28-7 文化祭に向けて 初公判
アンジェは寸暇を惜しんで剣術の鍛錬に励む日々だったが、リリアンはリリアンで忙しそうにしていた。王宮の守護結界が弱まっている、それはすなわち結界を施した大神官の神通力が弱まっていることに他ならない。フェリクスの誕生祝賀会では、リリアンが聖剣ディヴァ・ブレイズと共に暫定的に新たな結界を張り王宮の守りの綻びを閉じたが、同じような事態が
大神官の神通力が弱まった理由は明白だった。
新年祝賀会にて、リリアンの義父であるスウィート男爵は、犯罪および犯罪教唆の自供により逮捕された。男爵の罪状を調査するにつれて、男爵からフェアウェル大神殿への巨額の献金が明らかになっていく。献金の時期はアンジェの誕生祝賀会の直後の頃で、男爵と大神官の個人的なやりとりを記した手紙も発見された。それは公爵令嬢アンジェリークを魔物憑きに仕立て上げ、邪教徒の疑惑をかけるための計画が記されていたのである。献金額は神殿の帳簿と合致しないことも明るみに出たため査察が入り、獄中で彼は大神官の称号が剥奪された。それに伴い、彼による魔法の効能も著しく効果を損なったのである。
フェリクスはその報告を受けるや恐ろしい剣幕で自分の護衛官に詰め寄り、あの日アンジェを拘束した理由を問い質した。日頃から口数の少ない護衛官は震えながら膝をつき、自分は護衛官の役務規定に従っただけで、断じて何の関わりもないと供述した後、剣の柄をフェリクスに、切っ先を自分に向けて差し出す。これは古くから騎士が主人に忠誠を誓う所作で、気に入らなければいつでも斬り捨ててくれてよいと、恭順と服従を示すものだ。フェリクスは怒りに震えながらそれを受け、剣の腹で護衛官の肩を叩き、彼の忠誠を受け入れた。フェリクスは彼にその日一日だけ自分に近寄らないように言い渡し、護衛官はうなだれながら兵舎に下がった。
アンジェの「十六人の天使たち」の宝石のうち、フェリクスの誕生祝賀会で身に着けていてマラキオンが一つ一つアンジェの身体から引き離したものは、ことごとく祝福魔法が破壊されていた。残された宝石と、リリアンが身に着けているお揃いのアメジストのブローチも、結界と同じく効果が弱まっている状態である。リリアンは真っ先にこれらに新たな祝福魔法をかけ、アンジェに日頃からできるだけ多く身に着けるようにと頼んできた。アンジェは髪につけるブローチに加え、ブラウスの中に隠れるネックレスと、ストールピンを制服の襟元につけるようにし、剣術の鍛錬の時もジャージの内側につけるようにした。
リリアンのストロベリーブロンドにも、紺と白のリボンと、アメジストのブローチが燦然と輝いている。裁判官と傍聴者が見守る中、十三歳の聖女は、紫の瞳で真っ直ぐに前を向いて、フェアウェル王国最高裁判所の証言台にすっくと立つ。
「リリアンくんとの婚約は、僕は極めて不本意でしかないが……ここに限っては良かったと思えるな。ローゼンタールはいい弁護士だよ」
後方二階、天覧席のフェリクスは、椅子に座って腕組みをしながらリリアンの背中をじっと見下ろす。
「フェリクス様の法学の家庭教師でいらしたのですわね」
隣に座ったアンジェも、厳しい顔をしながら法廷内を見回した。中央の証言台にリリアンが立ち、向かって左の原告席にはフェリクスの言う若い弁護士が、反対の被告席にはスウィート男爵とその弁護団が座っている。スウィート男爵はこのおよそ一か月ほどの間で激烈にやせ衰え覇気を失い、まるで死ぬのを待つばかりの老人のようだ。
「ああ。もとより彼女に非があるわけではないが……証言台に立つのも心労がかさむだろう。彼ならリリアンくんの負担を軽くしつつ、スウィート男爵の罪を余すことなく追求できる」
「それは頼もしい限りですわね」
アンジェの肯定に、フェリクスは頷きながら実に自然にアンジェの肩を抱いた。アンジェは彼の手が肩に触れて数秒は気が付かなかったが、ハッとして自分の肩を見て、隣のフェリクスを見上げる。フェリクスは少しばかり悪い男の顔で、にこりと笑ってみせる。
「駄目かい? 僕の真の婚約者殿」
「……駄目ですわ」
アンジェは微笑み、フェリクスの手をそっと外し、彼の膝の方に押し戻した。
「リリア……リリィちゃんが嫌がりますの」
