一話 ライトノベルに限らず、初歩的な小説の書き方



現代国語学院、それは埼玉県(さいたまけん)王宮(おうみや)市(し)にある小、中、高、大と内部進学できる文学部の最大のマンモス校である。専攻は日本文学、哲学、日本史、心理学、社会学、考古学、英文学、民俗学、つまりは小説家、ライター、日本語教師、考古学者、博物館職員、新聞記者、心理学者、臨床心理士、司書、貿易商社マンなどを目指す学校なのである。

「やっぱでけぇな」

 桜が舞い散る季節、春。今日で初めて高校生になる語部書也(かたりべかきや)は足を止め、思わず見上げた。ビルのようにそびえ立つ七階建ての校舎は巨人に見下ろされているようで、初めて見る者を圧巻させる。校舎の中庭には花壇や花時計、噴水、鯉のいる池や橋、テーブルベンチなどがあり、その周囲を囲むように桜、梅、ヤシの木、カエデ、イチョウなどの木々が植えられている。

「んっ?」

 スマホからレインチャットの通知音が聞こえ、確認すると「後ろ向け」と友春の表示でメッセージがきていた。

「やっぱり来たな」

 振り向くと、そこには小中学校からの幼馴染、坊主に近いスポーツ刈りの友春が駆け寄り、ラリアットするかのように腕を払い、書也にヘッドロックしていた。

「お、おいやめろって!?」

「まさかお前が俺と同じこの学校を選ぶとはな」

 書也は嫌そうな顔をし、友春の腕を弾き、歩き始める。

「まあ、目標が明確になったというかな……」

「お前なら、オタク系の専門学校とか行くと思ってた。漫画とかアニメとか……もしくは美術系の専門学校とかさ」

 歩く書也に肩を抱き、友春は馬鹿にしたような笑みを向ける。こういうところが友春の嫌な部分でもあるが、何を思ったのか友達のいない書也に話しかけてきたのが、この友春だった。

「ずいぶん前に話したろ? 今は小説、書いてるってさ、物覚え悪いなお前」

「そうだっけ? でも、そしたらこんなお堅い文学部じゃなくて、小説の専門学校の方が良かったんじゃないか?」

 書也は馴れ馴れしく肩を抱く友春の腕を弾き、急ぎ足で昇降口に入ると、四つのエレベーターのドアから生徒が出入りしているのが見えた。最近では近代的なビルや階数が多い校舎も多く、バリアフリーも考えてか、エレベーターがある学校は珍しくない。

パンフレットを熟読して知ったが、校舎内は東が初等部、中等部のフロアと西が高等部、大学部のフロアに別れており、上の階が高学年となっている。ちなみに高等部の一年の教室は一階である。

「文芸部があるって、誘われたんだ。この学校に……」

 教室のドアを開けると、それぞれの男女の生徒が談笑し、同じ学年やらクラスメイトだったとかで、盛り上がっている。

「文芸部!? ちょっと待て書也!? そんなの初耳だ! だいたい俺とお前以外に同じ中学の奴がいたのか?」

 友春が先回りし、信じられないといった表情で顔を近づける。

「同じラノベ好きな奴で……SNSのミックシィのラノベ好きコミュニティで知り合った奴がいてな……そいつに誘われた」

 書也は机にセロテープで貼り付いている紙に自分の名前を確認すると、カバンを置いて椅子に座り、席についた。

「それヤバいだろ。ネットで知り合うってのが一番ヤバいパターンじゃん!」

 書也がカバンを机のフックにかけると、友春が両手でバンと机を叩いた。

「何がヤバいんだよ? 別に援交する訳じゃないしな」

 友春は、お前は明らかに騙されているといった風な顔をしているので、書也は面倒くさい奴だと思わず呆れ顔になる。

「本当に同じ学校の奴か? そいつ書也に宗教か何かに勧誘しようとしているんじゃないか?」

「同じ科の生徒で、この学校の初等部から入ってた子だ。宗教勧誘なら、わざわざ騙して同じ学校に通わせる事はしないだろ」

「同じクラスだって!?」

 友春は思わず教室内を見回すが、書也達二人を気にするものはおろか、近づこうと伺っている者すらいないように思えた。ほとんどの者は友人同士の会話に夢中になり、または互いに自己紹介をしているか、新しい教科書を見始めている孤高の眼鏡優等生か、机に座り、何かの雑誌を見ているクール系ギャルしか見当たらない。

「遅れるって、レインチャットから連絡がきてたから、まだ来てないだろ」

 書也はポケットからスマホを取り出し、レインチャットを確認する。

「書也、ちょっと見せてみろ!」

 友春がスマホを取り上げる。

「おい、やめろ!?」

「何だこれ……遅れますw。HPが始まると、話す機械ないから、昼休みか放火後に花そうね……意味不明だな」

「返せよ!」

 書也が友春からスマホを取り返すと、すぐにポケットにしまう。

「本当にそいつヤバくねえか。語尾にwとかつけてるし、わざと漢字を間違えて送る奴だろ。にちゃんねるとか、ニコ動で悪態つくヤバい奴の典型じゃん。やっぱり騙されてんじゃねぇの?」

 溜息をついてから、友春は疲れたような表情で言った。

「彼女なりの文字遊びだろ? 化物語とか好きだったしさ。結構、美人だったぞ」

 書也は恥ずかしそうに言う。

「はぁ? 彼女? 美人? だったら写真アイコンで騙されているパターンだ。釣られたクマ~とか言って、どっかのサイトで盛り上がってるんじゃね」

「いや、レインチャットのビデオ通話で顔も見てるし、声も聞いてるんだが……」

 書也がそう言っても友春は疑いの眼差しで見るだけだった。

「信じたいのは分かるけどさ。ブサ男の彼女か姉、妹だって可能性もある訳だろ? いわゆる、なりすましってやつだよ」

「ブサ男の姉妹だったら美人の遺伝子は何処にいってるんだ? それともそのブサ男が美人な彼女作って、わざわざ嫌がらせをするのか?」

「お前の妄想とか?」

「はぁ?」

 書也が思わず友春を睨む。

「そんな事より、また野球部に入ろうぜ! お前のヘナヘナフォークボールなら、遅すぎて誰も打てねぇ。お前なら甲子園行けるって、マジに!」

「はぁ? ケンカ売ってるのかお前?」

 書也は友春をまた睨んだ。こっちが信用した相手をけなし、当時の腕力の無い俺のヘナヘナ球をフォークボールと馬鹿にするのは世界でもこいつ一人だろう。

「ほら~席につけ」

 今時では珍しいレディーススーツを着た担任の教師らしい女が教壇に立ち、座るように促す。

「ご、ごめんなさい!? 遅れました!?」

 そう言って担任女教師の後から入ってきたのは一人の女子生徒だった。髪はセミロング、猫顔に可愛いタレ目がチャームポイント、その女子生徒は書也の記憶で何処か見覚えがあった。

「まだ出席をとってないが、入学早々、時間ギリギリか……毎日のギリギリ登校はやめろよ」

 女教師の狐顔の狐目が見開き、チベットスナギツネのような眼で遅刻ギリギリの猫顔女子生徒を凝視した。

「す、すいません!?」

 猫顔女子生徒は会釈し、慌てて空いている席に座る。

「そこは休みの人の席だな。誤植(ごしょく)はそこのウルフカットのやんちゃなボーイの隣の席な」

 ウルフカットのやんちゃボーイとは書也の事を指して言っているのだろう。書也は漫画やアニメの影響で、ウルフカットという狼の鬣のような髪型にしていた。この学校では校則的に髪型の制限はないし、もちろん髪を伸ばしてもOKである。

