第五節 晄体神紋

「テメェ、そろそろいい加減にしやがれよ」


 怒気を含んだ声を発したティクヴァールは、受け止めていたギボリムの剣を掴み、ありったけの力で握り砕く。

 力にモノを言わせただけの、ただの圧壊。そして追撃に腹部を蹴り付け、ミカエラから遠ざけさせる。

 ギボリムは吹き飛び、反対側に壁に激突する。

 怒涛の出来事に、この瞬間に居合わせた誰もが唖然とし、驚愕のあまり息を呑むことさえ忘れていた。

 余りにも異様な所業であり、非現実的であったからだ。

 神話時代の遺産たる自立型機兵を屠り、あまつさえ武器すらも握力で破壊してみせる。

 いかに過去の産物とはいえ、少なくとも現代兵器より高い硬度を持つそれを、力任せに打ち毀した事実は、見る者全てを圧倒させた。

 そして彼らは、しばらくした後にもう一つあり得ざる事物を目の当たりにする。

 ギボリムの剣を、人間の肉体なぞ容易く両断できるであろう古代兵器の凶刃を、生身の腕で受け止めたにも関わらず一切の傷を負っていない事実に。


「アンタ、それ……」


 ミカエラは燦然と輝く紋様を浮かび上がらせたティクヴァールの腕をずっと注視していた。

 それは、彼女がこのダンジョンに来てから二度ほど目にしたものと酷似していたからだ。ゴーレムとギボリムが起動した際に発現させていたそれと。


「悪かったな。実は俺、まだまだ本気じゃなかったんだ」


 彼は詫びるように静かに零す。


「実は人前では見せるなってアドラに止められてたんだよ。だが、今は人命がかかってるんだ、例外として許してくれるだろ」


 続けて呟かれる彼の独白にミカエラは口を開く事ができなかった。

 本当は聞きたい事が山ほどあって、けれども場を支配する仰々しい空気がそれを許さない。

 まるで黙して刮目せよ言わんばかりの────新たな伝説の幕開けを予感させる一節が、目の前で繰り広げられようとしていた。


 ティクヴァールは静謐を纏っていたが、同時に陽光のような熱量をも放っていた。

 手を伸ばすだけであれば暖かく、しかして触れようものなら忽ち身を灼き尽くしてしまう威光を。

 生き物とは、得てして光を求める。困窮した環境、寒さに震える時代、暗闇に怯える万魔の世。そんな中、生きとし生けるものの希望たり得るものこそが一条の光であり、希望である故に求めてやまない。

 壁際に力なく座り込む少女ミカエラも、その神秘的なまでの輝きに目を逸らせずにいた。

 誰もが目を奪われてゆく、眩い威光がそこにはあった。


「おい木偶の坊。まだ動けんだろ?」


 言葉の節々に怒気を感じさせながらも、悠然とした態度を崩さない。

 ティクヴァールの挑発に応えるように、ギボリムはゆったりとした足取りで立ち上がる。

 機体の至るところに小さな傷から、損傷と呼べる破損の痕が見られた。特にティクヴァールに足蹴にされた部位は凸凹の歪みが生じている程だ。

 砕かれ、刀身が半ば折れた剣を用済みとばかりにパージし、無手となって相対する。


「最初に言っておく。この力を使う俺は……強いぞ? 多分」


 最後の最後に呟いた保険のせいで台無しな気がしなくもないが、ティクヴァールは嘯く。

 対して自立型機兵たるギボリムは沈黙を保つ。

 物言わぬ人形にはやはりと言うべきか、人間味を感じる会話を成立させる事などできないのだろう。音声の発声も、単なるシステム更新を粛々と明言化しているに過ぎない。

 一人で勝手に盛り上がっているように感じたティクヴァールは、少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、改めて目前の木偶の坊をぶちのめさなければと決意を新たにする。大人気ない。

