30-10 まなざしが含む熱 お人よし
その後、服飾部の部員もお菓子クラブの三原色チームも、みなどこか畏怖のこもった眼差しで遠慮がちに接し、時折血走った目でアンジェの替えの肌着やらコルセットやら制服やらに守られた完膚なきじーをじっ……と凝視していたが、アンジェは気づかないふりをした。レーヴ・ダンジュの倉庫に在庫の確認に行った生徒たちによれば、届いたばかりの文化祭用の特注品の中に、発注した覚えのない、どうみてもじーサイズのセットが一式見つかったらしい。部員たちは首を傾げていたが、アンジェとリリアンは顔を見合わせる。アンジェの誕生祝賀会でもイザベラは進行を二本立てで準備しており、二人はそれに大いに助けられた。きっと今回も、有事の事態に備えて──あるいは、アンジェも巻き込んでステージに引き上げるつもりで、王女が人知れず発注していたのだろう。
「……さすが、軍師殿ですわね」
「ぐんし? ……あ」
リリアンはフェリクスの言葉を忘れていたのか、軍師という言葉が耳慣れなかったのか、数秒考え込んだ後、にんまりと嬉しそうに笑っていた。
結局イザベラはまるまる一週間アカデミーを休んだ。その一週間、アンジェは文化祭中の自分の空き時間の調整に苦心した。フェリクスには既に服飾部およびレーヴ・ダンジュのショーの招待状が届いていたようで、出演者を知らない彼は当然アンジェとリリアンと共に観覧する心づもりだったそうだ。二人が出演することを聞くと、王子は驚くとともに少年のように瞳を輝かせて至極上機嫌になった。リリアンがふくれ面で「このショー、結果的に殿下が喜ぶだけになった気がします……」とぼやき、更にフェリクスをニコニコさせる結果となった。
お菓子クラブの方も準備は順調で、材料の仕入れ、日頃の部活動でのメニューの練習、飾り付け、集客のためのイベント運営。それぞれの準備は三原色チームの奮闘によってつつがなく進捗していった。青チーム・文化祭担当のシエナとシャイアはエイズワースの講演会に参加以来すっかり彼に入れ込んでしまったようで、報告の合間にしきりに彼の名前を出し、集客イベントでも彼の講演を参考にしたという企画をいくつか提示してきたが、アンジェとリリアンはお菓子に関係ないものは却下した。だがエイズワースはフェアウェルローズ・アカデミーの生徒たちからの認知が少しずつ上がっているらしく、クラブ活動を担当する黄色チームのエリンとエリアナからもその名前を聞くことが増えてきた。更には在庫管理担当の赤チーム、マギーとマリナからも、お菓子クラブへの文化祭活動への寄付を希望する名士の一覧表に彼の名前があったと報告を受け、さすがにアンジェは疑念を深めざるを得ない。
「どう考えても、お菓子クラブに取り入ろうとしているようにしか思えないんですの」
「私もそう思う。なんだ、え……エーデルワイスだったか」
「エイズワースですよね。俺、会ったことありますよ」
ライトニングダッシュの練習中、アンジェが空中をランニングしながらルナと話していると、少し横を走っていたエリオットがしかめ面で話題に入ってきて、アンジェもルナも、そしてエリオットに背負われているリリアンもギョッとする。
「なんでそんなびっくりするんスか!?」
「ごめんなさい、アンダーソンさんのお知り合いとは思わなかったので……」
「知り合いってほどじゃないっスよ」
エリオットは肩をすくめる。
「アシュフォード先生のお知り合いとかで、どっかでライトニングダッシュのこと聞いたらしくて。すごい才能だ、ぜひそれを世に広めるべきだって……」
「少年、どんな奴だった。早漏そうな顔してたか」
「あー下品なオッサンは黙っててください、セルヴェール様もリコもいるんスよ」
「人を悪者にして紳士ぶるとは策士だなアンダーソン」
「どう考えてもルナが悪いですわ」
「ソーローってなんですか?」
「ほら! ルナ! いい加減にして!」
「おっと」
アンジェがルナをばしりと叩き、そのせいでゲラゲラ笑っていたルナは魔法が解けてしまい、そのまま地面に落下した。一同がギョッとするが、鍛錬狂いのルネティオットは何事もないように空中でくるりと態勢を変え、受け身で着地しゴロゴロと芝生の上を転がった。
「おいアンジェ、私は魔法は凡人なんだ、加減しろ!」
「あーあ、オッサン、自業自得ッスよ」
「まさしくその通りですわ」
アンジェとエリオットが冷たく言い放ったのを見て、ルナはニヤニヤしつつ肩をすくめ、再びライトニングダッシュの魔法を自分にかけ始めた。ルナはアンジェとは違い、丁寧に呪文詠唱をしないと魔法を発動させることが出来ず、時間がかかるのだ。
「それで……どんなお人柄の方でしたの、エイズワースさんという方は」
「んー」
「わっ」
尋ねたアンジェに、エリオットはリリアンを背負い直しながら顔をしかめる。
「普通の人だと思いますけどね。仕事してまーすって感じの」
「……アンダーソンさんは、どうしてエイズワースさんの申し出をお断りになりましたの?」
「いや、だって、魔法使いにならないかって話だったんスよ? 俺がやりたいのは魔法じゃなくてサッカーなんで、畑が違いますって普通に断りました」
「そうでしたのね……」
(魔法の才能がある人物を探しているということなのかしら……?)
