第6話

 ハロウィンのように荒れ果てたかのように見えたあの町並みは、本当に荒された後なのだと知った。いくつかの高層ビルに囲まれた『都心』エリアが、彼女たちの住居らしかった。


 見慣れたコンクリートジャングル。まるで東京都みたいな町並みだった。どうやって建てたのか、また、どうやって壊したのか。いくつかのビルはパズルのピースが欠損したような、歪な欠け方をしていた。


 俺はいつか轢き殺された車道の中心を歩き、周囲から奇異な目でじろじろ見られながら、高層マンションの中に入る。入り口は自動ドア。電気が通ってるのか、勝手に開いた。


 そして移動はまさかのエレベーター。電気なんてあるんだろうか。なんか、思ってた異世界と違うな。


 なんて思いながらも、チン、という歯切れの良い音共にエレベーターを降りる。すると、ちょっと座り心地がよさそうなソファと意匠をこらした木製の机が置かれていて、そこにふたりほど、たむろしている人がいた。


 変わった人たちだ。


 袋に入ったキャンディみたいなピンク色の髪型をしたコスプレイヤーみたいなロリポップな少女がひとり。もうひとりは黄昏色のマントを着て、全身ムキムキのスーツを着ているのに顔立ちはすらっとしていて、獅子みたいな金色の髪をしたイケオジだった。


 シュールな組み合わせだ。そこに銀髪のエルフみたいな彼女と、その辺にいる凡骨な俺が加わるんだから、もっとだ。



「ダリア、そいつ誰?」


「新しくイデリアに来た人だそうです。ふたりでお話がしたいんです」


「あたしたちにも聞かせろよ」


「それはご自由に」



 にこやかな会話を交わし、ふたりはソファを明け渡す。


 なんとなく居心地が悪いが、どうぞと手で進められたので、俺はソファに座る。


 俺を導いた美女は、どこか不安そうな顔でイケオジに尋ねる。



「レオ、シルクは?」


「また調査に出たよ」


「そう」


「……俺たちも自衛だけじゃなく、下層への階段を見つけなければいけないんだ。これは、合理的な判断だ。あいつなら、ひとりでもソンズにだって遅れは取らん」



 下層。こいつらもゲームを攻略したがってるんだろうか。


 んー、その割には下層に『行かなければいけない』ってのもおかしな話だ。微妙にニュアンスが違う気がする。まぁ、考えるのはいいか。聞いちまえば。


 と、俺が質問するよりも早く、シルクが俺に尋ねる。



「失礼。私はダリアと申します。貴方のお名前は?」


「リヴィーズ!」


「……変わった名前ですね。ペンネームですか?」


「だって本名とか恥ずいじゃん」


「現実へ帰ることを考えているのならば素晴らしいですね。貴方はいつイデリアに来たのですか?」


「いつって言われても、西暦でいいの?」


「はい。私たちは貴方と同じ時間に生きていた人間です。分かれば正確な日時も詳細にお願いします」



 意味は分からないが、聞かれるがままに答える。



「ここに来るまでに、一層毎にどれくらい時間をかけましたか?」


「んー、あー」



 そして、これまでの経緯を聞かせると、ダリアは「やはりそうですか……」と嘆息した。


 何が分かったんだろうか。



「この質問に何の意味があるの?」


「……やはり、シルクの推察通り『乗算』が正しいですね」


「もっしもーし」


「失礼。貴方はイデリア、この世界について、どこまで分かっていますか?」


「どこまでって、何にも?」


「そうですか。混乱されるのも無理ないですね。ここはイデリア。『夢』の国です」


「……夢?」


「現実でウイルスが流行していたでしょう。罹った人は12時間寝てしまうことから、『眠り病』と名付けられた奇病が」


「……それが、この世界と、何の関係が?」


「ここは夢の世界なんです」


「……夢?」


「そうです。今あなたが思い、感じているものは、眠り病に罹って見ている12時間の幻影に過ぎません」



 かこん、とまるで鹿威しが鳴ったように、俺は『最悪の現実』を突きつけられたような気持ちになった。待てよ、待て。


 ぞわ、と体中の毛穴から嫌な汗が溢れ出る。髪の毛一本一本をぷつぷつと感じる。


 歯がカチカチと鳴って、変にお腹が空いた。


 待て待て待て待て待て待て。


 待ってくれよ。それじゃあ、ここは……。



「ここは、『現実と陸続きの世界』ってことか」


「……そうです」


「俺はこの世界で、最高なセカンドライフを送れるんじゃないのかよ!!」


「……はい。いずれは現実へ帰還します」


「はぁ? はぁぁぁぁああ!!? んだよ、それ……っ。ちっくしょう……!!」



 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな……っ!