 両者の間に緊迫した空気が流れ、ギボリムが右腕を突き出し手を開く────瞬間、開戦の狼煙として『閃葬アクティナ』が放たれた。

 小型化する以前の威力はないが、エネルギーの充填時間が短く、照射速度も比較にならない程に速い。

 その段違いの照射速度故に不意打ちに近い一射をティクヴァールは真正面から受ける事となる。

 威力は減少している。だが、人間の肉を穿つには十分な威力を内包している。

 このまま直撃すれば人体が穿孔される姿が現実となるだろう。そんな未来を誰もが幻視した……しかし、ミカエラだけは違った。

 間近でティクヴァール威容を見て、とある伝説が脳裏を過り、彼の姿を照らし合わせていた。

 仮に、本当にそうであれば彼が負ける筈などない────と。


「幾らか速くなったようだが、攻撃が同じパターンばかりで芸がないぜ?」


 ティクヴァールは余裕の表情を浮かべ、片手で『閃葬アクティナ』を受けて止めた後に握り潰す。


「じゃあ次は俺の番だ。……嗚呼、言っておくが、テメェに次はない」


 ティクヴァールの内から力の奔流が吹き荒ぶ。

 これから本番であると示すように、彼が力を籠めると光の紋様が体中を覆うように浮かんだ。

 ミカエラは言葉を失う。伝説の一幕が綴られた古き書物の一節をはっきりと思い出し、その神話の再現と言っても過言ではない光景が目の前で起こっているのだから。

 その御前こそ、奇蹟を纏いし光の神子。

 渺渺びょうびょうたる蒼天には偉大なる雲の柱が、嗣業しぎょうの地への道導を示し、星々の瞬く夜天には炎の柱が赫奕と照らし、約束の地へと者者を誘う。

 それは地に満ちる塩、世に溢るる光。天命により遍く全てを抱かんとする救いの祝福。

 神の名を指し示す聖なる四つの文字。そして、その四文字が指し示す神の与えた四つの奇蹟の一つ。

 世界よ刮目せよ。その神名、聖名、洗礼を施す真名こそは────。


「────晄体神紋カーヴォード・カドモン


 光に魅入られた少女が呟く。

 神話の再現が、再来が、再臨が現実として具現した瞬間を目の当たりにし、心が震える。


「ふんっ……!」


 拳が突き出される。

 その衝撃、光を纏った突きから『閃葬アクティナ』に酷似した光線が放たれ、射線上に光の粒子を撒き散らしながら突き進み、真っ直ぐギボリムに向かう。

 何かしら対応しなければ防御すら突き破って相手を滅ぼす光に対し、ギボリムが選択した行動は立ち尽くす事であった。

 無防備を晒した機兵はそのまま腹部を貫かれ、一目で機能不全だと認識できる損傷を負った。

 本来であればここで終わり。神話の遺物はここにて機能を停止し、永遠に眠るだろうと────そう思われていたが、ギボリムは膝を折らず直立を保っていた。

 そして、ゆっくりではあるがティクヴァールに向かって歩行を始める。

 まだやるか、とティクヴァールは警戒するように再び拳を構えるが、相手から攻撃の気配が感じられない。

 一歩、また一歩、そうして次の一歩を足を運び、少年の前に立つ。


『────神の名による四つの奇跡プラオットを感知。晄体神紋カーヴォード・カドモンを確認』


 そのような音声を発した後、ギボリムはかの少年の前に跪いた。

 まるで騎士が己の君主たる王に敬礼するかのように。もしくは、神に祈りを捧げる敬虔な信徒を思わせる姿であった。


『────ようこそ、おかえりなさませ。我らが至上の主レガリアント


 生命なき、感情なき、心なき自立型機兵である筈のギボリムから発せられた音声には、どこか過去を懐かしむような哀愁さが感じられた。

 レガリアント────その名を指し示す意味は、あらゆる神話・伝説においてもただ一人である。

 即ち世界にて多大なる影響力を誇る十字星教の象徴────女神イェシュ・ソフィアに他ならない。


『我らが至上の主レガリアント、我らを導きたまえ』

「……なんか、誰かと勘違いされてるみてぇだが、導くね……」


 どうしたものかと顎に手をやって熟考する。

 正直なところ、ティクヴァールはギボリムの言いたい事の半分も分かってるいない。ただ何となく頷いて、少ないながらも理解できた部分を反芻しているだけであった。

 導くとは具体的にどうすればいいのだろうか、とティクヴァールが頭を悩ませていると、唐突にダンジョンに激震が走る。


「ちょっと! 後少ししたらダンジョンが崩壊するわよ!」

「……なんで!?」

「ダンジョンってのは、各々に崩壊する条件ってのがあって、どうやらここの条件を満たしたせいで崩壊の予兆が発生してんの!」


 とりあえず、揺れの正体が分かったティクヴァールは少し焦った様子で跪くギボリムに向き直る。

 余談だが、このダンジョンの崩壊の条件は『自立型機動尖兵ギボリムの従属』である。無論、二人は知る由もない。


「おい、アンタ! どうやったらここから出られる」

『まもなく、このフロアにて転移陣が展開されます。我らが至上の主レガリアント、我らを導きたまえ』

「よし、聞いたな! そろそろ出られるってよ!」

『我らが至上の主レガリアント、我らを導きたまえ』

「他に見るものも漁るものもないか?」

「一応、もっとも見て回りたい気持ちもあるけど、時間的には限界ね」

『我らが至上の主レガリアント、我らを導きたまえ』

「……うるせぇ! 導けってなんだよ!? アンタ、俺と一緒に来たいのか!?」

『叶うのであれば、我らは、我らが至上の主レガリアントと歩みを共に』


 壊れた機械のように同じ音声を割り込んでくるので、ついにキレたティクヴァールのヤケクソの提案への返答は、まさかの可。

 ギボリムの迷いのない言葉に少し考えを張り巡らす。


「一つだけいいか? お前────」


 ティクヴァールの問いに、ギボリムは肯定するかのように機体の紋様を発光させる。

 そうして暫くし、最奥のフロアに転移陣が出現し、閃光と共にティクヴァールとミカエラを退出させ、伽藍堂となったダンジョンは完全に崩壊した。

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