「は、はい!? すいません!?」

 誤植と呼ばれた女子生徒はまた会釈し、今度は書也の席に座った。隣の席を見ると、誤植(ごしょく)愛(あい)と書かれた名札が貼り付けられていた。

「やっと会えたな。愛」

 その書也の言葉に愛は満面な笑みを浮かべる。

「うん、ようこそ現代国語学院に書也君」

 下の名前で呼び合う仲に友春が思わず目を丸くし、書也と愛を見比べる。

「下の名前で呼び合うっておい……まさか!? こいつがこの学校に招待した女だって言うのか!?」

「なんだよ友春、下の名前でなら、お前とも呼び合っているだろ」

 その言葉に愛は頬を赤くする。

「誤植っていう苗字があまり好きじゃなくてね。実際に文字だと本当に噛みまみただから、誤植じゃなくて、愛って呼んで欲しいんだよ。それに書也君は友達とも、下の名前で呼び合っているって聞いたから」

「かみまみたって、何だ?」

 友春が首を傾げる。

「ラノベの化物語の台詞だよ。真宵だったよな?」

「そう、真宵ちゃん可愛いよね」

「……だから部活動を三年間続ける事で内申点を上げ、進学就職にも影響ある訳で……聞いてるかそこの三人組?」

 喋っている書也達に気付き、担任女教師はチベットスナギツネのような瞳で視線を向ける。

「はい~聞いてます教子先生」

 先ほどとは違い、愛が笑顔で答える。

 ――そういえば、担任女教師はなぜ出席をとる前に愛の苗字を知っていたのだろう? それどころか、自己紹介もしていないのに愛は下の名前で教子先生と呼んでいた。

 書也が不思議そうな顔をして愛と教子先生を見比べる。すると、教子先生はしまったという顔をして、デスクに戻り、引き出しから出席簿を取り出した。

「私としたことが……出席をとり忘れていたな。知っての通り、この学院では初等部や中等部で顔なじみの者もいると思うが……一年の日本文学科を担任となった現語(あらがたり)教子(きょうこ)だ。分からない事があったら何でも聞け。それじゃあ、出席をとる……相沢……」



 それから放課後になり、書也と愛は担任の教子に残るように言われていた。教室にはほとんどの生徒が帰り始めていた。

「おい……まさか一緒に喋っていたせいで、説教とか?」

 書也は青ざめた表情をし、愛を見る。

「そうじゃないと思うよ。だってそしたら、友春君も呼ばれると思うし……もしかしてあれの事じゃないかな?」

「あれの事?」

 書也はあれの事が思い当たらずに首を傾げる。

「君、暇? 良かったら野球部のマネージャー、やらない?」

 友春がニヤニヤとしながら笑みを浮かべ、愛に話しかける。

「お前は呼ばれてないだろ。帰れよ!」

 不機嫌そうな顔をして言う書也に友春の笑顔が馬鹿にしたような笑みに変わる。

「だったらお前も野球部に入れば良いじゃん。そしたら俺と三人で……」

「友春君、ごめんね。私、もう決めてる部活があるんだよ」

「そんなこと言わずにさ」

 友春が書也と愛の肩を掴む。

「おい、友春! 俺達は……」

 その時だった。引き戸が開くガラガラという音がしたかと思えば、教子先生が入ってきて、その糸目が少し見開いて、友春を睨んだ。

「まだ残っているのか! 呼んでない奴は早く帰れ!」

「ご、ごめんなさい!?」

 友春が鬼にでも出くわしたかのように慌てて、教室を出ていった。

「まさか野球部の勧誘が入るとはな……」

 溜息をつく教子先生に愛は笑顔を向けた。

「断ったので大丈夫ですよ。書也君もその気はないみたいですし」

「話が見えないんだけどさ……」

 書也は頭を掻き、どういった事かと愛を見る。

「誤植から話は聞いているだろ? 誤植が中等部の頃から、高等部の部活動に入りたい入りたいと、せがんできてな。体験入部なら初日でも大丈夫だが……お前はどうする語部?」

「あ……俺、ライトノベル専門の文芸部があるって、SNSで愛から聞いていて、ずっと入りたいと思っていたんです! 見学できますか?」

「まあ、文芸部という名前ではないが、この学校に似つかわしくない部活、ライトノベル研究部だ。通称、ラノケンだ。入部したいなら、来い」

「まさかラノケンの顧問の先生って……」

 教子先生の糸目が見開き、チベットスナギツネのような瞳で書也を見た。

「……私だ」


 書也と愛は教子先生の案内でエレベーターに乗ると、教子先生は六階のボタンを押していた。

「あれ? 確か文化部の部室は七階に集中しているんじゃなかったですか? 運動部の部室は校庭のプレハブ小屋だったり、茶道部は中庭のユニットハウス、体育館はバレー部やバスケ部、七階のフロアから音楽室は吹奏楽部、科学実験室は科学部、家庭科室は手芸部、調理部、美術室は美術部、新聞部は視聴覚室……図書室でもパソコン室でもないんですね?」

 書也がバックからパンフレットを出して、開いて部活動の項目を確認する。

「まあ、ラノケンの歴史は浅くてな。十年ぐらい前にできた部活だ。当時は人数が多い文芸部が図書室を使用していて、同じ図書室を使う訳にはいかなかった。かといって、パソコン室は他のグラフィックデザイナー部が使っていたりするからな。無いものは作るしかないということで、使っていなかった空き教室の使用が認められた」

 エレベーターが六階で止まり、ドアが開くと、大学部の生徒達が行き交っていた。廊下を歩いていると、顔見知りの大学部の生徒が教子先生に会釈したり、挨拶を交わした。

「空いた教室ですか?」

使わない教室があるのかと、書也が思わず首を傾げる。

「昔は新聞学部があったんですよね? 今は少子化の影響で文学部に統合されて……その教室がラノケンの部室になっているって、聞いてます」

 愛が得意気に言う。

「ラノケンの為に広い教室をよく借りる事ができましたね。ラノケンにハルヒみたいな部長でもいるんですか?」

 書也の中学の頃でも少子化の影響で空きの教室があったのを覚えているが、ほとんどの教室は倉庫のような使われ方をしている場合が多く、使っても特殊学級の教室や学校関係の展示の資料室で、部活動に割り振られるケースはあまり聞いた事がない。

「学院長がアニメの映画監督をやっていた方でな、サブカルな部活動に対しては熱心に支援してくださっている。ほとんどの空いた教室は文化部に割り振られた。漫画研究部、演劇映画部、ゲーム開発部、アニメ研究部に割り振られている。まあ、特にラノケンには強力なスポンサーがいるからな」

「スポンサーですか?」

「ここだ」

 辿り着いた場所は学校にふさわしくない鉄のドアで、鍵穴の上部にはインターホンかと思ったが、指を置く窪みがあり、指紋認証キーだと分かった。

「お前の指紋の登録だ。とりあえず指を置け」

「本当に指紋認証キーなんですね!? こんなのスパイ映画か何かでしか見た事ありませんよ!? 実はラノケン部室と偽った秘密組織ですか!?」

「スパイやら秘密組織は大げさだが、IT企業なんかで指紋認証キーは多く使われてる。まあ、それだけこの部室には高価な物が多いからな。厳重にしてるんだ」

 書也が指を置き終わると、教子先生はボタンを押して登録していた。

「よし、登録が終わったな。詳しい事はは中で説明するが……」

「あれ? 愛は登録しなくていいのか?」

「わたしは中等部の時から体験入部させてもらっていたから、登録済だよ」

「なるほど……それで教子先生とも顔なじみな訳か」

 書也は愛と教子先生を見比べた。

「愛は熱心な奴でな。中等部の部活にも入らず、ラノケンにいつも顔を出して、部員から教わっていたほどだからな」

「なるほどな。愛がそれほどまでにラノケンを勧める理由が分かった気がする」

「ラノケンは凄い人達ばかりだから、きっと書也君も驚くよ」

「凄い人達ね……」

 まさか既にラノベ作家になった人や親が有名作家な方々がいたりするのだろうか?

