12-2 守られたものとお迎え

「ミミちゃんを……預かっていて欲しいんです」

「……なんと仰ったの?」


 思わずアンジェは聞き返し、身体を起こそうとするが、リリアンはギョッとしてそれを押し戻す。


「あの……父は、私がミミちゃんを持ち歩くのを良く思っていないんです。子供っぽいからやめろと」


 しどろもどろで、だが眼差しはいやに必死にアンジェを、その顔の均整を壊す傷を見つめる。


「もしアンジェ様のお怪我が、ミミちゃんのせいだと父に知れたら、きっと取り上げられてしまいます……」


 アンジェはつい先程のリリアンを、うさぎを見つけた瞬間にボロボロと泣いていた少女を、疑念も露わに見上げる。


「だって……お母様の形見ではありませんの?」

「はい……」

「何故それを、他でもないお父様が、お母様のご夫君であられたお父様が、娘の貴女から取り上げようとなさるの?」


 リリアンは言葉に詰まり──胸の前で両手を握り締め、ゆっくりと首を振った。


「父は……そういう、人なんです」

「…………」

「お願いします」


 リリアンはベッドの端に手をついて、額をこすりつけるように頭を下げた。アンジェは布団に触れたストロベリーブロンドを、リリアンの小さな頭の頭頂部を凝視する。頭も、肩も、指先も、カタカタと震えている。部屋の外の足音が大きくなると、怯えたようにびくりとする。いつか見た時のように、なんと痛々しいのだろう。この子はいつも何かに怯えているような気がする。


(お母様の形見なのに、他人に知られるのをとても怖がって……)

(……ご事情があるにしても、一体……)

(けれど、今、根掘り葉掘り尋ねてはいけないわ、アンジェ)

(こんなに怖がって……)


「……分かったわ、リリアンさん」

「アンジェ様……」


 ゆっくりと顔を上げたリリアンに、アンジェは微笑んでみせた。


「いつまでお預かりすればよろしいの?」

「あの、ほとぼりが冷めたら、えっと、数日だと思います」

「数日ね」


 アンジェが右手を差し出すと、リリアンもポケットからミミちゃんを取り出した。両手でぎゅっと握りしめると、耳の辺りにそっと口付ける。


「ミミちゃん、どうかアンジェ様をお守りしてね」


 小さなつぶやきが、うさぎを握る手に力を込めさせる。数秒ほどそうしていただろうか、リリアンは名残惜しげにうさぎを見つめると、そっとアンジェの手に託した。それとほぼ同時に、こんこん、と扉が叩かれる音がする。


「お嬢様方、失礼しますよ」


 二人は顔を見合わせ、アンジェは咄嗟にミミちゃんを握り締め、枕の下に突っ込む。キイと扉が開き、医師の白いローブを着た老女が召使を伴って入室してきた。


「あらあら、まあまあ、フェリクス坊っちゃまのご婚約者様。ええ、ええ、スカラバディのご学友のことも聞いておりますよ、ええ」


 アンジェは召使によって制服を脱がされ、リリアンは介助を固辞して自分で脱いで、一糸纏わぬ姿で診察を受ける。


「……あらまあ、痛々しい……ええ、大丈夫ですよ、綺麗に治して差し上げましょうね。お美しい、よく磨かれたお肌ですこと。うふふ、坊っちゃま、険しい顔をなさっていましたよ……ご心配なのね」


 アンジェは左側の肩と、腰骨から太腿にかけての打撲が酷かった。足を動かすと痛みが酷く、そこから優先的に治癒魔法を使うという。


「こちらのお嬢様は、傷一つないですわね。ちょっとこう手を上げて……ここに座って、足を……うん、両手足も問題なく動くわね。魔法の守りが残っていますから、セルヴェールのお嬢様がよくお守りなさったのでしょう」


 リリアンはそう言われると俯き、悲しそうにアンジェを見つめた。疲労でうとうとしかかっているアンジェの肢体を目の当たりにして顔を染め──右手で隠している胸の柔らかなふくらみをじっと見て、同じく手で隠した自分の胸を、その先に見えるつま先を真っ直ぐ見下ろす。何か思い出して、自分の頬を掌でぐにぐにと押し、険しい顔で盛大にため息をついていたが、アンジェはそれには気付かないふりをした。


 リリアンは再び制服を、制服が血まみれのアンジェは用意されたガウンを着せられる。アンジェは着替えの合間にさりげなく枕の下からミミちゃんを取り出し、ガウンのポケットに移す。その様子をリリアンが横目で見ていたのと視線が合い、アンジェは微笑んでみせる。二人とも着替えが済むとフェリクスと先ほどの老医師が戻ってきて、老女医師が二人の症状を簡潔に説明し、アンジェの痣に医師二人がかりで治癒魔法をかける。何か目に見えない暖かいものがガウンを通り抜けて肌に触れ、痛みを吸い取っているかのようだ。


