神の呪いを貴方に刻む

柊木舜

第一章

第1話 放課後

 私立久須志くすし高等学園、四階の天文学科の教室。六列あって一番廊下側の、一番前の席。


「あれ、ルカ君まだいたんだ。勉強中?」


 澄み切った声がして、睦月むつきルカはノートから顔を上げると、見知った制服姿の女子生徒の顔が目の前にあった。

 人間を惹きつけるだろう綺麗な藍色の双眸と整った顔立ちで、明るい微笑みを浮かべている。紅葉色の長髪は、陽が傾き薄暗くなった教室の中でも、しっかり映えて見えた。


「ちょうど、帰ろうと思っていたところ。星宮さんは?」


 近すぎる星宮唯ほしみやゆいの顔を見て気まずくなり、ルカは背もたれに寄りかかる。


「いやー、私としたことが忘れ物をしちゃって」


 そう言う唯は腰に手を当て、髪をわざとらしくなびかせる。机に散らばっていたプリントがふわりと舞い上がり、ゆっくりと床へ落ちていく。


「……ちなみに、何を忘れたの」


 唯は教卓の目の前にある自分の席まで歩くと、自分のカバンを見せびらかすように掲げた。


「じゃーん、カバンでした」


 ぶら下げているキーホルダーが軽く揺れる。バンド「リインカーネーション」のロゴマークだ。ルカは、ずれていた眼鏡を直す。


「カバンも持たずに手ぶらで帰ったってこと?」

「なんか、持っている気がしたんだよね。幻覚見てたかも」


 唯はルカのとなりの机に腰かけ、左手の感覚を確かめるように、開いたり閉じたりしている。


「寝ぼけていただけじゃない? 天文学の授業、最後突っ伏していたし」

「あ、あれは……セイソウ、じゃなくて、タイソウ……でもなくて、メイソウ! メイソウとかいうやつよ。おじい様から聞いたの」


 清掃でもなく、体操でもなく、瞑想。心を静めて無心になり、神に祈ること。


「そりゃ大事な睡眠時間だ」


 唯は不満げに唇を尖らせる。


「ルカ君って、たまにいじわるだよねー」

「そう?」


 ルカは澄ました顔で立ち上がる。

「そんなだと、鈴芽先生にまた小言を言われちゃうよ?」


 天文学科の教師である仕摩置鈴芽しまおきすずめからは、なぜか会うたびに嫌味を言われていた。


「成績はちゃんと取ってるんだけどな」

「先生と同じくらい嫌味言ってるからね、ルカ君も……」

「でも最近の仕摩置先生、調子悪そうなんだよな。素っ気ないくらいで、いつもの皮肉さが薄いというか」


「もう、そうじゃなくて仲良くしなよー。触れるもの全て傷つける思春期かーってね」

「いやいや、俺なんかよりも星宮さんの方が成績悪くてよっぽど怒られてるでしょ――」


 こつんと、頭を小突かれた。


 一つ、唯は大きく咳払いをする。ルカは頭を軽くさすった。窓から隙間風が入り、留められていないカーテンが揺れる。外のグラウンドからは、いつものような声は聞こえてこない。


 あだしごとはさておき、


「そうそう、そういえばなんと来月のキャンプが出来るようになりそうなの」

 キャンプは、一部の生徒が行う学校行事だ。


「へえ、そりゃ良かった。星宮さん行きたがってたよね」

「先生たち本当に頑固でさー。使の津川先生なんかは本当にしぶとくて、なかなかオーケーしてくれなかったんだけど、そこはもう粘り勝ちっていうか、パワープレイっていうか」


