26-2 部室でお昼
恐るべき筋肉痛は、午前中の授業中にはもうその片鱗を見せていた。まず全身がものすごく気怠くなり、椅子に座っているだけでも背中な軋む。鉛筆を持つ手が痛くて痺れ、筆圧が足りなくなる。指名されて起立する時の動作がとてつもなく痛い。アンジェがあまりにもゆっくりと苦しそうに起立しようとするので、指名した教師はオロオロしつつ医務室に行ってはどうかと勧めたが、アンジェは断固拒否し、当てられた問題を正答した。昼頃には筋肉痛はピークに達し、アンジェはルナに捕まらないと歩けない有様だった。今日はお菓子クラブ創業メンバーで部室で昼食を食べる予定だが、アンジェはとてもカフェテリアに寄れそうになく、ルナにアンジェの分も買ってくれるよう頼み、這うようにして部室に向かった。が、結局あと一歩というところでルナに追いつかれてしまい、爆笑されながらも半ば吊るされるようにして部室まで連れられて行き、椅子に座ってようやく人心地ついた。
冬の部室は身が芯まで凍りそうになるほど寒い。また創業メンバーが全員揃うと十人になる。アンジェ達は奥の小部屋ではなく部室の作業台の周りに椅子を持ち寄り、作業台の下や部屋の隅にお菓子クラブ宛の寄付金の余りで購入した魔法ストーブを置き、それでようやく部屋が温まってきた。
「みなさん、今日はお忙しいところお集まりいただいて……いたた、ありがとう存じます……」
「おいおい、大丈夫か、おばあちゃん」
「うるさいわよルナ……っ、いったあ……」
「アンジェ様、無理しないでください、魔法かけましょうか」
ルナに買ってもらったサンドイッチを食べつつぎしぎしと軋むアンジェを見て、ルナは笑い、アンジェの隣を陣取ったリリアンが心配そうにアンジェの顔を覗き込む。
「ありがとう……魔法は、大丈夫……」
「でも……」
言いながらリリアンはアンジェにお手拭きを差し出し、飲み物を近くに引き寄せ、次のサンドイッチを取ってやろうとする。せわしなく次々と世話を焼こうとする姿は子リスがどんぐりを次々に頬袋に詰め込もうとしているようで、アンジェは頬を緩めた。
「本当に大丈夫ですから。お気遣いありがとう、リリアンさん」
「……はい」
リリアンが少しばかり頬を染め、ぷいとそっぽを向く。そのまま自席に戻って座ったあたりで、さて、とアンジェは一同を見回した。
「今日お集まりいただいたのは……みなさんに、お願いが、いたっ、ありますの。まったくもって私事なので、気乗りしなければご遠慮なくお断りなさってね」
「はい、アンジェリーク様」
「何なりと仰ってくださいな」
令嬢たちはそれぞれ顔を見合わせながら頷いて見せた。朝練ではアンジェよりもさらに激しく動いていたはずのルナは、けろりとした顔で頭の後ろで腕を組みながらニヤニヤしている。
「ありがとう存じます。実は……」
アンジェは深呼吸すると、おさらいのように今までのことを語った。リリアンに恋をしてしまったこと。フェリクスへの想いが消えたわけではないが、少し距離を置きたいと思っていること。フェリクスの持つセレネス・パラディオンの称号を得て、リリアンを、自分自身を守りたいこと──
(本当は……)
(
(けれど、いたずらに不安になることを話して回るのも良くないわ、アンジェリーク……)
「それで、剣術部に入部して、出来る限りそちらで鍛錬することになりましたの……そうすると、どうしてもお菓子クラブやサロンのための時間を、剣術に費やすことになってしまうでしょう?」
話していない部分も含めて事情をすべて知っているのはルナだけだ。セレネス・シャイアンであるリリアンはほとんどの事情に通じているが、唯一クラウスとアンジェのクーデター首謀についてだけは、アンジェはは意図的に話していなかった。クラウスの名誉のためでもあるが、自分自身もそれを他人に知られるのをまだどこか躊躇っていた。
「ですから、みなさんに、お菓子クラブ運営をより積極的にお力添えいただけないかと思いまして……そのご相談でしたのよ」
残る七人、女子のスカラバディ三組ずつとルナのバディの令嬢たちは、それぞれ公になっていることしか知らないはずだ。一年生の頃、ルナを含めたクラスメイトだったエリン、シエナ、マギー。彼女たちのそれぞれのスカラバディ、エリアナ、シャイア、マリナ。六人はそれぞれ互いのバディと顔を見合わせ、ルナのバディのグレースは首を傾げながら、食い入るようにしてアンジェの話を聞いていた。