「語部、試しに指紋認証キーで入ってみろ」

「はい」

 教子先生に促され、書也は指を押し当てると、妙な機械音と共にガチャリと、カギのロックが外れた音が聞こえた。書也は取っ手に手をかけ、ドアを開いた。

「こ、これは……!?」

 部室のドアを開けて見て、書也は驚かされた。なぜなら小説を書く為の機器や資料、環境までもが全て整っていたからだ。教員が座ると思われる前のデスクにはデスクトップPCにデュアルディスプレイ、二十三・八インチのモニターが三つあり、そのチェアの下には非常時の電力確保の為かUPS(無停電電源装置)が置いてあったり、デスクの背後にはホワイトボード、天井にはスクリーンシートとプロジェクターが取り付けられ、左右の壁には一台ずつ無線ルーターが取り付けられ、エアコンも二台あり、加湿付の空気清浄機も隅に置かれている。

「部室なのにパソコン室並みの設備じゃないですか!? いやそれ以上!?  デュアルディスプレイやUPSなんてパソコンオタクの友達の家でしか見た事ありませんよ!? それにこれは!? ラノベや資料がずらりと!? コピー機やレーザープリンターまである!?」

 ドア付近には千冊近く入りそうな縦にも横にも人の背丈を超えた巨大なスライド本棚があり、受賞作と書かれた帯のラノベの文庫がずらり、ラノベ月刊誌も今年のものが並び、辞書、英和や和英などの海外辞書、図鑑、料理レシピ、歴史書、六法全書、医学書、日本と海外のガイドブック、地図帳、古事記、神話、ファッション誌、家具の通販カタログ、詩集、TRPGのルールブック、ゲームの攻略本、アニメの設定資料集、ノウハウ本など、執筆に必要なあらゆる本が並べられている。

 さらに驚いた事に教員デスクの前にはオフイスで使うような大きなコピー機。幾つも並べられた長机にはLANケーブルに繋がれたデスクトップPCとノートPCが二台あり、コンパクトなレーザープリンターも幾つも並んでいる。

「レーザープリンターは一人、一台使えるんですか!? プリンターに対してパソコンが少ないから、先輩方のほとんどが持ち込みの専用ノートパソコンですよね?」

「そうだ。部員の全員がパソコンを持ち込みでやっている。部室に置いてあるパソコンは共用の予備で置いてある。プリンターはご察しの通り、専用で使える。小説作品をいざ発表するとなると、いくら速いレーザープリンターでも順番待ちになったり、同じタイミングで印刷すると、他人の小説の原稿が混ざってしまうからな」

「それにこれって……大丈夫なんです?」

 書也は何かを見つけ、長机の並びを抜ける。そこには二つのソファが対面するように置かれ、ガラステーブルには木皿が置かれ、袋詰めした様々なお菓子が詰め込まれている。

「何かを考えるには糖分が必要という事で、部員がお土産のお菓子を持ってきたり、部員のOBの差し入れがあったりする。テーブルのお菓子やキッチンのコーヒーや冷蔵庫の物を飲み食いして良い事になっている。ただし、自分の物を冷蔵庫に入れる時は名前を書いて付箋を付けろよ。誰かに食べられても知らん」

 愛は既に来るなり、木皿にあったチョコチップクッキーをポリポリと頬張り始めている。

「コーヒーメーカーもあるじゃないですか!? クッキングヒーターに水道にポットまで……」

 広いシステムキッチンにはクッキングヒーター、コーヒーメーカー、電気ポット、電子レンジ、食器洗浄機まで置かれている。さらに上の棚を開けると、マグカップ、紙コップ、マドラー、砂糖、ミルク、コーヒー粉、紅茶葉、お菓子、鍋、フライパンなどが備わっている。

「どんだけ金あるんですか? 部費とか聞いて良いですか?」

 システムキッチンの横には書也と同じ背丈の冷蔵庫が置かれ、各種一人、一日一本までと書かれたマグネット付きのミニホワイトボードが冷蔵庫の前に貼り付いている。冷蔵庫を開けると、栄養ドリンク、缶コーヒー、ゼリー飲料まであった。冷蔵庫の横にはストックとして栄養ドリンク、缶コーヒ、ゼリー飲料の各種ケースが山積みとなっている。

「部費に関しては、あの貯金箱だな」

 テーブルに五百円玉貯金箱が置かれている。書也が持ってみると、ずっしりと重い。

「え~と……一人、三千円いや五千円ぐらいですか?」

「一月、最低五百円だ。もちろんそれ以上でも構わない」

「嘘ですよね? あのシステムキッチンですよ!? 最低五百円の部費で、こんな施設が揃うんですか!?」

「キッチンに関しては卒業生で異世界の料理の話を書きたいという奴がいてな……強力なスポンサーが願いを叶えたというか……」

 教子先生が頭を掻き、答えにくそうに言う。

「スポンサーって……畳のフロアもそうなんですか? どんだけ気に入られているんですか!? PTAや役員の方が支援してくださってるんですか?」

 ひな壇のように段差となっている畳のフロアにはビーズクッションやエアーベッド、毛布、枕などが置かれている。

「おい……そこは!?」

 教子先生が声を上げるが、書也は何気なく畳に上がっていた。そこだけ照明が点けられておらず、薄暗い畳スペースには実写がプリントしてある赤い抱き枕のような物が置かれていた。

「誰です? 地下アイドルの抱き枕を置いたの? 柔らかくて良い素材……」

 書也は抱き枕のような物を持ち上げようとすると、低反発な素材か何かか、柔らかい感触がした。だが、その抱き枕のような物に印刷された実写プリントが頬を紅潮させたかと思えば、睨む目つきに変わった。

「この変態!」

 抱き枕のような物に印刷されたプリントが動いたかと思えば、パチンと音を立てて、平手打ちをされた。

「いたたっ!? 抱き枕が動いた!?」

 書也は頬を押さえながら、赤い抱き枕とプリントと思われた女子生徒を見比べる。どうやらビーズクッションで埋もれていただけのようで、勘違いしたらしい。このフロアだけ少し薄暗いせいもあるだろう。

「何が地下アイドルの抱き枕よ! まさか新入部員にいきなり胸を触れるなんて思わなかった!」

「すまない……そっちのフロアは照明が別のスイッチになっていたから、見えにくかったんだろ」

 教子先生が壁にかかったリモコンのボタンで照明を点け、畳のフロアを明るくした。

「本当に信じられない! 愛の知り合いの新入部員が来るからって聞いてたから、同じ女だと思っていたのに……まさか男とはね!」

 ラノケン部員と思われる女子生徒はそっぽを向く。赤い髪をポニーテールにし、黙っていれば大和撫子と言われるほどの良い顔立ちだが、寝不足か目の隈で少し人相が悪い。

「ごめんね、友(とも)美(み)ちゃん。わざとじゃないと思うんだよ。許してあげて……ほら、書也君も謝って」

「本当にすいませんでした!」

 書也が深く頭を下げると、ちらりと友美は書也に視線を向ける。

「まあ……愛が言うなら許してあげても良いけど……でも、次やったら蹴り飛ばすから……」

 その時、機械音と共にカギが外れたかと思うと、勢いよくドアが開け放たれた。

「エロスの匂いがしますわ!」

 入って来たのはアニメのような金髪をツインドリルにした女子生徒。背が高く、瞳は青く、鼻が少し高い。外国人のクオーターだろうか? こちらもなかなかの美人だが、彼女が何かとんでもない台詞を吐いたような気がして、書也は困惑する。

