第30話 彼らは未来を希う

「それで、次の戦いはいつだ?」

 血による剣の封印を終えたあと。立ち上がった雪娟が玄明にそう問いかけてきた。

 玄明は力を封じたばかりの剣を鞘に収めると、さてな、と肩をすくめてみせる。

「そこまでは読めぬよ。が、近いうちではないのは確かだ。しばらくは、貴女も穏やかに暮らせるだろう。――――ほれ」

 言って、玄明は剣を雪娟に向かって放った。雪娟は剣を片手で受け止めると、まったく、と腰に手を当てて息を吐く。

「天から与えられた聖剣を放って寄越すなんて、慶仲かお前くらいのものだよ」

「ふふ、その剣とは、もう何十年も付き合ってきたからなあ。研ぐのも慶仲にやらされかけたしな。それを思えばこのくらい、丁重な扱いだろう」

「そうか? どちらも似たようなものだと思うがな」

 と、雪娟はくすくす笑う玄明に応じて苦笑した。

 何しろ白虎の主は年老いても子供のように無邪気で陽気で、天より賜った剣を人間が打った剣と同じように扱う大馬鹿でもあったのだ。あれには玄明も雪娟も呆れはてたものだった。

「ああ、そういえば、今朝は面白い夢を見たよ」

「ほう、何を見たんだ?」

「未来の西域と河西回廊だよ」

 促されるまま、老人は答えた。

「成貴が今以上に立派な城市になっていたよ。清民族だけではなく様々な民族が集う、旅と商売の城市だった。その西には立派な関所が建てられていて、さらに向こうには彗華という大きな城市があってな……」

 目を細め、玄明は未来を語り始めた。

 彼は生まれながらに千里眼の異能を持っていた。条件さえ整えば夢の中で千里を越え、時間の先までも見通すことができる。この異能によって見つめた未来の景色であるなら、それはいずれ実現する可能性がある未来なのだ。

 この異能を慎重に扱うべきものだと理解していなかった幼い頃。彼は人々から恐れられ疎まれ、また利用されていた。そんな己の愚かさや境遇の理不尽さを理解してからは慎重に異能を使うようになり、乱世を生き延びることに必死だった。

 夢も希望もない玄明の日々を終わらせたのが、白虎の主だった秦慶仲だ。

『だってお前のその力はすでに起きちまったことか、起きるかもしれねえことを夢に見るってだけだろ? 誰かをぼこぼこにするもんじゃねえんだから、びびることねえだろ』

 そう笑って、彼はどんな秘密も暴き未来を言い当てる異能を持った玄明を恐れずにかりと笑いかけてきた。そんな人間は彼が初めてだった。

 それから口車に乗ってしまい、望まれるまま彼に助言するようになって数十年。荒廃していた生まれ故郷の成貴は商業都市として栄えるようになった。今日見た夢によればいずれは多民族国家になるという。なんと喜ばしいことか。

「……民族の別なく共存する世界、か。侵略し支配しておきながら、随分と勝手な物言いではあるな」

「それを言われると反論できないな」

 皮肉っぽい雪娟の物言いに玄明は苦笑した。

「しかし慶仲は異民族への干渉を可能な限り避けると約束してくれたし、当代陛下や臣下も彼の遺志を継いでくれている。慶仲の遺志を後世の者たちが守り続ける限り時間はかかるだろうが、清民族が吐蘇族や他の異民族とあの夢で見たように笑いあえる日は来るだろう。私はそう信じたい」

「そしてその先に、白虎やその剣の封印が解ける日も訪れるだろうがな」

「ああ、もちろん。……白虎には悪いがな」

 玄明は笑みに悲しみと哀れみをにじませた。剣を持ったまま立ち上がり、剣より先に封印された白虎を見上げる。

「彼も大変な宿命を背負ったものだ。神獣として、清民族の守護の一翼を担い続けねばならんとは……天も酷なことをなさる。せめてもの救いは、こうして封印されているあいだは孤独を感じずにすむことくらいか」

「仕方ない。それが私たち天に選ばれし者に課せられた宿命だからな。受け入れるだけだ。……もっとも、お前はもう終わりだがな」

「………ああ、すまないな」

 玄明は一抹のさみしさを声と表情に乗せ、戦友に謝った。

 彼は自分の寿命がもうすぐ尽きようとしていることを理解していた。高齢であるし、若い頃から大きな力を幾度となく使ってきたのだ。身体が限界を訴えていることは、親しい者でなくても薄々気づいている。だからこそ先日、職を辞して一私人に戻ることを誰も強く引き留めはしなかったのだ。

 秦慶仲は先年に天寿をまっとうし、白虎も玄明と雪娟が封印した。玄明も遠からずこの世を去る。

 清民族の世を築いて大地に安寧をもたらすべしと天より命じられた者たちで、雪娟だけが生き残る。白虎が次に目覚めるときまで、守り人として神連山脈に鎮座し続けなければならないのだ。戦友として、そのことを玄明は申し訳なく思っていた。

 雪娟は肩をすくめた。

「まあいいさ。お前は人間として充分生きた。このあたりで少しくらい休んだって、天は許すだろうさ。私は一人さみしくこの剣と白虎を守り、神連山脈からこの国の安寧を見守ることにするよ」

