2-7
ちらちらと点滅する光のなか、周囲の壁はそれまでの美術室と同じ、クリーム色の壁紙が貼られているのが見えた。
まあ、新品のようにきれいなクリーム色とは言えないけれど、それはどこまでも均等に、同じ色のまま壁の端から端へと続いていて、あおいの言うような、血が飛び散っているみたいなシミなんて、一つも見当たらない。
「自分がビビってるからって、変なこと言ってんじゃねーよ、どこも汚れてなんかないじゃんか」
千秋がすぐにそう言うと、あおいは一気に怯えた表情をした。
「ほ、ほんとうに? 本当にあれが見えないの? なぎ、そうなの?」
「う、うん、僕も壁が汚れているようには見えないよ」
僕がそう答えたあと、狭い室内のなかはシンとした沈黙に包まれた。
あおいは、その場の雰囲気に流されて嘘をついたり、みんなを怖がらせることを言って楽しむようなやつじゃない。
それは僕も、千秋だって知っている。
じゃあ…それなら…あおいには見えているという、ソレは、一体なんなんだろう…?」
ここでチラッと、五十嵐くんは確認するみたいに、俺のほうを見た。
でも俺のほうは、それに気が付いてないみたいなフリをして、うーむと難しい表情を浮かべたまま、窓の外の往来へと視線を向けていた。
いま俺の心のなかにある思考は、ただひとつ。
(怖い怖い怖い怖い怖すぎる…! 絶対に卒業するまで美術準備室には入らないぞ…!!)
恐怖心フルスロットル…!!
自分がいま、超絶ビビっていることが五十嵐くんにバレないよう、必死になって涼しい顔を演じることに精一杯で(犬彦さんのようにクールに、クールにっ…!)とてもじゃないけど、推理のために頭を働かすなんてことはできない。
「あおいはそのまま黙り込んでしまった。
これをきっかけにして、僕らのいる美術準備室の雰囲気が、一気に不気味さを加速させたように感じられた。
僕だって、本当なら怪談のたぐいはあんまり好きじゃない。
だけど、面白い記事が書けそうだというワクワク感が、僕の感情から恐怖心というものを麻痺させていたんだ。
でも、あおいにだけ、血が飛び散っているような壁のシミが見えるという怪奇現象が発生したことによって、僕は素に戻ってしまった。
これまでに過去6回、七不思議の検証に、僕は千秋とともに参加したんだけど、それっぽい怪奇現象なんて一切起こらなかった。
せいぜいが、ミシッと壁がきしんだ音を立てて鳴ったくらい、だけどそんなんじゃ記事にならないから、あとは面白おかしく少しオーバーな文章を、ウソにならない程度に盛ることで、まとめ上げてきたんだよ。
そういう、読者に「しょーがねーな」と思わせつつ、読み応えのある面白い文章を千秋は書き上げるのが意外と上手いんだ。
で、七不思議の現場検証をして何も怪奇現象が起こらないたびに、僕と千秋、あるいは別の新聞部員で「やっぱ噂なんてあてにならないねー、けっきょく幽霊なんて気のせいだよなー」なんて言いあって笑いながら帰る、それがいつものパターンだったからさ…それなのに…。
もしかして、この美術準備室にはマジでやばい何かがあるんじゃ…なんて思って、ゾクゾクと背筋が冷たくなったよ。
僕は先頭に立つ千秋を見た。
この薄気味悪さ満載の美術準備室のなかで、千秋はいま、何を思っているんだろうって。
千秋が何かに怯えている姿を、僕は一度も見たことがない。
怪談だとかそんなものは全部迷信なんだ、千秋は常々そう言っていた。
不気味に点滅する光のなか、黙ってうつむいている千秋の姿は、なんだか知らない他人のように見えた。
ちょうど僕に背を向けるような位置にいたので、さすがの千秋も、この状況に怖がっているのかどうかを確認することはできない。
千秋までもが黙り込んでしまった今、僕が何かを言わなくちゃいけないと思うのに、頭の中が真っ白になる。
だけど腕から伝わってくるあおいの体温が、しっかりしなくてはいけないのだと、僕を勇気づけてくれた、それで僕が口を開きかけたとき、ちょうど千秋がパッとこちらを振り向いて、やれやれといったような、いつもの千秋らしいおちゃらけた様子で、また軽口をたたいたんだ。
「とにかく、呪われた絵ってのを探そうぜ。
それで血の涙を流しているとこを写真に収めて、さっさとずらかろう」
確かにそのとおりだった。
僕とあおいは緊張から硬直した体をのろのろと動かしながら、千秋に続き、美術準備室の奥へと進んでいった。
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