「エロスちゃん、相変わらずだね」

 愛は笑顔で流す。

「エロス……愛、この先輩?……が留学生か外国のクオーターってのは分かるが……エロスってのはあだ名か何かなのか?」 

 愛に返答を求めると、エロスと名の付く金髪ツインドリル少女は速歩きで書也達に迫る。

「そう! 私がエロスですわ! そして貴方もエロス! 先ほど友美さんにラッキースケベ的な何かをしたのではありませんか! 私のツインのアンテナがそう告げていますわ!」

 書也は唖然とする。エロスと呼ばれている女子生徒のツインドリルが獣の耳のようにピクピクと動いているような気がするのは気のせいなのだろうか?

「ラッキースケベとか言うな! た、ただの事故よ! 事故!」

『実際にナニがどうなりましたの?』

 エロスが口を友美の耳に近づけ、小声で言う。

「言うわけないでしょ……」

 友美がそっぽを向くと、愛が笑顔で前に出る。

「書也君がうっかり、仮眠フロアで胸を触っちゃったんだよ」

「ちょっと!?」

「愛、お前!? 世間体を考えろ!?」

 愛の爆弾発言に二人は慌てふためき、頬を染める。

「なるほど。そういう事ですか……ところで、殿方に触れられて気持ち良かったとかありましたの!? 実際にどんな感覚でしたの!?」

 エロスは胸の谷間から手帳を取り出し、目を輝かせて聞き始める。

「はぁ? わ、わたしにはそういうの興味ないんだから!」

 頬を真っ赤にする友美、質問責めをしそうなエロスに教子先生が咳払いする。

「おほん……自己紹介しておく。熱情(ねつじょう)友(とも)美(み)、日本文学科の二年、一応はお前達の先輩でもある」

「一応は失礼じゃないですか!?」

 友美は不服そうな顔で言う。

「じゃあ、熱情さん。先輩なんですね。」

「ここでは先輩も後輩もないわ! 敬語も無しよ! 友美でいいわ」

「えっ……でも……」

「じゃないと、小説の批評がしにくくなるわ」

「批評?」

 友美の言葉に書也は首を傾げる。

「次はエロス・セック。同じく日本文学科、これでも三年生だ。このラノケンのスポンサーでもあり、色々と備品を出していただいている」

「へぇ~じゃあ、社長か何かの本当のお嬢様なんですね? どこの会社ですか?」

「そう! お父様は、あの誇り高きレッドムーンの社長ですのよ!」

「レッドムーン!? あのフランス人の社長さんの!? 有名なゲーム会社じゃないですか!? ノベルゲームの同人サークルから転身して、ゲーム会社になった! 俺、何本もPC版から、ゲーム版まで幾つも持ってます!」

 書也は思わずエロスに握手をしていた。

「書也君、レッドムーンって、有名なゲーム会社さんなの?」

「ああ、今じゃそのノベルゲームが派生して格闘ゲームから、スマホゲームになっているほどだ。アニメ化、コミカライズ、ノベライズから、幅広い分野でも売り上げているんだ!」

「どんなノベルゲームなの?」

「それはな……」

 書也が説明しようとすると、エロスが狸型ロボットのポケットのように胸の谷間からパッケージされたディスクケースを取り出した。パッケージイラストは夜を背景に女鎧騎士と学生服の男子高生が描かれ、タイトルはファイトと記載されていた。確かPC版は……

「それだったら、この原作のPC版をお勧めしますわ。お気に召したら買うと良いですわ」

 エロスが笑顔で愛に渡すディスクケースには丸に18と記載されたキラキラと輝く数字が目についた。

「エロス、没収な……後で職員室に取りに来い」

 教子の糸目が開き、チベットスナギツネのような瞳になったかと思うと、素早い手つきで愛から奪い取る。

「酷いよ教子先生」

 愛は半べそをかきつつ、言う。

「そうですわ! お返しください先生!」

 エロスが言うと、さらに教子はチベットスナギツネのような瞳から、狼のような鋭い瞳に変わる。

「誤植、お前にはまだ早い! それとなエロス! ラノケンをここまで発展させた事には感謝するが、私にも譲れないものがある! 教師として道徳を教えるのも、私の務めだ。言いたい事は分かるよな? エロス?」

 教子先生の凍りつくような笑みがエロスを貫き、思わず後ずさりする。

「はい! 申し訳ございません!」

 エロスは青ざめ、勢いよく頭を下げる。

「分かったら、仮新入部員にいろいろと教えてやれ」

 教子先生はデスクに座ると、バッグから小型デスクトップPCを取り出し、置いてあったデスクトップPCとケーブルで繋ぎ、電源を入れた。

「教えろって、何を教えるのよ? まさか文章を一から教えるとか言うんだったら、さすがにパス! そういうのは愛だけで充分よ」

 友美はホチキスで留められた印刷用紙の束の山になった席に座ると、長机にある下の棚に無造作に原稿用紙を次々と詰め込んでいく。その束の一部にはタイトルがでかでかと印字され、ヒーローや魔法少女などの文字がちらりと見えた。

「熱情、お前も相変わらずだな。少しは片づけてから帰れ。仮新入部員も呆れるだろ」

「学校のテストや他のプリントと混ざるのが嫌なのよ。少しぐら良いでしょ」

 というか、なぜ友美は顧問の先生に対して敬語ではないのだろうか? 親しさは感じるが、まるで不良少女である。

「がさつ……」

 教子が呟くように言う。

「えっ? なに言ってるか聞こえません」

「あっ!?」

 書也が思わず声を上げた。友美の長机には原稿用紙の束に埋もれるように見覚えのある赤と青の二体のプラモがあった。

「な、なによ!?」

 友美が警戒して、二体のプラモを隠すように遠ざける。

「その赤いのレーバティン最終決戦仕様だよな? それにその青いのはイカルガか?」

「分かるの?」

 友美が目を輝かせて言う。

「分かるもなにもフルメタとナイツマはラノベ好きなら大好物だぜ!」

「格好良いプラモがあると、創造意欲が湧き上がるのよね。それに多少の手足の稼働もできるから、アクションの動きも再現できるし、無理な動きにならないか、検証できるのよ」

 友美はプラモの手足を動かしながら言う。

「その場合、壊れやすいプラモじゃなくて、アクションフイギュアの方が良いんだがな。手足が無いとか、武器が無いとか騒ぐ奴がいるからな」

 教子先生が呆れたように口を挟む。

「べ、別に良いじゃない! 武器の構えとか、剣の振りとか研究できる訳だし、動きを文章で再現できるのよ!」

「あれ? 友美先輩のパソコンって……タフブックですよね? 自前のですか?」

 友美がスポーツバックからデコボコしたデザインの分厚いノートPCを取り出して長机に置くと、設置してあったハブにLANケーブルを手際よく繋いでいた。

「友美よ! 敬語なし!」

「あ、はい。ああ……」

 書也はまた敬語を言いそうになって、口をつぐむ。

「そう、業務用のタフブックよ。前は部活のノートPCをレンタルしてたんだけどね。コーヒーを零して壊したり、新人賞の長編の紙束を落として、キーボードを壊したり、大変だったわ」