「そうか……ならば永遠の別れをする前に、私の先見をまた教えよう。貴女が未来に希望を灯せるように」

 そう、重ねた月日よりもなお深い英知と豊かな感情と祈りの気持ちを、玄明は声音と表情に混ぜた。

「貴女は遠い未来に、次代の白虎の主を育てる母になるだろう」

「……はあ?」

「そしてその時代に私の魂魄もまた、この世で再び生を得るだろう」

「いやいやちょっと待て」

 驚愕をあえて玄明が無視していると、雪娟は思わずといった様子で制止してきた。

「私が慶仲の生まれ変わりの母だと? 誰ぞと夫婦になるつもりのないこの私が? お前、最後の最後でぼけたか」

「生憎、私はまだぼけていないよ。身体のがたがきているだけだ」

 白虎像を指差す雪娟の抗議に玄明はのんびりと返す。雪娟は嫌そうに顔をゆがめた。

 まあ当然だろう。美貌と裏腹の圧倒的な武芸や勇ましい性質によって、いつしか誰も女人扱いしなくなった女傑なのである。よりによって慶仲の生まれ変わりの母親になると言われても、青天の霹靂に違いない。玄明もあの夢を見たときは、どうしてそうなるのかとまずたまげたものだった。

 それにしても、常に冷静で皮肉っぽく笑う雪娟がこんな顔をするとは。言ってよかったと、玄明は満足した。

 雪娟は苦い顔で舌打ちした。

「しかし、何故その予知夢に出てきた子供が慶仲や自分が生まれ変わりだとわかるんだ? お前は先見の異能の持ち主だが、魂の色を見分ける目はないだろう?」

「ああ、そのはずなのだがな」

 玄明は眉を下げた。

「しかし何故かわかったのだよ。ああこの子が慶仲の生まれ変わりで、この少年が私の生まれ変わりなのだとね。少年は慶仲の生まれ変わりに懐かれてはいたが振り回されて、とても苦労させられていたよ」

「それはお前と慶仲そのままじゃないのか? お前もあいつに懐かれていただろう」

「あれよりもっと過激だな。ある意味主従に近いかもしれん」

 玄明はくすくす笑う。なんだそれは、と雪娟は呆れたように眉をひそめた。

 なにしろ玄明が見た夢では、慶仲の生まれ変わりである娘は忠犬かと思うほど老人の生まれ変わりの少年を慕っていたのだ。雪娟にどういう躾をされていたのか獣じみてはいたが、そばにいたいと素直に感情表現しているのはある意味では微笑ましかった。

 少年もまた、振り回されて苛々しても最後には甘やかしていて。彼女の仕草一つ一つに揺れる少年の感情がそのまま玄明に伝わってきた。つたなく幼い恋がそこにあった。

 もちろんそんなものを話せばこの虎仙が大笑いするに決まっているので、話すつもりはないが。

 慶仲の生まれ変わりの顔立ちは雪娟に似ていなかったので養女の可能性もあることも、言ってやらない。自分は誰かの妻になるかもしれないと悶々としながら、その日まで過ごせばいいのだ。

 ただ、あの情景の中に雪娟の姿が混じっていてほしいと思う。母と娘と娘が慕う少年の、他愛もないありふれた一幕。なんと平和な世界だろうか。

「貴女には私の生まれ変わりが誰なのかわからないだろう。しかし慶仲の生まれ変わりのことはわかるはずだ。その剣が呼ぶからな」

「だから母として守り人として導いてやれ……ということか。だが私は神連山脈でこいつの守り人をするんだぞ? 人間の子供を育てる場所じゃないぞ。大体、私は乳飲み子の抱き方なんか知らないんだ」

「そこはまあ、工夫してくれとしか言えないな。神連山脈の人里近くに住むとか、色々できるだろう。さいわいここは貴女や白虎の主、私の血を神連山脈の鉱脈に降らせなければ入ることができない。貴女が子育てや気分転換に神連山脈から少々離れても支障はないだろう」

 にやりと玄明は笑った。

「ああいっそ、そのときこそ夫を探すのもいいかもしれん。貴女の勇ましさを恐れることなく受け入れる、奇特な男が見つかるかもしれんよ」

「……お前、面白がってないか?」

 じとりと雪娟は玄明を睨みつけてくる。当たり前ではないか。この女傑が母親になる予知夢なんて、楽しむ以外他にないだろう。

「……さて、そろそろ行くかね」

 果たすべき役目を終え、戦友とひとしきり語りあって満足した玄明は、ゆっくりと立ち上がった。

 二人が会うのはおそらくこれが最後だろう。雪娟が暮らすのは神連山脈の奥地なのだ。玄明の身体ではもう耐えられまい。

「雪娟、死の間際も祈っているよ。貴女が愛し子と出会う未来を選ぶことを。私ではない私が、貴女や貴女の子ともう一度出会うことを」

「……ああ、さらばだ玄明。私ももう一度、お前ではないお前に会えることを願うよ」

 そうして、長い歳月を戦友として共に過ごした予言者の老人と雌の虎仙は、現世での永遠の別れの言葉を交わした。

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