「お嬢様がお使いになったのは風の魔法ですかな、咄嗟に彼女を包んだのでしょう」


 アンジェが魔法を使ってリリアンを守ったのだと言う医師の説明に、アンジェ自身は首を傾げる。


「そうなのでしょうか、わたくし自分では何も分からなくて……」

「魔法の授業の成績が優秀なだけでは魔法が使えるとは言えませぬな。必要な時、いざという時、火急の時に即座に適切な魔法を使えるのは才能ですぞ。願わくば、ご自身にも使っていただければ、愛くるしいかんばせが痣になることもなかったでしょうに」

「まあ……ではこの鼻血も、なにか魔法のせいだったのでしょうか」

「いや、それは単なる打撲ですな」

「そう……」


 何となく鼻血が出たことに理由が欲しかったアンジェは、きっぱり断言されて肩を落とした。フェリクスが大丈夫だよ、と意味もなくアンジェを励ましてやるのを見て、老医師二人はニコニコと微笑んだ。


「それにしても……お二人とも、セレネス・シャイアン候補でいらっしゃいますな」


 セレネス・シャイアン。

 アンジェとリリアンはその言葉にぎくりとする。


「ええ……」

「わわ、私なんかちんちくりんで……アンジェ様がセレネス・シャイアンに決まってます」

「僕もきっとアンジェだと思う。こんなにも美しく心根も優しく、たおやかでしなやかな女性こそ、我が国の救世主となるに違いない」

「フェリクス様……わたくしには勿体ないお言葉ですわ」

「私も殿下と同じように思いますっ、アンジェ様は素晴らしい方です!」


 フェリクスとリリアンの言葉は、アンジェにはどこか遠くの国の知らない言葉のように聞こえる。二人とも未来を知らない。この世界が乙女ゲームの世界で、アンジェがこの先の未来の可能性のルートをいくつも知っていることを知らない。


 どのルートでも、セレネス・シャイアンは必ずリリアンだということも。


 三人のやり取りに老医師二人は顔を見合わせ、何か頷き合ってから、恭しくお辞儀をしてみせた。


「ほっほ、こればかりは儂にもなんとも……建国の女神セレニアのご意志は、人間が理解するには偉大すぎるというものです」

「そうですわね、時がくれば分かることでしょう。お二人とも、どうぞお大事にね」


 魔法の治療によって痛み赤み腫れはみるみるうちに引いていき、アンジェの肌は元の滑らかなミルク色に戻った。医師二人はフェリクスが治癒の仕上がりに満足したのを確かめると、ニコニコしながら退出して行った。


「魔法の手当ては初めて受けましたわ……暖かくて、心地の良いものなのですね」

「そうだろう、二人とも腕がいいからね」


 フェリクスはベッドのアンジェの枕元あたりに腰掛け、綺麗に治った左頬をそっと撫で、左手を優しく握り締める。


「アンジェ……良かった。君の血を見て、僕はすっかり動転してしまったよ」

「結局いつもの鼻血でしたわ」

「いや、打撲の出血なのだから同じではないよ。打ちどころが悪くて頭蓋が割れでもしたらどうするつもりだったんだ」

「返す言葉もございませんわ」

「アンジェ……」


 怪我が治った安堵感からアンジェは冗談めいた口調で言うが、フェリクスの声にはまだ心配が滲んでいる。


「殿下、ごめんなさい、私がぼんやりしていたから、アンジェ様も巻き添えに……」

「スウィート嬢、君が謝ることでもない」


 涙目のリリアンに、フェリクスは面差しを厳しくしてきっぱりと言う。


「あれはどう見ても悪意がある仕掛けだ。詳しく調べさせているからもう少しだけ時間をくれないか。君の親御様にも申し訳が立たない」


 アンジェが見上げる先で、リリアンが僅かに息を呑む。


「そんな……私はアンジェ様に助けていただきましたし、アンジェ様がご無事ならそれで……」

「……リリアンさん、ありがとう」

「アンジェ様……」


 リリアンとアンジェは視線を重ね、どちらにともなく微笑みあった。フェリクスは軽く目を見開き、自分が握り続けているアンジェの左手とリリアンを見比べてニコニコと微笑み、さあ、と上機嫌に切り出した。


「スウィート嬢、夜も更けてしまった。部屋を用意するから君もアンジェと一緒に泊まっていくといい。明日は二人ともアカデミーは休むように」

「わあ、そんな、申し訳ないです、殿下」

「怪我がなかったとはいえ、君も階段から転げ落ちているんだ、少しは気遣わせてくれないか」

「そうよ、リリアンさん、お大事になさって」


 慌てふためくリリアン、畳み掛けるフェリクスとアンジェ。アンジェには予想できた事態だが、リリアンには完全に青天の霹靂なのだろう。何度か押し問答したが、王子も公爵令嬢も全く譲らなかったので、最終的にリリアンは小さく縮こまった。


「あの、……ありがとうございます、殿下、アンジェ様……私なんかのために……」

「アンジェのスカラバディで大切な友人なら僕の友人でもある、何も遠慮することなどないよ」

「そうよ、リリアンさん、ご自分を卑下なさらないで」

「殿下……アンジェ様……」


 またしても少女二人の視線が絡むかと言う時、こんこん、と扉が叩かれ、侍女が入室してきた。


「スウィート男爵が、お嬢様のお迎えだと参内されています」

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