「どれもエロスが親の会社で使わなくなったノートPCを提供してくれた物だが……データがなかなか復旧しない、キーボードが押せないと熱情が騒いで大変だった」

 教子先生は頭を押さえて言う。

「友美ちゃんのパソコンって、丈夫なの?」

愛が首を傾げるように友美のノートPCを覗き込む。

「アメリカでは軍や警察でも使われている。防水はもちろん、落下にも強い。高さ八十センチの落下にも耐えるとか……さすがに高いんだろ?」

 と、書也が解説しつつ、友美に聞く。

「さすがに中古よ。最新のゲーム機ぐらいの値段はしたけど。高いノートPCに興味あるんだったら、エロスのパソコンはマックブックよ」

 書也がエロスの席を見ると、リンゴのマークが付いたノートPCをカタカタとキーボードを操作する姿があった。

「そんなに高い物は使っていませんわよ。お古のノートPCをお父様に頂いただけですし」

「そうなんですか? そのマックブック、大きめの奴ですよね? 十六インチぐらいありそうな気がするんですが」

「私のが14インチだから、確かにエロスのパソコン、私のより少し大きい気がする」

 友美がノートPCを持ち上げ、大きさを確認して言う。

「確かに16インチですけど……」

 エロスが首を傾げる。

「16インチのモデルですと……中古でも二十万近くしますよ。ちなみにスペックは?」

「ゲーム開発用のPCですから、メモリ64ギガバイト、SSD8テラバイトの平凡なスペックだと思っていましたわ」

「化物じゃない! 私のタフブックでもメモリ4ギガバイト、HDD500ギガバイト程度よ!」

 思わず友美が叫ぶように言う。

「そういえば、エロス先輩がラノケンを援助してくださってると聞いたんですが……ラノケンがよっぽど好きなんですね」

「そうですわね。私、子供の時からお父様のゲーム会社に遊びに行っていたのですが……レッドムーンでは好きな事ができて、好きにコーヒーを飲めたり、お菓子を食べたり……笑い合って話し合うのが当たり前で……そんな環境を作りたかったのかもしれませんわね」

 エロスはそう言って、微笑する。

「じゃあ、この部室って、ゲーム会社に近い環境なんですね」

 書也が周囲を見回す。

「エロスが中等部の頃からラノケンに通い詰めていてな。援助するから、一緒に活動させてくれと……エロスの父もPTAの役員で、備品の寄付という事でこうした環境になっている。一応は企業で使い古した物と聞いてはいるが……ここまで環境が変えられるとはな」

「でも、正直、私はお父様にこうした物でいらない物があったら、くださいと言っただけですのよ」

「いらない物でここまで揃うって……凄いですよ」

「そういえば……まだ、幽(ゆう)美(み)ちゃんと理(り)香(か)ちゃんが来てないね」

 愛がスマホを何度か見て言った。

「怪奇(かいき)はまた吐血して倒れたと聞いたな……保健室で寝てるそうだが、無理せずに帰れとは言っているんだが、いつもの事ながら無理して来るだろうな。論理屋(ろんりや)は科学部に少し顔を出してから来るそうだ」

「そうなんですね。幽美ちゃん、大変そう」

 愛はカバンからピンク色のモバイルノートPCを取り出し、USB対応のLANケーブルに繋いだ。

「愛はモバイルノートなんだな。結構、高かっただろ? 親にねだったのか?」

「友達のお古を譲ってもらったんだよ。お母さんにお小遣い前借して買ったんだよ。小さい方が何処でも執筆できるし、持ち運びに便利だからね」

「そういえばみんなLANケーブルに繋いでいるな……という事は……」

 書也がきょろきょろ見回していると、教子先生が手招きする。

「そうだ。語部お前、ノートPCは持ってるか? 無ければ部室の物を使って良い。申請すれば、レンタルもできるぞ」

 教子先生が長机に置いてあったノートPCを指し示す。長机には何台かノートPCが並んでいる。

「いいえ、必要と聞いていたので、持ってきました」

 書也が予備のバックから傷だらけの分厚くでかいノートPCを取り出した。

「何よそれ!? でかっ!? 17インチ? しかもフロッピーディスクドライブが付いているじゃない!?  まだそんな物が残っていたの……」

 友美が立ち上がり、あり得ないと言った風に目を丸くする。

「これでもちゃんと動くぜ。フロッピーも稼働できるし、USBもディスクドライブもある。もちろんOSも10まではインストールできてる。こんなんだからフリマアプリで値切って、一万以下にしてもらった」

「その骨董品が壊れなきゃ良いけどね」

「LANケーブルか無線LANが使えれば問題ない」

教子先生が書也のノートPⅭの横の端子部分を覗き込むように確認する。

「無線LANはUSBの子機を持っているので、どちらも使えます」

「なら、問題ないな」

 書也はハブとLANケーブルをノートPCに繋ぐ。

「もしかしてパソコン室と同じような形式でNASに繋いだりします? それともLANケーブルで共有設定をしたりとか……」

「いや、ネットに繋いでファイル共有サービスを使ってる。学校外でもアクセスできるし、企業でも使っているやり方の方が勉強になるだろ?」

「なるほど」

 書也がパソコンを立ち上げると、教子先生にファイル共有サービスのIDとパスワードを教えてもらう。

「おや、もうやっているね」

 妙な機械音と共にドアのロックが開錠され、白衣を着た眼鏡少女が入ってくる。ロングの白髪に黒い肌、口調的に日本人だとは思うが、何処か異国の科学者を思わせる。

「こんにちは! 理香ちゃん」

 愛が入ってきた先輩らしき白衣の女子生徒に笑顔で会釈する。

「おやおや、もう新人が入っているのかい? 熱心だねぇ。しかも男性とは……」

 理香はそう言って、妙な笑みを書也に向ける。

「こんにちは、愛と同じ科の一年、語部書也です。呼びは理香先輩で良かったですか?」

「心理学科、二年の論理屋(ろんりや)理(り)香(か)だ。好きに呼んで良いよ」

「心理学科ですか?」

 書也が不思議そうに見ると、理香は何かを察した。

「ああ、最初は文学に興味はなかったんだ。最初は科学部に入部していてね。だけど論文を書いていくうちに小説にも興味を持つようになった。私の心理学と科学の知識が何処まで小説に通用するのか、それにラノベと言えばSFとファンタジーだろ? 私の知識が何処まで読者に通用するのか、試したくもある」

「じゃあ、科学部を辞めて、ラノケンに入ったんですか?」

「いや、二足の草鞋という奴だよ。科学部も未だに健在で、ラノケンに通っている」

「それ、なかなか大変じゃないですか?」

「そうでもないさ。多くの人と触れ合うのは心理学も学ぶ上では勉強になる。それにいろいろと実験もできそうだしねぇ」

 そう言って理香はまじまじと、書也の身体を舐め回すように見る。

「お~い、人の生徒を実験に使うなよ」

 教子がくぎを刺すと、理香は妙な笑みを浮かべる。

「あははっ!?……教子先生は本気にしているのかい? 私が男性にあれこれ変な実験をすると?」

 笑い声を上げる理香に教子の眼が開き、チベットスナギツネのようになる。理香は教子から目を逸らしているように思えた。

「お~い論理屋、こっちを向け」

理香は誤魔化すようにブリーフケースから独特な緑色のノートPCを出し、LANケーブルに繋いだ。

「心理学科はタブレットを支給されるんじゃなかったんでしたっけ? そのボディ、何処かのネット通販サイトで見ました。自作ノートPCだったような」

書也は珍しそうに理香のノートPCを見る。

「あー、あれはどうもスペックが低くて使い物にならなくてね。授業以外は自作の物を使っているよ」

「ちなみにスペックは?」

「メモリ64ギガバイトにSSD4テラバイトだね。なかなか処理が速いよ」

「化物じゃない! なんでそんなスペックが必要なのよ!」

 友美が頭を押さえて言う。

「処理が速い方がストレスが無いだろ?」

「そりゃそうだけど……」

「良かったら、君のパソコンも改造してあげても良い」

 理香がポケットからマイナスドライバーを取り出して回し、笑みを向ける。

「嫌よ! そうやって変なアプリか追跡装置でも付ける気?」

 友美は思わずノートPCを持ち上げ、遠ざける。

「私としても無料ではやらないのだけれどね。君がどういった物をショッピングサイトで買うのか、どういったサイトを拝見しているのか、そういった情報をいただければ、無料でやっても良いのだよ!」