(お菓子クラブに接近するより、わたくしやリリィちゃんと直接接点を持った方が、彼らの目的に適うような気がしますけれど……)
走りながら思考に沈んでいくアンジェをリリアンはちらちらと見ていたが、やがてつまらなそうに自分を背負って走るエリオットの頭をぽんぽんと叩く。
「ねえ、リオ、ソーローってなに?」
「バカリコは何でも俺に聞くんじゃねえ……」
エリオットはギョッとし、アンジェも我に返って慌てふためく。
「リリィちゃん、出来ればわたくしもご存知ないままでいいと思いますの」
「なるほど……リオとアンジェ様がそういう反応ってことは、きっとやらしー言葉なんだ……」
リリアンは至極真面目な表情でうんうんと頷いた。ようやく魔法を発動して空中に戻ってきたルナが、ニヤニヤしながらアンジェとエリオットの横に並ぶ。
「あんまり過保護にするのはよくないぞー」
「オッサンはそこで黙っててください」
「いいもん、クラスのお友達かお菓子クラブの人に聞くから」
「お願いリリィちゃん聞かないで、分かりましたわたくしが後で教えて差し上げますからお願いよ」
「やっぱりやらしー言葉なんだ……」
練習が終わった後、アンジェはリリアンに言葉の意味を教える羽目になり、リリアンは家具の角に足の小指をぶつけた時のような顔をしていた。
アンジェは一度、クラウスの様子を見るために適当に授業の質問を用意して彼を訪問した。クラウスは至って普段通りの様子で、いつものように穏やかに授業の補足をする。乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」の話をするときのようによほどイザベラのことを尋ねてみようかとも思ったが、イザベラはあの貴賓室では、クラウスとどんな関係だったのかについてはあまり言葉にしなかった。その状態でクラウスに質問しているうちに、何か取り返しのつかないことを知らず知らず言ってしまうかもしれない。
(イザベラ様の想いにそぐわないことは、できないわ……)
(でも……)
アンジェはクラウスとの面会を早々に切り上げ、足早にクラスルームへと戻る。もうすぐ予鈴が鳴るせいか、昼食を食べ終えたほとんどの生徒が戻ってきているようだ。ルナも自分の席に座り、机に突っ伏して昼寝をしているようだった。
「……ルナ。ルナ、起きて」
「なんだ……? アンジェか、どうした」
「ルナ、聞いてちょうだい」
「もう予鈴が鳴るだろ、後にしろよ」
アンジェは首を振る。二人ともしばらく忙しい。剣術部にお菓子クラブに服飾部に生徒会、何かしらの用事があって、いつも横には他の誰かがいる。一瞬でもいいから、親友と二人きりの瞬間に、言わなければならなかった。
「……どうした」
切羽詰まった様子のアンジェを見上げ、ルナが机に置いていた眼鏡をかけた。
「……ルナには、言えないんですの」
「ハァ?」
「だから……ユウトさん、聞いてくださる?」
「…………」
ルナが一瞬息を呑んだのが分かった。アンジェは唇を噛み、ルナの耳元に唇を寄せ、自分たちの間を手で塞ぐ。
「イザベラ様は……風邪ではないの」
自分の吐息が手のひらの中にこもってこそばゆい。
「……失恋なさったのよ。……アシュフォード先生に」
アンジェはゆっくりと身体を起こす。ルナの耳から遠ざける手が震えている。言ってしまった。イザベラとの約束を破って、彼女に伝えてしまった。イザベラの前世での夫に。彼女を姫御前と呼び、その隣に自然に立ち、エスコートしろだのコスプレをしろだのという我が儘を聞いてやっている、口は悪いが心優しいアンジェの親友に。ルナはアンジェに囁かれた姿勢のまま何一つ動かない。そのまま予鈴がなってクラスルーム内がざわつき、みなそれぞれ自分の席に座り始める。アンジェはため息とともに俯いた。言うべきではなかったのかもしれない。自分が感情を持て余していたからと、ルナを巻き込んでしまうのはよくなかったかもしれない……。