 どうしろと、どうしろってんだよそんなもん。


 夢? 夢って、夢か?


 夢なら、覚めたら―――。


 俺には、帰る体がないんだぞ。


 行き場のない怒りが自分の腹の中でグルグルとぐろを巻いて暴れ出しそうで、それを押さえつけようと俺は必死になって、結果、目の前の机に拳を突き立てる。


 崩れるテーブルを他所に、彼女が続ける。



「まず、私たちは現実世界にある精神の一部を『核』に『ハート』を作っています。ハートは心臓か頭か、本人が本体だと思っている箇所に存在します。そしてその核は、ここで死ぬと同時に破壊され、二度と戻ることはありません」


「……心の欠損?」


「ウイルスの流行と同時に、不可解な自殺などが相次いだのも、そのせいです。人によっては生きるために必要なものを核にしている場合もあるのです。大半は『美味しいものは最後に食べたい』等、そういった代替えの利くものを核にしている者が大半なのですが」



 心の問題じゃねぇ。


 と、俺はピリピリしながら彼女の言葉を待っていた。


 ふー、ふー、と自分の口から獣みたいな息が漏れた。



「私たちは自分たちの心を大事に思っています。この心を持ったまま、そしてここで生きた記憶を保ったまま現実への帰還を目指しているのです」


「……記憶まで残らねぇのかよ」


「イデリアで生まれるものはすべて『シリム』という単一の物質で構成されています。『記憶』もシリムの一部です。私たちは依然、夢を見ているだけなのです」


「じゃあ、今、俺が俺だと思っている俺は、俺じゃなくて。俺は、現実の俺の模倣品ってことかっ」


「そうです」


「……っ!」



 そうです、じゃねーよ。


 記憶喪失っていうのは、そんな簡単な話じゃねーだろが。今まで生きてきた記憶が途中から消えるという現象は、死と同義だ。今、こうして考えて生きている俺が消えるということなのだから。


 俺はがくりと顔を落とし、息を吐き出す。


 そうだ。呼吸さえ、俺はしていなかった。心臓だってもう鳴っていない。今の俺は現実の物理法則で生きているわけじゃないんだ。俺は本当に、『現実の模倣品』に過ぎないんだ。


 認めるしかない。心臓だって、もう動いていないんだ。



「……で、下層に行けば『ゴール』するってか?」


「分かりません。ただ、下層に行けば行くほど『夢を見ていられる時間』が伸びるのです」


「どんくらい」


「乗算式に増加していきます。一層は現実と変わらず12時間。二層では144時間。三層では1728時間。ここ四層では20736時間。というのが、今の私たちの見解です。貴方の証言とも一致しますね」



 それを聞いて、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなった。


 俺は背後のソファに、どかりと尻を押しつけた。



「思ったよりは長そうだな……ああ、それで俺が来た時間を事細かに聞いてきたのか。で、20000時間って、何か月?」


「約2年です」


「……第二の人生にしちゃ、短い夢だ」


「私たちはおよそ1年間戦い続けています。夢から覚め、消滅した仲間や敵も見てきました。もはや一刻の猶予もないのです」


「一刻の猶予もないのは、俺だってそうだ」



 現実世界の俺は、車に撥ね飛ばされた。片方の肺が肋骨でブチ抜かれて即死寸前の状態だった。


 だから恐らく、ああ、考えるのもおぞましいが。


 俺は、死ぬ直前に眠り病に罹ったんだ。だから俺が今感じているこの世界は、俺が事故死する直前に見ている、文字通りの最後の夢なんだ。


 いつ夢が覚めるか? 俺には『12時間寝ていられる保証さえない』。次の一瞬には息を引き取っているかもしれない。


 最後なんだ。もう、これが終わったら待っているのは死だ。


 ―――死。



 ぞくりと背筋を冷たいものが走る。死の悪寒。


 交通事故で死んだときは「あーあ」で済ましていたのに、いざそれを間近に感じると恐怖する。


 やっぱりあのときはとち狂ってたんだな。冷静な今、余計に恐怖してしまう。



 ……いや、待てよ?