「なおさら嫌よ!」

「はは……冗談ですよね? 本気で言ってるんですか? 理香先輩?」

 思わずジト目になる書也に理香は何を言ってるんだという表情になる。

「半分は本気さ」

「……ええ」

「エロスちゃん、ところで幽美ちゃんはどこ? まだ見てないよね?」

「見ていませんわ。幽美さんは同じ学年でも彼女は民俗学科ですので、あまり会う機会がありませんわ。きっと先生がおしゃった通り、まだ保健室ですわね」

「ん? 何を言ってるんだ愛君? 幽美君なら君の隣にいるじゃないか?」

 理香の言葉に思わず愛は青ざめた後、隣を見ると、おかっぱ頭で髪で目が隠れた座敷童みたいな幼い少女が隣の席に座っていた。

「えっ? きゃあああっ!? 幽美ちゃんいつの間に!?」

「こほっ……愛、化物を見るような目で驚かれるなんて心外……」

 幽美と呼ばれる幼い少女は咳き込み、気分を悪くしたように青ざめる。

「ごめんね愛ちゃん、いきなり現れたから」

 愛は幽美をぬいぐるみのように抱き締め、頭を撫でる。

「愛なら許す……他の奴なら呪う」

 幽美は愛に撫でられるまま、頬を染める。

「相変わらず神出鬼没ね。何処から入ってきたのよ」

 友美が不思議そうに聞く。

「幽美君はずっと私の背後に居たよ。小さいから背に隠れて見えなかったんだろうね」

「小さい言うな! 呪うぞ!」

 幽美が睨むと、理香は挑戦的な目つきになる。

「呪う? ずいぶんと非科学的な事を言うじゃないか……私を脅して幻覚でも見せる気かな?」

「倫理に反した実験オタクは呪われてしまえばいい!」

 理香と幽美はバチバチと火花を散らすように互いに睨み続ける。

「教子先生、誰です? この小さい子? 初等部の子が見学にきているんですか?」

「そいつはな一応、お前の先輩でな」

 教子先生は頭を掻きながら言う。

「えっ?」

 書也がもう一度、幽美を見ると、今度は書也を睨んでいた。

「お前も失礼! お前より年上! あっ、お前……まさか語部書也か!? 愛は渡さない!」

 幽美は愛にしがみ付き、餌を取られないように守り続ける獣のように唸り声を上げる。それと心なしか、上の蛍光灯がちらつき始めたような……

「失礼だよ書也君。幽美ちゃんは私達の先輩だよ」

 愛は過保護な母親のように幽美を抱き締めたままで言うが、充分に子供扱いしているような動作なのは気のせいなのだろうか? 愛はその先輩をずっと子供のように頭を撫で続けているのだ。

「あ、そうなのか……小さいからてっきり……」

「また小さいって言った! がうううっ!?」

 愛には子供扱いされて良いのか、まだ顔なじみの無い書也に八重歯を見せ、狂犬のように唸っている。

「そいつは怪奇幽(かいきゆう)美(み)、一応は三年の先輩でな。この部の中で唯一のプロ作家だ」

 教子先生は説明が面倒くさそうに言う。

「マジですか!? 怪奇先輩、サイン貰って良いですか?」

「敬え!」

 書也が手帳を出して渡すと、幽美はまんざらでもないようで、サインを書き始める。

「あれ? これって……?」

 サインは怪奇幽美の文字かと思えば、少し漢字の字体を崩して、「病」とカタカナで「ンデレ」と記載している。

「幽美、調子に乗らない! 批評に影響出るでしょ! しかもあんたゴーストライターだからサイン書ける身分じゃないでしょ!」

 友美が怒ると、幽美がむすっとした表情になる。

「ゴーストライター?」

 首を傾げる書也。その単語に聞き覚えはあったが、どういった意味か度忘れしていて、思い出せない。

「怪奇はテレビとかによく出てる有名霊能者の木(き)保(ぼ)愛子(あいこ)のゴーストライターでな。いろいろと霊能者の体験談の小説を執筆したりして、それが一万部のベストセラーとなっている」

 幽美は教子先生の説明も気にせずにタブレットPCを机に置き、ワイヤレスキーボートを置いた。

「凄いじゃないですか!? なんで怪奇先輩がラノケンに!?」

「中等部の時は作文コンクールで金賞取った。そのせいか、親の知り合い経由でゴーストライターの仕事きた。小説はヒットしたけど、書きたいのはノンフィクションじゃなくて……フイクション、ラノベだから……」

「書也、こいつをプロ作家だと思わない方が良いわよ。肝心のラノベ小説の幽美の人物設定はかなりぶっ飛んでるから」

 友美は幽美を馬鹿にしたような笑みを向けて言う。

「むう~友美、お前に言われたくない!」

 幽美は頬を膨らませ、友美に反論する。

「それは意外ですね。やっぱりノンフィクションのゴーストライターだと、与えられた筋書きでやっているから、フイクションになると設定の詰めが甘くなるんですかね?」

 書也は本当に意外そうに言う。

「う~ん。私も怪奇のプロットや小説を見てはいるが……人物設定というより、人がやる行動の常識を外れているというか……精神的な問題かもな」

 教子先生は何かを諦めたような表情で言う。

「えっ? 精神的!? 教子先生、私の何が問題なの!?」

 怪奇は青白い顔をさらに青白くし、教子先生を見つめる。

「幽美君、自覚が無いならメンタルヘルスをお勧めするのだけど……どうかな?」

 理香が幽美の肩にポンと手を置いた。

「やっぱり皆さん、お互いに小説を読み合って、批評しているんですね」

「そんなの当たり前よ。小説を批評し合うのが、この部活の醍醐味みたいなもんだし」

 そう言って本当に楽しそうに友美は笑う。

「それじゃあ、みんな揃ったし、ぼちぼち始めるか?」

 教子先生の言葉に部員達が一斉に席につき始める。

「さっそく部活動ですか? 何を始めるんですか?」

「語部、先に注意しておく、このラノケンは小説を批評し合う場でもある。場合によっては運動部よりキツイ、精神的な負荷がかかる。もしかしたらお前が書く小説がズタボロにけなされるかもしれない。お前にその覚悟はあるか?」

 教子先生のチベットスナギツネのような瞳が、狩りをする狼のような瞳になる。

「大丈夫です! いけます!」

「分かった……今回は誤植を除き、初めての新入部員もいるという事で自由なお題でSS(ショートショート)を書いてもらう。知らない人もいると思うから説明するが、SS(ショートショート)とは特に短い小説という意味合いがある。今回は五~十ページで完結してもらう。そして今回はプロット無しで五~十ページで完結させ、書いてもらう。アイデアと文章力を鍛える部分では二年、三年のお前達でも良い機会になるんじゃないか?」

