が自然と鈍くなっていってしまった。明日のシフトは朝番だから、さっさともう寝てしまおうと思う。歯を磨くのも面倒になって、そのまま電気を消して、万年床に倒れ込む。目を瞑る。日中シフトに入っていると時間はあっという間に過ぎていくが、夜は長い。長いけれど、特にやることはなくて、特にやることはないのに、その只中で俺はぼんやりと焦燥に駆られる。だから目を瞑ってやり過ごす。眠っている間の時間だけは全ての人々の合間を平等に過ぎてゆく。何も残すことなく。
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