「りっ……」
勇気を出して恋人の愛称を口にすると、フェリクスはギョッとしてみるみる顔が赤くなる。
「……何だって? アンジェ。ごめん、良く聞こえなかったよ」
「リリィちゃんが、嫌がりますのよ」
「ああ……!!!」
アンジェがくっきりはっきり言い直すと、フェリクスは両手で顔を覆い、目立たない程度に天を仰いだ。
「そうか……そうか……! 愛称で呼ぶような仲になったんだね……!」
「ええ、ですから、いくらフェリクス様でもお手を触れないでくださいまし」
「それはそれ、これはこれ、リリアンくんはリリアンくん、僕は僕だよ」
王子はどこか浮ついたような口調でいう。
「アンジェ。僕の愛するアンジェリーク。君たち二人の素晴らしい門出は、僕は全力で応援させてもらうよ。だが僕はいつだって君をこの手で愛でたい……この想いを押し留めるなんて、とてもじゃないが出来ないよ」
「そうは仰いましても、ここは法廷でしてよ、節度ある振る舞いをなさいませ」
「君が休憩時間の時に僕と一緒にお茶をしてくれるなら、君の伴侶として恥じない振る舞いをしようじゃないか、僕のつれないにゃんじぇ」
「だっ……ええっ!? フェリクス様!?」
フェリクスの突然の呼びかけにアンジェはギョッとし、思わずその場に立ち上がろうとしたが、フェリクスが笑いながらアンジェの腕を掴んでそれを引き留める。アンジェは顔を赤くなしながら自席に座り直し、何か言おうとしたが、口がむにゃむにゃと動くばかりで何の言葉にもならなかった。フェリクスはその様子をニコニコと眺めているばかりだ。裁判は粛々と進んでいて、これ以上騒いだら皆がこちらに注目してしまうだろう。アンジェは恥じらいを隠すようにため息をつき、天覧席にだけ配布された裁判資料を手に取って、ぱらぱらと目を通す。
「……本当に、呆れかえるほど多い罪状ですこと」
「ああ。これでも、ローゼンタールが想定していたよりは少ないらしい。しっぽ切りをして逃げた輩がいるのだろうな」
「まあ……」
アンジェは紙をめくりながら、自分が関わった事件──リリアンとミミちゃんを探していて、階段から転げ落ちた事件の記載を探した。だが目録を見ても、本文を見ても、どこにもその記述が見つからない。
「フェリクス様、わたくしが階段から落ちた事件の記述がありませんのね」
「ああ、あれから何の進展もなくてね。君には申し訳ない」
フェリクスが顔を曇らせたので、アンジェは首を傾げる。
「でも、事件のあらましと、犯人を証言台に立たせるだけでも、心証は違うのではなくて? 犯人は捕まっているのですから」
「えっ、捕まっているのかい?」
フェリクスが緑の目を見開いてアンジェを見た。
「該当者なしと聞いてから、新しい報告は受けていないのだが……」
「……えっ……」
怪訝そうなフェリクスの顔。その緑の瞳が、アンジェの記憶の中の、眼鏡越しの緑の瞳と重なる。
【実はもう、あそこに鋼線を取り付けた者は捕まっているんです】
真剣に、深刻そうに、心配している様子で話していた、彼のまなざし。
【僕も調査団に入っていましたので、生体追跡などを魔法で手伝いました】
兄弟二人、仲睦まじそうに互いを見て微笑んでいた、もう一人の──乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」内でクーデター首謀者となる、攻略対象。
「フェリクス様……」
「何だい、アンジェ」
「その、犯人をお探しになった時に……調査団に、アシュフォード先生もいらっしゃいまして……?」
「調査団? 兄上?」
フェリクスは不思議そうに首を傾げ、まじまじとアンジェを見つめた。
「事件は治安警察がアカデミー側と協力して調査していたよ。他の者が調査したという報告は受けていないな。兄上からも何も聞いていないよ」
「…………そう、ですのね…………」
身体中が軋んで息を吐くことも吸うことも出来ないアンジェは、そう答えるしかできない。
「それがどうかしたかい?」
「いえ……」
フェリクスの無垢な瞳が、アンジェの心臓を握り潰してしまうかのようだった。
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