28-4 文化祭に向けて 触り方
指先を絡めた二人の手が、布団の上に置かれている。
「一つ聞いてもいいですか、アンジェ様」
アンジェの肩にもたれかかっているリリアンが、靴下だけの足をベッドの端でプラプラさせながら呟いた。
「ええ、わたくしに答えられることなら」
アンジェは答えながら、親指でリリアンの手の甲を撫でる。重なった掌が熱を含んで脈打っているのは、自分なのかリリアンなのか、境界が分からない。
「国王陛下と、王妃殿下と……アシュフォード先生のお母様のことなんですけど」
「…………後でお教えすると、確かに言いましたわね」
アンジェは一瞬顔をひきつらせたが、平静を装いつつため息をついた。リリアンも神妙な顔をして頷く。
「国王陛下が、王妃殿下とご結婚なさっていて……でも、アシュフォード先生のお父様も国王陛下で……なのにどうして、王妃殿下とアシュフォード先生のお母様が仲良しなんでしょう?」
「……アシュフォード先生のお母様は、大公夫人とお呼びしましょうね」
「はぁい」
リリアンがつまらなそうに返事をしたので、アンジェはリリアンの頭に自分の頭を乗せた。耳がリリアンの髪に触れてくすぐったい。
「……わたくしも、全容を知っているわけではないのですけれど……大公夫人は、もともと王妃殿下の侍女でいらしたのだと聞いておりますわ」
「侍女……」
リリアンは空いている方の手で自分の髪をいじりながら首を傾げる。
「侍女だから浮気相手になっても、仲が良いまま……なんですか? やきもち焼いたりしないのかな……」
「……そうねえ……」
「それに、男の人がいた方がいいとか……素敵なものを持ってるとか」
「まっ」
アンジェは変な声が出てしまい、げほごほと咳をして誤魔化した。リリアンはそんなアンジェの顔を不思議そうに見上げる。
「聞くの、そんなに変ですか? リオも教えてくれないんです」
「……アンダーソンさんに聞いたんですの!?」
「はい、でも……教えたっていいけど、アンジェ様に恨まれそうだからやだって言われました」
「……リリア……リリィ。あの……」
アンジェはまだ慣れぬ愛称を呼んで、リリアンのくもりなきまなこを覗き込んだ。
「その……人間の赤ちゃんがどうやって生まれるかは、ご存知?」
「知ってますよぉ」
リリアンは子供じゃあるまいし、と呟いて唇を尖らせる。可愛らしい仕草だが、動揺していやな汗をかいているアンジェにはそれを愛でる余裕がない。
「一応……確かめさせてくださる?」
「ええー……」
リリアンは顔を赤くして医務室のベッドの上に乗り上げ、アンジェの耳元に唇を寄せてひそひそと囁いた。しかめ面で聞いているアンジェも頬が熱くなる。
「……ですよね?」
「ええ、そうね……ですから、国王陛下の……」
今度はアンジェがリリアンの耳元に唇を寄せて、やむを得ず熱い息で囁き返す。なんてとんでもないことを、このいたいけな少女に話さないといけないのだろう? アンジェ自身もあの三人の様子をあの場で初めて目撃して、見えない時間のことを想像しているだけなのに。
「ええっ……えっ!?」
リリアンはギョッとしてアンジェから離れた。アンジェは慌てて人差し指を自分の唇の前に立てる。
「リリィ、声が大きいわ」
「だって……結婚したり婚約したりしてから、二人でするものじゃないんですか!?」
「……リリィ、どうか、静かに、お願い」
アンジェはたじろぎ、窓の外に誰も通らないのを確認しつつリリアンの肩をがしりと掴んでふるふると首を振った。医務室には養護教諭以外誰もいないはずだが、彼女にこの声が届いてしまっていないか気が気ではない。
「……いろいろな人がいるのよ。いろいろな人がいる数だけ、いろいろな楽しみ方があるの」
「だって……三人……どうやって……」
「リリィ、後生だから」
「えっ……えっ? だって、……えっ……?」
「リリィ、ごめんなさい、完全に余計なことを教えてしまったわ、どうかお忘れになって」
「むむむ無理ですぅ、あっ、もしかして、殿下が挟まりたいって仰ってるのって、そういう意味だったんですか!?」
「……フェリクス様のお心のうちは、フェリクス様しかご存知なくてよ……」
「やだー……殿下、やだー……やらしー……」
リリアンは赤くなったり青くなったりぶるぶる震えたり慌てふためいたりしながら首を振り、アンジェは激しい後悔に打ちひしがれてがっくりとうなだれた。
「ああ……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いろんな人がいるんですねえ……まだ信じられないです……」
「態度に出したりして、王族の方々への失礼とならないように、くれぐれもお気をつけなさって……?」
「はぁい……」
リリアンは深々とため息をつくと、自分の肩を掴んだままのアンジェの手を離させ、先ほどと同じようにアンジェにもたれかかった。今度は手をつなぐのではなく、アンジェの左腕を自分の肩に回すようにさせ、自分の胸の前あたりで抱き締める。
「リオめ……だから教えてくれなかったのか……」
「……アンダーソンさんは、わたくしたちのことをよくよく助けて下さいますこと」
アンジェは新年祝賀会でエリオットの涙を思い出しながら呟く。
「はい、リオはいつも、困ってると助けてくれます」
「そう……」
話題が逸れそうなことに内心安堵しつつ、アンジェは曖昧に微笑んだ。あの時、彼も確かにリリアンが好きだと言っていた。その言葉と共に流した涙が、日頃の照れ隠しとは別次元の本心なのだと深く印象づけた。その後もリリアンの世話を焼いて、時折アンジェに対してドヤ顔とも言うべき得意そうな表情を見せてくることもあるが、フェリクスのように二人に干渉しようとする様子ではない。
(……認めるですとか、応援ですとか)
(そんな風に受け取って、よいものかしら……)
(今度、リリアンさん……リリィがいない時にでも聞いてみましょう)
「……ねえ、リリィ」
「はい、何ですか、アンジェ様」
愛称を呼ばれたリリアンが、紫の瞳をきらきらさせながらアンジェを見上げる。
「リリィという呼び方、とても可愛いのだけど……今までリリアンさんとお呼びしていたし、呼び捨てにするのもなんだか気が引けるわ」
「え……」
「ああ、違うのよ、誤解なさらないで。だからね、その……リリィちゃんか、リリィさんとお呼びしてもよいかしら?」
リリアンはアンジェを見上げたまま険しい顔になったが、しばらくそのまま考え込み、小さく鼻を鳴らしてから微笑んだ。
「……もう。リリィちゃんならいいですよ」
「ありがとう、リリィちゃん」
「慣れたらちゃんとリリィって呼んで下さいね?」
「善処いたしますわ、リリィ」
澄まして言ったアンジェにリリアンはクスクスと笑い、自分の肩にかかるアンジェの腕に頬をすり寄せた。柔らかな頬の感触がジャージ越しでも伝わってくる。それはアンジェの胸の奥を甘く疼かせる、これをどうしたらいいのだろう? 今までは胸の奥に押し隠しているだけだったけれど、恋人になりたての今、この熱に冒されてしまっても、貴女に触れても、よいのだろうか?
「…………」
アンジェはおそるおそる、空いてる方の手をリリアンの方に伸ばしてみた。もう触れている身体を抱き寄せればいいのか? 先ほどのように手をつなげばいいのか? それとも……瞳を覗き込んで、言葉の代わりに柔らかなものを重ねればいいのか。躊躇っているうちに、リリアンは自分の目の前に中途半端に差し出されたまま震えているアンジェの手を見て首を傾げた。
「アンジェ様?」
「……ごめんなさい、リリィちゃん」
アンジェは大きく息を吐き出して深呼吸した。いつの間にか息を止めてしまっていたらしい。
「わたくしの恋人になってくださって、とても嬉しいの。嬉しいけれど……嬉しいから、貴女の嫌がることはしたくなくて。貴女にどのように触れたらいいのか、分からなくなってしまいましたの」
「アンジェ様……」
「わたくしは、その……リリィちゃんに触れてみたいと思いますわ。手をつないだりもそうですけど……キス、したり、ですとか。でも女の子どうしですもの……貴女がお嫌なら、無理にとは思いませんの」
「えっ」
リリアンはギョッとして、それこそその場に飛び上がらんばかりにギョッとして、紫の瞳を大きく見開いてまじまじとアンジェの顔を覗き込んだ。
「しないんですか、キス!?」
「えっ」
今度はアンジェがギョッとする。
「す、すす、するんですの!?」
「…………」
リリアンは呆然として、口をぽかんと開けたまま、真っ赤なアンジェの顔を穴が開くほどしげしげと凝視する。アンジェが何も言えないままだらだらと汗をかいていると、リリアンはプッと吹き出し、またアンジェの腕を抱き締めながらクスクスと笑い声をあげた。
「もう、にゃんじぇ様ったら!」
「えっ……」
急に変わった呼び名にアンジェはギョッとする。
「それ、ルナも同じことを言っていましたわ……わたくしを治療してくださった時に、何かありましたの?」
「気になりますか、にゃんじぇ様?」
「気になるというか……にゃ、と仰る時点で、想像はつきますけれど……」
言葉尻がもごもごと小さくなっていったアンジェの顔を、リリアンはニコニコと覗き込み──その手を、アンジェの肩にそっと置いた。
「……何にもありませんでしたよ、にゃんじぇ様」
「……絶対」
嘘ですわ、という言葉は、恋人に柔らかに塞がれてしまい、声にならなかった。
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