「ページ設定はどうしますか?」

 書也が手を上げる。

「そうだな……時間も考えて、四百字詰め原稿用紙の設定にするか。一時間あれば良い作品はできるか?」

「二時間は欲しいところよね」

 友美は笑って言う。

「冗談を言うな。批評する時間を考えろ。それと新人もいるし、小説を書く上で教えたい事がある」

「あ……」

 書也が大事な会話部分をメモしようと、カバンからノートとペンケースを取り出す。

「運動部のようにトロフィーや優勝旗の獲得を目指すようにライトノベル研究部もライトノベル新人賞をとる事を目的としている。私も編集と作家の経験もあって、この部活でライトノベル作家を多く出したいと思っている。幸いにもここの学院長が元アニメ監督とあってか、期待しているようだからな。本気でラノベ作家を目指してもらうぞ!」

【はい!】

 ラノケンのメンバーが揃ったように返事をする。

「本当に運動部のようなノリなんですね」

 書也は思わず苦笑いする。

「語部、このノリについてこれないと先が思いやられるぞ」

 教子先生が微笑する。

「ラノケンは結構、スポコンだからね。ファイトだよ書也君」

 隣の愛が両手をグーにして言った。

「意気込みはここまでとして……初心に戻って私のありがたい言葉だ。SS(ショートショート)で書くうえで気をつけて欲しいのは誤字脱字だ。短い文章だからといって甘くみると後悔することになる。ライトノベル新人賞の一次選考で落とされるのはこの誤字脱字だ。見直しはもちろん、辞書を引いて気になった漢字は調べる癖をつける。似たような漢字は特に気をつける。中には調べる事もせず、その漢字を正しいと思い続け、間違った漢字を使い続けていたなんて奴もいた。様々なパターンの漢字がある為、最低でも国語辞書と広辞苑などの二冊は欲しい。文学科は様々な辞書が入った電子辞書を配られていたな。それを使っても良いかもしれない」

「これか?」

 書也がカバンから電子辞書を取り出す。

「あとこれもよく言っているが……ネットのウイキなどは頼るな。素人が書いたものだったり、自由に編集できる為に辞書と全く違う答えになる事がある。完成したSS(ショートショート)は必ず三回は見直しをすること。文章は声に出して読むと、間違いが無くなる。とはいえ、声を出すのは恥かしい、騒音になるなどの問題もある。そういう時は文字を音声にしてくれるツールもあるので、活用するのもありだ。文章の誤字脱字をチェックしてくれるサイトもあるので、利用するのも良い」

 いつの間にかプロジェクターに先ほど説明したサイト名やURL、ダウンロード先が記載されている。ご丁寧に教子先生に教えて貰ったファイル共有サービスの専用チャットにもサイト名とURL、ダウンロード先が記載されている。

「特に誤植、お前は誤字脱字を意識して直せ。前回のSS(ショートショート)でも熱情に注意されていたろ」

「は、はい。気を付けます!?」

 愛が思わず教子先生に頭を下げる。そういえばネットでやり取りしていたけど、愛の小説は見た事がなかった。いつもラノベの話で盛り上がっていたせいもあるし、プライベートを覗き込むようで、そこまで踏み込めなかった。いや、違う……愛の小説を見る事で自分の小説も見せなければいけない。それが怖かったのだ。自分の小説を見て、くだらない小説だと期待外れだと思われたくなかったのかもしれない。

「今回は六人いるから、私が見る必要はないな。SS(ショートショート)は前回と同じで、隣の席の見せ合う形式にする。時間は一時間、このタイマーが鳴ったら終了だ。では、始める」

 教子先生がタイマーのボタンを押すと、ラノケンの部員達は一斉にカタカタとキーボードを打ち始める。

「みんなキーボードを打つの速いな!? だけど、俺だって……」

 皆が当たり前のようにキーボードを打つのが速いように書也には思えた。あの愛ですら……いったいみんなはどんな小説を書くのだろう? 正直、自分の小説を見られるのは怖い……だけど、自分の成長の為にも愛の為にもここは覚悟を決める。

「……引っ込み思案になるな書也……俺は書く」

 書也は頬を叩くと、馴れない手つきでキーボードを打ち鳴らした。



 ピピピッ!?と、タイマーのアラームが鳴り響いた。

「終わり! まだ書き終えていない奴はいないな? あと十分やる。さっき私が言った事を思い出し、小説の見直しをしろ」

 教子が説明する前にラノケン部員達は見直しに入っていた。愛は顔を真っ赤にしながら読み、文章を書き直している。それに対し、友美は堂々と声を出して読んでいた。エロスはボイスロイドに文章を読ませ、時々なぜか卑猥な言葉が聞こえ、その言葉に悶えるように身体を震わせ、笑みを零している。理香や幽美もツールのAIやボイスロイドに読ませているようで、イヤホンを付け、パソコンの液晶に睨めっこしている。

「……なるほど……じゃあ、俺も……」

 書也は教子先生に教わったサイトで文章を読み込ませ、誤字脱字をチェックする。さらに書也は教子先生に教わったダウンロードしたツールで文章を音声化し、イヤホンでよく音を聞き取り、文章に違和感が無いかをチェックした。

十分が経過したのかピピピッ!? と、タイマーのアラームが鳴り響いた。

「そこまで! できた小説は設定でページ数を表記し、印刷してホチキスで留め、お互い隣の席同士の人と小説を見せ合え。相手の小説に誤字脱字があった場合は赤ペンで校正記号を使え、字の修正が必要な場合はその文字を丸で囲んで赤線を引いて、正しい文字を書く。余計な文字が入っていた場合は赤線を引いてトルの文字、文字の入れ替えについては文字をくるむようにSを書く。フォントの文字が合っていない場合、ゴシックならゴシ、明朝体ならミンとカタカナで表記しろ。コンピューターなど、小さなカタカナのユが大きくなっていた場合は逆のVで包むように書く、かつてなどのつが小さくなっていた場合はVを包むように書く。改行などのミスは赤線を引いて文字を繋げる。文字を下げる場合は凹を書いて文字を囲む。字を上げる場合はTを書くように下げる部分を指示する。まあ、図で記載した方が分かりやすい。詳しい書き方はプロジェクターを見てくれ」

 プロジェクターに校正記号と記載された画像が表示される。先ほど説明した赤ペンで文字を囲む校正のやり方が書かれていた。

「これは校正(こうせい)書士(しょし)のやり方だが、編集が誤字脱字を直す時にこういった表記で小説を返される事がある。覚えていて、損はないだろう。一応、共有ファイルにもあげておくので、校正記号の画像をダウンロードして確認してくれ」

【はい】

 ラノケン部員が一斉に返事をする。

「あとだ……物語の感想については簡潔で構わない。赤文字で記しても、言葉で言っても構わない。ただし、簡潔と言っても面白かった、つまらなかったの一言で終わりにするなよ。どこか面白かったのか、どこがつまらなかったのか、明確にな」