「……ごめんなさい、ルナ」
ぽつりと呟いて、アンジェも自席に戻ろうとする──その手を、ルナががしりと掴んだ。足を止めたアンジェが振り向くと、アンジェを見上げたルナが、にこりと微笑んで見せる。
「……そうだろうと、思ってたよ」
親友の、こんなにも優しく、こんなにも悲しい微笑みを、アンジェはかつて見たことがない。
「長い付き合いだ、だいたい分かるさ。姫御前に言われて黙っていてくれたんだろう。しんどかったな、
「……ルナ……」
「だから、わた……俺なんかのために泣くな、アンジェ」
「……っ……!」
ルナに指摘されて初めて、アンジェは自分の頬が冷たく濡れていることに気が付いた。気付いてしまうと止まらなくなり、喉の奥から嗚咽が込み上げてくる。
「お前は本当にお人よしが過ぎる、子リスと殿下が飛んできちまうぞ」
「ルナぁ……ユウトさん……!」
「分かった、分かったから、泣くな、アンジェ。私でも女の涙には弱いんだ。こっちに来い」
ルナは立ち上がるとアンジェの肩を抱き、クラスルームの外に連れ出した。ちょうど午後の教科担当が現れたところで、アンジェの頭痛がひどいので医務室に連れていくと言うと、教科担当は慌てつつも了承した。連れていかれた医務室で、いつもの窓際のベッドに寝かされると、ルナが椅子を持ってきてその傍らに座る。
「姫御前と話すようになって、割とすぐにな。好きな人がいると言われて……アカデミーに入学したら、すぐにメガネ先生だって分かった。メロディアの推しだったしな」
「そう……」
窓枠に肘をついて外を眺めているルナの、目尻の泣きぼくろが、妙に目について離れない。
「ま、生徒と教師だし、神官と王女だしな。徹底して人目を避けてたから、二人で並んでるところなんざよほどのことがないと見かけないし、メロディアも話題にしなかった」
アンジェの涙はまだ時々ぽろりぽろりと零れ落ち続けている。
「前に言っただろう、誰かが誰かを想う気持ちは原始的なんだ。理屈とか、思いやりとか、そんなのはあっという間に吹っ飛んじまう。好きだと思ったら最後、それを捨てるまでその矢印の向きは誰にも変えられないのさ」
「……そうね……」
アンジェは、以前それを言われた頃──ルナにリリアンのスカラバディを代わってくれと言った頃を思い出す。あの頃はまだ純粋にフェリクスのことが好きだった。どうしてリリアンが気になるのか、分かってもいなかった。ルナは思考を巡らせているアンジェの顔をちらりと見たが、小さくため息をつきながら、また視線を窓の外に戻した。
「私の中のユウトは、いつまでもいつまでも未練がましくメロディアへの矢印を持ち続けている。それはもう、私がユウトの記憶を持ってる限りは消すことはできない。ユウトはもう死んじまって、心境が変わるなんてことはないからな。変わるとしたら私の方だ」
「……ルナは……ルナも、イザベラ様を……お慕いしているの?」
「勿論だ」
ルナはアンジェの方を見て、口の片端を上げて笑ってみせる。
「だから、幸せになってもらわにゃ困るんだ」
「……ルナ……貴女という人は……ルナのくせに……」
「だからなんでお前がそんなに泣くんだよ、女々しいのもいい加減にしろ、子リスを呼ぶぞ」
「ルナぁ~……」
アンジェはベッドから起き上がると、ルナをがしりと抱き締める。ルナはまだぶつぶつ文句を言っているが、アンジェを振りほどこうとはせず、その背を優しく叩いてやる。
「……ありがとうな、アンジェ」
アンジェが自分の首にしがみついて、目を閉じているのを確かめて。
ルナはそっと自分の目尻から落ちかけたものを、指先で拭う。
「ありがとうな……」
小さな呟きは、彼女にしがみついて泣く彼女の親友にだけ、ひっそりと届いたのだった。
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