「正面突破したんだな」

「そういうこと! それしか私には出来ないし」


 帰ろうとしていたというより、一階の天使学科の教員室に説得しに行っていたのかもしれないと、ルカは想像した。


 唯は散らばっていたプリントを拾い、ルカに渡す。

「さ、早く帰ろ。先生に怒られるの、ルカ君は嫌でしょ?」

「ああ、これで印象が悪くなるのは困る」


 ルカはプリントを丁寧にカバンにしまい、唯の後を追ってそのまま廊下に出る。


 既に消灯されていて暗く静まりかえった廊下。生徒はもうみんな帰ったあとだった。二人の歩く音が、やけに大きく聞こえる。



「さっきの話の続きなんだけど、それでもやっぱり条件を付けられちゃって」

「条件?」


「今起きている『事件』が、キャンプの日までに解決すればだって」


 それはもう実質断られているんじゃないかと、ルカは心の中で思った。


「……『神』はなんか言っているんだっけ」


 街にある神殿に住み、街の人間の願いを叶え、外敵から街を守ることで人々から崇められている存在。それが「神」である。

 この街は「フェイアス街」と呼ばれていて、神の名前がそのまま付けられている。


「フェイアス様も調べてはいるらしいんだけど、まだ時間がかかりそうってお父様が言ってた」

「そうか……津川先生が渋っていた理由が何となくわかったよ」


 久須志学園では、適性があると認められた生徒は、天使学という授業を選択できる。「天使」というのは、神に仕えることを職業とする人間の総称だ。


「他の神の協力は?」

 唯は静かに首を振った。


「あんまり他の神様を街には入れたがらないみたい」

「あーそっか、そうだよな」


 フェイアス神はこの街を結界により他の神を侵入させないようにしている。他の神の協力は最終手段だ。


「でも大丈夫。元々私たちがバシッと解決するしかないって、思ってたし」


 唯は拳を前に突き出す。紅葉色の髪の毛が、ふわりと浮く。準備は万端。反撃開始。



「え、今『私たち』って言った?」

 ルカが制止する。


「言ったけど。それがどうしたの?」

「それ、俺も勝手に入ってないか」

「もちろん!」

「俺は手伝うなんて一言も言ってないぞ!」


 唯は口を開けて固まった。まるでルカの言葉を少しも想定していなかったように。


「手伝ってくれないの……? クラスの一大イベントを守るためなのに……?」


 この街がある県では、人間と神が友好的な関係を築いている。街を神が統治するといったことは少なく、人間が自立して生活をしていた。

 他にも神と人間同士でいくつかの掟を作り、制限をすることで、他の県と比べても平和を保っていた。はずなのだが。


「街を守護している神ですら手こずる『事件』を、俺たちが解決するなんて無理があるんじゃないか?」


「小さいとき私に無理なことはないって、お父様がはっきり言っていたもの」

「それは親ばかというか……」


 唯の父が、神に仕える天使として百年に一度の逸材と言われていると、そこでルカは思いだして、言いよどむ。


「それに、私はやるって決めたらとことんやるんだから。キャンプは絶対行きたい!」


 唯はぴょんと大きく一歩踏み出し、制服のプリーツスカートをなびかせてルカの方を振り返った。そして、カバンについていたキーホルダーを触る。


「ルカ君が手伝ってくれたら、限定キーホルダーを分けてあげても良いかなーと、私も考えていますよ」


「なっ……!」


 ルカは大きくたじろいだ。「リインカーネーション」はルカと唯が共通して好きなバンドで、唯が持っているキーホルダーはルカが行けなかったライブのグッズだった。


「星宮さんにしては卑怯だ! さては偽物だな⁉」

 唯はしきりにあごをなで、にやりと悪そうに笑った。


「ほうほう、そんな口を聞いても良いのかね、ルカ君。君がゲットできなかったものだ、胃の中から手が出るほど欲しいだろうに!」


 それは体内すぎる、と思いながらも、唯の言う通りだった。


「わ、分かったよ、俺も色々調べてみるから」


 眉をひそめ、苦渋の決断をする。


 飛び跳ねて喜ぶ唯を横目に、橙色に染まっている外の景色に目をやった。校舎裏には、似たような一軒家が建ち並ぶ。このあたりは高齢者の住む家が多い。

 家屋の手前の道路を、黒い自動車が排気ガスをまき散らしながら走り、歩道に寄せて停車した。



「ワンッ!」

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