 ラノケン部員達が一斉に印刷を始める。レーザープリンターの為か数秒で十ページ近い原稿用紙が印刷されていく。

「愛……俺の小説……見てくれるか?」

 書也が恥ずかしそうにまとめた原稿用紙を差し出すと、愛もなぜか恥ずかしそうに頬を染める。

「わたしもいつか書也君の小説を見たいと思っていたの……でも、わたしの小説なんかで良いのかな? 間違いだらけかもしれないし……」

 愛はよりいっそう頬を染め上げ、まとめた原稿用紙で顔を隠す。

「そこ! 二人して、なにラブレターを渡す的な感じになってるのよ! とっとと批評しなさいよ」

 友美が怒ったような口調で言う。

「愛、わたしのは!? わたしのは見てくれないの?」

 幽美は子供がねだるように愛のセーラー服の袖を引っ張り、せがみ続ける。

「ごめんね愛ちゃん、今日は書也君の小説を見たいの」

「いやだ。愛のが見たい」

 友美は立ち上がると、幽美のセーラー服の襟を引っ張り、引きずって愛から引き離す。

「ほら、あんたはわたしの小説を見なさい。じゃないと、わたしの小説を見る人がいなくなるでしょ!」

「いやだ! いやだ! 友美の設定が破綻している小説なんて見たくない!」

「は? 幽美……いい度胸ね! だったらわたしの設定のどこが破綻しているのか、ちゃんと説明しなさい!」

 手足をジタバタとさせながらも、幽美は抵抗もむなしく、友美の席へと移動させられる。

「いやだ! いやだ! いやだ!」

「……はい」

 友美がまとめた原稿用紙を押し付けるように渡すと、嫌々ながらも幽美は受け取り、読み始める。

「……前より……破綻してない……けど、この設定が駄目……」

「なんだかんだ言って批評する時はするんだな」

 書也が幽美の変わり身の早さに感心していると、教子先生の目を細めた顔が書也と愛の間に入り込む。

「お前たちも早く批評しろ。時間は有限じゃないんだぞ」

「は、はい!?」

 書也は教子先生にせかされ、愛に慌てて小説の原稿を渡す。すると、愛の方は覚悟が決めることができないのか、もじもじしながらも、小説の原稿を渡した。

「書也君……わたしの小説を見ても幻滅しないでね」

「しないさ! 俺の方こそ、幻滅させられるんじゃないかって……ずっと小説を見せる事ができなかった! けど、今なら見せる事ができると思うんだ!」

「……書也君」

「何をそんなに熱く語ってるのよ。あんた、もしかして中二病?」

 友美が呆れたように言う。

「そういうんじゃない!? これは意気込みをだな……」

「良いじゃない。とってもエロスを感じるわ」

 エロスが本当に面白そうに言う。

「いいから早く見せ合え! 始まらん!」

 教子先生が思わず声を上げる。

「見て……」

 愛が苺のように真っ赤に頬を染め、原稿を叩き付けるような勢いで小説原稿を渡した。

「ありがとう。愛の小説、楽しみだよ。これは……」

 ――読み始めた瞬間、いきなりとんでもない誤字を見つけたような気がしたが……いや、これぐらいならまだ……

「え?」

 ――思わず声が出るくらい、この誤字脱字は酷いものだった。その文章は声を出して読めば、間違いを回避できるレベルではなく、声に出してもその通りの発音で、恐らく文章にしてもワープロソフトの校正にも引っかからずに存在する文章だ。それは奇跡的に誤字が噛み合っていると言ってもいいだろう。例えばこの小説に出てくる最初の文章「朝チュンチュン」と、朝の部分に濁点が無い事で「朝チュン」という単語を連想してしまう。また、「台所のシンクで豚トンと」の部分で、恐らくは擬音だと思うが、トンが豚になっている。他にも「インスタの味噌汁」とか主人公の中田が「田中」になっていたり、わけぎの味噌汁が「わき毛の味噌汁」になっていたりと、あげればキリがない。だが、これは何回か見直しをすれば、視認で確認できるはずの誤字のはずだった。それを愛は見事にスルーしていた。

「愛……これは?」

 書也はどうしていいか分からず、持っていた赤ペンが震える。

「や、やっぱり誤字とかあったかな!? ご、ごめんね!? 赤ペンを入れてくれれば直すから!?」

「な、なるほど!?」

 現実を受け入れる事ができず、書也は思わず赤ペンを落とし、それを拾おうとし、机に顎を強打し、床に倒れ、気絶した。

「か、書也君!?」

 ――顎を強打したせいで、脳が朦朧とし、愛の叫ぶような声が遠ざかっていくようだった。そして視界が真っ暗になった。

 ――そういえば愛の送るレインチャットは誤字脱字で溢れていた。その誤字脱字さえ、愛の言葉遊びや一種のスラングのように考えていた。つまり俺は最初から愛に対しての現実を受け入れられていなかったのだ。



 夕日が沈み始める頃、信号が青になった交差点で、先頭にいた友美が身を翻して、ラノケン部員達を見る。

「愛の文章で度肝を抜かれる人は何人も見たけど……卒倒する人は初めて見たわ」

「あーあ、本当に残念だったよ……まさかあんな事で死んでしまうとは……せっかく新入部員が増えるはずだったのに」

 理香が頭を押さえて言う。

「いやいや、死んでませんって!」

 理香のジョークに書也は思わず声を上げる。その書也の顎には湿布が貼ってある。

 あれから書也は気絶していたものの、わずか数分で目を覚まし、保健室で簡単な治療をし、ラノケン部員達と共に帰路についている。

『でも、君は彼女、愛君の文章を見て失望したんじゃないかな? 良き友、ライバルと思っていた人間が文章下手で張り合いが無くなっている……違うかい?』

 理香が書也の耳元で愛に聞こえないように小声で言う。

「理香先輩、見くびらないでください! 確かに愛の文章は思った以上にインパクトありました。でも、俺は愛の小説のアイデアは本当に良いと思っているんです」

「ほう~どこがだね?」

 理香は書也の言葉を意外そうに言う。

「例えばヒロインの女子高校生を家政婦にしたところです。これはありそうでなかったアイデアです。それに学園モノで家の中を舞台にしている作品だったので、これもありそうでなかったアイデアだと思いました」

 さわやかそうに言う書也に理香は唖然とした後、微笑する。

「そうか……あははっ!? 君は愛君の事が本当に好きなんだね」

「えっ!? いや、俺は愛の小説のアイデアを褒めてるだけで……好きとか嫌いとかそういう問題では!?」

「普通は……誤字脱字だらけの文章は毛嫌いするものだよ。新人賞の下読みですら、十ページも読まずに誤字脱字の小説を投げ出すんだ。それを良いアイデアだと言えるんだ君は……なかなか普通じゃない」

 理香はなぜかニヤニヤと笑って書也を見る。

「そうですか?」

「自覚はないか……愛君の小説は友美君も毛嫌いしているほどの文章だと思ったんだけどねぇ」

「書也君~みんながわたしの文章の事を厳しく言うんだよ! 誉めてくれるのは書也君だけだよ~」

 愛は書也を抱き締め、少し涙目になって言う。

「書也を卒倒させた文章はさすがって、言っただけよ」

 友美が言う。

「相変わらず愛の文章は駄目駄目……わたしの家でみっちりじっくり教えてあげてもいい」

 幽美が愛を羽交い絞めにする。

「みっちりじっくりって……幽美ちゃん、それって、スパルタ的に教える奴だよね?」

「愛の為に会社から朗読風に編集した音声ソフトを持ってこようかしら……確か拷問系のバイノーラルの催眠系音声ソフトが……」

 エロスはタブレット端末で何かを検索しながら言う。

「拷問? 催眠? エロスちゃんはわたしに何を聞かせる気なのかな?」

「後で赤ペンを入れるから、ちゃんと誤字脱字を直すんだぞ愛」

「書也君まで!」

 愛の悲痛な叫びが高架下付近で響いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る