 おかしくないか、この話。


 『現実に戻ると記憶を全て失う』、『この世界での死=現実への帰還』。その設定を、なぜ知っている。



「俺は現実世界では夢世界の話なんて聞いたこともなかった。少なくとも、現実はこっちを意識していない。なのに、なぜあんたたちは現実と夢世界の時間を比較できている? こっちから現実は観測できるのか?」


「恐らく、どちらからも干渉することはできないでしょう。私たちがこのことを知っているのは、夢世界の初期のメンバーに『この世界の創始者』がいたからです」


「神様じゃん」


「管理人と言えますね。彼は未知のナノマシンを作り出し、このイデリアを作り出し、現実世界で体を動かせなくなった娘さんと再会されたそうです」


「……なるほ。その科学者はどこに」


「もう、死にました。時間切れです」


「そーか」



 つまり、こういうシナリオだろうか。


 体を動かせなくなった娘を不憫に思い、何とか助けようと奮闘した父親(科学者)は、現実のあらゆる医学技術でも娘を助けられないと知り、ならば現実ではない別の世界に娘の精神を移せばいいということに気づいた、と。


 うーん、突拍子もないな。


 この手法に行きつくまで、さぞ紆余曲折あったことだろう。



「それにかけても、だ。そのナノマシンってのが、現実世界じゃウイルスと認識されていて、流行り病のひとつになってたってわけか?」


「そうです」



 そうです、じゃねーんだってだから。


 何度目だこのやり取り。


 なぜ全世界中にバラ撒いたのだろう。もしくは、パンデミックは科学者にしても予期せぬエラーだったのだろうか。


 いや、今となってはそれもどうでもいいか。研究者本人がいないんじゃ、これ以上、聞きようがないし、聞いたところでどうなるものでもあるまい。


 そう得心し、俺は視線をダリアから下げる。



「貴方は下層への道を目指しますか」


「……は? 当たり前だろ。夢を見続けなきゃ、待つのは現実という名の地獄だぜ」


「なら、私たちと協力してくれますか」


「あんたらも下層を目指してるんなら。他人と争ってる場合じゃないな」


「そうですか」



 そう言って、彼女はにこりと笑った。


 安堵したような彼女に向かって、ロリポップのような少女が問う。



「おい、ダリア」


「はい。彼を我がチーム『ヴァルキリア』へ歓迎します」


「味方はもうちょっと選んだ方がいいんじゃないの」


「彼の目標は『強くなること』や『奪うこと』ではなく、『夢を見続けていること』です。信頼できます」


「……ちっ」



 舌打ちされた。


 この際、待遇なんてどうでもいいが。



「クイッキー。貴女が面倒を見てあげてください」


「なんであたしが」


「貴方の能力は味方への補助に向いています。新規メンバーを数名集めた『討伐隊』のリーダーをお願いします」


「だから、なんであたしがっ……」


「クイッキー、行ってやれ」


「レオまで」


「ダリアとシルクはこのチームの『頭脳』。俺はこのチームの『顔』だ。俺たちが面倒を見るわけにいかない。クイッキー、君が適任だ」


「……わーったよ」



 クイッキーとレオ。


 一方はピンク色の髪をした、小生意気なポップな少女。ちょっとゴスロリ要素も入っているかもしれない。グレーか金色か分からない生地のパーカーに、黄色や白や黒色の水玉模様。靴下は左右でバラバラで、片方は音符とかが多く、もう片方は市松模様。



「強そうには見えないけど」


「うるせーな、素人。この世界じゃシリムを蓄えるハートがすべてだ。見た目と力は比例しないんだよ」


「ふーん」



 俺は見た目が滅茶苦茶強そうな、レオと呼ばれた金髪の男を見る。名前の通り、ライオンみたいな髪に、警察官みたいな金色の刺繍の入った青いコートを着ている。ごついブーツも履いている。じゃあこれも、可愛い威嚇ってわけだ。



「この世界で一番強いのは誰だ?」


「……強者になればなるほど殺し合うほど強く争うことはありませんが、そこにいるレオ、そして今は不在にしていますがシルク、それと、敵勢力のソンズという男が同格にみなされ『三強』と呼ばれています」


「ソンズ。そいつは、人を食うのか」


「自身の快楽のためには手段を選ばない人です。人喰いもする、極悪人です」



 三強の内、二強が揃ってんならこのチームの方が強いように思えるが、そんな簡単な盤面じゃないってことか?


 わからん。とにかく、俺がまずやるべきはひとつだ。


 強くなる。


 そうしなければ、生きていられない。



「んで、俺を強くしてくれるのか」


「私たちは一年間、アモクを狩ってハートを磨き続けています。貴方にも時間をかけて強くなってもらいます」


「要は敵を倒しまくれば最大MPが増えるってことだろ。んで、ここは夢の世界だから何もかもが自由に、何でもできる世界。つーことは、最大MPの増加イコールできることが増える、そういうことだろ」


「その認識で間違いありません」



 何でもアリのこの世界で、俺は強くならなきゃいけない。


 下層に行かなければ、死んでしまうから。


 俺には戻れる現実もないんだから。


 俺は、強くなるためなら何でもしてやるという覚悟を決めていた。

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