7-5 【幕間】スカラバディの校内案内

 リリアンから可愛いうさぎハンカチをプレゼントされた翌日。アンジェとリリアンは放課後に校内案内の約束をし、校舎入り口前で待ち合わせをした。アンジェにお茶の時間に遅れると言われたフェリクスは快諾しつつ、終わったら少しだけ顔を出して欲しいと付け足した。通学鞄を預かってもらおうかとも思ったが、ハンカチや筆記用具を急に使うかもしれないと思い、結局持って行くことにした。


 校舎入り口付近はアンジェと同じように待ち合わせをしている生徒が多数いる。ぴかぴかの制服を着てキョロキョロしている新入生もいる。相手を見つけた歓声。ぎこちなくも行き来する会話に染まる頬、輝く瞳。わたくしも去年はあんな顔をしていたかしら? 秋の空の高いところに薄い雲が浮かび、髪を揺らす微かな風が心地よかった。


 乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」の正ヒロイン、リリアン・スウィート。予想を突き抜け脳天を直撃するほどの可愛らしさに、フェリクスとの婚約を維持したいアンジェとしては、是が非にもフェリクスとの接触を避けなければならないはずだった。フェリクスと一緒にいる時に彼女の姿を目撃して、何と声をかければいいか迷っているうちに、何か勘違いをしたフェリクスが声をかけてしまって。公衆の面前で鼻血鮮烈などいい恥晒しになって、それに耐えねばとルナにスカラバディを交替してもらって。


「変ね……」


 婚約維持戦線は、芳しいとはあまり言えない気がする。


(……リリアンさんは、フェリクス様ご本人にはさほど接触はしていない筈ですけれど……)

(わたくしが……かなり……接触しているわね……?)


 アンジェの前を、男子のバディ二人がはしゃぎながら通り過ぎる。元々知り合いのようで、気安く肩を叩き合う様子は見ていて微笑ましい。


 スカラバディは、二年側は新学年のクラス割と共に知らされている。決め方は機械的に名前順にペアにしただけで、家庭の都合や事情は加味されていない。フェリクスのような王族やそれに準ずる立場の者は一覧から外され、別途ふさわしい者が選出される。アンジェは昨年フェリクスの従妹の王女とスカラバディになったが、これも王女の相手として公爵令嬢、かつ王子の婚約者がふさわしかろうと選出された結果だった。それ以外は学友や親同士で調整してもよく、新入生側がアカデミーにスカラバディ決定通知を出すと最終決定となる。リリアンもアンジェが休んでいるうちに決定通知を出したようだった。


(わたくしはフェリクス様とご一緒することが多いし……結果として、彼女とフェリクス様の接点も増えてしまう……?)


「アンジェ様、お待たせしました!」


 不意に声をかけられて振り向くと、ストロベリーブロンドのリリアン・スウィートがにこにこしながら通学鞄を抱き締め、上目遣いにアンジェを覗き込んできたところだった。


「ごっ、ご機嫌よう、リリアンさん、今来たところですわ」

「ごめんなさい、お花を摘みに行っていて……アンジェ様、今日は体調はいかがですか?」

「おかげさまで今日は調子が良くてよ、……ご心配おかけしてばかりで申し訳ないわ」

「全然です! 私も入学式の時は死んじゃうかと思いましたし……」


 少女がクスクスと笑うと肩が小刻みに揺れ、ストロベリーブロンドも微かに動く。手を軽く握って口元を隠す仕草が、なんだか小動物が木の実でも食べているように見える。出会い頭に動揺したことには気づかれなかったようで、アンジェは密かに安堵する。


「では、行きましょうか」

「はいっ!」


 二人は微笑み合うと、アンジェが少し先に立って歩き出した。


 多くのスカラバディが、ここ数日で新入生を校内案内に連れていく。それはバディどうしの親睦を深めるきっかけとなるようにと、全体での校内案内を行わない学校側の意図でもある。校長室や職員室、大会議室などがある本棟、クラスルームがあるクラス棟、音楽室や実験室、教員の研究室などがある研究棟、カフェテリア。美しい中庭に芝生の広場、植物園、飼育園、購買部に大講堂、礼拝堂、魔法鍛錬場、競技場に運動場。部活棟、馬車寄せと御者控室、ノーブルローズ寮、図書館。どこに行っても目をキラキラさせてぴょんぴょん飛び上がっていたリリアンだったが、フェアウェルローズ建築前の原生林を残した森の入り口では一際嬉しそうに目を細めていた。図書館でもあちこち見渡して本を借りたそうな雰囲気だったのでアンジェは貸出を勧めたが、リリアンはえへへと笑いつつ首を振った。


「いっぱいあって、今すぐこれって決められなそうです。じっくり回って見てみたいです」

「そうですこと?」


 これから毎日のように通うのだから、気になるものを気軽に借りて読めばいいのに。よく図書館で本を借りるアンジェは内心そう思ったが、人にはそれぞれの読書の速度があるのだと、それ以上追求はしなかった。


「さあ、これで大体回り終えたかしら」


 もう閉門時刻も間もなくとなったころ、ようやく二人は校舎正面口に戻ってきた。


「アンジェ様、この学校は本当に広いんですね……私が想像するのの百倍は広かったです、一つの町みたいです……!」


 リリアンが空想にでも耽っているような口調で夢見がちに呟く。


「気に入っていただけたのなら先輩として嬉しいですわ」

「はい! 勉強頑張って良かったです!」


 クスクス笑ったアンジェに、リリアンも嬉しそうに頷いた。


「私、田舎の出なので、首都セレニアスタードに来た時もびっくりしたんですけど。今日が一番びっくりしました! こんなすごいところで勉強できるなんて……! すごい世界があるんですね!」

「貴女ももうその世界の一部でしてよ?」

「そうなんですよねえ」


 貴賓室の方へ歩き出しながら、リリアンは手を広げてくるくると回る。子供っぽい仕草にアンジェは弟と妹を思い出しながら微笑む。


「そう言えば……」


 回り続けていたリリアンは回転を止め、だが広げていた手はそのままに、首を傾げてアンジェの方を見た。


「アンジェ様は、どうして私のスカラバディになってくださったんですか?」

「…………!」


 身体がぎくりと凍り付いたのは、答えにくい質問だからだったのか、人形のようなポーズの愛らしさが胸を射たからだったのか。


「どうして……と正面から言われると、戸惑いますわね」

「あっ、その、ごめんなさい」

「よろしくてよ、ルナに決まりかけていたところに割り込んだのですもの、お気になさるのも当然ですわ」

「…………」


 リリアンは事前に自分のスカラバディのことを知っていたのだろうか。先日貴賓室に誘った時に、アンジェがスカラバディになることを伝えたが、リリアンの目線からは青天の霹靂だったことだろう。アンジェも首を傾げ──入学式と、医務室でのことを思い出す。脳天を撃ち抜かれたような衝撃と、恥じらうリリアンを見て火が出るほど顔が赤くなったこと。ぎゅうぎゅうに締め付けられたコルセットに苦しんで、涙を浮かべていた紫の瞳。


「……医務室でお会いしたリリアンさんが、気にかかったから……は、理由になりますかしら」


 アンジェは話しながら、気持ちを拾い上げる言葉を探していく。


「あの時のリリアンさん、苦しそうで……わたくし、どうにかしてお助けしたいと思いましたのよ」

「…………」


 リリアンの瞳が見開かれる。


「……そんなことでですか?」

「そんなことですわ」


 アンジェが頷くと、リリアンは綺麗な花を摘んだかのようににっこりと微笑んで見せた。


「そんなことなんですね……!」


 ふふふ、と笑い、もう一度くるりと回るリリアン。


「なんか、嬉しいです」

「それは……何よりでしたわ」

「ふふふ、嬉しいです」


 リリアンはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねると、アンジェの手を取り、笑いながら無邪気に顔を覗き込んだ。


「私、アンジェ様がスカラバディで良かったです!」

「…………!!!」


 とびきりの笑顔が至近距離で炸裂して、アンジェは息を呑み──にこりと、完璧に微笑んで見せた。


「喜んでいただけで嬉しいわ、リリアンさん。これからどうぞよろしくお願いいたしますね」

「私もよろしくお願いします!」


 二人はクスクスと笑いながら、貴賓室を目指して歩いて行ったのだった。



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