「お菓子クラブでは、ここしばらくは毎週の活動と、文化祭の準備を並行しなければなりませんわ。……った……ですから、バディごとに、日常の活動、文化祭、両方の資材や材料の調達をそれぞれご担当いただければと思いますの。ルナとグレースさんは、負荷運動や鍛錬の計画を立てるのにご協力いただいて……リリアンさんは、できるだけ私とご一緒にいていただいて、予定の管理をお願いできますかしら?」
「おい、さりげなく職権乱用するな。子リスはおばあちゃんにベタ付きか」
ルナが言いながらクックッと笑い、リリアンがぴゃっと飛び上がってから顔を赤くして俯いた。アンジェは動揺せずににこりと微笑む。
「……適材適所でしょう?」
「まあな」
軽く肩をすくめた親友を見てアンジェはため息をつき、改めて一同を見回した。
「……これは完全に、お菓子クラブとは無関係の、わたくし個人の事情でお願いしていることですわ。だからご協力いただかなくても一向に構いませんし、もしお力添えいただけるなら、何かしらお礼をして差し上げたいと思っておりますの」
「お礼?」
リリアンが首を傾げて尋ねたので、アンジェは頷いて見せる。
「その……次の試験前に、みなさんでご一緒にお勉強しませんこと? 分からないところは僭越ながらわたくしがお教えいたしますわ。わたくしの家で、皆さんお泊りいただいて、お夕食もご一緒にいただきながら……きっと、勉強ですけれど、楽しいひと時になると思いますの」
話すにつれて一同の瞳がきらきらと輝き、前のめりに乗り出して、アンジェが話し終えた頃には全員が力いっぱい頷いて見せた。
「素敵ですわ、アンジェリーク様!」
「お礼なんてお気になさらないでよろしかったのに!」
「みんなでお泊りだなんて楽しそう!」
頬を紅潮させて話すクラブメンバーたちを見て、アンジェは安堵も交えてほほ笑む。
「では……お引き受けいただけて?」
「勿論ですわ、アンジェリーク様!」
ルナとリリアンも含めた全員が、アンジェの言葉に力強く頷いて見せた。
「アンジェリーク様のお力になれることがあるなんて、光栄です!」
「こんなことがあるなら試験も悪くありませんわね!」
「ありがとう……みなさん、ありがとう……!」
口々に話す各人の話を聞いて、アンジェは瞳に涙を浮かべながら頭を下げる。
「アンジェリーク様。……わたくし正直、一年の頃は、アンジェリーク様のことをセルヴェール公爵令嬢として接していたように思います」
赤い巻き毛をポニーテールにした二年のマギーがしみじみと頷く。
「正味なところ、どうにかして親交を深めたいなと思っておりましたし、アンジェリーク様はそんなわたくしにも気さくに接してくださいましたわ。けれどそれはあくまでも、教室にいる時にご挨拶をしたり、おしゃべりをしたり、その程度のことで……だから今こうして、教室ではない場所で、アンジェリーク様がわたくし達を頼ってくださるのがとても嬉しいのです」
「マギーさん、そのお気持ちとてもよく分かるわ」
水色の髪を一本のみつあみにして背に垂らした同学年のシエナも同じく深々と頷く。
「セルヴェール公爵令嬢と懇意にしていると言おうものなら、皆が羨ましがるのだもの。両親だって大喜びして……絶対に友情を壊すような真似をするななんて言うのよ。それでも、一年以上ご一緒させていただいて、楽しいひと時を過ごさせていただいてきましたけれど、今日ほど嬉しい日はないわ」
「まさしくそれね!」
同じく二年の、金髪を一つに結んでリボンを飾ったエリンが、嬉しそうにアンジェのほうを振り仰いだ。
「アンジェリーク様、ここにいる私たち、きっと気持ちは同じです。みんな、アンジェ様から何か頼まれごとをされて、嬉しくてたまらないのです」
「ありがとう、エリンさん。……ありがとう、マギーさん、シエナさん。スカラバディの皆さんも。ルナも、グレースさんも……リリアンさんも、ありがとう」
アンジェは微笑んで見せたが、その目尻からぽろりと涙が零れ落ちた。振り初めの雨のようにぽろり。ぽろりと水滴は落ち続け、最後にはぽたぽたと止まらなくなる。アンジェはポケットからウサギ刺繍のハンカチを取り出し、何度も目尻を拭い、ちりがみで洟もかんだ。
「アンジェリーク様、わたくし、本当に、ずっとアンジェリーク様に憧れていたんです」
マギーのスカラバディ、明るいブラウンの巻き毛のマリナがしみじみと頷く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます